意地っ張りの片想い

紅と碧湖

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10.寮祭、そして

146.丹生田と姉崎

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 足を少し開き手を後ろで組んだ健朗は、人の増えた駐車場内を見渡し続けながら、同じように会場に顔を向けて立っている藤枝に声をかけた。
「忙しすぎるのではないのか」
「あー、まあ、うん」
 前を向いたまま言葉を濁し、藤枝は小さくため息をついた。
 寮祭に向けてこの二ヶ月ほどは、非常に忙しそうだった。夜、部屋に戻ってきたかと思うと、そのままベッドに入ってしまい、すぐに眠る。ゆえに会話できないどころか、まともに顔を見ることすら殆ど無い状態が続いていた。
 仕事の邪魔をするつもりは無い。だが健朗は心配だった。身体を壊してしまうのではないか。
「無理をせず、休んだらどうだ」
「ん~……でもホラ、あと二日だし」
 しかし明らかに元気が無い。先ほどのステージでも、藤枝らしくない失敗をしていたように見えた。いや、会場には笑いが起こり、盛り上がっていたから失敗では無いのかも知れないが。
「大丈夫なら良い」
 そう言うと、藤枝は「うん。サンキュな」と呟いてアタマをカクンと前に落とす。
 前は髪を長めにしていた藤枝だが、今は短めに揃えているので、俯くと首などが見え、…………視線がうなじに吸い付いて動かせない。
 ハッとして目を逸らしたが、そういえばサングラスを着用しているのだと思い直し、顔を動かさないように目だけで見る。うなじを見てるだけなのに、胸の中になにかが湧き上がってくる。
 イカンと自分に言い聞かせた。先日ホテルへ行ったとき、健朗は反省したのだ。藤枝に三限を休ませてしまったことを。
 多忙な中で勉強やサークルも手を抜いていない。さすが藤枝である。ゆえに自分の欲望だけで行動するべきではない。そうだ、それより藤枝が心配だ。
 眠っているのは見ているが、時々うなされているし、眠りが浅いようにも思える。少し痩せたのでは無いだろうか。
「……ちゃんと飯を食っているのか」
 このところ、食事を共にすることも稀なのだ。同じ部屋だというのに。
 すると藤枝は俯いたままククッと笑った。
「オカンかよ。おまえこそちゃんとやってんのか。就活とか勉強とか」
「むろんだ」
「そっか。頑張ってんだな」
「ああ。藤枝も忙しいのに頑張っている。俺もしっかりやらねばならないと考えた」
「……おう。……あったり前じゃん」
 そう言いながら、藤枝は顔を上げ、会場を見た。
「恥じることの無いように、したいからな」
「ふーん、そっか。……へへ」
 藤枝は、柔らかく笑っていた。
 あのホテルで『イイ笑顔だ』と言った、あのときに近い。
 やはり藤枝は美しいな、と思い、さっきより少し元気を取り戻したように見える藤枝に安心した。
 なかなか接点を持てないがゆえに、ついつい余計なことをしてしまいそうになるのを、健朗は意志の力で抑え込んでいた。自分などが藤枝のすることに口を出すなど、おこがましい行為は慎まねばならない。
 とは言っても抑えきれないことはある。健朗は何度も、風聯会の事務局まで迎えに行ってしまった。
「イイよ、自分の勉強とかやってろよ」
 などと言われたので、藤枝には余計なことだったのだろうとは思う。それでも帰りに話をできたし、なにより藤枝を気に入っていると言っていた姉崎が、車で連れ出していったなどと聞いたら黙って待ってなどいられなかった。
 藤枝は、自分の劣情を受け入れてくれた。
 あれはあくまで、男らしいいさぎよさゆえだろう。
 あのときの自分は最悪な状態だった。劣情を隠しきれないくせに、怒らせたか、嫌われるのか、もう二度と触れられなくなるのかと怖れを覚え、それでも抑えきれぬものをいっそぶつけてしまおうかとまで考えてしまい、それを打ち消す思考と、それでも湧き上がる衝動とでおかしくなりそうになっていた。
 そんな自分に、藤枝は言ったのだ。
『堂々としてろよおまえ』
 笑顔で。そしてあのときの自分は最低だったのにも関わらず、苦笑しながら受け入れてくれた。
 涙が出そうに安堵した。
 そんな藤枝だ。もし姉崎が自分と同じようなことを感じていたとしたら。そして藤枝の心意気につけ込むような真似をしたなら。
 ありえないことではない。姉崎ならやりかねない。手に入れようと思うなら、そのためになんでもする男だ。万が一、藤枝が、受け入れるようなことがあったとしたら。
 藤枝は何度も「好きだ」と言ってくれているから、そんなことはないだろうと思ってはいる。だがそれは単なる希望的観測に過ぎない。どうしても考えたくない予測をしてしまい、その度に戦慄を覚えて、気がつくと電車に乗っていた。
 自分が藤枝を守るなど、おこがましい考えだという自覚はある。
 しかし、藤枝を大切に思うこの気持ちは、おそらく寮内の誰よりも強いという自負もある。健朗はその意志を浸透させようと考え、かなり露骨に『藤枝のことは俺に任せろ』とアピールしていた。だからこそ、仙波も今、自分に藤枝を任せてくれたのだろう。
 以前は勝ち負けにこだわっていた部分が強かったが、今は勝とうが負けようが些末なことだとしか思わない。いつのまにか、健朗にとってもっとも強い欲望が変化している。
 藤枝が困ったとき、弱っているとき、手をさしのべられる男でありたい、それが第一、なにより重要なのだ。
 だから健朗は、就職に有利な科目に専攻を変えた。数学を学ぶ学生としてそれほど優秀とは言えない自分は、ただでさえ門戸の狭いアクチュアリーなどの就職は望めないだろうと判断した。どうすれば安定した収入を得られるか。
 そこで同じ理学部ではあるが、数学科から理数工学科へ籍を移し、プログラミングを学べそうなサークルに参加した。将来を考え、生活力を持たなければ、と考えたのだ。
 藤枝を養えるように、……などというのは、優秀で男らしい藤枝に対して、非礼な考えだとは思う。もちろん藤枝の方が優秀なのだから、大企業にだって就職が可能だろう。自分とは違うのだ。おそらく収入も、藤枝の方が多く得るに違いない。
 それでも、せめて堂々と肩を並べられるようになりたいでは無いか。
 故に健朗は、しっかり就職を決め、生活の基盤を定めなくてはならないと思った。なにができるか考え、できることことから手をつけていたのである。
 剣道ももちろん続けているので、忙しくはある。
 だが充実していた。気持ちの向かうところ、目標がはっきりしていればかなりの努力をできるし、少しも苦痛に思わない。それは安藤との戦いに向かっていたとき、実感出来た。
 先日、祖父を見舞いに行ったとき、健朗は就職について考えていることを話した。以前は警察へ入れとしか言わなかった祖父だったが、そのとき微かに唇を歪めた。
「おまえも、もう、そんな年か」
 それは笑みでは無かったかも知れない。それでも安藤に勝利して以来見ていなかった祖父が笑顔を見せたように思い、とても安心した。
 そしてこんな変化もおそらく全てが藤枝のおかげなのだと、健朗は考えているのだった。

