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講師と贈り物について
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その日の夜、エメリーンの部屋のドアを叩いたのは、執事長と侍女頭のレイニーだった。
「明日にしてもらいましょうか?」と言うマーサに、エメリーンは「通してもらって構わない」と答えた。
一日の終わりに、絨毯の上で身体を解していただけで、まだ眠たくなる時間でもない。身体を動かしやすいラフな格好ではあるが、ナイトガウンを羽織れば問題ないだろう。
ちなみに「絨毯の上に直接座るのはやめてください」と、最初は渋っていたマーサだったが、一緒に座ってみるように進めたところ、そのふかふかした気持ち良さに納得したのか、見逃してくれるようになった。残念ながら、エメリーンがマーサと二人の時間だけだが、より念入りに絨毯の清掃をしてくれるようになったマーサに、エメリーンは感謝することはあっても文句はない。
「どうぞ、お入りください」
最低限の体裁を整えて室内に招き入れた執事長とレイニーは、エメリーンの格好などについて気にすることはなかった。
「このような時間に突然申し訳ありません」
「構わないわ。何の話かしら?」
「早速ではございますが、先日お話されていた奥様のお仕事につきまして、スケジュールの調整なども含めてお話させていただけますかな?」
執事長の言葉にエメリーンは目を輝かせた。
「まあ! それは嬉しいわ。早々にありがとう」
ルイのこともそうだが、行動が早いのはヒューバートの美点だ。いやおそらくヒューバートではなく、使用人たちが早いのだろう。
「それで、奥様からのご希望がありましたら、そちらも含めて調整したいのですが、いかがでしょうか」
「ええ、とても助かるわ。私の希望としては、辺境伯夫人の仕事を学ぶのと同時に、講師を何人か紹介してもらいたいと思っているの」
「講師、ですか」
「ええ、仕事と一緒に学べるものもあるとは思うのだけど、このダイナリア辺境伯のことについて、申し訳ないけれど一から教えてくれる講師がほしいわ」
「なるほど」と執事長がメモを取りながら頷いている。
「それから、これも申し訳ないのだけど、辺境伯夫人にふさわしい礼儀を学べる講師もお願いしたいの。子爵令嬢としての礼儀も、私には不足していると思うのよ」
なぜかマーサが首を傾げているが、レイニーは「礼儀作法の講師ですね」とメモを取っている。エメリーンが絨毯に座ることも、条件付きではあるが許容しているマーサは、エメリーンと同じで辺境伯夫人に求められる礼儀作法にはあまり詳しくないのだろう。
そもそも子爵令嬢としての礼儀作法について、あの父や義母はエメリーンに何も教えなかったし、講師も付けたことはない。使用人たちが持ってきた本の中にも、礼儀作法についてのものはなかったのだが、エメリーンは義母や義姉の見よう見まねである程度のことができた。今思えば、前世のアリサの頃に覚えたマナーが、無意識に役立っていたのかもしれない。
――貴族令嬢のフリをしてパーティに潜り込むための訓練だったんだけど、ね。
そのおかげか、オルクス子爵家で、気まぐれに招かれる家族の食事の場でも、エメリーンがマナーの不出来を責められたことはなかった。なぜだか、マナー講師が付いていたはずの義姉エリナ―が、義母に深いため息を吐かれていたのを、エメリーンは覚えている。
だが、エメリーンは子爵令嬢でありながら、パーティなどに参加したことがないのだ。これから辺境伯夫人としてパーティに招かれたり、開催したりすることもあるのではないかと思うと、現状のままではあまりにも知識も経験も不足している。
幸いなこと、というか不幸中の幸いというべきだが、エメリーンは直近のパーティーを回避していた。
本来なら結婚式後には、王都でパーティに参加するべきだったはずだ。そしてその場には、高位の貴族たちがたくさん参加していただろう。だが、馬車に乗せられてすぐに辺境伯領に送られたことで、マナー不足を笑われることを回避できたのだ。
ヒューバートに感謝する気はさらさらないが、とりあえず運が良かったとエメリーンは思っている。
