春にとける、透明な白。

葵依幸

文字の大きさ
16 / 36
ー 5 -

(5-3) 僕らの元に彗星は落ちてくる

しおりを挟む
「……あれが落ちてくるんだよね?」

 すっかりと暗くなった夜空に浮かぶ彗星は、他の星よりも一段と輝いて見える。肉眼ではどれだけ近づいたのか分からないけれど、着実にそれは僕らの元へと歩み寄って来ていて。冬華さんの病よりもはっきりと、見て取れた。

「冬華さんが呼んだっていう設定じゃありませんでしたっけ?」

 確かあれは河川敷を歩いていた時の話だったか。
 いまとなっては随分と昔の事のように思えるし、思えば、あの時から冬華さんはきっと真面目にそう言っていた。

「そ。呼んだの。私一人が死ぬのは嫌だって。だったらこの世界も滅んじゃえばいいのにって思ったら本当に来ちゃった」

 嘘か本当か。考えるまでもなくその破滅的な願いを聞き届けた神は存在しない。ただ、一人で死にたくないと願った冬華さんがいて、たまたまそこに全人類の滅亡が重なっただけだ。なのにその他大勢の死を宣告された人たちはそれを直視出来てはいない。ただなんとなく、他人事のようにそれを感じ、そして多分、いざとなって慌てるのだろう。死ぬ、準備が出来ていないと。

 だけど、本当の意味で準備なんてできやしない。やろうと思ったって、きっと、出来ない。冬華さんもきっとそうなんだ。

「傍迷惑な神様せんせいですことで」

 僕だって、半年後。本当にアレが落ちてくるとは考えていない。
 何らかの要因で、万が一の可能性で、それはズレて、なんだかんだで明日が続いていると思っている。

 だけど冬華さんにはそんな明日はきっとやってこない。彗星がぶつかる可能性と、病気で体を蝕まれる可能性。どちらが高いかなんて考える余地もない。そして、どちらが死因になるかだなんて。

「作家としては、その瞬間を目に収めたいって思うのが生まれ以ってのごうだと思うんですけどね」
「人類滅亡の瞬間を? いいね。もしも生き残ったら私が新たな世界の神話を綴ることになるよ」

 何もなくなった荒廃した世界に一人、原稿用紙とペンを片手に挑む愚かな作家。そんな彼女を僕は何処かで期待し、見続けたいと思う気持ちがある。それがどういうことなのか、いまいち分からないのだけど。

「以前一度さ、私がどうしてお話を書くのか聞いたことあったよね」

 冬華さんはまた窓の外に目をやっていて、いつもは耳に掛けている髪は流れ落ちているので横顔は伺えず、何を考えているのか推し量るのは難しい。

「君にはきっと分からないって言ったけど、いまでもやっぱり分からないと思うんだよね。君は私と違うから。……アレは君の元には落ちてこない。少なくとも、今はね」

 いつか、そう遠くない未来。この地上に落ちてくるはずの彗星。それが外れると冬華さんは言うけれど、きっとそんなことはない。あれは等しく、この地球上に住む人々の上に等しく死神を連れてくる存在だ。

「彗星が冬華さんの頭の上だけに落ちてくるとでも? なんだかシュールな絵面ですね」
「今からでもバッティングの練習すれば打ち返せたりしたりして」

 笑ってはみせるけれど、もう心は笑ってはいなかった。そんな姿を見ていると、この人はほんとにもう死を受け入れているんだと思えてしまって放っておけなくなる。僕たちとは違うのだと、見切りをつけてしまっているのだと。自分自身に。
 そんなことはなく僕らはそう違わない。なのに一人、一歩先を歩いてしまっている。

「分かって……欲しいわけじゃ、ないんだけどな」

 そういったきり、冬華さんは黙り込んだ。

 ついて出た弱音を聞いてしまってよかったのかどうか悩んだってのもある。
 言葉を探すうちにタイミングを見失って、沈黙が訪れる。

 どうせ死ぬなら、みんな一緒が良い。
 そんな風に祈る事は悪魔だろうか。

 決して救われることのない自分一人が悲劇の中にいるわけではないと、病という形ではなくても、それは誰しも、当然のように訪れるものなのだと、思うことの何が――、

「……? 冬華さん……?」

 ふと、違和感を感じた。俯いて、独りにして欲しいって事なのかとも思ったけれど妙に息遣いが荒い。心配になり様子を伺おうとのぞき込むと急に細い体が倒れこんできた。

「ちょっ……、と、とうかさんっ……?」

 身体で受け止め、冬華さんも僕にしがみつく。掴んできた指先が、驚くほど熱い。

「好きだよ。葉流君。君の事はきっと忘れない……」

 虚ろな言葉が耳に届いたかと思えばそのまま全身から力が抜けた。倒れこむ冬華さんを必死で支え、ベットに寝ころばせる。

「冬華さんっ……?! とうかさん!! とうかさん!!!」

 荒い息遣いのまま意識を失った冬華さんに気持ちが動転し、そこにナースコールがあることにすら気付くのが遅れた。事態に気付いた看護師さんが病室に飛び込んできて、遅れてやってきた母に先に帰るように告げられるまで僕はただ茫然と立ち尽くす事しか出来なくて、改めて、本当に何もしてあげられないという事実を思い知った。

 帰り道、一人で見上げた夜空にはうるさいほどの星々が煌めいていて、その中でも際立って存在感を放つそれが、鬱陶しくて仕方ない。僕は、彗星を睨みつけると視線を落とし、受験が終わったというのに一切の解放感も味わえないまま、自宅へと戻る。

 冬華さんのそれは、ただの風邪だったと後で聞かされた。

 けれど、その時胸に生まれた小さな塊は日々の中で少しずつ大きくなっていって。
 本当に「それ」を迎えてしまったとき、僕は冬華さんの「それ」を到底受け入れきれないんじゃないかと、思うようになった。

 冬の空は、不気味なほどに透き通っている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...