  *


 姉崎淳哉は内心の苛立ちを笑顔で覆い隠しながら、視線をひとりの青年へ向けた。
 ぼんやりと笑みを浮かべて、ダークスーツにサングラスを身につけた長身の男と、同じ方向を見ながら立っているそいつは、まあ目立つ見た目をしている。
 手足が長くてスタイルが良い、彫りの深い顔立ちと明るい瞳。モデルやってると言ったら誰もが納得するだろう。なのに中身が残念とか言われてる総括部長、藤枝拓海。
 ――――ほんと、甘えてるんじゃない?
 こいつは勢いで周りを巻き込む。それも自覚無しに騒いでるだけで。たぶんなにも計算してないのに、コイツの周りには人が集まり、気の置けない人間関係ができる。
 こういうのは天性なんだろうなあ、とか、ちょっと嫉妬を覚えることもある。
 ――――この僕がそう思うくらいのものを持ってるくせに無自覚なんて、馬鹿としか思えない。
 そして腹立たしいことに、無自覚であるがゆえ、ときどき今日みたいな状態になる。時も場所も状況も関係なく、いつものパワーを失い、しおたれて使い物にならなくなる。
 ――――腹立つよなあ、ほんとに。いい加減自覚しなよ。
 なんていうイライラは、もちろん顔に出したりしない。
 僕はアーチをくぐってきた女性客にニッコリ笑いかけ、念入りにセットした頭を下げる。
「いらっしゃいませ」
 ここは三十度の礼。そのまま片手を上げ、頭も上げて笑顔。
「こちらへ。ご案内します」
 テーブルへエスコートしたら椅子を引いて座らせ、メニューを渡し、質問されれば丁寧に説明。
「お決まりになりましたらお声をおかけ下さい」
 笑顔で一礼。今度は四十五度で。
 今回は高級レストランのスタッフをイメージして、あくまでスマートにジェントルに振る舞ってみてる。グレンチェックのフォーマルになりすぎないスーツに蝶ネクタイも完備して、シャツは綾織りの白、プレーントゥのブラックシューズはピカピカに磨いてる。どうせやるなら中途半端じゃ楽しくない。この日のために髪も爪もケアして上品な立ち居振る舞いもマスターした。
 けど周りはまったく違ったりする。
「ほいらっしゃい!」
 TシャツGパンって。一番良い服着ろよって言ったんだけどな。
「おっ! 来てくれたんか~サンキュ!」
 友達でもちゃんと接客しろって言ったよね。
「いらっしゃいませー、空いてるトコにどうぞー」
 まあ笑顔だし、客も違和感ないみたいだし、こんなモンかなとも思う。言ってもお気楽な大学生なわけだし、能力以上を望んでもね。分かってるんだよ、分かってはいる。けどイライラする。
「こちらどうぞー。メニュー見てって。色々あるんだ」
「あっちの屋台で選んでも良いし。ガレットとか珍しいのもあるんだ。うまいよ」
「ラテアートは三種類の絵からリクエスト出来るんだよ。一緒にパンケーキはどう?」
 それなりに売り上げUPしようという意識は見える。けど、つまり学祭の模擬店のノリを超えてない。
 そんな中で、僕のいでたちや振る舞いがはなはだしく浮いてるってことは、もちろん自覚してる。ていうか狙ってやってるから。僕はこの場の管理者なわけだしね、このカッコの言い訳は成り立つ。
 なんだけど――――笑みを浮かべたまま、今日はつけてる腕時計に目を落とし、「15時か……」呟きと共に笑みを深めて視線を会場に戻す。
 腹立ちを隠し、出そうになった舌打ちを抑えて。
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