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四年目 ~春の訪れ 新婚の二人~
嫌がらせとは難しい
しおりを挟む新学期が始まって最初の休日の終わり、俺はエドガーのもとにやって来ていた。
エドガーは未だに侯爵家預かりのままでいる。
新しい王の下で刑が確定してから移動させることになるだろう。
部屋に入った俺を見てエドガーがいきなり顔を顰める。
「その反応は失礼じゃないかな」
笑いを含んだ声で咎めるとさらに顰め面になる。
「ちっ、また来たのかよ」
ヘマしたんじゃねえだろうなと疑いの目を向けてくるエドガーに上手く行ったよと答える。
「情報提供に感謝するよ。
おかげでこちらの望み通りの方向で決着がついた」
「そうかよ」
興味なさそうな声を返し、エドガーは皮肉な笑みを浮かべる。
「で? 本当に贋金に関わった奴ら全部死罪にしねえで飼うつもりなのか?」
「飼うって、口が悪いな本当に」
苦笑を交えて言うと事実だろうがと言われてしまう。
まあエドガーの言うこともわかるけど。
「後腐れなく消した方が国のためになんだろ。
オマエが甘すぎんだよ」
どうせ死んだって誰も困らない奴らなんだからと吐き捨てるエドガーへ聞く。
「エドガーは生きたくないの?」
人のことばかり言ってるけど、死罪を持ち出すならエドガーだってその対象になるような罪を犯している。
自分のことに言及されてぎろりと睨む。瞳を静かに見返すとふいっとそっぽを向かれた。
答えたくないと態度で示すエドガーへ言葉を続ける。
「なんとなくエドガーは生きたいから藻掻いてたんだろうなと思ってたんだけど」
「はっ、だから助けてやろうってか。
そんなクソ甘い考えで世の中渡っていけると思ってるおめでたさが反吐が出るほどムカつくぜ」
自身の心情に触れられることを嫌うエドガーに俺が感じていたことを口にすると、即座に悪態になって帰ってくる。
これも防衛反応なのかと思うと怒る気にはならない。
それに自分が甘いことを否定できなかった。
「エドガーと話してると勉強になる」
俺にはない視点というのをエドガーに多く感じる。
レオンにも言われたことのある、裏側に疎いという言葉。
この数年で大分裏側も見えるようになってきたと思うけれど、育つ中で様々な人の裏側に触れてきたエドガーには敵わない。
「馬鹿にしてんのか」
勉強になると言った俺の答えに、口元を引き攣らせた笑みで低く唸る。
「褒め言葉だったんだけど」
馬鹿にはしてない。けど褒め言葉としては微妙だったなと反省する。
悪事や裏側に詳しいことを褒められるというのは、通常皮肉に感じられるだろうし。
少しの沈黙の後、エドガーがぽつりと呟く。
「あの人は……」
エドガーの言うあの人が誰かはすぐにわかった。
逃げていた領主の妹のことだ。
「北侯の領地で見つかったよ」
侯爵様の領地で贋金をばらまき姿を晦ませた貴婦人。
他国へ渡っていると思われていた彼女だが姿を変え侯爵領で暮らしていた。
これほど近くにいながら見つけられなかったのは、彼女が綺麗に擬態を脱いでいたためだ。
運ばせていた荷物とは別行動で移動し、途中でごく普通の町娘姿へと着替え痕跡を消す。
あらかじめ貴婦人姿の姿を印象付け、侯爵領で購入したドレスを運ばせた荷物に入れることで先の町まで移動したのは間違いないと思わせる。巧みに欺かれた。
国内に潜伏していることを念頭に新しく町に住み着いた者を当たってようやく発見したのだ。
予想通り、彼女は見つかるのを待っていた。贋金の件が明るみに出て、実家や伯爵家に捜査が及ぶのを。
見つかったとき、彼女は一切抵抗することなく笑みすら浮かべていたという。
それを聞いてエドガーは複雑な色を目に浮かべたが、捕まった彼女が丁重に扱われていると聞いてほっとしたような顔をしていた。
「彼女は逃げていた領主を捕まえるのに貢献してくれたからね。
