36 / 57
3章 宝剣の重み
4.選ばれる者と選ばれぬ者(4)
しおりを挟む西外れのその家に着いて、紅妍は自らが呼ばれた理由を察した。その家には誰もいない。人の気配がないのである。
「この家に仕えていた人も見当たりませんね……人の気配がまったくない」
「ここに勤めていた者は疫病に罹って静養しているらしい。周家の息子は武官として宮城に勤め、家に帰ることは年に数度だと聞いている」
「……なんだか寂しい場所です」
委細を得ようにも人がいないのである。これは調査も暗礁に乗り上げるだろうと理解した。
家は静寂に包まれて寂しく、それは庭までも包む。雑草が茂っている。雨の日もあったからか家人のいない隙にと伸び伸びしていた。
庭は奥、家塀の近くに杜鵑花が咲いていた。白色に桃色がほんのりと混ざった花が咲いている。寂しい中でもひっそり咲いていたのだろう。杜鵑花の前で紅妍は身を屈める。
人がいなくとも、花は語る。花は見てきたものを詠みあげる。それを聞き取るのが華仙術だ。
「……花詠みします」
一輪、摘み取る。この花は泣いている。悲しげに咲いている。記憶を詠みあげたくて仕方ないと泣いているのだ。手中に花をのせて、紅妍は瞳を閉じる。
(あなたが視てきたものを、教えてほしい)
意識を傾ける。杜鵑花の中に、溶けていく。そうして花の声を聞く。花が詠みあげる記憶を拾う。
『小鈴からの連絡がない、ですって』
深衣を着た女中から話を聞いたらしい、老婆が顔を真っ青にしていた。庭の端には雪が残り、それは溶けかけていた。冬が終わり、春が訪れる前のことだろう。
『おかしいわ。あの子はこまめに文を寄越す子だったもの、何かがあったに違いない』
『では奥様、どうしましょう』
『誰か、人を向かわせましょう』
『ですがこの時期の丁鶴山はみな行きたがりません。春になれば良いかもしれませんが……』
『では……わたしが行きましょう』
その言葉に女中が叫ぶ。
『行けません。丁鶴山には穴持たずの大熊や大虎がいると聞きます。もしも小鈴様が……』
熊は冬になると栄養を蓄え、洞穴などにこもって春が訪れるのを待つ。だが、冬こもりによい場所を見つけられなかった熊や餌不足の熊は冬眠ができず、冬山を徘徊するそうだ。これを穴持たずと呼ぶ。
他にも丁鶴山には虎などの獣が多数確認されている。女中はそれを恐れたのだろう。
だが老婆は決意固く、廊下から庭を見やる。その視線は雪積もる杜鵑花の枝に向けられている。花は咲いていないというのに眺めていたということは、老婆にとって想いが詰まっていたのかもしれない。
『わたしは小鈴を丁鶴山になど行かせたくなかった』
『これは永貴妃様が小鈴様のためにと与えてくれた仕事ですもの。奥様の責任ではありません』
『それはわかっています。永貴妃様は小鈴のことを思ってくれたのでしょう。けれど、けれど』
おそらく周寧明だろう老婆は、がくりとその場に崩れ落ちる。瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
『永貴妃様の罪滅ぼしが、こんなことになってしまうなんて』
そうしてしばし泣いた後、寧明は女中に告げる。涙混じりの声だった。
『息子たちには報せないでちょうだい。永貴妃様にまだ悟られてはなりません』
『……わかりました』
『小鈴が無事だったら……ここに連れてきて、杜鵑花が咲くのを待ちましょう。あの子はこの花が好きだったから』
持っていた記憶を詠み、それを紅妍に託した後、杜鵑花は枯れていった。ゆるゆると力を失っていく姿は涙を流すようでもあった。
意識が少しずつ戻っていく。春の風、杜鵑花の香り。瞳を開くと秀礼が不安そうに紅妍を覗きこんでいた。
「……紅妍、大丈夫か」
花詠みの後は流れ込んできた記憶と現実の区別がつかず、頭が痛くなる。紅妍は額を押さえながらゆっくりと立ち上がる。
(ここに誰もいないということは)
周寧明はおそらく丁鶴山に向かった。そして――戻ってこなかったのだろう。だから杜鵑花は悲しそうに咲いていた。咲き誇る姿を誰も見てくれやしないのだから。
となれば事は急いだ方がいい。そして記憶に出てきた『小鈴』が紅妍の考える通りならば、最禮宮の鬼霊に会うべきである。
「宮城に戻りましょう。あの鬼霊は、祓ってほしくて現れています」
0
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
辺境伯の溺愛が重すぎます~追放された薬師見習いは、領主様に囲われています~
深山きらら
恋愛
