意地っ張りの片想い

紅と碧湖

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3.橋田

33.焦り

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 深夜、灯りの落ちた213の部屋に、密やかにキーを叩く音が響いている。
 デスクライトに照らされ、打ち込みを続ける橋田雅史は必死だった。表情が変わらないので淡々と見えるが、内心は焦りまくっている。
 明日の朝のうちにデータを送らなければならない。ここまで計画通り滞りなく進行していたのに、同室の丹生田に降りかかった事態を解消するべく立ち上がった計画を聞いていて、ついつい(これを見逃すとかありえない)などと思ったことにより状況が変わった。だが後悔は無い。どんなことも無駄にならないのだと、雅史は知っている。
 牛丼屋向かいのカフェで待つ間も、なにげに持ち込んだタブレットで打ち込んでいた。いつだって時間は足りないのだ。
 丹生田の纏う空気が重くなり、姉崎と藤枝がバカな会話をしているのを横目に、表情なんかメモしたりしつつ続けていたのだが、店に入ってからは事態の推移を観察するのに夢中になっていた。
 ひとりひとりの声、表情、会話の内容。どれもとても興味深く、表情にこそ出なかったが雅史は興奮していた。本当に良いものを見た。あの場へ行くべきという直感に間違いは無かった。あれほど切羽詰まった人間を見たのは初めてだったのだ。
 あんな顔をして、あんな声で、いやそれだけじゃ無い。精神的なものが身体全体に作用するなんて、しかもそれが、あれほどだなんて。
 帰ってきてベッドに倒れ込んだ同室のふたりを横目に、雅史はとりあえず印象の強かった場面を打ち込んで保存してから眠った。記憶の端緒があれば全体像を思い出せる。なので気になったことがあったらクラウドに置いてるメモに打ち込む癖が雅史にはあった。余裕があるときにネタ帳に整理しておくと、欲しいデータをすぐに見つけられる。
 が。
 起きて色々あって監察室から解放され、部屋に戻った雅史はクラウドを呼んでデータを眺めた。そして思ってしまったのだ。
(ちょっと待って。これをこんなエピソードにして入れたら……)
 ここまで計画通りに毎日少しずつ進めていた。進行は順調で余裕すらあった。しかし
(それだと構成変えなきゃだ!)
 そうなると今回分だけでは無く、全体的に大幅な修正が必要になる。決めていた日限まで三日しか無い。時間が足りないかも、と脳裏をよぎったが、そのまま書くなんてありえないと必死になった。それでも昨日までは講義に出たが、もう限界である。通常通りを装う余裕など無い。朝のうちに仕上げて送りたい。急に構成を変えたから、推敲も必要だ。ゆえに覚悟した。
(寝る暇なんて無いな)
 そして今、額に汗を滲ませながら打ち込み続けているのだ。


 受験が迫っていた時期も、雅史に焦りはなかった。
 進学するつもりはあったが、特に志望校など無かったからだ。入れればどこでも良い。幸い成績は悪くなかったので、さほど努力しなくてもたいていの大学には入れそうだった。
 だが願書を出す段階で、親父と兄貴が吹き込んできた。
『七星に行け。賢風寮で4年生活しろ』
『賢風寮出の出会いは一生物だぞ』
 ――――そうか。七星に行ってみるのもいいかな。
 と、つい思ってしまったのは、理由があった。
 親父や兄貴に言われたからじゃ無い。有用な知識を蓄えるために、だけでもない。
 人間観察をするために、である。
 なぜなら、いつも同じ事を言われてしまうのを解消したかったからだ。
『心理に説得力が無い』
『キャラクターに魅力が足りない』
『記号では無く人間として描かなければ』
『これじゃゲームのキャラクターだ』
 父や兄や祖父が賢風寮の話をするとき、そこには面白いキャラクターがたくさんいた。それを参考に出来るかも、と考えたのだ。
 だが、最大の問題はこれ――――

『女の子が可愛くない』

 今時のライトノベルは萌えキャラのひとりやふたり登場するのが常識。だから雅史も女の子を可愛く描写しているつもりなのだが、いつもぜんぜん足りないと言われてしまう。
 つまり、橋田雅史はライトノベル作家なのである。


