死ねない死者は夜に生きる

霜月透子

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ランコはサキを留めたい

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「調子はどう?」

 ランコはサキのベッド脇で腰を屈めた。

 狩りの後からサキは躰が重いと訴えている。次第に動きも緩慢になり、数日前からはほとんど伏して過ごすようになっていた。

 ヒガンに長く棲むランコだが、サキのような状態をどう扱えばいいのか見当もつかない。ランコも死せる者の中では特異体質だが、サキはさらに特異だといわざるをえない。このような個体が発生することがあるのは知識としてあるにはあるが、遭遇したのは初めてだ。

 既に死んでいる躰だ。怪我も病気もない。これ以上傷むこともない。だから心配する必要がないのはわかっている。だが、存在に影響がないからといって苦痛がないわけではない。

 自らの躰が苦痛を感じているわけではないのに、腹の奥が軋むように痛んだ。ひどく懐かしい感覚だ。こんな感覚があるということすら忘れていた。

 サキの気怠そうな視線がランコに届く。

「痛みがあるわけじゃないの。ただ力が入らないだけ。わかるでしょう?」

 ランコは頷いたが、想像はつくものの記憶にある限り経験がない。想像がつくということは、記憶の底に埋もれてはいるのだろうと思う。きっとシガンの記憶だ。サキは自分と同じタイプの死せる者だと思ったが、意外にも異なることの方が多い。

 とはいえ、共に死せる者である以上、基本的な体質は同じはずだ。ランコも、知性を持たない死せる者どもも。
 サキが動けないのは単に血気不足だ。生ける者を口にすれば回復するだろう。
 ランコ自身はいつも血気補給のつもりで狩りをしているわけではない。生ける者の香りや味に惹かれるから自ずと狩りたくなるのであって、いちいち肉体維持に必要だからと意識はしない。

 なるほど、と今さら気づく。シガンでの存在権利を失った死せる者は、当然存在し続けるためのエネルギーは持ち合わせないというわけか。存在権利は生ける者から摂取するほかない。

 幾星霜もヒガンで過ごし、自分なりにヒガンやシガン、死せる者や生ける者について調べたり考察したりしてきたが、サキと共にいるようになってから気づくことも多い。

 会話がどういうものであったか、そんなことまで忘れかけていた。サキと出会わなければ、ほかの死せる者どものように言葉を失うのも遠くなかっただろう。

「私、そんなに情けない様子かしら」
「え? あ、いや」
「すごく眉間にしわ寄せてるわよ」

 からかうようなサキの声に思わず眉根に触れると、たしかに深い凹凸を感じた。

「私もこんな表情をするんだな」
「ランコったら、なに他人事みたいに言ってるのよ。おかしな人ね」

 人というものは、自らが不調を抱えているというのにこうも他人の気分を軽くさせようと振る舞うものだっただろうか。そうだった気もするし、そうではなかった気もする。生ける者だった頃の記憶も薄れつつあるが、その時の感情なんてものはもっと早くに失われている。

 当然ながら既に生ける者ではないが、死せる者にもなりきれない半端者。だけど、半端者に同類がいれば、それはなにかの異端ではなく、ひとつのしゅになりえるのではないか。咲という同類を得た今、そんな希望が湧く。

 サキが寝返りをうつ。

「私は次の満月までベッドで過ごすわ。だからランコ、そばについていてくれなくても平気よ。あなたはこれまで通り過ごして」

 サキはそう言うが、この状態では次の満月に狩りをする力すらないはずだ。血気を補充しなければならないのに、そのための血気が欠乏している。悪循環だ。どこかで仕切り直さなければ永遠に苦痛が増していくだけだ。ランコが狩り、獲物をサキに与えるしかないのかもしれない。

 一人の頃は時間を持て余すことに悩んでいたが、二人になったらなったで別の悩みが出てくるものなのだなと思う。そしてそれは案外悪くない。ただ、こんな時に相談できる相手がいないのがもどかしい。

 ヒガンに独りぼっちの存在だったが、独りぼっちが二人に増えたところで状況は変わらない。死せる者の中でランコとサキは異端であることに変わりはない。二人程度では新たな種とはなれないことくらいわかっている。

 それでも。

 ランコは手を伸ばし、サキの目元にかかる前髪をそっと整える。

 それでも、ランコにとってサキは、ようやく得た仲間だ。

「そうだな。そうさせてもらうよ。ちょっと出てくる」
「うん。いってらっしゃい」

 ランコはスカートを翻し、夜の中に飛び出した。

 あの場所はまだあるだろうか。
 シガンに来てしばらく経ってから見つけた部屋。あの頃はただの暇つぶしで訪れていたが、今夜は目的をもって訪れる。改めて知っておかなくてはならない。今はもう一人ではないから。
 サキを失いたくない。再び一人にならないためにも、久しぶりにあの部屋へ行かなければならない。

 ランコは時の砂に埋もれた記憶を掘り起こし、どうにかその部屋への道を思い出した。
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