王都の薬師ギルドで見習いとして働いていたアディは、先輩の陰謀により濡れ衣を着せられ追放される。絶望の中、辺境の森で魔獣に襲われた彼女を救ったのは、「氷の辺境伯」と呼ばれるルーファスだった。彼女の才能を見抜いたルーファスは、アディを専属薬師として雇用する。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
公爵家の秘密の愛娘
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。
過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。
そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。
「パパ……私はあなたの娘です」
名乗り出るアンジェラ。
◇
アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。
この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。
初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。
母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞
🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞
🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇♀️
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
枯れ専令嬢、喜び勇んで老紳士に後妻として嫁いだら、待っていたのは二十歳の青年でした。なんでだ~⁉
狭山ひびき
恋愛
ある日、イアナ・アントネッラは父親に言われた。
「来月、フェルナンド・ステファーニ公爵に嫁いでもらう」と。
フェルナンド・ステファーニ公爵は御年六十二歳。息子が一人いるが三十年ほど前に妻を亡くしてからは独り身だ。
対してイアナは二十歳。さすがに年齢が離れすぎているが、父はもっともらしい顔で続けた。
「ジョルジアナが慰謝料を請求された。ステファーニ公爵に嫁げば支度金としてまとまった金が入る。これは当主である私の決定だ」
聞けば、妹のジョルジアナは既婚者と不倫して相手の妻から巨額の慰謝料を請求されたらしい。
「お前のような年頃の娘らしくない人間にはちょうどいい縁談だろう。向こうはどうやらステファーニ公爵の介護要員が欲しいようだからな。お前にはぴったりだ」
そう言って父はステファーニ公爵の肖像画を差し出した。この縁談は公爵自身ではなく息子が持ちかけてきたものらしい。
イオナはその肖像画を見た瞬間、ぴしゃーんと雷に打たれたような衝撃を受けた。
ロマンスグレーの老紳士。なんて素敵なのかしら‼
そう、前世で六十歳まで生きたイオナにとって、若い男は眼中にない。イオナは枯れ専なのだ!
イオナは傷つくと思っていた両親たちの思惑とは裏腹に、喜び勇んでステファーニ公爵家に向かった。
しかし……。
「え? ロマンスグレーの紳士はどこ⁉」
そこでイオナを待ち受けていたのは、どこからどう見ても二十歳くらいにしか見えない年若い紳士だったのだ。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
落ちぶれて捨てられた侯爵令嬢は辺境伯に求愛される~今からは俺の溺愛ターンだから覚悟して~
しましまにゃんこ
恋愛
年若い辺境伯であるアレクシスは、大嫌いな第三王子ダマスから、自分の代わりに婚約破棄したセシルと新たに婚約を結ぶように頼まれる。実はセシルはアレクシスが長年恋焦がれていた令嬢で。アレクシスは突然のことにとまどいつつも、この機会を逃してたまるかとセシルとの婚約を引き受けることに。
とんとん拍子に話はまとまり、二人はロイター辺境で甘く穏やかな日々を過ごす。少しずつ距離は縮まるものの、時折どこか悲し気な表情を見せるセシルの様子が気になるアレクシス。
「セシルは絶対に俺が幸せにしてみせる!」
だがそんなある日、ダマスからセシルに王都に戻るようにと伝令が来て。セシルは一人王都へ旅立ってしまうのだった。
追いかけるアレクシスと頑なな態度を崩さないセシル。二人の恋の行方は?
すれ違いからの溺愛ハッピーエンドストーリーです。
小説家になろう、他サイトでも掲載しています。
麗しすぎるイラストは汐の音様からいただきました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる