後宮の華と吸血鬼

沙耶味茜

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5 木の血痕

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娘娘にゃんにゃん、昨夜はどのようにお過ごしになったんですか?」
 憂鬱な夜が過ぎ、起床してこの台詞を聞くのは今日で3回目だ。華娘かじょう仔空しあの夜伽話は静麗じんりーに限らず、全ての殿舎の噂話の元であり、憎まれる対象。
 後宮内に鳴り響く鈴の音を聴くと、今晩は誰が皇帝と夜を過ごすのかと皆気にし始める。けれど、その皇帝は朱雀宮の淑妃にしか興味がないと知るや否や、寵愛欲しさに殺してくるのは倫理的に人を疑う。
 想像以上に皇帝の存在は迷惑なのだ。
「だから言ってるでしょ、少し話して帰っていった」
「虚言はお辞めください‼︎照れているのですか?」
「私が嘘を言っているとでも言うの⁈静麗、最近生意気が前にも増して悪化してるわ。その癖を今すぐ直しなさい」
「生意気を言う侍女は1人でもいた方が娘娘の肩の荷も落ちますよ。侍女の数も多すぎて、他の殿舎なんてこんな自由じゃないですからね!まぁ、朱雀宮は例外で侍女の数が少なすぎますが」
「良いのよ。1人増えたから」
 化粧も終わり、髪も結い上げ終わると華娘は立ち上がり東屋へと移動する。その際、静麗と入れ替わりでついてきたのは、侍女の白雨だ。
 控えめに後ろを歩く姿は、色素の薄い少女にしか見えない。元々中性的な顔面ではあったが、女装をしてしまうと女と見間違える。
 複雑な心境を持ちつつも華娘は白雨にお願いをした。
「今日は手伝って欲しいことがあるの」
「はい、何なりと申し付けください」
「東家に積み重なってる書物を書庫に戻すのを手伝って」
「娘娘が自らやることではないはずです。何故、女官に頼まないのですか?」
「大事な書物があるの。頁を千切られでもしたら大変だから。楊家から持ってきた物もあるし」
 床に散らばった書物を数冊拾い上げるとそれを全て白雨に押し付けた。
 白雨はそれを受け取ると他の書物も手に取り積み上げていく。いくら外見が女とはいえ、中身は筋肉のついた武官であり、男である。華娘よりも数倍の書物を持って書庫へと持っていった。
 華娘も書庫に急ごうと最後の一冊を手に取り、その表紙を見て眉間に皺を寄せる。
 こんな書物あっただろうか。もしかしたら楊家から選抜して持ってきた時に紛れてしまったのかもしれない。
 『吸血鬼』
 鬼の魔物で有名であるが、その言葉に何故か華娘は寒気がしたのだ。鬼は存在するのかすら怪しいが、もし居たとしたら華娘はどう対応するのか。普段考えないような事が脳裏をよぎり、血が騒いでいるような感じすらする。
 華娘はその表紙から目を背けるとそれを手に取り積み重ねる。両手で抱え上げると入り口に立って待っていた白雨の元へと急いだ。
 少しだけ白雨が怪訝そうな表情をしたが、華娘があまりにも行動が遅いのに呆れていたのかもしれない。気をつけようと思うと同時に、普段見ない表情に戸惑いを感じた。
 書庫へと続く廊下を歩いていると朱雀殿内を掃除する官女達が華娘をみるや否や頭を下げて拱手する。その中で1人、顔色の悪い官女が居たが後で静麗に言って薬を処方するように伝えることにした。
 掃除を頼んでいない為、だいぶ埃が溜まっている書庫へと足を踏み入れると視界が灰色に霞んだ。咳き込んでいると白雨が華娘の書物を軽々と持ち上げ、卓上の上へと置いた。
「掃除されないのですか?」
「その内静麗に頼むわ」
 会話も淡々としていて、棚へと書物を戻していくと隣で白雨が渡してくれる。薄暗い埃が舞う部屋の中で表紙を見ながら同じ分類に分けて棚に入れていくと、最後に残ったのは魔物が書かれた書物だった。
「そういえば鍾家の書庫にはこれと似たような書物がたくさんあったわね」
「覚えてらっしゃったんですか」
「珍しいと感じたから覚えているわ。貴方の家は変わり者が多いようね」
「…………ええ、とても」
 全ての書物を戻し終わり、外の新鮮な空気を吸おうと出ようとしたその時だった。
 ガコッという音が扉の外から鳴り、足早に遠ざかっていく足音が聞こえた。
 華娘がまさかと思って扉に向かおうとするよりも先に、白雨が扉へ急ぎ開けようとするが開かない。外から何者かが重い木を使って引き戸を開かないようにしているのは明らかだった。
「引き戸が開きません。開く方向に突っ張り棒を置かれている可能性が高いです」
「貴方のその脚力で扉を蹴破ることは出来る?」
「はい。ですが、壊れると…」
「構わないわ。費用は仔空に要求するし、直す作業も信用できる宦官に任せる。こんな小さな出来事、朱雀殿では日常茶飯事だから」
 白雨は少しだけ逡巡する素振りを見せると「失礼します」と言い力一杯扉を蹴りつけた。
 引き戸は大きな破片に砕け散り、元々古い引き戸のせいで中の木が腐敗しているのが目に見えてわかる。
「怪我はない?無理をさせてごめんなさい」
「いえ、娘娘こそお怪我はありませんか?」
「ないわ。それよりも犯人探しを先にした方がいい。私達が東屋から出て行くのを見ていた官女または女官や宦官で怪しい人物は居た?」
「道中見かけたのは官女が3人。皆頭を下げて拱手していましたが1人だけ明らかに顔色の悪い者がおりました。お気づきになられましたか?」
「気づいたわ。その官女が怪しいにしても、体調が悪かったらこんな重い木なんて持てないのでは?」
 そう言って振り返ると扉の破片が飛び散っている中に長方形の長い木の棒が転がっている。官女1人がここまで持ってくるには些か重過ぎると思う。
 白雨は木の棒へ近づくとそれを拾い上げ、観察し、何かを見つけたかと思うとこちらへ見せてきた。
「ここを見てください。赤黒い血痕があります」
 木の棒には木目に染み込んだような血痕があった。謎は深まるばかりで、なぜ血痕が付いた木の棒で華娘達を出れないようにしたのか。華娘は周りを見渡し、少し離れたところに紐を見つけた。
「これにもついているわね。怪我をしているのなら、すぐに分かりそうだけれど」
「服の下にでもくくりつけていたんでしょうか」
「まだ顔色の悪いあの官女とは限らないじゃない?」
「そうですね。娘娘、少しだけお時間をいただけますか?俺ならわかる気がします」
 そう言うと白雨は微笑んだ。いや、一人称がいつの間にか戻っている為、今だけは白衛なのかもしれない。華娘は頷くと白衛の手を握り祈りを込めた。
「任せる」
 それだけ言って手を離すと、部屋へと戻る為歩き出す。白雨も一応護衛のため後ろからついてくるが、少しだけ後ろを振り向いた時、何故か白雨は顔を伏せていてどこか体調が悪いのかと心配になった。しかし顔を上げた白雨と目が合い、気まずい雰囲気になる。
「体調が悪いの?」
「い、いえ………それよりも早く部屋に戻りましょう。今出歩いては危ないです」
 何故か嬉しそうな表情の白雨の言う通り、危ないのは事実だ。部屋に戻り状況を整理する方が良さそうだった。
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