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いろいろ斜めな辺境伯夫人
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「うぐっ」
思わず漏れた声を、エメリーンは笑顔で誤魔化した。ギギッと音がしそうなほどの作り笑いを含め、誰もエメリーンの異変を指摘することが出来ないでいるが、エメリーンの様子は明らかにおかしい。
状況を知っているマーサは、エメリーンより完璧な笑顔で、何も異変は起きていない、という顔をしている。
――な、斜めにしか階段が登れないわ。
足の筋肉の、どの部分の筋肉痛が原因なのか、腹筋もなのか、あちこちが痛いとしかエメリーンにも分からない。アリサのときに経験したことのある痛みだが、痛いものは痛い。だが出来るかぎり涼しげな顔をしてエメリーンは歩いている。
あの魔物の襲来があった日とその翌日は、ヒューバートは多忙のため、朝食の席に現れなかった。今日は久しぶりに家族3人揃っての食事のため、エメリーンには何があってもその場に行かないという選択肢はなかった。そう、斜めにしか階段の上り下りが出来なくてもだ。
――旦那様を前にしたルイ様の様子を、ちゃんと見ておかないと。
たぶん、大丈夫なはず。そんな甘い考えでルイの悩みに気が付かなかった過去を、エメリーンは繰り返したくない。
そして、出来れば英雄ゴーリアント、もとい執事長についても話が聞ければ良いなと思っている。本の中の英雄が身近にいたのだ。話を聞きたいと思うのは、ごく自然なことだろう。
あの日、エメリーンは、血塗れで疲れているだろう彼らを引き留めてまで、話を聞くことが出来なかった。みんながゆったり歩いて戻って来たことから、大怪我をしている人はいないと分かったが、細かい怪我はあるかもしれない。その後の片付けも大変なことが分かっているのに、役立たずを超えて、邪魔者になるのは嫌だったというのもある。
「みんな、お疲れさまでした。無事に帰って来てくれてありがとう。取り急ぎ、血や汚れを流してきた方が良いのではないかしら? 治療が必要な人は、応急処置が済んでいる? 何もないと思っても、汚れを落としたら、怪我が見つかる人がいるかもしれないわ。自分のこと、仲間のこと、どうぞ確認してちょうだいね」
何故ここにいるのか、というヒューバートの問いには答えず、兵士たちや前線に出ていた全員に向けられたエメリーンの言葉に、彼らが周りを見回してざわざわした。
――戦闘にほとんど参加してない私が、余計なことを言ったかしら?
ヒューバートは、エメリーンの言葉に表情を緩め、兵士長ルドガーの方を振り返って言った。
「ルドガー、エメリーンの言う通りにしよう。魔物の血などは、早めに洗い流した方が良い。それから、治療班に今一度、全員確認をさせておいてくれ。みんなも、先に診てもらいたい者がいれば、治療班に直接声を掛けろ」
「承知しました」
「「「はい!」」」
それからは、侍女や侍従も出来るだけ総動員して片付けが行われたり、魔物についての報告書や売却手続きなど、辺境伯邸内はバタバタしていたのだ。
だが、ルイとエメリーンの周りのみ、ひと足先に日常が戻っていた。
昨日も出来ることがなかったエメリーンは、今後のためにと、がむしゃらな筋トレに励んでいたわけだが、それは今すぐ辺境伯領の役に立つわけではない。
「ぐっ」
朝食の席に一番乗りで着いたエメリーンは、椅子に座るときにまた声が漏れたものの、無事に着席まで出来たことに、深い安堵の息を吐いた。
――ルイ様に呻き声を聞かせるわけにはいかないものね。
「なんだ、随分早いんだな」
ルイよりも先にエメリーンの前に姿を見せたのはヒューバートだ。ずっと忙しかったのが一目で分かるほど、その顔には疲れが見える。隈のあるその顔さえ、「憂いがあって良い」と騒ぐ女性がいそうだな、とエメリーンは思った。
いつもの席に着いたヒューバートを見据えて、エメリーンが言う。
「ええ、みんなが忙しくしている間も私は暇でしたので。侍女も参加していたのに、私は片付けに手を出すのは断られましたから」
不満そうなエメリーンに、ヒューバートが首を傾げる。
「辺境伯夫人としての仕事に、掃除は含まれていない。それの何が不満なんだ? エメリーンは、十分役目を果たしていたと思うが……」
