恋はかならず冷めるから

烏山川るう

文字の大きさ
22 / 24
第二章

第十四話 吐露

しおりを挟む
「何があった?」

 突然現れた怜は、走ったのか息を切らしていた。

(なんでいるの?)

 私はシエナと自分の涙をぬぐって、泣いた形跡を消そうとした。

「何もない」
「二人で泣いてて何もないなんておかしい。病気?具合悪い?」

 怜もベッドに上がってきて、シエナの顔を覗き見る。彼女はもうウトウトし始めていた。

「ううん」
「じゃあ何?」
「……シエナかわいいなと思って見てたら泣いちゃっただけ」

 引きつった笑顔で答えると、怜はため息をついた。

「言ってくれなきゃわからない」
「どうしているの?」
「帰ってきた」
「大阪のはずでしょ?」

 共有しているカレンダーには、ずーっと大阪と確かに入力されていた。

すいの誕生日だったの思い出して」

 誕生日だってカレンダーに入れてある。

 もう一週間も前のこと。

 私は誕生日すら忘れられる女。それはもういい。

 だけど、また花の香りがする。これは止めてほしかった。

 寝息をたて始めたシエナをベッドに寝かせて、布団をかけた。寝顔を眺めながら、私も寝られたらいいのに。でも今日は邪魔になってしまうから、仕方なく部屋を出た。

「私たちは大丈夫だから、早く大阪に戻って」
「翠。泣いてた理由を話して?理由は俺?」

 前に立って、行く手を阻まれる。

「違うよ」
「俺に怒ってるんだね。俺の誕生日はいつも祝ってくれてるのに、俺は一度も一緒にいてあげてない」
「別にいい。誕生日なんてとっくに過ぎたし」

 トゲのある言い方になってしまった。だって、このまま話を続けたら泣きそうだったから。
 
「ケーキとご飯を買ってきた。プレゼントもあるよ。ふたりでお祝いしよう」
「私のことはいいよ。もう寝るし。早く仕事に戻って」
「戻らないよ」
「ちょっ、触らないで!」

 突然、腕をつかむから激しく拒絶してしまった。怜は出した手を引っ込めることも忘れて、目を丸くしている。

「どういうこと?」

 まずい。本音が出てしまった。

「触らないでって。指輪もはずして、あの男と浮気でもしてるの?」
「浮気?」
「真面目そうで爽やかなイケメンと仲いいよね」
「佐田さんのこと?シエナのお友達のお父さんだよ」
「赤ちゃんに友達なんてできないでしょ」

(遊びに連れて行ったことがない怜にはわからない)

 なんて意地悪は口にしなかった。唇を噛んで我慢する私に、怜は続けた。

「ケンカをしに来たんじゃない」

 今度は肩をつかまれた。

「嫌だ。やめて」
「俺に触られるのがそんなに嫌」
「他の人を触った手なんて触ってほしくない」
「他の人?」
「もう寝たいの」
「翠!」
「心配なフリしなくていい」
「するよ。何があった?俺が何かしたんだよね?」

 最低。本当はわかってるくせに。

「もうヤダ」
「ちゃんと話そう。なんでも聞くから」
「だから触らないで!その匂いも嫌!」
「匂い?俺、なんか匂いする?」

 寝室のベッドに潜り込もうと思ったけど、怜がいるなら彼も寝る。ならば私は、シエナの部屋へ行こう。

「翠。放っておいて悪かった。SNSで楽しそうにしてるのは見てたから問題ないと思ってた」

 手を離してほしいのに、逃れようとすればするほど力を込めてくる。

「翠の産休に甘えて、家のことを全部任せてたのも悪いと思ってる。出張もかなり入れてたし、怒られてもしょうがない。本当にごめんなさい。全部直すから怒ってる理由を教えてください」

 私の前に正座をして頭を下げていた。白々しいと思う。それに、私が一方的に怒っていると思われていることに腹がたった。これはふたりの問題のはず、私だけが悪いんじゃない。

