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ゴンゴンゴン ゴンゴンゴン……
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「あの、奥様、本当に行くんですか?」
高級宿屋『流星の輝き』の前で、馬車から下りようとしているエメリーンに手を差し伸べながら、バアルが今さらなことを聞いてくる。バアルは気乗りしない様子を見せているが、エメリーンはやる気満々だ。
活気に満ちた市場と石畳の通りが網の目のように広がる、ここダイナリア辺境伯領の領都ツヅイの中心街には、歴史的な建物が立ち並んでいた。その中でもひときわ目を引くのが、この高級宿屋『流星の輝き』だ。宿屋の外観は古風ながらも洗練されたデザインが施されていた。
豪華な金色の装飾が施された大きな木製の扉の上には、『流星の輝き』というエレガントな文字で刻まれた看板があり、扉の両脇に立つ石の柱には、翼を広げた美しい鳥の彫刻が刻まれている。
「ええ、もちろん。バアルも自分の情報が正しいかどうか、その目で確認できてうれしいでしょう? 三連休は目の前よ?」
「いや、すごく複雑な気分なんですが」
バアルは眉間に皺を寄せて複雑な顔をしてみせたが、本当は割と乗り気なのだろうとエメリーンは思っている。「それはさておき」と眉間の皺を消したバアルは、馬車から降り立ったエメリーンの全身を眺めて感心したように頷いた。
「しかし奥様、化けましたね。まるで辺境伯夫人みたいです」
茶化したようなその物言いに、エメリーンは不機嫌になるどころか「そうでしょ」と自慢げに返した。
深いエメラルドグリーンのドレスは、エメリーンの栗色の髪と黒い瞳を引き立て、その美しいボディラインを強調し、威厳とエレガンスさを同時に表現している。若さを侮られることのないようにとエメリーンにそのドレスを選び、髪を美しく整え、装飾品を選び抜いたのはもちろんマーサだ。メイクだけはエメリーンも少し手を出したが、マーサの仕事は完璧だった。
オルクス子爵家から身一つで嫁いできたエメリーンに、ドレスや靴や装飾品を揃えていたのはヒューバートだと聞いたが、どうせ指示を出しただけで見てもいないだろう。ルイの身の回りに不自由がないのも、ヒューバートの指示があってのものではあるだろうが、実際にそれらを揃えているのはルイを見守っている使用人たちなのだ。そしてエメリーンに似合う色を考えて、ドレスを購入する時に選んでくれたのはきっとマーサだろう。
ダイナリア辺境伯に仕える使用人たちは、驚くほどみんな優秀だ。そしてその中の一人であるバアルも、優秀な兵士であることに間違いない。
「行くわよ、バアル」
女性と共にいるであろうヒューバートを探しに宿屋に乗り込むには、どれだけ着飾ったとしてもエメリーンの見た目では迫力不足だ。少なくともエメリーンはそう感じた。だが相手が熟女なのか若いのかさえ分からない。分からないのなら仕方がない、とエメリーンは自身の若さも生かそうと、透明感のある瑞々しさを残しつつも強めの印象を与えるメイクを施した。
そうして引き出したバアルの誉め言葉である。「まるで辺境伯夫人みたいです」は、及第点と言えるだろう。
エメリーンはバアルにエスコートされながら、高級宿屋『流星の輝き』の中に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
ダイナリア辺境伯の紋章入りの馬車が停まったことが、宿屋の入り口に立っていたスタッフから伝えられていたのか、4人ほどのスタッフたちが頭を下げてエメリーンを出迎えた。その中で一番年嵩の40代後半くらいの男性スタッフが、にこにこと貼り付けたような笑顔でエメリーンに声を掛ける。
「ようこそ『流星の輝き』へお越しくださいました。本日はご宿泊でいらっしゃいますか?」
宿屋であれば当然の問いに、エメリーンは笑顔でいいえと答える。
「旦那様を迎えに参りましたの。旦那様――ヒューバート様が滞在されている部屋に案内してくださる?」
ダイナリア辺境伯家の馬車で現れたエメリーンが、まさしく辺境伯夫人であることに気が付き、スタッフたちがサッと顔色を変えた。目の前に立つ男性も一瞬動揺を見せたのだが、さすが客商売のプロというべきか、すぐに笑顔を取り戻した。
