死ねない死者は夜に生きる

霜月透子

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サキは初めての狩りに臨む

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 コンビニの明かりはすべて国道に面していて、角を曲がった途端に辺りは闇が濃くなった。昔ながらの古い蛍光灯タイプの街灯が、ジジッジジッと音を立てて点滅している。円錐形に落ちる明かりが途切れた辺りに、ぐったりと横たわる女性の体があった。こちらを向いた靴底だけがわずかに明るく浮いて見える。近づくと首の付け根に歯形がついていた。

「……死んでるの?」

 恐る恐るランコに問う。

「まさか。そこまでしたら面倒だ。一口頂いただけ」

 その一口のおかげで少し落ち着いたらしいランコが口元を拭いながら答えた。

「一人から存分にいただければいんだけどね」
「足りないの?」
「足りないな。全然足りない。けど満足するまで口にすると、獲物を死せる者に呼び込むことになってしまうから」
「生ける者はなにも感じてないんでしょ? それなのに死んじゃうの?」
「死ぬな。そうだなあ、生ける者の血肉を得ているつもりだったけど、もしかしたら、魂とか寿命みたいなものを口にしているのかもしれない」

 ランコはその考えに初めて思い至ったらしく、きっとそうだ、そういうことなんだ、とブツブツ呟いている。

 突然、倒れていた女が起き上がり、驚いたサキはとっさに飛び退いたが、サキは微動だにしない。そんな二人の目の前を女はすたすたと歩き去っていった。

「あの人って」
「ああ、たぶんなにもわかってない」
「わからないなら、ついばむように獲物を襲わなくても、一度で済ませればいいじゃない」
「だめだ。自ら死せる者を作り出さない方がいい。狩る側が増えると自分の狩り場が狭くなる。今後のことを考えるならやめた方が賢明だ。でも、一口くらいなら本人の記憶にも痕跡ものこらないし、死せる者になることはない。それに、また次の満月で同じ者からいただくことだってできる。食糧は獲り尽くさないことが大事なんだ」
「なるほど」

 乱獲を避けて、持続可能な食糧を確保するのは理にかなっている。そのことをランコは自分で考えたのだろうか。それとも死せる者の本能なのだろうか。尋ねようとしたが既にランコの目は生ける者に向けられ、舌なめずりをしている。

「まだまだ足りない。ひとたび口にすると後を引くんだよな。ただ、一口ずつだと、何人も狩らなければならないのが手間だ」

 言うが早いか、ランコはまた別の者に飛びかかった。大抵の大人は十三歳の姿のランコより体格が大きい。ランコが飛び掛かった相手は、長身でガタイのいい男だ。その、いかにも重そうな男をランコは片手でズルズルと陰へ引き摺って行く。

 自分もあれをやらなければならない。ランコの狩りを身近で見ても抵抗はなかったが、食欲が湧くわけでもない。どちらかといえば乗り気ではない。それでも狩らねばならない。

 獲物を追ってどこかへ消えたランコを探すのを諦め、サキはひとりコンビニの前へと戻った。駐車場の隅に原付バイクを停めてヘルメットを外している学生服の男がいた。あれで試してみるか。ランコは獲物に飛び掛かっていたが、慌てることはない。あちらから見えないのなら勘づかれることも逃げられることもないのだから。

 サキは慎重に歩を進めた。
 慎重に? 勘づかれることがないとひとりごちたばかりではないか。それなのに慎重に?
 サキは気づいてしまう。飛び掛からずにゆっくり歩み寄るのは緊張からではなく、躊躇によるものだ。
 そんなはずはないと自らに言い聞かせる。狩りを目にしても抵抗はなかったはずだ。大丈夫、できるはず。

 キーを抜いた男が近づいてくる。サキは飛び掛かる。容易に捕らえることができた。手を伸ばし男に触れるその瞬間、強い異臭がした。
 反射的に身を捩り、その場に膝をついた。体内が絞られるような痛みに身動きが取れない。なんだこれは、と恐怖に近い動揺に襲われていると、躰の中心から上部へとせり上がってくるものがある。嘔気だった。えずく。当然ながらなにも出ない。

 コンビニドアの開閉音がして男が消える。夜風が辺りを掃き清めてようやく気分が落ち着いた。

 ひどい臭いだった。鼻腔にまだ臭いが残っている気がする。雑多に散らばる記憶をあさると、生ごみと汚物を合わせたような臭いに辿り着いた。思えば、ヒガンに来てから嗅覚を意識したことがなかった。なんのにおいも感じなかった。だからなのか? だから強烈に感じただけなのか? そうだとしても、獲物ならば食欲をそそる匂いになるのではないのか? ランコの様子はそうだった。

 今のサキには、生ける者を狩ることのできる日がくるとはとても思えなかった。

 車の流れが止まった。信号が赤になったらしい。
 車の走行音が途切れると、波の音が大きく響く。

 忘却。

 そんな言葉が波音に紛れて聞こえた。

 既になにか大切なことを忘れている気がする。死せる者は、肉体は変わらずあるものの、その帳尻を合わせるかのように、シガンでの記憶は急速に失われていく。海で命を落としたことは覚えている。特になにかを忘れたようには思えない。だが、忘れたことを忘れていたら自覚などないはずだ。

 感情。

 そういうものを持っていた記憶はある。記憶はあるが、実感として甦らせるのは難しい。忘れ去られていくものの中には感情も含まれるのではないか。だとすると、私が忘れているのは、なにかの感情――。

 車列が戻ってきた。目の前をヘッドライトの明かりが流れる。

 初めての狩りの日、サキは一度も狩ることなく終えた。
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