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一年目 ~学園編~

家族との決別

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 家を出て以来初めて戻った子爵家の屋敷に懐かしさがこみ上げる。
 門の装飾も記憶のまま年月を感じさせていた。
 来訪を伝え中に通されるとエントランスに父が下りてくる。
 年を重ねた父の姿に流れた時間の長さを感じずにいられない。
 目の前までやって来た父は記憶の中にある笑顔ではなく、どこか睨め付けるような目で俺を見た。
 同じ高さの目線と向けられる目の厳しさに戸惑いながら口を開く。

「久しぶり――」

「何の用だ?」

 挨拶も遮り開口一番に問われる。その声に含まれた不機嫌さに口籠もる。 
 急ぐあまりに連絡をしなかったのは良くなかったかもしれない。
 けれど、火急の用事であるのは理解できるだろうし、8年ぶりに会った子供に対して何かかける言葉はなかったのだろうか。
 いや、8年ぶりだからこそかける言葉がないのか、と皮肉めいた言葉が頭をよぎる。
 早く言えとばかりに再度ここに来た理由を問われ、慰謝料の件だと告げる。
 色よい返事がもらえそうにないことは父親の態度でわかっていたが、返ってきたのは予想以上の答えだった。

「慰謝料? もう無い。
 全て借金の支払いなどで使った」

 思いもしなかった答えに重ねて問う。
 男爵から聞いた金額はかなりのものだった。
 9歳という幼い頃からの長い婚約、それを別の相手と婚約を結びたいという理由で解消したのだ。
 アランに瑕疵がないこともあり、男爵がアランのために勉学や生活に費やした金額についても差し引くことはせず支払ったと聞いている。
 それが、無い?

「無いって……、どういうことだ?
 男爵から支払われた慰謝料はかなりの金額だと聞いた。
 一年分の学費は十分にあったはずだ」

 一年分どころか入学してから卒業までの学費や寮費も支払え、それでもまだ余るほどの金額だ。
 冷静に、と頭の奥で自分が囁く。声が震えたのがみっともなくて、苦しかった。

「だから借金の返済のために使ったと言っているだろう。
 その他にも領地の整備やお前の弟妹の将来のための教育費などに使った。
 もう残っているのはわずかで残念だがお前にやれる金は無い」

 胸の中でぐるぐると渦巻く言いようのない感情を胸を押さえてこらえる。

「どうして、俺の婚約解消の慰謝料だろう。
 なぜ一言も言わないで……」

 子供の頃からずっと、胸に浮かんでは振り払ってきた思いが溢れそうになる。

「下の弟たちはまだ小さいし、学費が必要になるのはずっと先だ。
 どうにかして払った費用を戻してもらうわけにはいかないか?
 それに借金だってずっと男爵家から援助を受けて少しずつ払ってきたんだろう? 一括返済ではなくもう少し待ってもらえないか聞いてみてほしい」

 お願いだと懇願する。
 弟たちにも教育が必要なのはわかっている。
 けれど、今乗り越えれば俺が働きに出て返すこともできる。その方がずっと弟たちにもこの家にとっても利になるはずだ。

「うるさいっ!
 当主の俺が決めたことに文句を言うな!」

 怒鳴られて思考が止まる。

「お前は昔からそうだ!
 ちょっと頭が良いからといってそれを鼻にかけて、俺たちやこの領地を馬鹿にしていたんだろう!
 お前がしっかりと令嬢の気持ちを捕まえていないからこの家も援助を打ち切られて迷惑したんだ!
 それが婚約者に捨てられて行き場所がなくなったからって実家に戻ってきて寄生するつもりか!
 しかも弟や妹たちの教育費を自分に使えだと!? 自分のことしか考えてないのか!!」

 何を言われたのか、すぐには理解できなかった。

「やはりお前を家から出したのは正解だった、学園を退学になろうがなんだろうが別に構わない。
 その立派な頭を使えばどこかの家で雇ってもらえるんじゃないか?
 平民となり自由に生きれば良い」

 吐き捨てられるように言われ、ずっと父に疎まれていたことを知った。
 考えてみれば一度も手紙をもらったことはない。
 里心がつかないようにとの親心だと思っていたが、違っていたんだな。
 父の怒鳴り声を聞きつけてやってきたのか、エントランスの隅には母も、弟妹たちも並んでいた。その顔には敵意しかない。
 自分たちの生活を脅かす、敵だと。

 蜘蛛の糸よりも細くて軽いかもしれない。けれど繋がっていると思っていた糸は、たった今完全に切れてなくなったんだと知った。
 子爵家の嫡男として生まれたのに、家のために男爵家の婿になれと家を出されたのは9歳のときのことだ。
 それからずっといなかった者を家族だなんて思えるわけがないのは確かかもしれない。
 ……けれど、俺が努力してきたのは彼らのためでもあったのに。

「失礼します……」

 それだけ告げて子爵家を後にする。
 悔しくて、惨めで、何も考えないようにしてただ足を動かした。
 
 曇り空の下、馬車を拾うことも考えられず街まで歩く。
 夕暮れも迫る時間、街は更に暗さを増していた。
 ぽつ、ぽつ、と降り出した雨に走り出す人々。
 帰りを待つ人がいる者は辻馬車に乗り、帰路を急ぐ。
 自分には何もない。急ぐ理由も、待つ人も。
 学園に戻らなければという惰性だけで歩いていた。

『俺が男爵家に行ったからみんなまともな生活ができるようになったんだろう』
『嫡男だった俺がなんで家を出なければいけなかったんだ』
『援助を受け続けていながら家を建て直すどころか更に借金を重ねるなんて領主失格だ』

 言っても詮無い言葉だと醜態を晒すまいと飲み込んだ言葉が胸の中で渦巻く。
 口にしたら余計に惨めになりそうで口を引き結ぶ。
 そうしていなければ、みっともなく喚き散らしてしまいそうだった。

 どうして俺だったのか。なんで俺ばかり我慢しなければならないのか。
 男爵家の暮らしが辛い時、何度も胸をよぎった。
 考えないようにしていたのに、消えてはくれなかった言葉たち。

 感情のままに当たり散らすこともできなくて心の奥の奥に沈めていた思いが瞳から溢れた。

 冷たい雨と溢れる雫の温かさが混じりながら頬を落ちていく。

 ――何のために生まれたんだろう。
 ――何のために生きればいいんだろう。

 とめどなく溢れる感情は、雨に混ざりただ流れて消えていった。


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