恋はかならず冷めるから

烏山川るう

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第二章

第十三話 ハッピーワゴン

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 シエナも食べられるように買ったヨーグルトクリームのケーキ。怜の分を取っておいたけど、冷蔵庫を覗くことも団欒もないまま再び大阪へ行ってしまった。

「急用なんだ」

 そっか。

 私の心はズシンと沈む。

 この浮き沈みの激しさはうつではないかと不安になって、定期健診で相談してみた。おそらく違うと言われたけれど、心配ならばとセラピストに相談することができた。やっぱりうつではないらしい。その大きな理由は、子供に対して苦を感じていないこと。暗い気持ちになるのが怜についてに限られていること、だそうだ。

「今度、ぜひおふたりでいらしてください」

 と言ってくれた。出産後の性行為は、産後うつを引き起こす要因のひとつとされているらしい。ただし、たいていは女性が育児でそれどころではなくて消極的になってしまい、男性が拒否されたと思うとのこと。私の場合は逆だ。だから、うつには該当しないと見ていると教えてくれた。
 
(一緒にカウンセリングに行こうと言えるなら、私がダメな原因も聞けている)

 そう思ったけど言わなかった。

 自分が嫉妬深いのは認識してる。でも今まで付き合った人たちはいわゆる一般人。テレビや雑誌に載る著名人ではなかったから、ここまで気にならなかったのだと思う。怜と会うまでわからなかった。嫉妬心が強ければ、自分が卑屈で嫌な人間になる。わかっていたから避けたのに、怜は扉をこじ開けてきた。

「でも、市野さんと一緒になるのを決めたのはすいでしょ」

 有希のランチタイムに会いに行った。私が休んでいる間もしょっちゅう家に来て、会社のことや自分の近況を教えてくれる。子供はそこまで好きじゃないみたいなのに。幸い、今日のシエナはベビーシートの中で眠ってしまっている。久しぶりの会社近くにあるご夫婦経営の小さなフレンチレストラン。長いこと通っているから、シエナを連れて行くと孫みたいにかわいがってくれた。

「いい感じだよ」
「いい感じ?」
「翠がそんなにジタバタわめいてるのを見たことないから」
「わめいてないよ」
「いいね。泣いてわめいてしてれば、老けないしボケない」
「ひどい。劣化を気にしてるのに」

 有希は彼ができて、またピカピカクール女子。正直言ってうらやましかった。

 この卑屈な感じも嫌だ。私はいつからこんな人間になったのだろう。いつでも何に対しても、少し距離を取ってあっさりとした関係を保てていたはず。だから、怜と出会った頃にはもっと単純でかわいげも魅力もあったと思う。

「でもさ、結婚して子供できてうれしいこともいいこともたくさんあったでしょ。それをくれたのも市野さんだよ」
「わかってる」

 有希は正しい。私は彼以外の誰とも、ここまで深い関係になることはなかったのだから。

「翠は裏切られたら倍返しするタイプでしょ。市野さんが本当に浮気をしてるなら、翠もすればいい」
「子持ちの相手なんて誰もしない」
「すごいネガティブ。仕事してた方が紛れるのかもね。時間も限られるし」
「私もそうかなと思う」
「産休が終わったら、忙しくて夫婦関係なんてどうでもよくなったりしてね。その方が都合がいいと思ったり」

 でも、まだ産休明けまで半年弱。自分のなかで、このままではいけないという気持ちが強い。

『翠も浮気をすればいい』

 さっきの有希の言葉が頭をよぎった。本当にそうだ。浮気をしたいというよりは、私がどのくらい女としてダメなのかを確かめたい気持ちがあった。怜だけに嫌われたのか。男性全員から見て魅力がないのか。

「ねぇ、最近もう合コンしてないの?」
「行きたいの?」
「行きたい」
「シエナちゃんはどうするの?」
「預ける。子持ちなことは隠す」
「そんなに意地張らなくても」
「意地を張ってるんじゃないよ。もう誰の目にも魅力的に映らないなら諦める。怜が悪いんじゃない」
「いい人がいたらどうするの?」
「それはそれでいいじゃない。浮気しなよって言ったの有希だよ」
「知らないよ~」
「遊びの相手にすら選ばれないのかはっきりさせたいの」

 そうとなると生命力がみなぎってきた。ものすごく久しぶりの感覚だ。やっぱり私は女をさぼっていた。髪と爪をきれいにしなくちゃ。怜の周りには素敵な女性がいっぱいいる。いつでもその中の一番でいないとダメなんだから。


■■■■■

 大阪に何があるんだろう?