「奥様、ダンスの講師も必要でしょうか?」
メモを取れる体勢のままで、レイニーが質問してきた内容に、エメリーンは「それはたぶん大丈夫」と答えようとして踏みとどまった。
ダンスが得意なのは、エメリーンではなくアリサだ。子爵令嬢のエメリーンは、ダンスを習ったことも見たことすらないのだから、「大丈夫」とは言えない。
「……ダンス? ごめんなさい。見たこともなくて」
「そうですか、分かりました。ではそちらも早急に手配いたしますね」
「ええ、お願いします」
メモ帳を閉じた執事長が、「調整後、追ってお知らせさせていただきます」とエメリーンに頭を下げた。レイニーも合わせて頭を下げたことで、本日の話は終わりだとエメリーンが思っていると、執事長が「ところで、5日後になりますが」と言葉を続けた。
「5日後?」
「はい。旦那様から奥様に贈り物をしたいと、商会のものを手配しております」
「贈り物? そんなものは特に必要ないのだけど」
エメリーンは即答したが、執事長はその返事を予想していたようだ。
「いえ、今後のためにドレスや靴、アクセサリーなどを増やしておかれた方が良いと思います。辺境伯夫人のお仕事には、そういったものは必需品ですので」
執事長の言葉に、レイニーとマーサも同意する。
「はい、必要だと思います。エメリーン様は手持ちのドレスや靴など、いろいろと少なめですので」
エメリーンが子爵領から持ってきた衣類などは、義姉エリナ―のお下がりばかりだ。結婚式前と後に、ヒューバートが、というか辺境伯領の使用人たちが手配してくれたドレスが10着ほどあり、エメリーン自身はそれで充分だと思っていたが、確かにこれからのことを考えると心もとないのだとエメリーンも理解した。
「分かったわ。じゃあ商会の方が来たら、いろいろ見せてもらいましょう」
――踊りやすい靴があると嬉しいわね。
ヒューバートからの贈り物、と言われると、何だか要らないような気もするが、辺境伯夫人として必要なもの――必要経費だと捉えたら、エメリーンは単純に商会の訪れが楽しみになった。
そして、辺境伯家で手配された商会が、偶然にもエメリーンの望んでいた再会に結び付くものになるとは、このときのエメリーンには思ってもみないことだった。
「明日にしてもらいましょうか?」と言うマーサに、エメリーンは「通してもらって構わない」と答えた。
一日の終わりに、絨毯の上で身体を解していただけで、まだ眠たくなる時間でもない。身体を動かしやすいラフな格好ではあるが、ナイトガウンを羽織れば問題ないだろう。
ちなみに「絨毯の上に直接座るのはやめてください」と、最初は渋っていたマーサだったが、一緒に座ってみるように進めたところ、そのふかふかした気持ち良さに納得したのか、見逃してくれるようになった。残念ながら、エメリーンがマーサと二人の時間だけだが、より念入りに絨毯の清掃をしてくれるようになったマーサに、エメリーンは感謝することはあっても文句はない。
「どうぞ、お入りください」
最低限の体裁を整えて室内に招き入れた執事長とレイニーは、エメリーンの格好などについて気にすることはなかった。
「このような時間に突然申し訳ありません」
「構わないわ。何の話かしら?」
「早速ではございますが、先日お話されていた奥様のお仕事につきまして、スケジュールの調整なども含めてお話させていただけますかな?」
執事長の言葉にエメリーンは目を輝かせた。
「まあ! それは嬉しいわ。早々にありがとう」
ルイのこともそうだが、行動が早いのはヒューバートの美点だ。いやおそらくヒューバートではなく、使用人たちが早いのだろう。
「それで、奥様からのご希望がありましたら、そちらも含めて調整したいのですが、いかがでしょうか」
「ええ、とても助かるわ。私の希望としては、辺境伯夫人の仕事を学ぶのと同時に、講師を何人か紹介してもらいたいと思っているの」
「講師、ですか」
「ええ、仕事と一緒に学べるものもあるとは思うのだけど、このダイナリア辺境伯のことについて、申し訳ないけれど一から教えてくれる講師がほしいわ」
「なるほど」と執事長がメモを取りながら頷いている。
「それから、これも申し訳ないのだけど、辺境伯夫人にふさわしい礼儀を学べる講師もお願いしたいの。子爵令嬢としての礼儀も、私には不足していると思うのよ」