贋金と知っていて使った罪はあるけれど、行方の掴めていなかった重要人物の逮捕に協力したのも事実だ。
それと相殺すれば刑期も随分減免されるんじゃないかな」
彼女の協力が無ければ、公に知られていない隠れ家に潜伏していた領主を見つけるのは容易ではなかったはず。
もちろん収監されることになるとは思うけれど、それは彼女の家や伯爵家の者に比べて短い物になるだろう。
言葉を返さないエドガーに彼女の言葉を伝える。
「彼女は、自分のせいでエドガーを巻き込んだと口にしていたそうだよ。
これからすることを伝え伯爵家には近寄らないようにと伝えたはずなのに、結果は真逆になってしまったと悔やんでいた」
彼女は贋金を故意に使い捜査の目を向けさせることで実家や伯爵家の罪を公にしたいと考えていた。
公爵子息から受け取った手切れ金が贋金であったことも、彼女に行動を決断させた理由の一つ。
しかし贋金の件が明るみに出ても、公爵家にまで捜査の手が届くことはないだろうと半ば諦めの気持ちだったようだ。
それでも彼女を突き動かした衝動は、エドガーとよく似たものだったんだろう。
「……馬鹿じゃねぇの。
俺が勝手にやったんだ、アイツらがムカつくから」
そう嘯くエドガーに口元が笑みを作る。彼女はエドガーのことをよくわかっているんだな。
家や家族に対する同じような怒りや恨みを内包する者同士だからなのか、エドガーが言うことを理解していたみたいだ。
「そう言われたら伝えるようにって伝言があるんだけど……。
『手伝ってくれてありがとう』だって」
エドガーが王都で贋金をばら撒き始めたから捜査が大きく動き始めた。
自分一人では無理だったからありがとう。
そう言っていたらしい。
伝えられたお礼の言葉に唇を震わせて拳を握りしめた。
その胸の内にどんな感情が去来しているのかは俺にはわからない。
喜びなのか、悔しさや怒りなのか。
わずかに俯かせた顔の下でどんなことを考えていたのか。しばらくして顔を上げたエドガーの顔は晴れやかなものに見えた。
「……っ」
しかし俺の視線に気づいて口元を歪めた。
素直じゃないな。
わざとらしく皮肉な笑みを浮かべるエドガーにそんなことを思う。
「これでジジイ共が消えたら最高だったんだけどな」
薄く浮かべた悪意のない笑みを見られたことを誤魔化すようにエドガーが話題を変える。
「そうかな、これまでの贅沢な生活を奪われ一生を牢の中で過ごすっていうのもそこそこの罰だと思うんだけど」
夏熱く冬寒い、食事だって今までとは比べ物にならないだろうし。
ジジイというのがエドガーの父親たちのことであれば彼らはもう外の光を浴びることはない。
生涯を牢の中で過ごすことになるだろう。
死罪に比べたら遥かにマシでも辛い余生を送ることになる。
「だからテメエは甘いんだっつの。
そんなんだとつけあがるヤツらが出てくるぜ」
すでに調子に乗ってるヤツがいるんじゃねえの、と言うエドガーに首を傾げる。
聞きようによっては心配しているようにも聞こえるが……。
それを言ったらまた怒るだろうからなと流して別の答えを口にする。
「そのあたりは新しい国王と四侯が上手く締めてくれるから大丈夫だよ」
死罪がないことを除けば特段甘い処分ではない。
この事件でかなりの家が貴族名鑑から消えることになる。
当主や関係者だけを処刑し家の存続を許した判例と比べてどちらが重いというものでもないが、貴族たちには衝撃を以て受け止められるだろう。
「人任せかよ」
人任せかと揶揄するエドガーへそうだねと答える。
俺の答えが面白くないのかに眉間にシワを作って黙った。でもそれは俺の出る幕じゃないし。
「文官たちの反対も抑えられたし、後は行く末を見守るだけだ」
俺が関われる範囲のことは終わった。本来ならそれもできなかったのだから、関わらせてくれた人たちには感謝しているし結果にも不満はない。
