意地っ張りの片想い

紅と碧湖

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2.丹生田

22.深夜二度目

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 0時を過ぎると、2人になってから初めて健朗へ目を向けた畑田は「休憩」と無表情に言って奥へ引っ込んだ。
 十分と少し経って出てきた畑田が「休憩行ってこいよ」と言ったので、「ありがとうございます」ときっちり頭を下げて奥へ向かう。
 入ってすぐの位置にある4つのロッカーにはダイヤル式の鍵がかけられ、それぞれの私服や貴重品などを入れるようになっている。さらに奥側はカーテンで仕切って着替えをするスペースになっていて、折りたたみベッドが畳んで立てかけてある横に丸いすが2つあり、店長との面接はここで行われたし休憩の時もココに座る。眠るとき、ベッドを拡げると着替えスペースも椅子を置く場所も潰れるから、丸いすはロッカー前に移動させるしかないが、そうなるとロッカーを開くのも少し面倒になる。
(女性は着がえもできないな。深夜勤を女性がやることは無いだろうが)
 健朗はロッカーからペットボトルを取り出し、無自覚に息を吐きながら丸いすに腰を下ろす。ごくごくと緑茶を飲み、膝に肘を置いて背を丸めた。
 今日もやはり、よそよそしいと思う。それとも畑田はいつもこういう感じなのだろうか。
「ありがとうございましたー」
 畑田の声が小さく聞こえた。この場所は有線の音楽などは聞こえないが、大きな声は壁を通して聞こえるのだ。健朗は一組だけいた客が帰ったのだな、と思いつつ、どうするべきか、と考える。
 やはり笑顔か。
 そう思い、ロッカーを開いて、扉にある鏡を見た。
 顔が怖いとか目つきが悪いとか、言われることではある。図書館やファミレスなどで、子供に怯えられたこともある。確かに無骨な顔だが、笑えば印象は変わるだろうか。さっきパートの高野さんに言われた通り笑ってみたのだが。そう思いつつ、めいっぱいの笑顔を作ってみた。
「………………」
 ため息しか出ない。
 この笑顔ではイカンだろう、ということだけは分かった。
 店へ出て「休憩ありがとうございました」と声をかけたが、畑田はちらっとこっちを見ただけだった。新しい客がひとりいたが、『いらっしゃいませ』は聞こえなかったなと思う。
 その客は学生らしい男だったが、ちらちらと健朗を見てはニヤニヤして、畑田に話しかけている。畑田も気軽な調子で答えているから、知り合いなのかと思いつつ、健朗は地味に落ち込んだ。ふたりがニヤニヤとこちらを見ている感じが、ある意味慣れた視線に思えたのだ。
 小学校に入ってから剣道を始め、夢中になった。そのせいで背筋の伸びた姿勢が身についているのだが、それを偉そうだと言われ、子供なりに真剣にケンカした。だがその頃は良かった。あの客のような視線は無かったのだから。
 中学に入るとめきめき背が伸び、声変わりもした。すると偉そうだという者はいなくなったが、以前から親しかった者以外は、あんな目で健朗を見て声もかけない。それでも中学はよかった。親しい友人だけでもいたのだから。
 高校は剣道の強豪に入った。部活は充実していたし、そこに不満はない。
 だが身体がかなり大きくなっていて、しかも親しくしていた者達とは離れてしまったゆえに、教室で健朗へ話しかけてくるのはクラス委員だけだった。それ以外はニヤニヤしながら、あるいはチラチラ見ながら、ひそひそ話すだけで、直接声をかけては来ない。
 学校では女子からも遠巻きにされ、道では子供や女性にに避けられる。そのたび、ひそかに傷ついてはいたが、そういうのもこの無骨な顔には出ないのだ。
 そんな自分に接客のバイトなど、やはり無理だったのではないか。
(早まっただろうか)
 よく考えたら肉体労働など、他に自分に合った働きぐちはあった気がする。ただあのときは、少しでも早くバイトを決めて安心したかった。
 働かねばならないというのは、七星に行くと決めて以降、ずっと考えていたことだ。バイトなどやったことは無かったが、大学に入ったら無闇に万能になるような気がしていたから不安など感じなかった。むしろバイトをして新たな環境で生活することで、今までの剣道と勉強しかなかった自分とは自動的に変わるのだ、と思っていた。いや夢見ていたのだ。
 だが自動的に変わるなどありえないのだなと身に染みて実感する。
 寮で出会った先輩たちは、ずっと大人に見えた。同じ一年でも、藤枝、姉崎、橋田も、初対面から笑顔で握手をしたり話したりと、すぐ親しい友人のように接してくれた。そのせいか、他の一年も健朗に対して距離を置く感じが無かったから勘違いしていた。だが213担当の先輩、あの3人を見て思い出した。
 誰も健朗と親しくなろうなどと思わない。あの3人のように、みな遠巻きにして距離を置きたがり、みなこの見た目を怖れる。それが自分であり、けして自動的に自分が変わったわけでは無い。藤枝や姉崎のような仲介してくれる者がいたから勘違いしてしまったのだ。彼らがいなければ、笑顔一つ作れない自分が親しい人間関係など作れるわけがないのだ。
 自分など愚鈍なまま、なにも変わってはいないのだから。
 剣道を極める、そう考えているときにはまったく気にならない自分の容姿が、こういうときは重くのしかかる。
 畑田と話していた客が腰を上げ、「ありがとうございましたー」といつもの気の抜けたような声で送り出すと、畑田は健朗を見てニヤニヤした。
「ンじゃ俺、仮眠取るな。3時に起こしてくれ」
「分かりました」
 すっかり気落ちしていた健朗は、うっそりと頷いて答えた。