――これは当たり、ね。
「これはこれは、辺境伯夫人でいらっしゃいますか。この度はご結婚、誠におめでとうございます。ダイナリア辺境伯領の領民として、心よりお祝い申し上げます」
「ご丁寧にどうもありがとう。エメリーン・ダイナリアよ」
「辺境伯様ですが、こちらにはお越しになって」とスタッフが言い掛けたところで、エメリーンはスッとその男の側に寄った。
「貴族である私に嘘を吐く、ということの意味を、よく考えた方がいいわ」
囁くようにそれだけ言って男から離れ、エメリーンは深く微笑んだ。あからさまに顔色が悪くなった男性スタッフの姿に、他のスタッフたちはきょろきょろと落ち着かない様子だ。
「心配しないでちょうだい。あなたたちに悪いようにはしないから。もしもこの件で何か困ったことが起きたら、遠慮なく辺境伯邸まで伝えに来てくれていいわ」
少し後ろに控えていたバアルに目配せすると、バアルがスタッフたちに頷いた。
「もしもこの件で、不当に職を失うようなことがあればこちらで対応する」
スタッフたちは少しだけ安心したようだが、やはりきょろきょろとお互い探り合うような様子を見せている。
「じゃあ、案内してもらえるかしら?」
「……かしこまりました。こちらへどうぞ」
一番年嵩の男性スタッフが、大きく息を吐いてエメリーンたちの案内を引き受けた。
他の領地からもお忍びの貴族が泊まりにくるというこの高級宿屋『流星の輝き』は、特別な空間だった。外観だけでなく内観も見事な作りで高級感に溢れている。階段を上ると廊下には柔らかな灯りがともり、静寂が保たれていた。所々に置かれた花瓶には華やかな生花が活けられ、廊下全体にほのかな香りが漂っている。
「こちらです」
最上階である三階まで登って目的の部屋に到着すると、エメリーンは促されるままに重厚な木製のドアの前に立った。
ゴンゴンゴン ゴンゴンゴン ゴンゴンゴンゴンゴンッ
エメリーンの力強いノックの音に、スタッフが頭を抱えている。この高級宿屋であるまじき轟音を上げて叩かれたノックに驚いて、その部屋から女性が飛び出してきたのは、それからすぐ後のことだった。
エメリーンたちを案内してきた男性スタッフは、その女性がこの高級宿屋『流星の輝き』の女主人であることを伝えると、エメリーンたちの三歩後ろに下がった。
高級宿屋『流星の輝き』の前で、馬車から下りようとしているエメリーンに手を差し伸べながら、バアルが今さらなことを聞いてくる。バアルは気乗りしない様子を見せているが、エメリーンはやる気満々だ。
活気に満ちた市場と石畳の通りが網の目のように広がる、ここダイナリア辺境伯領の領都ツヅイの中心街には、歴史的な建物が立ち並んでいた。その中でもひときわ目を引くのが、この高級宿屋『流星の輝き』だ。宿屋の外観は古風ながらも洗練されたデザインが施されていた。
豪華な金色の装飾が施された大きな木製の扉の上には、『流星の輝き』というエレガントな文字で刻まれた看板があり、扉の両脇に立つ石の柱には、翼を広げた美しい鳥の彫刻が刻まれている。
「ええ、もちろん。バアルも自分の情報が正しいかどうか、その目で確認できてうれしいでしょう? 三連休は目の前よ?」
「いや、すごく複雑な気分なんですが」
バアルは眉間に皺を寄せて複雑な顔をしてみせたが、本当は割と乗り気なのだろうとエメリーンは思っている。「それはさておき」と眉間の皺を消したバアルは、馬車から降り立ったエメリーンの全身を眺めて感心したように頷いた。
「しかし奥様、化けましたね。まるで辺境伯夫人みたいです」
茶化したようなその物言いに、エメリーンは不機嫌になるどころか「そうでしょ」と自慢げに返した。
深いエメラルドグリーンのドレスは、エメリーンの栗色の髪と黒い瞳を引き立て、その美しいボディラインを強調し、威厳とエレガンスさを同時に表現している。若さを侮られることのないようにとエメリーンにそのドレスを選び、髪を美しく整え、装飾品を選び抜いたのはもちろんマーサだ。メイクだけはエメリーンも少し手を出したが、マーサの仕事は完璧だった。
