13 / 36
ー 4 -
(4-3) 一日の夜に見る夢を初夢という
しおりを挟む
父は、いつも原稿用紙の束を眺めてはうなっているような変な人だった。
病室で担当医である母に叱られながらも執筆を続け、薬の代わりに資料を要求する。
それほど売れていない訳でもないけれど、本好きであれば名前を聞けば何処かで見たことがある。そう、応えるような少しだけ文才に恵まれた、そして、他の人たちよりも少しだけ、体に恵まれなかった人だった。
一度、雪が何処から来るのか父に聞いたことがある。
病室から白一色に染められていく景色を眺め、いつも原稿を書く手を止めなかった父がその時は初めて、ペン先を止めてくれたから、よく覚えてる。
「何処から来るか、知っているようでみんな知らないんだよな」
幼かった僕はその言葉をそのまま受け取って父でも知らない事があるのかと単純に驚いたのだけど、きっとそんなことじゃなかった。
知っているようで、みんな知らない。
その意味を今となっては尋ねることはできないけれど、あのとき父は、もっと他の事を伝えたかったんだと、いまの僕は思う。
降ってくる雪の仕組みを知ってしまった今だからこそ、気付けなかったその言葉の意味を。
そういえば大晦日にも同じような事を言っていたような気もする。
「この世界には知っていることの方が少ない」と。
その言葉を聞いたときは何とも思わなかったのだけど、今こうして原稿を手に取る父を眺めてみると、思うところがあった。
――二人は似ている。
作家であること、作家であることで見えている景色、感覚。在り方。
偶然なのかそれとも僕が勝手に共通点を探しているだけなのか。どちらにせよ、意識せずにはいられないほどに似ていて、だからこそ、僕は舞花に対してムキになった。冬華さんは父とは違うんだと。それは願望であり、妄想でしかない。元々似ているという話が僕の勝手な思い込みなら、これも同じことだ。
二人は違う。似ているかもしれないけれど、別人だ。当たり前のように違う人間だ。だから、そんな風に笑わないでくれ。
「……父さん」
いつも病室で見ている冬華さんと同じ笑みを浮かべる父を見て、僕はかける言葉が浮かばない。
これはきっと夢だ。父さんはもういない。だから、考える必要なんてないのに僕は父さんに何かを話したくて、あまつさえ泣きそうになっている。
母さんが父さんが逝ってしまった後、どんな風だったのか。父さんの事を本の虫を通り越して本そのものになってしまったと笑っていた祖母が父さんと同じところに行ってしまったこと。相変わらず、隣に住んでいる舞花はやかましいということ。
伝えたいことは沢山ある。
伝えて、父さんの話声を聞きたいことが沢山ある。
なのに、僕の喉はかすかに音を奏でるばかりで言葉になりはしない。
そっと、父さんの手が僕に触れた。僕の頬に、柔らかな笑みが映る。
父さんは何も言ってくれない。困ったように僕を見つめて微笑みながら、ただ、見つめ返し、そしてまた物語を綴る。
あの頃と同じように。僕と何かを話すよりもそっちの方が大事なんだと思ってしまう程に。
僕は、父さんの物語を未だに読み切ることが出来ていなかった。どうしても、自分よりも愛されていたように感じる登場人物たちを好きになれなかったから。馬鹿げた、子供じみた嫉妬心だとは分かっているのだけれど。
「そんなに大事なの。お話を書くのって。……僕には分からないよ」
父さんはただ黙って頷く。ただ原稿を綴り、キリのいい所まで書き進めると僕に手渡して来る。
僕はそれを受け取るかどうか悩んだ末に、父さんの困ったような笑みに根負けし、しぶしぶ受け取る。だけど、涙で滲んだ視界では文字を掬うことはできなかった--。
翌朝。ベットの上で目を覚ました僕はぼんやりと今見た夢を思い返して、とんだ初夢もあったもんだと少しだけ掠れてしまった目を擦った。体を起こしーー、けれどひんやりとした室温に耐え切れず、布団を頭まで被ると二度寝した。だから次に起きた時にはこの夢の事は全く覚えていなかったし、思い出したのも随分と後になってからだった。
父さんの伝えたかった意味も。その時の僕には全く分からないままだったんだ。