しかしエドガーはまだ文句を言いたそうだ。
「反対されなかったのは意外だな。
無駄な金を使うことに渋い顔をするだろ」
「逆に言えば財源があれば反対はされないってことだよ。
エドガーの家や公爵家、それから他の関係先からも徴収した金があるからね」
接収した、もしくはこれから接収する私財や領地で財源は十分だと笑うと頬杖を付いていたエドガーが目を見開く。
「それだって無限じゃねえだろ」
絶対文句を言うに決まってるぜと言うエドガーにその辺りは考えてると答える。
「うん、だから文句が言えなくなるようにちゃんと考えてあるよ」
俺の答えにと訝しげに眉を寄せる。
「出てくる料理が突然粗末な物になったら危機感を覚えるんじゃないかなって」
にこりと笑って告げる俺へエドガーが意味のわからないといった顔を向ける。
「接収した私財で収監の費用を賄うつもりだけど、収監される人たちは自分たちにどのくらいお金がかかっているか想像できないんじゃないかと思うんだ」
真っ当な収入では足りないと犯罪に手を染め贅沢を極めていたのだ。
与えられる食事や寝床がどの程度か想像できないのではないかと思う。
それに、彼らは徴収した金額がどのくらいになったのか知らない。
「普通に与えられる食事に満足していた、あるいは不満を持っていたとしても食べられる程度だった。
それがある日突然粗末な物になったら?」
看守に詰め寄っても予算の都合だと返ってくるばかりの彼らがどう感じるのか。
予算が無いから食事が酷い物になった。ならばこの先はもっと酷い物が出てくるのではないか、そう不安を覚えるだろう。
牢に入っている者の唯一の楽しみは食事だと聞く。
それが段々粗末になっていくのは堪えるのではないだろうか。
今回の事件で出たかなりの数の囚人を全て賄えるのか、この先何年何十年も。
金が無くなったら今あるものすら出されなくなり、飢えて死ぬかもしれない。
それは恐怖だと思う。
実際には潤沢な財源があるが。
「最初は十分満足していた食事の量が減り、種類が減り、安い素材を使った物になっていく。
具体的に言うと朝食が毎回味の薄いクレープになる。
そして段々添えてあったジャムの種類が減って、そのうちジャムも無く砂糖をかけた物だけになり、最後には生地しかなくなるとか。
結構嫌だと思うんだけど」
贅を尽くした濃い味に慣れているとシンプルな物が続くのは辛いと聞く。
ソルブ粉を混ぜ込むとより効果的だ。
時折予算が残ったからと味の濃い腸詰を使った料理などを出せば薄味に慣れすぎることもなく、たまの楽しみのために大人しくなること請け合いだと思う。
しょうもねえ……、と小さく呟くエドガー。
結構辛いと思うんだけど。俺は幼い頃3日続けてソルブ粥が出てきた時には泣きそうになった。クレープならまだ良かったのに。
あれは辛かったと思い出しているとエドガーの言葉にはまだ続きがあった。
「けど、アイツらには効果的だろうな。
それにソルブ粉を使った物なんて家畜の餌だとでも思ってそうだから、さぞ屈辱だろうよ」
楽しそうな笑みが口の端に乗る。
悪い顔になっているエドガーを見ているとにやりと笑みを深めた。
「オマエ、本当に結構イイ性格してるな」
質悪ぃと笑うエドガーに苦笑を向ける。褒められてるみたいだけど複雑だな。
「ジジイ共への嫌がらせになると思うと愉快だな」
「別に嫌がらせのつもりはないんだけれど」
大人しくさせるのが目的であって。
十分嫌がらせだろと笑うエドガーに、喜ばれても困るなと思う。
楽しそうなエドガーに少し考えて提案する。
嫌がらせならこっちの方が良いだろう。
「情報提供のお礼にレイチェルと近くの牢にしてあげようか?」
「は?! ふざけんな、止めろ。
アイツマジうるせえんだよ」
なんだか満足そうなエドガーに意趣返しではないけれど一言いいたくなってしまった。
「嬉しくない?」
「嬉しいわけねえだろ!