『現役高校生作家デビュー』
 初めて出た本にはそんな帯がかかった。ジャンルはハイファンタジー。ジュブナイルとしても読める作風だと香川さんが言っていた。
 その後、雑誌に短期連載したやつが、もうすぐ本になる。『高校デビューした期待の新人、第二弾!』と帯の巻かれたその本の献本は、既に手元に来ていてロッカーの奥にしまってある。その発売と時期を合わせて次の連載が始まるのだが、今度は長期連載の予定だ。一回目は既に入稿済み。
 その二回目の締め切りが、間近に迫っていた。
 構成にこんな修正を入れたりしたら後々の話まで響くし、どんどん新しいアイデアが湧いてくるからそれも書き留めたい。必然的にプロットにも手を入れる必要があり、それを平行してやってたら、どんどん時間がなくなっていった。
 徹夜を決意すると同時、しかたなく意識を変えることにする。
 二回目の分だけを仕上げる。そっちを優先してその他は今回諦める。少なくとも締め切りの三日前には入稿したい。つまり明日の朝までに、最後まで書き切る必要があった。
 必然的に講義なんて無視する形となるがしょうがない。
(香川さんの目を通した意見を聞いて添削した上で、できる限り推敲もしなければ)
 なぜ香川さんの意見が欲しいのか。それは自分に足りないところがあると分かっているからだ。ちなみに香川さんとは担当編集者である。
 発想とストーリー展開には自信があるし、そこは褒められる。
 構成をしっかり組み立て、結末に向かって丹念にディテールを積んでいく。そこも得意。
 ミステリアスな要素も匂わせ、もちろんアクションも謎解きもありだ。謎やパズルを考えるのは楽しいし、アクションシーンを書くのも得意。
 そして大切なのは、伏線をちゃんと回収すること。ココを忘れると読者に不満が残るが、ちゃんとやれば読後感にカタルシスが加味される。そこも今のところ、できているという自負がある。
 だがいつも言われてしまうのは同じこと。
『読者に媚びる必要は無いけど、楽しんでもらいたいって気持ちは必要だよ、プロなんだから。ストーリーだけでグイグイ引っ張るほどの力量はまだ君には無い。批評家さんたちが言うように、もっとキャラに魅力が無いと』
 分かってる、自覚してる。
 大好きな作品と比べたら、自分の世界で生きるみんながイマイチ生き生きしてないな、とは自分でも思っていた。
 そんな漠然とした不満が、香川さんの指摘を受けて修正を入れると明らかに改善される。香川さんの言う通りにしておけば良いのだと一瞬思ったが、すぐ考え直した。香川さんに頼ってばかりじゃダメだ。
 キャラクターの心理を自然に書けるようにならなければならないと、思ってはいるのだ。色々やってみてはいるのだが、うまくいかない自分に焦れていた。
 キャラは子供みたいなものだ。自分が作り上げた世界でみんな生きている。機械みたいとか記号だとか、そんなことを言わせたくない。もっと生き生きと生活させてやりたい。
 そこで考えた。自分に足りて無いものはなにか。
 親しい友人との会話――バカな掛け合いとか、突拍子もない行動とか、そういうのを無駄だとバカにして、端から見てるだけだったが、観察はしてたから分かってるつもりだった。けど、なんでそんな行動に出る衝動があるのかはやっぱり分からないままだった。そして恋愛に関すること。それもバカかと放置していたし、意味が分からないと思っていた。
 問題はそこらへんなのでは無いか、と考え、だから雅史は賢風寮ここに来たのだ。おもに人間観察をするために。
 雅史は、あらゆる感情を取材してやろうと思っていた。
 そしてこの寮に来て、雅史は面白い素材をたくさん見つけた。
(こいつら、使える)
 兄貴や親父は嘘を言わなかった。ここはキャラクターの宝庫だ。しかしやっぱり問題は残っている。
(……う~ん、恋する、かあ)
 ヒロインが主人公に恋をする過程。エピソードを少しずつ重ねて行くことで説得力が出る。そうしなければ読者の共感はない。香川さんはそう言った。
 論理的に優先事項を判断し、それに基づいて行動する。それがもっとも効率的だと思うから自分はそうしてきた。みなは違うようだと、うっすら理解はしていたけれど、その上でどうでもいいと放置していたことだった。
 だが状況は変わった。雅史は至急、そういった感情の動きを理解する必要があった。
 恋をするにも理由があるはずなのだ。そうでなければ必然性がなく、必然性無しで書いても説得力がない。しかしそれが論理で無いとするなら、なんなのか。
 雅史は同室のふたりを観察していて、答えの端緒をつかんだ気がしていた。
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