平安の都で妖狐は笑う

ねこ沢ふたよ

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犬神

最期の言葉

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 考えた末に、乃介は、村人によって土に埋められた。
 出家の身であった乃介に敬意を表して、即身仏とすると決められた。

 竹筒を地上まで這わせて、その竹筒から乃介の読む経の声とお鈴《りん》の音が聞こえてくれば、まだ生きているという指標にするらしい。
 その竹筒を使って、犬神と白児は、乃介のいる地下と地上を行き来した。
 鼠よりも小さくなれる妖の二人にとっては、造作もないことであった。

「くだらない。今からでもこの村を捨ててさっさと逃げればよいのだ。主よ。命じれば、いつでも助けてやるものを」

 そう乃介に進言する犬神に、少し悲しそうな顔を乃介はした。
 どうせ自然現象の雨は、いつまでも降り続くものではない。
 ならば、放っておいてほとぼりが冷めたら、帰りたいのであれば帰れば良いのだ。

「うん。たぶんお前が正しい。だがね……一度そうと決まって長老の判断が出てしまっては、誰かが犠牲にならなければ、止まりはしないんだ」

 乃介に長老は耳打ちした。乃介が断るのならば、村の娘を犠牲にしなければならないだろうと。

「ふうん。それで乃介が犠牲になるというのか」
「まあ、そうだ」
「苦しくはないか?」
「犬神がいてくれるからかな。思ったよりも辛くない」

 辛くない訳がないだろう。
 このままでは、餓死してしまう。
 犬神が妖力で感覚を麻痺させているから、少しはマシだろうが、それでもこの暗い土のだ。気も狂わんばかりに精神的には参ってしまうだろう。

「犬神よ。主が死んだらどうする?」
「さあ。長い間、主の一族に仕えてきた。今更どうするか……」
「旅に出ると良い。私の代わりに、広い世界を見て来てくれ」
「なんだ。旅に行きたいなら、やはり一緒に行けば良かろう?」
「くどいな。決心が鈍るから誘惑するな」

 その程度で鈍る決心なら、さっさと逃げ出せ。そう言う犬神に、乃介は、聞き分けの無い幼子に向けるような困った顔をした。

 昔川遊びをした話。花は何が好きであったか。そんな取り留めもない話を犬神と乃介は暗がりで続けた。
 穏やかな顔で乃介は、あの世へ旅立った。
 犬神は、それを看取った。

 主の言う通り、白児を連れて立ち去ろうと思っていた。今まで主なしで存在したことは無い。人里を離れて、山に住むのが良かろうと思っていた。

 だが、白児が主の部屋で見つけたという一冊の日記を見て、心が変わった。

「それが、これか」
「左様でございます。主様の心を読み切れなかった馬鹿者の証でございます」

 犬神が晴明に頭を垂れる。
 晴明の手元にある乃介の日記の最後のページ。書きなぐられた言葉。

 ――生きたかった。

 その一言が、犬神を残虐な村人の惨殺に向かわせた。

「帰ろうか。紫檀よ」
「んあ? 良いのか?」
「良いも悪いも、村人は既に全滅じゃ」

 まあ……今更ということか。

 紫檀は頭を掻く。

「犬神よ。そなたはどうする? この晴明と来るか?」
「いいえ。この犬神の主は、乃介様一人になりましたゆえ」

 即身仏となった乃介の亡骸を、この誰もいなくなった村で守ると言うのだろう。

「紫檀よ。疾く」

 日記を犬神に返して、晴明が急かす。

「全く。クソ爺が!」

 黒狐に紫檀は変じる。
 晴明が背に乗れば、紫檀は、そのまま振り向きもせずに天へと駆け出した。

「晴明よ」
「うん。なんだ?」
「復讐してほしいか? もし晴明が……」
「ふふ。要らぬな。死んでからのことなぞ知らん」
「まあ、……晴明が簡単にくたばるとは思えんがな……」
「どうだろうな」

 晴明は、笑いながら紫檀の頭を撫でた。
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