なぜかマーサが首を傾げているが、レイニーは「礼儀作法の講師ですね」とメモを取っている。エメリーンが絨毯に座ることも、条件付きではあるが許容しているマーサは、エメリーンと同じで辺境伯夫人に求められる礼儀作法にはあまり詳しくないのだろう。
そもそも子爵令嬢としての礼儀作法について、あの父や義母はエメリーンに何も教えなかったし、講師も付けたことはない。使用人たちが持ってきた本の中にも、礼儀作法についてのものはなかったのだが、エメリーンは義母や義姉の見よう見まねである程度のことができた。今思えば、前世のアリサの頃に覚えたマナーが、無意識に役立っていたのかもしれない。
――貴族令嬢のフリをしてパーティに潜り込むための訓練だったんだけど、ね。
そのおかげか、オルクス子爵家で、気まぐれに招かれる家族の食事の場でも、エメリーンがマナーの不出来を責められたことはなかった。なぜだか、マナー講師が付いていたはずの義姉エリナ―が、義母に深いため息を吐かれていたのを、エメリーンは覚えている。
だが、エメリーンは子爵令嬢でありながら、パーティなどに参加したことがないのだ。これから辺境伯夫人としてパーティに招かれたり、開催したりすることもあるのではないかと思うと、現状のままではあまりにも知識も経験も不足している。
幸いなこと、というか不幸中の幸いというべきだが、エメリーンは直近のパーティーを回避していた。
本来なら結婚式後には、王都でパーティに参加するべきだったはずだ。そしてその場には、高位の貴族たちがたくさん参加していただろう。だが、馬車に乗せられてすぐに辺境伯領に送られたことで、マナー不足を笑われることを回避できたのだ。
ヒューバートに感謝する気はさらさらないが、とりあえず運が良かったとエメリーンは思っている。
「奥様、ダンスの講師も必要でしょうか?」
メモを取れる体勢のままで、レイニーが質問してきた内容に、エメリーンは「それはたぶん大丈夫」と答えようとして踏みとどまった。
ダンスが得意なのは、エメリーンではなくアリサだ。子爵令嬢のエメリーンは、ダンスを習ったことも見たことすらないのだから、「大丈夫」とは言えない。
「……ダンス? ごめんなさい。見たこともなくて」
「そうですか、分かりました。ではそちらも早急に手配いたしますね」
「ええ、お願いします」
メモ帳を閉じた執事長が、「調整後、追ってお知らせさせていただきます」とエメリーンに頭を下げた。レイニーも合わせて頭を下げたことで、本日の話は終わりだとエメリーンが思っていると、執事長が「ところで、5日後になりますが」と言葉を続けた。
「5日後?」
「はい。旦那様から奥様に贈り物をしたいと、商会のものを手配しております」
「贈り物? そんなものは特に必要ないのだけど」
エメリーンは即答したが、執事長はその返事を予想していたようだ。
「いえ、今後のためにドレスや靴、アクセサリーなどを増やしておかれた方が良いと思います。辺境伯夫人のお仕事には、そういったものは必需品ですので」
執事長の言葉に、レイニーとマーサも同意する。
「はい、必要だと思います。エメリーン様は手持ちのドレスや靴など、いろいろと少なめですので」
エメリーンが子爵領から持ってきた衣類などは、義姉エリナ―のお下がりばかりだ。結婚式前と後に、ヒューバートが、というか辺境伯領の使用人たちが手配してくれたドレスが10着ほどあり、エメリーン自身はそれで充分だと思っていたが、確かにこれからのことを考えると心もとないのだとエメリーンも理解した。
「分かったわ。じゃあ商会の方が来たら、いろいろ見せてもらいましょう」
――踊りやすい靴があると嬉しいわね。
ヒューバートからの贈り物、と言われると、何だか要らないような気もするが、辺境伯夫人として必要なもの――必要経費だと捉えたら、エメリーンは単純に商会の訪れが楽しみになった。
そして、辺境伯家で手配された商会が、偶然にもエメリーンの望んでいた再会に結び付くものになるとは、このときのエメリーンには思ってもみないことだった。
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