病室で担当医である母に叱られながらも執筆を続け、薬の代わりに資料を要求する。
それほど売れていない訳でもないけれど、本好きであれば名前を聞けば何処かで見たことがある。そう、応えるような少しだけ文才に恵まれた、そして、他の人たちよりも少しだけ、体に恵まれなかった人だった。
一度、雪が何処から来るのか父に聞いたことがある。
病室から白一色に染められていく景色を眺め、いつも原稿を書く手を止めなかった父がその時は初めて、ペン先を止めてくれたから、よく覚えてる。
「何処から来るか、知っているようでみんな知らないんだよな」
幼かった僕はその言葉をそのまま受け取って父でも知らない事があるのかと単純に驚いたのだけど、きっとそんなことじゃなかった。
知っているようで、みんな知らない。
その意味を今となっては尋ねることはできないけれど、あのとき父は、もっと他の事を伝えたかったんだと、いまの僕は思う。
降ってくる雪の仕組みを知ってしまった今だからこそ、気付けなかったその言葉の意味を。
そういえば大晦日にも同じような事を言っていたような気もする。
「この世界には知っていることの方が少ない」と。
その言葉を聞いたときは何とも思わなかったのだけど、今こうして原稿を手に取る父を眺めてみると、思うところがあった。
――二人は似ている。
作家であること、作家であることで見えている景色、感覚。在り方。
偶然なのかそれとも僕が勝手に共通点を探しているだけなのか。どちらにせよ、意識せずにはいられないほどに似ていて、だからこそ、僕は舞花に対してムキになった。冬華さんは父とは違うんだと。それは願望であり、妄想でしかない。元々似ているという話が僕の勝手な思い込みなら、これも同じことだ。
二人は違う。似ているかもしれないけれど、別人だ。当たり前のように違う人間だ。だから、そんな風に笑わないでくれ。
「……父さん」
いつも病室で見ている冬華さんと同じ笑みを浮かべる父を見て、僕はかける言葉が浮かばない。
これはきっと夢だ。父さんはもういない。だから、考える必要なんてないのに僕は父さんに何かを話したくて、あまつさえ泣きそうになっている。
母さんが父さんが逝ってしまった後、どんな風だったのか。父さんの事を本の虫を通り越して本そのものになってしまったと笑っていた祖母が父さんと同じところに行ってしまったこと。相変わらず、隣に住んでいる舞花はやかましいということ。
伝えたいことは沢山ある。
伝えて、父さんの話声を聞きたいことが沢山ある。
なのに、僕の喉はかすかに音を奏でるばかりで言葉になりはしない。
そっと、父さんの手が僕に触れた。僕の頬に、柔らかな笑みが映る。
父さんは何も言ってくれない。困ったように僕を見つめて微笑みながら、ただ、見つめ返し、そしてまた物語を綴る。
あの頃と同じように。僕と何かを話すよりもそっちの方が大事なんだと思ってしまう程に。
僕は、父さんの物語を未だに読み切ることが出来ていなかった。どうしても、自分よりも愛されていたように感じる登場人物たちを好きになれなかったから。馬鹿げた、子供じみた嫉妬心だとは分かっているのだけれど。
「そんなに大事なの。お話を書くのって。……僕には分からないよ」
父さんはただ黙って頷く。ただ原稿を綴り、キリのいい所まで書き進めると僕に手渡して来る。
僕はそれを受け取るかどうか悩んだ末に、父さんの困ったような笑みに根負けし、しぶしぶ受け取る。だけど、涙で滲んだ視界では文字を掬うことはできなかった--。
翌朝。ベットの上で目を覚ました僕はぼんやりと今見た夢を思い返して、とんだ初夢もあったもんだと少しだけ掠れてしまった目を擦った。体を起こしーー、けれどひんやりとした室温に耐え切れず、布団を頭まで被ると二度寝した。だから次に起きた時にはこの夢の事は全く覚えていなかったし、思い出したのも随分と後になってからだった。
父さんの伝えたかった意味も。その時の僕には全く分からないままだったんだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる