意地っ張りの片想い

紅と碧湖

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10.寮祭、そして

139.ある日の風聯会

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「そりゃあ、ずいぶん突飛な話だなあ。ええ? 小僧」
 唸るような声でそう言った津久井つくい泰輔たいすけが、少し低い位置から鋭い眼光を向けた。
「小僧って。いつの時代の言葉?」
 クスクス笑いながら両腕を広げたのは、姉崎淳哉という賢風寮の現副会長。
 いきなり風聯会の事務局である畝原うねはら宅へやってきて、ヘラヘラと突拍子も無い事を言い出した、まごうこと無い小生意気な小僧である。
 姉崎コイツの父親と兄は風聯会に所属している。双方とも現役で多忙であり、表だって活動はしていないが、それは皆同様である。おのおの自分の仕事が第一。男子たるもの、そうでなくては一事を成し得ない。ゆえに運営に参加するのはリタイア組のみとなっている。
 この小僧の父親は津久井から見れば後輩に当たる。
 経済界でそれなりの立場にあり、仕事やそれ以外で風聯会の人脈をうまく使っている。その分なにかあれば金も人も寄越すし、姉崎の人脈を風聯会で利用することもあるので、いわゆる持ちつ持たれつな関係だ。加えて兄は日本にいれば必ず顔を出す如才ない人物で、国内外を問わず広い人脈を持っている。
 親子共々利用価値が高いゆえに、この小僧の入寮の際、若干の無理を呑んだ。家庭の事情もかんがみて、三月半ばでの入寮を許可したのだ。実質は事務局長であり涙もろい畝原が、特別待遇を許して事後報告してきたのだが。
 姉崎淳哉には還るべき家が無い。許可しなければ四月一日になるまでホテル暮らしをするしかないと事前に聞かされた上、挨拶に来た少年(姉崎淳哉のことだ)が愛想良くニコニコ笑うのを目の辺りにした畝原は対抗し得なかったのだった。まったく人の良いことだが、そこが畝原の良いところであり、だからこそ風聯会のアタマが畝原になったのである。
 事務局長は風聯会の顔である。ゆえに代々人の良い好漢が選ばれる。先代の藤枝先輩も同様で、人の悪いのは脇に回って暗躍するというわけだ。そして津久井は、もっとも人の悪いメンバーのひとりと自認している。
 非公式ではあるが、この話は既に風聯会へ通じていた。二つ返事とは行かずとも寮祭くらいなら、学生らしい節度を保てつうくらいで許可を出しても良い、と総意は決定している。しかしその先は話が別だ。
 ともあれ、人の悪い年寄りとしては、若いのの増長を易々と許すわけにはいかない。色々言っていたが、小僧がもっとも主張したいところは留学生受け入れにあるのだと丸わかりである。
「ていうか、みなさん? 時代感覚大丈夫? ねえ、留学生を閉め出す意味ってなに? まさか日本人が一番エライとか、そんな勘違いしてないよね?」
「阿呆が。言葉が通じねえんじゃ自治に参加できまいよ」
「津久井さん認識古いなあ」
 わざとらしいクスクス笑いと大袈裟なジェスチャーの下から、なんとか要求を通そうという意志が透けて見えるあたり、まだまだ若いと言う他無い。
「七星に留学しようなんて学生が、日本語勉強しないで来るわけ無いじゃない。僕の知ってるドイツ人は、僕より漢字を知ってるよ」
 真の狙いはあえて付け足し程度に小出しして、目的は他にあると見せかける。それを断念する代わりに本来の主願を呑ませる、というあたりが成功率の高い方策ではある。とはいえ若さゆえの未熟を責めるつもりは無い。むしろこの年で老練さなど見せられる方が興醒めである。
 未熟も真剣に考えた跡が見えれば少しばかり好ましいと感じてしまい、津久井は鼻で笑う。
「てめえの不識を自慢するんじゃねえ」
「なにそれ。知らない日本語聞いちゃった」
 まったくふざけた態度であるが、未熟を自覚しているらしい若造の悪あがきと見れば、可愛げが無いわけでも無い。
 しかし容赦してやるつもりも無い。
「黙れ小僧!」
 大音声で怒鳴りつけると、「まあまあ、泰輔さん」畝原がとりなす。
「姉崎くんの気持ちも、分からないじゃないんでしょう?」
「その程度で手を出せる話じゃあねえだろう!」
 つまりこの小僧は、いきなりやってきて、賢風寮に留学生を受け入れることと、寮祭の開催、そして駐車場となっている空き地に新たな寮を建設することを提案してきたのだ。とはいえ、話自体は非公式ながら耳に入っている。簡単に許可など出さないことが決定しているのであるが。
 とはいえ寮祭のみとあっても二つ返事でいい顔など見せてやるわけにはいかない。風聯会は若い彼らのシミュレーションという役割を担っている。こいつらが世間で受けるであろう壁。常にうまく行かない現実。それを体現し経験させる、という役目を、うるさい頑固親父どもは、かなり楽しんでやっている。
 そして:姉崎(コイツ)の場合は、特に念入りに頑丈な壁となり立ちはだかるようにしている。コイツの兄貴から、ちょっとした依頼を受けているためだ。とはいえコイツの同期にたっくんがいるので、物事が思い通りに動かない現実は、嫌でも体感させられるだろう。
 だがたっくんばかりに頼るわけにはいかんと、津久井ら事務局も考えており、この件を『思い通りには動かないことが厳然としてある』ということを教え込んでやる良い機会と捉えている。
 思い込みで突っ走る迂闊者。いくら説得しても考えを変えない頑固者。言葉をまともに喋るようになった三歳の頃から、驚くべき行動力と影響力を持っており、たっくんは近所のガキ共の大将になっていた。その頃から今に至るまで、たっくんの根本は変わっていない。
 これこそたっくんの本領、真っ直ぐ進んでいる限り害は無いだろう、好きにさせてやれ。
 頑固親父共にそう評され、それゆえに可愛がられていることなど、本人は露ほども感じてはおるまいが。
 姉崎の話は基礎も土台も無く、理想と意気込みだけで事を成せると勘違いしてやがる、皮算用も甚だしい。とはいえガキの考える事なんぞ、そんなもんだ。
「でもまあ実際、今年度は新寮生が定員を割ってしまったことだし、これからどんどん難しくなるだろうって話してたでしょう。少子化ってのもあって親は子供一人にかける金が多くなってる。そうじゃなくても賢風寮は時代遅れだと人気が無いのは事実なんだ。寮費が安いってだけで入寮希望者が殺到してた我々の頃とは時代が違うよ」
「だからってよぉ、畝原。留学生はともかく、新しい寮を建設ってのはぶっ飛びすぎだろうが」
「それはまた、別の話でしょう……」
「あのさ、遠からず賢風寮は無くなるよ? このまま行くんならね」
 畝原の声を割るように横やりを入れてきた小僧に「ほっときゃいい!」怒鳴りつける。
「無くなるなら無くなるで構わねえだろうが! 未来永劫続くモンなんてねえ! 賢風寮に存在意義が無いなら、むしろ無くしちまえばいい!」
「だから泰輔さん、ちょっと落ち着いて」
 畝原が諭すような声を出し、津久井は激したのを渋々収めるフリをする。
「姉崎くん。寮祭を開くっていうのが賢風寮の認識を改めるためだという、君の考えは分かったよ。しかし、そううまくいくものかな。きみの思い描く通りに進むとは限らないんじゃあないかね」
 生き仏のごとき畝原の声と笑顔に、姉崎の小僧は大仰に肩をすくめた。
「まあね、僕だってまだそこまで自分を過信してはいないよ。でも希望は持ってるから、できるだけのことはするつもり。だってやる前に諦めるのって負けじゃない? がっかりするのは失敗してからでも遅くないでしょ」
「なるほど」
 畝原は嬉しそうに頷いた。
「自主自立は賢風寮の拠って立つところだ。他の話はともかく、寮祭くらいは問題無いんじゃ無いかね、泰輔さん」
「むぅ……」
 腕組みして唸ると、小僧はわざとらしく笑いかけてくる。
「ああ畜生! 寮祭は好きにしやがれ! だがな小僧!」
 甘い顔をする役は畝原に任せている津久井は、厳しい顔と声を向けた。
「それ以上は大人の話だ! ガキが一人前なツラで首突っ込んでくるんじゃねえ!」
「だって僕の発案だよ!」
 抗議してくる小僧の肩を、畝原がポンと叩く。
「一案として受け入れるのはやぶさかではない。けれど姉崎くん、実現するかどうかは君が決定出来ることでは無いよ。どうしても一枚噛みたいなら、役に立つんだって根拠を作っておいで」
 菩薩のような顔をしているが、畝原もただのお人好しじゃあねえんだよ、小僧。
「根拠?」
「焦らずしっかり力をつけるんだね」
「まあ、そういうことだ」
 津久井はニヤリとくちを挟んだ。
「てめえごときが動いて、どうなるって話じゃねえんだ小僧。悔しかったらせいぜい修行してきな」
 あくまで笑顔を保ってはいるが、小僧、目つきが剣呑になりやがった。常に笑顔の仮面でもかぶってるつもりなんだろうが、まだまだ修行が足りねえってことだ。
「待ってあげるわけにはいかないけども、君が役に立つような人材になったら僕らも受け入れる。むしろこちらから協力をお願いするよ。それに今日明日に動き始めるような話でもないから、焦らなくても良いんじゃあないかね」
「……そうだね。力量あるって自分で主張しても説得力が無いのは認めるよ」
 まあ、簡単にへこまないところは認めてやってもいい。見所はあるんだろう。
 姉崎の息子だしな、長い目で見てやるとしようか。
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