後宮の華と吸血鬼

沙耶味茜

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4 短い夜伽

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 あれから数時間が経過した。日は沈み月明かりを頼りに灯をつけず皇帝が来るのを天蓋付きの牀の上で待っていた。
 後宮に入内後、環境の変化に慣れずこうやって行灯があるにも関わらず灯をつけず部屋に引き篭もっている期間が約一年間あった。
 部屋から一歩外に出てしまえば朱雀宮内は知らぬ存ぜぬで視界が歪む程の煌びやかな装飾品や香の匂い。楊家にいた自然環境とはまったくもって比べ物にならない上に他の殿舎の側室からの嫌がらせも相次ぎ、もういっそのこと部屋から出ない方がよいのではないかという結論に至った。
 十五歳ということもありまだ若く、後宮の教養を静麗から教わるのにうってつけの引きこもり一年間だった。この四年間にもちろんのこと皇帝からの夜伽が数回あったが全てにおいて処女を貫き通してきた。
 なぜなら皇帝のことが好きではないからという至って単純な理由。
 けれどそんなことを直接の言うわけにもいかず遠回しに国の戦況状況や法の話を話題に持ち上げていたら、皇帝が頻繁に夜伽という名の相談事を持ち寄って聞かされる羽目になり非常に迷惑であった。
 そのため他の妃嬪達の嫉妬心を奮い立たせてしまい死にかける人生。
 本当に、心底皇帝が嫌いだ。
そして今晩、彼は夜伽に来る。裸の付き合いではなく、きっと女装侍女について説明があるはずだ。
静麗じんりー、側にいるのでしょう?もう自分の部屋にお戻り。休んでいい」
 薄暗い視界の中、屏風の方へと声をかけると衣擦れの音の後、可愛らしい声が聞こえる。
「お先に失礼します娘娘。何かあればお呼びください」
「今日も一日ありがとう」
 静麗のくすくすという笑い声の後、辺りは物音一つしなくなった。聞こえるのは華娘の呼吸音だけだ。髪の毛先をいじったり爪が綺麗か眺めていると微かに鈴の音が聞こえてくる。華娘はそっと顔を上げると暗闇の中を見つめた。
「静麗とすれ違いになったのではありませんか?こそこそしなくとも気付いておりますよ」
「久しぶり華娘」
 屏風の向こう側から透き通るような涼やかな声音が空間に響く。こちらに歩いてくる足音と共に腰にぶら下げている鈴が揺れ動き、子供の玩具の様な無邪気な音を鳴らしてその人物は屏風から顔を出した。
 華奢な体つきに袖から覗く細い指。整った顔立ちを隠しているのか前髪は長く、その隙間から垣間見える黒い瞳は牀の上に座す華娘を映して、微笑んでいる。
 皇帝の威厳というものが容姿から微塵も感じられない彼こそが、この赦鶯国しゃおうこくの天子。
「お久しぶりです。仔空しあ
 姓はきょう、名は仔空。前皇帝は薬害により死亡したため、東宮の彼が帝位についた。敬称を外して呼ぶ仲なのは彼がそれを望んだからだ。
「何というか……相変わらずこの殿舎は他と違って物静かというか…」
「その物静かな殿舎で評判の朱雀宮も仔空がこちらに送ってきた侍女の噂で騒々しいです。何を企んでいるのでしょうか。今更私に護衛など、あってもなくても日々に変わりは無いと思いますが」
「それを説明しに来たんだよ。そう不機嫌にならないでくれ」
「去勢をしていない者を後宮に入れるなど火種にしかなりません。今すぐ禁軍に戻した方がいいのではないですか?」
 まだ若年の彼が後宮で他の妃嬪に手を出して妊娠させてしまったらと想像をするだけでも寒気がする。表向き皇帝の命ならば仕方がないと護衛として承認したが意識していることは白衛の身の上。
「謀反を起こして死ぬところなど見たくありません。そんな者をこの朱雀宮から出すこと自体、避けたい」
