辺境伯に嫁いだので、可愛い義息子と楽しい辺境生活を送ります ~ついでに傷心辺境伯とのぐずぐずの恋物語を添えて~

空野 碧舟

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ルイの行方

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「どうやら一足遅かったようです」

 さほど時間も掛からずに、ヤナゼがエメリーンの元に戻ってきた。だがヤナゼがナナリから引き出した情報に、エメリーンは失望のため息を吐いた。

「……そう」

 エメリーンはヤナゼがナナリを連れて行った山裾の奥へと視線を向けたが、ナナリがどこにいるのかは見えなかった。

 地面を覆う低木の上に、背の高い木々が枝を広げている。ヤナゼから湿り気を帯びた土の匂いは感じたが、血の臭いはしなかった。

「ナナリは……、いえ、何でもないわ」

「生かしてますよ。とりあえず、しばらく静かにしてもらっています」

「そう。それで、ルイ様の情報は?」

 ナナリの生存が確認できたエメリーンは、すぐにルイの情報を求めた。

「すでにアントスに引き渡されたそうです」

「ああ……」

 予想はしていたことだが、思わず胸を押さえたエメリーンに、ヤナゼは「大丈夫です」と言葉を続けた。

「大丈夫? どういうこと?」

「どうやら奴らはルイ様を、グレイスと引き合わせる予定だったようです。ですから、手荒なことはしていないでしょう」

「え? グレイス? ええ? どうして……」

 グレイスとレプラスの捕縛に向かったヒューバートたちではなく、ルイの行方を追っている自身の耳にその名が届くことになるとは、エメリーンは夢にも思っていなかった。

「……やっぱりお腹を痛めて生んだ子供だもの。一緒に過ごしたいと考えた、ということかしら?」

 ――だからって、アントスやミルパラのような組織を使って攫うなんて、どうかしていると思うけど。でも、グレイスについては、『どうかしている』ってことばかりよね……。

 エメリーンが苦い顔をしていると、ヤナゼが鼻で笑った。

「いえ、そんなことを考えるような人ではないでしょう。それにしたって今更ですし。……利用できると考えたからだと思いますよ」

「利用?」

「辺境伯様に対しての人質、でしょうか。だとすると、いよいよ隣国の関与が濃厚になりましたね」

「……そう。トーグ国、かしら?」

「おそらくは」

 イルミナ国の隣国は二つ。いや、正確には三つある。だが東に聳える山はあまりに高く、しかも山肌はほとんど垂直に切り立っているため、その向こうの国とは往来が事実上不可能だ。

 さらに西は海に閉ざされているため、実質的に隣国と呼べるのは南のウムラ国と北のトーグ国の二国だけである。

 イルミナ国の最北に位置するダイナリア辺境伯領は、魔物の住む森を間に挟んでいるとはいえ、トーグ国と唯一国境線を接している領地だ。

 両国が協力して魔物を討伐していた時代もあったが、トーグ国で世代交代が起きた二十年ほど前から、両国の間には緊張が絶えず漂い続けている。

 その緊張は年を追うごとにじわりと濃さを増し、交易量も目に見えて減少した。トーグ国が戦端を開く準備を進めている――そんな不穏な噂も、ここ数年は密かに囁かれている。

「グレイスとレプラスは、トーグ国に逃亡していたのでしょう? そのまま静かに暮らしてくれれば良かったのに」

「まあ、腐っても元辺境伯夫人。グレイスが持つ情報だけでも、利用価値がありますからね」

「そうね……」

 エメリーンは、王都でファビアン王太子が見せてくれた書類のことを思い出した。辺境伯邸の内部構造を示す地図や使用人の人数、兵士の配置まで記されたそれらの情報と引き換えに、グレイスはいったい何を得たのか。そう考えた瞬間、胸の奥がじくりと痛んだ。

 ――その情報のせいで、ルイ様が危険に晒されることは考えなかったの?

「そんな人が、ルイ様に会う? どの面下げて? いくら本当の母親だからって、そんな。……ああ、でも、そんな母親でも、ルイ様は会いたいと思っているかしら」

 ルイのことを思って、エメリーンの胸は痛んだ。どれほど賢くても、ルイはまだたったの4歳の子供で、実の母親を恋しく思っても不思議はない。

「エメリーン様、落ち着いてください。そんなことは起こりません。グレイスとレプラスは辺境伯様たちがすでに捕らえたはずです」

「あ……。そうね。そうだったわ」

 ホッと胸を撫で下ろしたエメリーンだったが、すぐにルイに迫る危機について気が付いた。

「待って! ルイ様を手に入れた奴らが、グレイスとレプラスのことを知ったら」

「ええ、奴らとしても面白くないでしょう。事態はあまり良くありません。とは言え、ルイ様が貴重な人質であることに変わりはないはずです。元辺境伯夫人より次期辺境伯の方が、人質としての価値も高いでしょう」

「そう……そうよね」

 エメリーンは自身にそう言い聞かせるように呟いたものの、胸のざわめきは収まらなかった。

「それで? ルイ様を連れて、奴らはどこへ向かったの?」

「ナパール湖です。……そういえば、湖近くの森の中に新しい小屋が建っていると、少し前に情報がありました」

「……ナパール湖」

 意識して避け続けてきたその場所の名を告げられ、エメリーンの胸の鼓動は不気味なほど速さを増していった。だがそこへ向かうことに対して、迷いは微塵もない。

「ずっと休憩もなしでごめんなさい。でも、急ぎましょう」

 言葉を終えるより早く、エメリーンは地を蹴り、駆けだしていた。

「ちょ、エメリーン様、ちょっと待ってください! ずっと走っていくのはさすがに無理があります!」

 ヤナゼの制止の声が耳に届いてはいたが、エメリーンの足はもう止まらなかった。

 そして、ヤナゼがミルパラの拠点から馬を一頭盗み出し、エメリーンに追いついた頃には、あたりはすっかり夜が明けていた。
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