 もう疲れた。感情を制御できずに腹を立てる、惨めな私。

「こっちが教えてほしいよ」
「何を?」

 優しく努めようとする姿にすらイラっとした。

「私を避ける理由」

 言った。もう出て行こうと思った。

「失礼しちゃう。あなたが望んだから結婚したし子供も産んだのに、いざ生まれたらさっさと興味を無くすなんて。嘘をつくにも限度があるでしょ。太るとか老けるとか当たり前だから。女は死ぬ思いで子供産むんだよ。それなのに母親だ、もう女じゃないとか何様なのよ。ワンオペで睡眠時間も自分の時間もなくて大変なのに、それでもキレイでいようと髪とか肌とかお手入れがんばったのに。体重なんか減ってるよ。SNSで楽しそうだって本気で言ってる?私はあなたのSNSなんか見てない。イライラする投稿ばっかだもん。でも私は平気。あなたに相手にされないなら、別の人を探す。シエナは私が育てるから心配しないで。だけどシエナが独り立ちするまでは、彼女に害が出ないようにいい親を装ってね。それさえしてくれれば、私は何もいらない。心配も誕生日もプレゼントもいらない!女遊びもすればいい!」

 一気に口から出た。私のプライドは粉々だ。でも悪いのは私。父も兄も散々だったのに、それでも男を信じた私だ。

「女遊びなんて絶対してない」
「じゃあ、本気なのね?それでも構わない」
「本気なんて」
「ああ、プロってこと。それもいいと思う」
「違うよ!」

 怜が怒った顔をしている。

「翠以外の誰とも寝てなんかいないよ」
「そんなのありえない。一日だって我慢できなかった人が、どうやって半年もしないでいられるの?」

 私は間違ったことを言ってない。 怜が深いため息をついた。

「我慢してる。俺は翠を殺したくない」

 呆れた。
 殺したくないって何なの?
 もっといい言い訳があるでしょう?

「殺すとか意味わかんない」
「真面目に言ってる。だって翠、シエナを産む時、死にかけたでしょ。あの時の後悔を俺は絶対に忘れない。もう二度と翠をあんな目に遭わせない」

 シエナは予定より少し早く産まれてきた。怜はアメリカに出張していて、私が入院になってもに側にはいなかった。入院といってもただの疲労だ。産休に入った時に終えられなかった案件の質問や対処法の指示出しをしているうちに、思った以上に疲れてしまったのだ。

 怜には絵理香が連絡してくれた。私は知らせなくていいと思ったのだけど、診察を受けている間に全部済んでいた。「父親になる人が知らないなんてダメ」だそう。私はもともと怜に分娩室に入ってほしくなかったし、彼が必要以上に心配するのもわかっていたからそう思ったのだけど。結局、彼は私の予想どおりの行動をした。

 私が臨月であること、さらに入院したことを知ったアメリカ人の商談相手は「なぜ来たのか?側にいるべきだ」と彼を即時で帰した。飛行機に乗っている間中ずっと、絵理香に様子を聞いていたらしい。私もそのことは絵理香から聞いて知っていて、ふたりで「男はおおげさ」と笑った。だって、私は怜のお義母さんが差し入れてくれた星よみ山路の栗蒸し羊羹をバクバク食べるくらい余裕だったから。

 そのままシエナは産まれてしまい、好きなだけ寝て、痛みも和らいで病院食だけじゃ足りないと思う頃に怜が来た。謝り続ける彼を逆に申し訳なく思った。だって出産で男ができることはない。本やネットで読んだ知識だけど、生理がない男は血や痛みに弱いらしい。そのため分娩に立ち会ったことがトラウマとなり、子供や子作り、妻に興味をもたなくなることがあるのだそうだ。

 それを避けても、私は失敗してしまったけれど。

「私、死にかけてなんてない」
「出張を入れたのは俺が悪い。でも翠にわかる?飛行機がノロく感じて、早く着けってずっと思ってた。なのに何もできなくて」
「絵理香が状況を連絡してくれたでしょ。大丈夫だって」
「もし急変したら?そう考えると吐きそうだった」

 男の人って本当に弱い。急変したら、その時はその時。

「あんなにいい病院で、いい先生に診てもらってたら、そう簡単には死ねないよ」
「……」
「産後の健診も問題なしだって言ったよね」
「妊娠させたら、またあの時のつらさを経験するのかと思うと、触れなかった」