俺がアイツに近づいたのは扱いやすそうだからと財産が魅力的だったからだ。
あと何の呵責も感じなくていい程度に自己中だしな」
……呵責を覚える心があったら人に重罪の罪を着せようとはしないと思うが。
レイチェルと出会ったばかりの頃にはそんな心があったのだろうか。想像がつかないな。
利用しただけだと明け透けなエドガーの発言に、よく似た二人だなと感想が浮かぶ。
「レイチェルも清々しいほどエドガーの話をしないんだよね」
前に収監されているレイチェルに会ったけれどエドガーの話を一切しなかった。
自分がどうなるかと家族の話くらいで。打算で近づいたエドガーはともかくレイチェルはエドガーを好いているように見えたんだけど、わからないものだ。
「アイツは自分を一番に可愛がってちやほやしてくれる相手が好きなだけだ。
要は自分が一番好きってことだな。 覚えがあんだろ?」
エドガーの言葉に当時を思い返してそうかもなと頷く。
自分の全てを肯定して愛してくれる父母の下で育ったレイチェルは確かにそういうところがあった。
天真爛漫に見えて自分勝手で。
世界の誰もが自分を無下に扱わないと考えているからこその傲慢さがあったと今なら思える。
それはそうなんだけど……。
「その通りだけどエドガーに言われるのもなんかね」
それを利用していたエドガーが言うのもどうかと思う。
不機嫌そうに鼻を鳴らすエドガーにもう少し考えてみた方がいいのかと思案に暮れる。
何か一つくらいエドガーが嫌がりそうなことを。
「テメエ、何考えてる?」
不穏な気配を感じたのかエドガー不審な顔を向けるので正直に答える。
「え? 何かエドガーが嫌がりそうなことをしたいなって」
「阿呆か! 普通思っても言わねえだろ!」
「そうかな、でもこれからエドガーが嫌いな物が出てくる度に俺からの嫌がらせかもって思うかもしれないし」
それは中々の嫌がらせじゃないかと思う。
現状何も思い浮かばないし。
「くっだらねえ……。
一々そんな小っちぇえ嫌がらせしてる暇なんてねえだろ東侯のご子息様には」
エドガーの言葉に目を瞠る。
俺はここに来てから一言も自分のことは話していない。
にやりと笑みを向けるエドガーに感嘆混じりに呟く。
「空恐ろしいね……」
どうやって聞いたのかはわからないが捕らえられ制限のある身でどこからか情報を得たらしい。
――もったいない。得意げな顔を向けるエドガーにそう思う。
この能力をどうしてもっと真っ当な道に生かさなかったのかと。
言っても詮無いことを考えてしまう。
「わかったらさっさと帰れよ。
俺はお前の顔なんて見たくねえんだっつーの」
一つだけ。エドガーがすごく嫌がりそうなことを思いついた。
けれどそれを実現するのは今の俺では難しいだろう。
いつか自分にその力がついて、彼が変わったなら。
そんな計画とも言えない曖昧な考えが浮かぶ。
実現させられるかも、する意味があるかもわからない。けれどもしかしたら。
この得意げな顔にとびきりの驚愕を与えられる日がくるかもしれない。
来るかわからない未来に思いを馳せながら、とりあえずまた嫌がらせに顔を出そうと思ったのだった。
応援ありがとうございます!
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