ヒューバートの何が不満なのか、という言葉はもっともだ。魔物を片付けたいなどと願う貴族女性が、そうそういるはずはない。だがエメリーンはやりたいのだ。
「人手がいくらあっても良い、という状況なのに、私の手が使われないことが不満です。そんなに私は役立たずでしょうか?」
「は? 役立たず?」
「私が魔物討伐の後片付けをして、何が悪いんですか? それで辺境伯夫人の品格が下がるとでも?」
「……そんなに片付けがしたかったのか?」
くつりと笑うヒューバートに、エメリーンは頷いた。
「ええ、戦闘で役に立ってないのだから、片付けくらいはしたかったのです。それに付随する書類仕事なども、旦那様がしてしまったのでしょう?」
じとりと恨めしそうな目で見つめるエメリーンとは裏腹に、ヒューバートは何故だか楽しそうだ。
「そうか。そんなにやりたいなら、次からは止めないように言っておこう。書類作成についても、次からエメリーンに手伝ってもらう。それで良いか?」
「はい、それが良いです。ちゃんと私にもお仕事をさせてください」
ヒューバートの了承を得られたエメリーンは、満足そうに頷いた。そんなエメリーンを見ていたヒューバートが、何かを思い出したように口を開いた。その目には真剣な色が宿っている。
「エメリーン」
「エメリーンさま、ちちうえ、おはようございます」
ヒューバートがエメリーンに呼び掛けたタイミングで、ルイが元気な声で挨拶をしながら室内に入って来た。
エメリーンの視線はすぐにルイに移り、満面の笑みでルイに応えた。
「ルイ様、おはようございます。今日も元気そうで何よりです」
ヒューバートも「おはよう、ルイ」と自然な受け答えが出来ている。ルイが席に着くまで少し時間があったため、エメリーンはチラリとヒューバートを見ながら「旦那様、何か言い掛けました?」と聞いたのだが、ヒューバートの返事は「また今度で良い」とのことだった。
「そうですか」
今度でも良いのなら、きっとそれは大した話ではないのだろう。エメリーンはそう理解して、またすぐにルイに視線を戻した。
少し残念そうにため息を吐いたヒューバートのことは、もうエメリーンの瞳に写っていなかった。
思わず漏れた声を、エメリーンは笑顔で誤魔化した。ギギッと音がしそうなほどの作り笑いを含め、誰もエメリーンの異変を指摘することが出来ないでいるが、エメリーンの様子は明らかにおかしい。
状況を知っているマーサは、エメリーンより完璧な笑顔で、何も異変は起きていない、という顔をしている。
――な、斜めにしか階段が登れないわ。
足の筋肉の、どの部分の筋肉痛が原因なのか、腹筋もなのか、あちこちが痛いとしかエメリーンにも分からない。アリサのときに経験したことのある痛みだが、痛いものは痛い。だが出来るかぎり涼しげな顔をしてエメリーンは歩いている。
あの魔物の襲来があった日とその翌日は、ヒューバートは多忙のため、朝食の席に現れなかった。今日は久しぶりに家族3人揃っての食事のため、エメリーンには何があってもその場に行かないという選択肢はなかった。そう、斜めにしか階段の上り下りが出来なくてもだ。
――旦那様を前にしたルイ様の様子を、ちゃんと見ておかないと。
たぶん、大丈夫なはず。そんな甘い考えでルイの悩みに気が付かなかった過去を、エメリーンは繰り返したくない。
そして、出来れば英雄ゴーリアント、もとい執事長についても話が聞ければ良いなと思っている。本の中の英雄が身近にいたのだ。話を聞きたいと思うのは、ごく自然なことだろう。
あの日、エメリーンは、血塗れで疲れているだろう彼らを引き留めてまで、話を聞くことが出来なかった。みんながゆったり歩いて戻って来たことから、大怪我をしている人はいないと分かったが、細かい怪我はあるかもしれない。その後の片付けも大変なことが分かっているのに、役立たずを超えて、邪魔者になるのは嫌だったというのもある。
「みんな、お疲れさまでした。無事に帰って来てくれてありがとう。取り急ぎ、血や汚れを流してきた方が良いのではないかしら? 治療が必要な人は、応急処置が済んでいる? 何もないと思っても、汚れを落としたら、怪我が見つかる人がいるかもしれないわ。自分のこと、仲間のこと、どうぞ確認してちょうだいね」
何故ここにいるのか、というヒューバートの問いには答えず、兵士たちや前線に出ていた全員に向けられたエメリーンの言葉に、彼らが周りを見回してざわざわした。
――戦闘にほとんど参加してない私が、余計なことを言ったかしら?
