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ギャップ

8.

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「じゃ、世話になったな。ありがと縁センセー」
「……ちょっと待ちなさい」

 パシッ

 ドアを開けようと、手に力を込めた瞬間――センセーは私の手を器用に握った。
 運転席からここまで、どういう体の捻り方してんのか不思議だったけど、握られた手が熱く疼く。

「な、なに?」
「あなたに一言、これだけは言っておこうと思いまして」
「(あなた……)」

 あなたって、また言った。
 その三文字が、どれほど私を緊張させるか――センセーは全く知らないんだろうな。

「これだけは……って。どうせ、しょーもない事なんだろ?」

 すると縁センセーは「いえ重大な事です」と言う。真剣な目だ。

「ここに来るまでに公園がありました。大きくも小さくもない、普通の公園です」
「は?それが?」

「いえ、ただ……鶫下さんが、まだそこで遊ぶことがあるのかと思いまして」
「……ふん」

 ドキドキして、損した。

「センセーがモテない理由が分かったわ。
 何でもかんでも包み隠さず暴こうとすんのは、女に嫌われるぜ?」

「私はただ、」
「はいはい。送ってくれてあんがと、じゃね」

 バタンッ

 半ば恨みも込めて、扉を閉める。
 センセーは車中から怪訝そうな顔して私を見たけど、すぐに音を立てて去って行く。
 だけど走り去る音さえも静かで……その静寂は、縁センセーそのものだった。

「はぁ。楽しかったな……」

 久しぶりに、こんなに喋った。
 しかも相手は、あの縁センセー。

「ぷっ」

 どんな状況だよ。
 今更ながらに、ありえないシチュエーションに吹き出してしまう。
 だけど――

「あら、真乃花」
「!」

 その一言で、私の顔から笑みが消える。
 この声は――

「た、ただいま――母さん」
「おかえり」

 振り返ると、そこには母がいた。
 笑みを浮かべ、私に近づいてくる。
 その足取り、手の動かし方――全てを凝視してしまう。

 今にも、あの手が私を――
 次には、あの足で私が――

 頭の中には、嫌な事ばかりが浮かんだ。
 だけど、私の目は更に、母の持っているカバンに向かった。母はいつも大きなカバンを持ち歩く。
 その中に、何が入っているのか――想像するだけで戦慄した。

「(包丁とかだったら、マジで笑えねぇ)」

 冷や汗を垂らしながら、だけど、いつでも母から逃げられるように体に力を入れる。母にばれないように、こっそりと。心臓がトクトクトクと早打ちする。
 クソ。親に会っただけでこれかよ、みっともねぇな……。
 私の戦闘態勢にも気づかず、母はのんびりとした声で話す。

「家まで先生が送ってくれるって話だったけど、歩いて帰ってきたの?」
「え、あ、いや……途中まで送ってもらった」

 センセーの車の中で必死に考えた言い訳を述べる。

「ほら、家の前って道幅が狭いから」

 すると母はニコリと笑う。

「あら、じゃあ――先生のお車は大きいのねぇ?」
「!」

 縁センセーの情報を、何一つ、母に渡したくない。
 渡したら、どう使われるか……。
 パズルを組み合わせるみたいに、頭の中で最適な答えをはめてみる。

「(……うん)」

 よし――これだ。
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