意地っ張りの片想い

紅と碧湖

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8.二人きりの旅行

118.ホテルの部屋

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 ともかく、もう部屋の用意はしちまってるから、そこに泊まってくれとか逆に頼まれて、なしくずしに案内されたの。
 先日と違って、最上階に上がってくおじさんについてって、めちゃ笑顔でドア開いたのに促され、部屋に入って
「うわ、すげ」
 ─────ビックリした。
 こないだ泊まった部屋と同じホテルかって疑問に思うくらい、家具も調度も、全然レベルが違う。
 正面に大きく切られた窓。まっすぐそこに向かい、開け放って出ると、そこは湖周りの景色が一望出来る専用のバルコニー。
「めっちゃイイ眺めじゃん!」
 上がったテンションのまま室内に戻って巡り歩く。
 白木とオフホワイトで統一されたテーブルやソファがゆったり置かれ、薔薇をテーマにしてるらしいファブリックで部屋中が飾られてるリビング。別にあるベッドルームは、天蓋付きベッドがあって、ロココな雰囲気の花模様に埋もれてる。もちろん風呂とトイレと洗面は別々で、どこも内装が凝ってる。
「すっげーな、この部屋!」
 間違いなく、このホテルで一番良い部屋だ!
「お食事はお部屋で取られますか。ラウンジまで降りられますか」
 部屋ウロウロしてテンション上げてたら、おじさんがニッコリ聞いた。
「え、部屋でメシ食えるんスか?」
「ご希望でしたらお運びいたします。召し上がれない食べ物などございましたら、どうぞ仰って下さい」
「ああいや、無いッスそんなん」
「かしこまりました。お食事は何時頃ご希望でしょうか」
「え~と、んじゃ六時、で、いいかな丹生田」
 声と共に見ると、リビング入ったトコで固まったみてーに直立してる丹生田は小さく頷いた。
「えっと、んじゃそれでお願いします」
「かしこまりました。夕食は六時にお部屋で、でございますね」
「そう、でございます」
 ずっと年上のおじさんに恭しく接され、なにげに腰が低くなってしまった。
 おじさんは穏やかに笑んで「かしこまりました」と頭を下げた。
「なにかございましたらフロントをお呼び下さいませ」
 きれいに礼をしておじさんが出て行く。ドアが閉じるのを待って、思わずニッカニカになりつつ丹生田の肩を叩いた。
「なんかよく分かんねえけど、やったな! 超ラッキーじゃん!」
「…………」
 すっかりテンション上がってるわけだが、丹生田は微妙な顔で口を真一文字に結んだままだ。
「どした? やっぱ部屋断った方がイイか?」
 ちょい不安になって聞いたら、丹生田は二度またたいてから「いや」と低く言った。
「予測と違う」
「予測? まあそーだな、てか俺だってこんな部屋泊まるとか考えてねかったしさ! まあビビるなって!」
 カラッと笑って、さっきザッとしか見なかった部屋をじっくり観察だ。風呂や洗面をじっくり見て回り、リビングに戻って家具を見たり「ほえー」とか撫でたりしはじめたのだが、なぜか丹生田はぐったりソファに座り、ため息をついて眉間を揉んでいた。