 離れている時間が長いと、一緒にいる時よりずっと何をしているのかが気になってしまう。LINEを控えているのは向こうも同じ。昔は流れ星を見ただけでメッセージを送ってくれたのに……。起きずに朝までスルーしたから怒ったのかな。

 仕方がないから怜のSNSを見る。彼のSNSは自分たちのプロジェクトやメディア出演のお知らせと『○○さんとお会いしました』といった投稿がメイン。私とのことも載せたいと言われたけど断った。こんな有名人と一緒にいることを不特定多数の人が知ったらめんどくさい。でも、バッサリ斬り過ぎた。そんな私の振る舞いが彼を傷つけたのかな。

(もう少し考えてあげればよかった)

 単純に欲求不満なだけなのかもしれない。そう思って、シエナが寝ている時にアダルトビデオを観てみた。でも困った。かろうじてストーリーはあるものの、全然入っていけない。お顔と胸の派手なお直し具合に「触って平気?」「男はこういう顔と胸が好きなの?」とどうでもいいことにばかりに興味が行く。それに、

(こんなガリガリの細い体にメロンみたいな胸の女がいる訳ないでしょ)
(制服で学校ものが多いのは、みんな学生時代にセックスできなかったから)

 世の男に現実を教えてあげたい気分になっていた。

 女優さんたちが一瞬、キスしたくなさそうな顔をするのはおもしろかった。だって、彼らの行為で気持ち良くなれると思えない。女性もプロだから喘いでくれるけど、これ痛いでしょ。犯罪まがいのストーリーばかりなのも気になって、まったく欲求不満は解消できなかった。

(ここに出てくる男の人に比べたら、怜は最高すぎてミシュヤンガイドに載せたいくらい)

 そうか。

 ハッピーワゴンだ!

 昔読んだ児童文学に書かれていたことを突然思い出した。ハッピーワゴンは登場人物の女の子の部屋に置かれた手で引くタイプの小さな荷車で、女の子は幸せなことがあると小石をひとつ入れ、不幸せなことがあるとひとつ取り除く。

 自分がどれだけ幸福か、目に見えないから不安になる。きちんと測ってみれば、私にはきっと幸福の方が多いはずだ。何も不安になることはない。それを自分にわからせたかった。

 だけど、私の家にワゴンはない。買ったとしても、ここは東京のマンション。アリゾナの一軒家に暮らす女の子より“そこら辺の小石”を手に入れるのはずっと大変だ。もっと小さくてさりげない代用品を考える。シリアルやパスタの粒は怜が食べてしまいそう。サプリの錠剤もダメだ。まち針を針山に刺すのはシエナが危ないし。

 クローゼットの中を見回している時にひらめいた。アクセサリーだ。シエナが引っ張ろうとするから、最近は全然つけずに、きちんとジュエリーボックスに収納してある。使っていないガラスの花瓶を隣に置いて、幸せだったりポジティブな気分を感じたらアクセサリーをひとつ花瓶に入れていこう。

(今日はシエナがレストランで褒められたから、ひとつ)

(ハッピーワゴンを思いついたから、もうひとつ)
 
 ガラス瓶の底に転がって光るアクセサリーを見ると、心が穏やかになった。

 花瓶の中のアクセサリーは、毎日少しずつ増えていく。ピアスやバングル、ネックレス。わかりやすさを重視して大きめの物を選んでいるから、見た目もきれいだ。

(今日はシエナがママと言った気がしたから、ひとつ)

(怜から連絡がないまま一週間、ひとつ取り出す)