ヒューバートは、エメリーンの言葉に表情を緩め、兵士長ルドガーの方を振り返って言った。
「ルドガー、エメリーンの言う通りにしよう。魔物の血などは、早めに洗い流した方が良い。それから、治療班に今一度、全員確認をさせておいてくれ。みんなも、先に診てもらいたい者がいれば、治療班に直接声を掛けろ」
「承知しました」
「「「はい!」」」
それからは、侍女や侍従も出来るだけ総動員して片付けが行われたり、魔物についての報告書や売却手続きなど、辺境伯邸内はバタバタしていたのだ。
だが、ルイとエメリーンの周りのみ、ひと足先に日常が戻っていた。
昨日も出来ることがなかったエメリーンは、今後のためにと、がむしゃらな筋トレに励んでいたわけだが、それは今すぐ辺境伯領の役に立つわけではない。
「ぐっ」
朝食の席に一番乗りで着いたエメリーンは、椅子に座るときにまた声が漏れたものの、無事に着席まで出来たことに、深い安堵の息を吐いた。
――ルイ様に呻き声を聞かせるわけにはいかないものね。
「なんだ、随分早いんだな」
ルイよりも先にエメリーンの前に姿を見せたのはヒューバートだ。ずっと忙しかったのが一目で分かるほど、その顔には疲れが見える。隈のあるその顔さえ、「憂いがあって良い」と騒ぐ女性がいそうだな、とエメリーンは思った。
いつもの席に着いたヒューバートを見据えて、エメリーンが言う。
「ええ、みんなが忙しくしている間も私は暇でしたので。侍女も参加していたのに、私は片付けに手を出すのは断られましたから」
不満そうなエメリーンに、ヒューバートが首を傾げる。
「辺境伯夫人としての仕事に、掃除は含まれていない。それの何が不満なんだ? エメリーンは、十分役目を果たしていたと思うが……」
ヒューバートの何が不満なのか、という言葉はもっともだ。魔物を片付けたいなどと願う貴族女性が、そうそういるはずはない。だがエメリーンはやりたいのだ。
「人手がいくらあっても良い、という状況なのに、私の手が使われないことが不満です。そんなに私は役立たずでしょうか?」
「は? 役立たず?」
「私が魔物討伐の後片付けをして、何が悪いんですか? それで辺境伯夫人の品格が下がるとでも?」
「……そんなに片付けがしたかったのか?」
くつりと笑うヒューバートに、エメリーンは頷いた。
「ええ、戦闘で役に立ってないのだから、片付けくらいはしたかったのです。それに付随する書類仕事なども、旦那様がしてしまったのでしょう?」
じとりと恨めしそうな目で見つめるエメリーンとは裏腹に、ヒューバートは何故だか楽しそうだ。
「そうか。そんなにやりたいなら、次からは止めないように言っておこう。書類作成についても、次からエメリーンに手伝ってもらう。それで良いか?」
「はい、それが良いです。ちゃんと私にもお仕事をさせてください」
ヒューバートの了承を得られたエメリーンは、満足そうに頷いた。そんなエメリーンを見ていたヒューバートが、何かを思い出したように口を開いた。その目には真剣な色が宿っている。
「エメリーン」
「エメリーンさま、ちちうえ、おはようございます」
ヒューバートがエメリーンに呼び掛けたタイミングで、ルイが元気な声で挨拶をしながら室内に入って来た。
エメリーンの視線はすぐにルイに移り、満面の笑みでルイに応えた。
「ルイ様、おはようございます。今日も元気そうで何よりです」
ヒューバートも「おはよう、ルイ」と自然な受け答えが出来ている。ルイが席に着くまで少し時間があったため、エメリーンはチラリとヒューバートを見ながら「旦那様、何か言い掛けました?」と聞いたのだが、ヒューバートの返事は「また今度で良い」とのことだった。
「そうですか」
今度でも良いのなら、きっとそれは大した話ではないのだろう。エメリーンはそう理解して、またすぐにルイに視線を戻した。
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