  *

「おお~! すっげ! 丹生田こっち来て見ろよ!」
 部屋中を歩き回りながら目を輝かせ、声を上げる藤枝に呼ばれるまま、健朗は部屋を歩き、示されるままあちこちを見た。頷いたり笑い返したりしてはいたが、見るたびに気後れを覚え、激しい発汗を催していた。その動揺を必死に押し隠していたが、呼ばれて足を踏み入れた洗面所に、潤滑ジェルやコンドームまで備えてあるのに気づいて、舌打ちしたい気持ちを抑えつつ、さりげなさを意識しながらポケットにしまい込む。
(話が違う)
『しっかり準備整えてあげる! 良いムードになるように部屋作っておくから、あんたちゃんとしなね!』
 野上はるひの耳障りな高い声が脳内に響いている。
 あの意味するところなど、まったく分かっていなかった。あのときはかなりの疲労を感じていて、もうこの声を聞かずに済むと、それで安堵の息を吐いて、逃避するように湖畔を歩き続けたのだ。
 その結果がコレである。
 こんなことになっているなど思いも寄らなかった。これは健朗の予測の範囲を超えている。
 あのとき電話をかけ直して、なにをするつもりか聞くべきだった。そうしたならば、この状況を阻止することもできた……かも知れない。
 ともかく
(野上に任せるべきでは無かった)
 その思いで奥歯を噛む。
 電話が切れた後、歩いたり朝食用のイモを用意したりしながら考え続け、健朗なりに結論を出していた。
 先日、酒の勢いを借りてもできなかったことを、今度こそやり遂げるのだ、と。
 とはいえ、いくら考えても、なにを言うかなど思いつかなかった。過去に読んだ小説、見たアニメや映画など、知識を総動員しても、そもそも恋愛系のものを見聞きしていない。健朗の中で多くを占めていた知識は数学的、或いは物理的な真理などに偏っており、恋愛や心理に関するものが皆無に近いことを自覚して呆然とするばかりだった。
 それでもなんとか、いくつかの言葉をひねり出したが、この愚鈍なくちが洒落た言葉を発するなど想像するだけで悶死しそうになった。羞恥で死ぬことがあるならば、それはこういう時だと、何度も思った。
 それでも言うべきだ、言わねばならない。そう心に決めていた。
 しかし。
 こんな部屋で、いったい何をしろというのか。
(なんだ、いったい、これは)
 呼び込まれた洗面所も意味不明な装飾があり、植物をあしらった金属製のカゴに色々と備品が備え付けられていた。そこにあった不穏なものはポケットに待避させたが。
 そもそも部屋に入った瞬間に唖然としたのだ。
 大きく切られた窓からは、絶景と言いたくなる景色が見える。それを縁取るのはたっぷりと襞を取ったカーテン。部屋のあちこちには瀟洒しょうしゃとしか言えない家具たち。あちこちに置かれた花瓶に花まで飾られて、中世の王侯貴族でも出てきそうである。
「丹生田! ほらコッチも! 見てみろって!」
 呼ばれて寝室に入ったときは、真実目眩がした。
 かなりの広さがあるのにベッドはひとつ。しかもなぜか天井のようなものがついており、そこから下がっているカーテンは、たっぷり襞を取って、なにやらキラキラしたひもで四隅の柱に縛り付けられている。そして花柄の布団や枕には襞やフリルがたくさんついていた。
 特に寝室は全て、かなり少女趣味なロココ調の装飾で統一されていたのであるが、健朗にそんな知識があるわけも無い。
(下らん。むしろこんな部屋で洒落たことなど言えるか。まったく、女の考えることは……)
 健朗の知らぬところで、はるひは野上夫人へ甘えるように依頼して、夫人はひたすらロマンティックに部屋を飾ることを指示していた。
 その意図は正しく運用されたのだが、無骨な景色しか知らない健朗にとっては、ここに立っているだけでむず痒くなりそうで、考えついた何とか言えそうだと思えた言葉どもも、それらのひとつとしてくちにできる気がしなくなっていた。
「こっちもすげえ! 見ろよ丹生田!」
 声に引きずられるように洗面所から浴室に入った健朗は、また目眩が来そうになり、深く深呼吸して耐える。
「こんだけ広かったら家族みんなで余裕で入れそうだ。窓もでっかいし、風呂に浸かりながら外見れるぜ! それに蛇口とか統一してて凝ってるよなあ。こういうの、たぶんオーダーだな」
 石が張られた壁面には、ガス灯に植物が巻き付いた様な形状の灯りや、同じようなモチーフで縁取られた鏡がある。シャワーは機能的な形だが、蛇口はやはり草花を象った銅色で、二組設置されている。洗い場は広く、大理石のような模様が入った浴用椅子や洗面器、手桶。シャンプーやボディソープも同じモチーフの容器に入っている。肌のあたりの柔らかそうな木製の浴槽は、今も流れ込み続けるお湯に満たされている。
(こんなところで、いったい俺に何をしろと)
 そんな怒りとも焦りともつかない感情。
 目の前の浴槽に流れ込む湯のように、言いしれぬ焦燥感が身の内に満ちていくのを感じつつ、振り返った藤枝の楽しそうな笑顔に、健朗は意志の力を総動員して、なんとか笑い返したのであった。
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