 想像していたより幸せが増えない……。


 ある日の怜のSNSは最悪だった。

 前に見た女性は大阪の案件の関係者みたいだ。その日は素敵なドレス姿。誰が見てもきれいな人。シックなレストランにふたりで座って、小洒落たカクテルを片手に乾杯していた。

(カクテルなんて飲まないのに)

 なんで学習してくれないんだろう。つきあう前はどうでもいいと素っ気ない態度を取ったけど、一緒にいるようになってからは態度で示してきた。怜も私が嫌がるとわかってくれたと思っていた。でも彼はこういう人なのだ。年齢、性別、地位に隔てなくフレンドリーに振る舞う能力は、ビジネスの世界で強みになっているのだろう。そうやって、自分の才能を金銭的にも社会的にも成功するよう導いたのだ。

 悪いのは怜じゃない。いちいちSNSを見るから悲しくなる。元は彼に半ば強制的にフォローさせられただけで、ネット上でやりとりをすることはない。だったら……。

 ピッ。

 私は、怜のアカウントのフォローを外した。

 今日はワゴンにひとつアクセサリーを入れよう。最高にポジティブな気分だ。


「あうー。あーまーあーまー」

 胸に抱いたシエナが興奮していた。おっぱいをあげながらボーッとしてしまっていた。気づくと私の指、というか指輪をつかんで口に入れようとしている。

「あー、これはダメ」
「んーーー。あーーーー!」

 ダメだと言われて怒る。

「こっちにしよう。シエナちゃーん、シナモンだよー。一緒に遊ぼう」

 父からもらったコーギーのぬいぐるみを大げさに揺らしたり、顔に近づけたりしてシエナに渡す。ぬいぐるみが目に入ると、大きな耳とおしりを噛んだ。たぶん彼女なりの愛情表現。これでしばらくコーギーに夢中でいてくれる。

「はぁ」

 ため息をついて立ち上がる。
 
 シエナはやっぱりアクセサリーをいじってしまう。何かの拍子に食べてしまったらと思うと恐ろしい。

 だから私は寝室のクローゼットに行って指輪をはずした。スクエアカットの大きなダイヤモンドがついた婚約指輪。怜が私にプレゼントしてくれた物だ。そして、シンプルなプラチナの結婚指輪。お返しにとおそろいで私が買った物だ。この二つはボックスを捨てないでとってある。そこに収納しようと思ったのだけど、気づくとガラスの花瓶に落としていた。

(小説の女の子のハッピーワゴンはどうなったんだっけ?そうだ、最後には空っぽになってしまったんだ)

 あの物話はハッピーエンドではなかった。ティーンエイジャーならではの過ちと教訓と後悔を、女の子と男の子の両方に残して終わったんだ。私たちはこれからどうなるのだろう?

 指輪をはずしたら、途端に怜を遠くに感じて悲しくなった。涙が出てきて嗚咽に変わる。どうしよう。戻ってきてくれなかったらすごく悲しい。遠くで、置いてけぼりにされたシエナの泣き声が聞こえる。行かないと。自分のことは後だ。涙をこらえてシエナの元に走る。

「ひとりにしてごめんね」

 無理やり笑顔を作って話しかける。寝返りを打って私を探すシエナは、コーギーを放り出して怒りを表現していた。

「ほら、シナモン抱っこしよう」

 シエナとシナモンをまとめて膝に乗せて、ポロポロと頬を伝うシエナの涙をぬぐった。顔をクシャクシャにして「あーあーあー」と泣くシエナ。見ているうちに私の目からも涙があふれてきた。

「シエナ、ママ寂しい」
 
 ワンワンワンワン泣いてしまった。

 こうなったら止められない。シエナが泣き疲れて眠りベッドに寝かせられるまで、私も好きなだけ泣いてしまいたい。気にすることなんてない。だって、私たち以外に誰もいないのだから。

 夜になっていくシエナの部屋で、ベッドの壁にもたれてシエナを抱きしめた。

「あーあーあーあーあ!」
「ウワーーーーーーン!」

 シエナに負けないくらいの大声を出したら、ちょっとだけスッキリしたような気がした。

「どうした!?」

 突然聞こえた声に体が固まる。

 顔を上げると、子供部屋のドアに怜がいた。
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