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ギャップ

9.

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「いや、そうでもなかったと思うけどな。ほら、センセーの車って乗るだけで緊張するし……マジマジとは見なかったよ。
 それより、どうしてここに?」

 というより、いつからここに?
 先生の車見た?
 先生の姿みた?
 私が聞きたいのは、こういうことだ。
 ソフトに、遠回しに、勘づかれないように――まるで世間話のように聞くことに努める。

「そろそろ真乃花が帰ってくる頃だと思ったのに、いつまでも声がしないから……まさか倒れてるんじゃないかって心配になったのよ」
「そっか、ありがと。ここで会えてよかった。すれ違いにでもなったら大変だしね」

「そうね」
「ところで、」

 まだ情報を引っ張り出してやろうと、私が口を開いた時――

「あっれー?ママとおねーちゃんじゃん」
「穂乃花……」

 妹の穂乃花が、私と母をジッと見ていた。

「ほのちゃん!おかえり~今日はどんな一日だった?」
「別にー。普通」

 そう言いながら、帰りに買ったであろうジュースを、ストローでちゅうちゅう吸う穂乃花。
 私をチラリと見た後「あ、でもぉ」と怪しく笑った後に私を見た。

「お弁当、ちょーおいしかったよー。特に唐揚げが最高」
「!」
「本当?頑張って作った甲斐があったわぁ~」

 穂乃花が褒めると、母は心の底から嬉しそうに笑う。
 だけど、反対に顔を歪めたのは私。
 そして、そんな私を嬉しそうに見るのは――穂乃花だ。

「(また、始まったな……)」

 物心ついた頃から、なぜだか私は穂乃花に嫌われている。
 いや、きっと、暇なんだ。
 暇だから、やることがないから、私を邪険に扱う母に興味を示し、時には一緒になって私を奈落の底につき落とす。

「(さみしー奴だよな。穂乃花も)」

 だけど、穂乃果は……人の表情を読み取るのがうまい。
 現に、私が今、穂乃花に対してよくない事を思っている事も、瞬時に読み取る。
 そして、即座に復讐の算段をたてるのだ。

「ねーおねーちゃん。おねーちゃんも、私と一緒のお弁当をママから作ってもらえばいいのにー」
「え……」

 そんなこと、出来るワケねーだろ。
 前に、穂乃花からそう言われた事がある。
 あの時は「ママがおねーちゃんのお弁当も作りたいと言っていた」とウソを言われた。

 そして――その言葉を鵜呑みにしてしまった私が「弁当を作ってほしい」と母に進言すると、張り手が飛んできた。その晩のご飯を抜きにもされた。
 その後、自室でみじめったらしく腹を鳴らしている私を、穂乃花はドアの隙間からほくそ笑みながら見ていただけだった。

 母から手作り弁当を作ってもらえる穂乃花と、作ってもらえない私――
 言葉にするとそれだけの関係で、だけど、実際は他の家庭では考えつかないほどの深い溝がある。

「ね、おねーちゃん?聞いてんの?」
「(あ、しまった)」

 考え込んでしまっていた私を、穂乃花と母が正反対の表情で見ていた。
 笑う穂乃花と、眉間にシワを寄せる母。
 弁当を作ってくれだって?
 んなこと、言えるわけねーだろ。

「私はいいよ。今のままで」

 言った瞬間、母の眉間からシワが消えて、代わりに笑顔が現れた。
 それを見ると、私は選択を間違えなかったのだと、ホッとする。

「じゃあ、帰りましょ」
「はーい」

「……」
「真乃花?」
「え、あ、うん。ごめん、帰るよ」

 母に呼ばれるまで私が見ていたのは――目と鼻の先にある公園。
 そこは、私の逃げ場所。
 唯一の、心の支え。

「(今日も行くからな)」

 縁センセーは、

――ここに来るまでに公園がありました。大きくも小さくもない、普通の公園です
――いえ、ただ……鶫下さんが、まだそこで遊ぶことがあるのかと思いまして

 そんな事を言っていたけど……。なんで、そんなことを知ってんだか。

「(厄介な奴が担任なのかもしれねーな)」

 ため息を一つ吐いて、穂乃花と母の後を追う。
 結局――家に着くまで、私が二人の隣を歩くことはなかった。
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