 先日と同じように細々と働いて時を過ごす。むしろ一人の方が気が楽だった。どうしたらうまく笑えるかなど、向いていないことを考えずに済むからだ。
 3時になり、客が切れたので奥へ続くドアを開けて「時間ですよ」と畑田に声をかける。今日はすぐに出てきた畑田は「腹減ったな。おまえ先に食えよ」と言ってカウンターに入った。
「ありがとうございます」
 一人で過ごす時間の中で少し落ち着いた気がしていた健朗は、まためいっぱいの笑顔で言った。畑田は「おう」とだけ答えて背を向けたが、先日よりずっと優しいと感じたので、健朗は安心した。
 また叶う限りの大盛り牛丼を作っていると「なんだそのアクロバティックな大盛り」と畑田が言った。
「おかわりしたっていいんだよ。誰も見てないんだから、ビール飲むとかは無理だけど、お茶だって給湯器の飲んで良いし、好きにしろっつの」
「ありがとうございます」
 呆れたような口調ではあったが、自分を気にしてくれたのだと思い、健朗は嬉しくなって、まためいっぱいの笑顔を向けた。
 健朗が食べ終えると畑田が夜食を取り、寝てこいと言われたので「失礼します」ときっちり頭を下げて奥に入る。折りたたみベッドは狭くて硬く、これなら道場の畳で寝る方がマシだな、と思いつつ、健朗はすぐに深く眠りに落ちた。

「丹生田君」
 店長の声にハッとして目を開ける。顔を上げると、苦笑した店長が立っていた。
「寝坊だよ。君がそこに寝てると、パートのおばちゃんが着替えできないから早く起きて」
「済みません!」
 全身から汗が噴き出す感覚と共に跳ね起き、大急ぎでベッドを畳もうとしたがやり方が分からなくてもたもたする。店長に手伝って貰い、やり方を理解しつつベッドを脇に片付け、上っ張りを羽織って帽子を手にすぐ表へ出る。数人の客がいて、畑田は淡々と接客していた。
 おそらく客が立て込んで、起こす暇が無かったのだろう、これからはタイマーをかけて眠らなければ、と健朗は黙って脳にメモしつつ、慌てて帽子を頭に乗せ、そばへ寄って小声で「済みません」と謝った。
 ニヤッと笑った畑田は「いいって」と言うだけで怒ってはいないようだった。時計は六時をとうに過ぎていて、健朗は再び全身から嫌な汗が噴き出すのを感じたが、せめてもと懸命に仕事を見つけて動いた。
 畑田はなにも言わず、むしろいつもより機嫌が良さそうで、健朗はわけが分からないまま、それでも少し安心した。
 やがて早番のパートさんたちがやってきて、次々に奥へ入り着替えをする。彼女たちが出てきて交代したが、今日は畑田と並んで立たされ、店長から注意を受けた。
「丹生田君もちゃんと自覚持ってやってくれなきゃ困るよ。畑田君も新人なんだから、ちゃんと指導しなきゃ。それに清掃ができてないね。冷蔵庫の中も乱雑なままだよ」
 深い深い反省と自己嫌悪で、健朗の頭は何度も上下して、「すみません」「以後気をつけます」と何度も言った。
「すいませんっしたー」
 それだけ言ってすぐに奥へ入った畑田とは別に、健朗は残って清掃をやると言ったが、「いいから帰って」と面倒そうに手で払われ、また深く頭を下げて、健朗は店を出た。
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