 何それ。

「どうしてそんな極端な考えになるの?離してくれれば、避妊するとか方法はあるじゃない」
「そうしたら翠は愛されてないって思うだろ?」

 違うとは言えない。

「それに俺が我慢できそうにない。中途半端に触ったら絶対に我慢できない。だから完全に触らないようにしてた」

 バカみたい。

「私はもう、とっくの昔に愛されてないと思ってる。子供がほしいって言っておいて、そのくらいでヘタれるなんて弱すぎ」

 俺の苦しみも知らないで、怜の心の声が聞こえた気がした。

「夫に見向きもされないなんて、私がどれだけ惨めな気持ちでいたか怜にはわからない」

 今、この瞬間だって世界で一番と感じるくらい惨めだ。こんな思いをするなら、ひとりでいたかった。

「もういいよ」

 荷物をまとめよう。クローゼットに入ってスーツケースを引っ張り出す。

「翠?何してる?」
「一緒にいるのが辛いの」
「何言ってんの?」

 怜もクローゼットに入って来て、私をきつく抱きしめた。無理やり首に愛撫をしたり、服の中に手を入れたり。

「ちょっと。ヤダ、ヤメて!無理に触ってほしくない!」

 触られないように体を小さく丸めて泣きながら、襲われそうになったらこんな声が出そうというくらいの大声を出した。それでも怜は腕に力を込める。

「翠!翠!シエナが泣いてる!」

 怜に言われて我に帰る。耳を澄まして立ち上がろうとした時に怜に担がれた。シエナの泣き声は聞こえない。

「騙すなんてひどい」

 怜は答える代わりに、私を乱暴にベッドに寝かせた。

「ああでもしないと止まってくれないから」

 私に馬乗りになって押さえてはいるけれど、怒ってはいない。

「翠に嫌われたらと思うと怖くて言えなかった」
「……」
「辛そうなのも知ってた。半年もの間、何もなかったように過ごしてごめん」

 怜の大きな手が私の顔を撫でる。とても優しい手つきだ。でもダメだ……。この香りがまた私を意地悪な人間にする。怜から顔を背けたのに、逆に顔を近づけてくる。

「この匂い嫌なの」
「匂い?」
「誰の香水なの?」

 怜は自分の服の匂いを嗅いで確かめた。

「匂いなんてする?」
「花の香り。私の香水じゃない」
「花?なんだ。そうか。翠に話してなかった。今回のプロジェクトはフラワーアーティストの掛川さんとやってるんだ。生の花をたくさん使う」

 掛川さんは知ってる。フラワーアーティストというより空間コーディネーターと呼んだ方がいいくらいの素晴らしいアーティストだ。

「翠も興味ありそうと思ったんだけど、シエナの世話で忙しそうだから言わなかった。今度、一緒に来てよ。紹介したい」
「……」
「花の香りって体につくんだな。知らなかった。掛川さんに聞いてみよ」
「女の人は?」

 ずっと聞きたかったこと。

「女?」
「最近ずっと一緒にいる人」
「あー、展示場所のビル会社の広報か。まさか、またヤキモチ妬いたの?」
「……」
「SNSか。彼女、見た目がいいから周りにチヤホヤされててさ、やりたい放題で困ってる」
「……」
「でもごめん。翠はそういうの嫌いだったね。彼女にもさ、紹介させてよ。俺たちがラブラブなところを見せつけてやろう」

 私はまだ怒ってる。半年間も無視されたこと。

「俺は翠が好き。愛してる」
「……」
「俺のことはもう嫌?仲直りしてほしい」
「……」
「シャワー浴びてくるから待ってて。翠と同じ香りになってくる」

 答えを聞かずに、怜はバスルームに行ってしまった。
 私は「好き」とも「許す」とも言ってない。でも、もしかして、いや絶対……抱いてくれるんだよね。期待に胸がドキドキして、涙が出てきた。

(ハッ!)

 すぐに涙を引っ込めて、鏡の前に走る。顔も髪も全部ひどい。ついでに下着も授乳用の機能重視のやつ。大急ぎで全身を整えて、何もなかったかのようにさりげなくベッドの中に入った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

身体の繋がりしかない関係

詩織
恋愛
会社の飲み会の帰り、たまたま同じ帰りが方向だった3つ年下の後輩。 その後勢いで身体の関係になった。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...