オルクス子爵家から身一つで嫁いできたエメリーンに、ドレスや靴や装飾品を揃えていたのはヒューバートだと聞いたが、どうせ指示を出しただけで見てもいないだろう。ルイの身の回りに不自由がないのも、ヒューバートの指示があってのものではあるだろうが、実際にそれらを揃えているのはルイを見守っている使用人たちなのだ。そしてエメリーンに似合う色を考えて、ドレスを購入する時に選んでくれたのはきっとマーサだろう。
ダイナリア辺境伯に仕える使用人たちは、驚くほどみんな優秀だ。そしてその中の一人であるバアルも、優秀な兵士であることに間違いない。
「行くわよ、バアル」
女性と共にいるであろうヒューバートを探しに宿屋に乗り込むには、どれだけ着飾ったとしてもエメリーンの見た目では迫力不足だ。少なくともエメリーンはそう感じた。だが相手が熟女なのか若いのかさえ分からない。分からないのなら仕方がない、とエメリーンは自身の若さも生かそうと、透明感のある瑞々しさを残しつつも強めの印象を与えるメイクを施した。
そうして引き出したバアルの誉め言葉である。「まるで辺境伯夫人みたいです」は、及第点と言えるだろう。
エメリーンはバアルにエスコートされながら、高級宿屋『流星の輝き』の中に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
ダイナリア辺境伯の紋章入りの馬車が停まったことが、宿屋の入り口に立っていたスタッフから伝えられていたのか、4人ほどのスタッフたちが頭を下げてエメリーンを出迎えた。その中で一番年嵩の40代後半くらいの男性スタッフが、にこにこと貼り付けたような笑顔でエメリーンに声を掛ける。
「ようこそ『流星の輝き』へお越しくださいました。本日はご宿泊でいらっしゃいますか?」
宿屋であれば当然の問いに、エメリーンは笑顔でいいえと答える。
「旦那様を迎えに参りましたの。旦那様――ヒューバート様が滞在されている部屋に案内してくださる?」
ダイナリア辺境伯家の馬車で現れたエメリーンが、まさしく辺境伯夫人であることに気が付き、スタッフたちがサッと顔色を変えた。目の前に立つ男性も一瞬動揺を見せたのだが、さすが客商売のプロというべきか、すぐに笑顔を取り戻した。
――これは当たり、ね。
「これはこれは、辺境伯夫人でいらっしゃいますか。この度はご結婚、誠におめでとうございます。ダイナリア辺境伯領の領民として、心よりお祝い申し上げます」
「ご丁寧にどうもありがとう。エメリーン・ダイナリアよ」
「辺境伯様ですが、こちらにはお越しになって」とスタッフが言い掛けたところで、エメリーンはスッとその男の側に寄った。
「貴族である私に嘘を吐く、ということの意味を、よく考えた方がいいわ」
囁くようにそれだけ言って男から離れ、エメリーンは深く微笑んだ。あからさまに顔色が悪くなった男性スタッフの姿に、他のスタッフたちはきょろきょろと落ち着かない様子だ。
「心配しないでちょうだい。あなたたちに悪いようにはしないから。もしもこの件で何か困ったことが起きたら、遠慮なく辺境伯邸まで伝えに来てくれていいわ」
少し後ろに控えていたバアルに目配せすると、バアルがスタッフたちに頷いた。
「もしもこの件で、不当に職を失うようなことがあればこちらで対応する」
スタッフたちは少しだけ安心したようだが、やはりきょろきょろとお互い探り合うような様子を見せている。
「じゃあ、案内してもらえるかしら?」
「……かしこまりました。こちらへどうぞ」
一番年嵩の男性スタッフが、大きく息を吐いてエメリーンたちの案内を引き受けた。
他の領地からもお忍びの貴族が泊まりにくるというこの高級宿屋『流星の輝き』は、特別な空間だった。外観だけでなく内観も見事な作りで高級感に溢れている。階段を上ると廊下には柔らかな灯りがともり、静寂が保たれていた。所々に置かれた花瓶には華やかな生花が活けられ、廊下全体にほのかな香りが漂っている。
「こちらです」
最上階である三階まで登って目的の部屋に到着すると、エメリーンは促されるままに重厚な木製のドアの前に立った。
ゴンゴンゴン ゴンゴンゴン ゴンゴンゴンゴンゴンッ
エメリーンの力強いノックの音に、スタッフが頭を抱えている。この高級宿屋であるまじき轟音を上げて叩かれたノックに驚いて、その部屋から女性が飛び出してきたのは、それからすぐ後のことだった。
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