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ねこ沢ふたよ

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過去の客(ヘルマンヘッセとアキレス腱)

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 本日もこの書店は、暇である。
 バイト代がちゃんと出るのか、この書店が潰れたりしないのか、不安は胸をよぎりまくるが、本因坊店長は、納得しないかぎり客に本を売ることをしない。

 その本に相応しい筋肉を客が持っているかどうか。

 その基準で本を売るかを決めている。

「本という物は、危険物質である。ちゃんと準備もせずに本を読めば、恐ろしいことになる」
本因坊店長が、遠い目をする。

 ……昔、悲しい事件があったのだと……

 陰気な客が店を訪れた。
 本因坊店長はその頃まだ未熟で、筋肉の足りないその客に、ヘルマンヘッセの『車輪の下』を販売してしまったのだという……。

 ヘルマンヘッセの『車輪の下』を読んで、その世界観に引き込まれた客は……。

 その世界観から帰って来れずに、筋肉廃人になってしまったのだと……。

 まじ? 確かに、『車輪の下』は、とてつもなく暗い救いようのない話。周囲の期待、教育、そういう物から逃れようとする少年の心が、次第に押しつぶされてしまう。救いのない小説。
 しかし、筋肉がないからその世界観に引き込まれて帰ってこれなるとか……。まじ? 逆に筋肉があれば、世界観に引き込まれ過ぎずに帰ってこれるとか……なんで? えっと、スタートダッシュをかませば大丈夫とか? 反復横跳びで、切り返してくるとか? ちょっと俺には、どうやってどうなるのかさっぱり分からない。

「あれ以来、本を読むに足る筋肉があるかを見極めて売っているのだよ」
イイ感じの少し寂し気な表情の本因坊店長。

 ちょっと悲しい秘密の過去的な話し方だが、その内容は、信じがたい話だ。
 中書島さんや浪人生さん、放出さんや摩周湖さんがいれば、きっと胸打たれて感動の涙を流しているところだろうが、俺には、何の感慨も沸かない。

 ていうか、筋肉廃人ってなんだ。
 えっとアキレス腱断裂とか? ということは、『車輪の下』を読むのに鍛えるべきは、『アキレス腱』ってことだろうか?

「本因坊店長……そのお客様は、アキレス腱を鍛えるべきでしたか?」
俺は聞いてみる。

「お、おお! おお! 分かっているじゃないか! 佐々木君! すごい! ついに佐々木君のマッスル魂が目覚めたか!」
本因坊店長が、物凄く感動している。

「いや、そんな訳の分からないもの、一ミリも目覚めていませんから!」
俺は、全力で全否定した。

 マッスル魂だと? そんな物、目覚めてたまるか! 永遠の眠りについていてくれ!!

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