「善処している。ただ、現皇帝は政治に疎い、国が安定していないなどという噂はいやでも私の耳に入ってくるんだ」
「それと白雨に何の関係があるのでしょうか?」
 長椅子に座り、俯いていた仔空は顔を上げると貧弱な細い腕をこちらに伸ばした。
「私が帝位についてから皇后の座が空席なんだ。正妻として華娘を迎えたいのに君はいつだって孤独を好んでいる。この後宮が側室達にとって窮屈、あるいは牢獄のようだと思われているのは理解しているつもりだが、だからこそ四夫人の君は恨みを買いやすいだろう。正妻の周りを味方で固めておくのもいいかと思って」
 つまり、仔空が帝位についてからというもの国が安定していないのは皇后がいないからという。だから正妻として華娘を迎え入れるために嫉妬渦巻く後宮で殺されないよう強い者で周りを固めるということだ。
 四夫人の中でも最高位なのは貴妃である。皇后がいない現状、後宮を取り締まるのも必然的に貴妃の仕事になっているため周りは皆皇后の座に座るのはその方に違いないと思っている。そんな期待を裏切るような形で淑妃の華娘が正妻になったらどれ程の反感を買うことになるのか、ましてや世継ぎも生まれていないのに味方を増やすなど無理に等しい。
「私が……正妻になんて……」
「華娘がどの側室よりも国を思っているのを知っている。ふさわしいと思ったんだ」
 まさか性行為を回避するために国の話題を持ち上げていたのが凶とでてしまったなんて誰も思わないだろう。ここで華娘が断ってしまったら皇帝の機嫌を損ねて下手すれば死ぬ。それに皇后になってしまえばもう白衛とは……。
「私が正妻になるにはまだ早いと思います。もう少し後宮の様子を観察して貴妃様のように権力を集めて、そして皇后になるならば取り締まる力を私はもう少し身につけた方がいいと思っています。皇后がいないと不安になられるかもしれませんが、陰ながら助力致します」
 仔空しあはつまらなそうな表情をするとため息をついた。今までに見たことない反応に少しだけ緊張感が流れる。仔空は長椅子から立ち上がると牀に座る華娘の方へと近づいてきて、その白くて細い指で頬を撫でた。
「最初の伽の時から思っていたのだけれど、華娘は私の事を嫌っているようだね」
 頬に当たっている指先あたりから徐々に冷たくなっていくのが分かる。
「…………何故、そうお考えに?」
「最初から順に乗っ取っていない。私の気を逸らそうとしてるのがあからさまに分かるよ」
 そう言うとくすくすと笑い出した。ばれているのは薄々感じていたがお互い口にしないだけでこのままの関係でいいと思っていた。
 華娘は心臓が早鐘を打つのを手で宥めると仔空と距離を取る。図星をつかれたため表情に出てしまったが特にこれといって殴られる罵倒されるはないらしい。
「何もしないよ。私は君のことが好きだけど嫌われるようなことはしたくない」
「……一つ聞いてもよろしいですか?」
 白衛を侍女として選んだ理由を聞きたかった。両家の仲が良いことは仔空も知っているはずだ。けれど華娘の片想いの相手が白衛であることは知らない、意図して選んだのだとしたら悪趣味だ。
「どうしたの?」
「何故白雨を侍女に選んだのです」
「それは……白衛は女顔だし背も低い。宦官だ女官だと噂されてもどっちみち後宮にいれるのだから良いだろう?」
「本人に言ってはなりませんよ、心労をかけます」
「それに、君達は仲が良いと聞くし。さて、そろそろ戻ろうかな。片付けなければいけない書が山ほどある」
 仔空は出口へと歩いていくと最後こちらを振り返り目を細めた。

「信頼しているよ。2人共」

 目が笑っていない微笑みをはたして微笑みとよんでいいのかわからない。鳥肌のたった腕をさするようにして華娘は窓の外の月を眺めた。

 

 
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