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サキは狩りに向かう
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翌日は、雲一つない美しい月夜だった。
「ああ、ゾクゾクする!」
窓辺で大きな満月を見上げながら、ランコは両腕で我が身を抱いている。一方、サキは室内にまで煌々と差し込む月明かりを避け、光の届かない壁際に寄り掛かっていた。
「サキ、そろそろ行ってもいいか?」
ランコは尋ねておきながら、サキの返事を聞く前に庭に飛び出した。
ランコの弾む声を初めて耳にした。もう居ても立ってもいられないといった様子で、落ち着きなく室内を歩き回っている。ランコはよく死せる者のことを揶揄の意味合いで獣にたとえるが、今夜のランコも行儀の良い獣に見える。
これが死せる者の本能だというのなら、サキにはまだ死せる者として未熟だということなのだろう。立派な満月を見上げたところで前夜までとの違いをなにも感じられない。
狩りの最中にサキが倒れた場合のことを憂慮して、同行するように言われたから、従うつもりだ。ランコはすっかりサキの保護者だ。心からありがたかった。ランコのような昂りはみじんもないが、一人ここに残されるのは不安だ。失う命もないのだから不安になる要素などあろうはずもないのに。ヒガンに来てからずっとランコがそばにいてくれたからかもしれない。
死せる者は群れをつくらないという。もしランコに出会わなかったら、ほかの死せる者と同じように一人きりの日々を過ごしていたのだろう。それはとても恐ろしく感じられた。危険にさらされる不安ではなく、孤独と向き合わざるをえない恐怖だった。自分の存在を自分しか意識しない状態は、存在の証明がなされていない状態に思えてならなかった。
ランコは興奮を持て余しているらしく、庭を駆け回っている。
サキは掛け声代わりに息を短く吐くと、クローゼットの扉を開いた。中には、闇のように深い黒のフード付きローブがかかっている。極力月光を浴びずに済むようにと、ランコが用意してくれたのだ。ローブを羽織り、フードを深くかぶる。
「ランコ、お待たせ。行きましょう」
サキの声を聞くが早いか、ランコが窓から飛び出した。サキも慌てて後を追う。
獣のように俊敏な二つの人影が、国道に向かって疾走した。
コンビニの駐車場脇にある雑木林を背負った茂みに身を潜める。光の箱の中には幾人もの生ける者たちの姿が見える。だがランコが動き出す気配はない。
「ねえ、狩らないの?」
「出てくるのを待つんだ。見つからないように狩るためにな」
「どうして? どうせ見えないんでしょう?」
二つの世界は重なってはいても、別空間のはずだ。そう教えてくれたのはランコだ。
「それはシガンが明るくて、ヒガンが暗い場合だ。満月の夜は闇でありながら光が降り注ぐ。互いがつながる。だから狩ることができるんだ」
「ふうん」
わかるようなわからないような説明にサキは曖昧な返事をしたが、ランコはそんなサキの反応に不満を感じる余裕もないようだった。身を乗り出し、獲物に鋭い視線を飛ばし、口角から今にも垂れそうなほどに唾液を溢れさせている。
その様子をサキは冷めた気持ちで見つめていた。
シガンとヒガンの重なりについての説明と同様、死せる者の本能のようなものもまたサキにはよくわからない。本能だという狩りへの昂りを感じられない自分は、なりそこないの死せる者なのではないか。死せる者の力の源になるべき月明りがこの身を衰弱させることもしかり。
だからといって、まだ生ける者なのだと主張する気もない。当時の記憶がないこともあるが、それこそ本能で、自分は生ける者にある艶やかで瑞々しい気配をまとっていないことくらい自覚している。
ヒガンは、再びシガンに生を受けるまでの狭間。さらにその狭間にサキは一人で存在している気がした。
どこかとぼけたような明るい電子音に意識を呼び戻される。店のガラスドアが開かれた音だった。
若い女性が一人、小さなレジ袋を提げて店を出てくる。
ランコはぴくりと身を震わせ、腹這いに近いほどに伏せた。そんな体制でも視線だけはまっすぐ前方に向け、ウゥと低いうなり声をあげている。
女性はコンビニの角を曲がり、薄暗く細い路地に入っていく。同時に、サキの頬を疾風が掠めた。反射的に吹いた風に目を向けると、ランコの姿がなかった。あの風はランコが飛び出した際のものだったのだ。
「早い」
思わず口をついて出た。
あらゆる感覚や身体能力が増したはずの躰でも、サキにはその瞬間のランコの姿を認めることはできなかった。
今夜はいわば実地研修のはずだが、ランコの意識からサキは追い出されてしまったらしい。見失っては、ここへ来た意味がない。サキは周りに人目がないのを素早く確認すると、ランコを追って路地へと走った。
「ああ、ゾクゾクする!」
窓辺で大きな満月を見上げながら、ランコは両腕で我が身を抱いている。一方、サキは室内にまで煌々と差し込む月明かりを避け、光の届かない壁際に寄り掛かっていた。
「サキ、そろそろ行ってもいいか?」
ランコは尋ねておきながら、サキの返事を聞く前に庭に飛び出した。
ランコの弾む声を初めて耳にした。もう居ても立ってもいられないといった様子で、落ち着きなく室内を歩き回っている。ランコはよく死せる者のことを揶揄の意味合いで獣にたとえるが、今夜のランコも行儀の良い獣に見える。
これが死せる者の本能だというのなら、サキにはまだ死せる者として未熟だということなのだろう。立派な満月を見上げたところで前夜までとの違いをなにも感じられない。
狩りの最中にサキが倒れた場合のことを憂慮して、同行するように言われたから、従うつもりだ。ランコはすっかりサキの保護者だ。心からありがたかった。ランコのような昂りはみじんもないが、一人ここに残されるのは不安だ。失う命もないのだから不安になる要素などあろうはずもないのに。ヒガンに来てからずっとランコがそばにいてくれたからかもしれない。
死せる者は群れをつくらないという。もしランコに出会わなかったら、ほかの死せる者と同じように一人きりの日々を過ごしていたのだろう。それはとても恐ろしく感じられた。危険にさらされる不安ではなく、孤独と向き合わざるをえない恐怖だった。自分の存在を自分しか意識しない状態は、存在の証明がなされていない状態に思えてならなかった。
ランコは興奮を持て余しているらしく、庭を駆け回っている。
サキは掛け声代わりに息を短く吐くと、クローゼットの扉を開いた。中には、闇のように深い黒のフード付きローブがかかっている。極力月光を浴びずに済むようにと、ランコが用意してくれたのだ。ローブを羽織り、フードを深くかぶる。
「ランコ、お待たせ。行きましょう」
サキの声を聞くが早いか、ランコが窓から飛び出した。サキも慌てて後を追う。
獣のように俊敏な二つの人影が、国道に向かって疾走した。
コンビニの駐車場脇にある雑木林を背負った茂みに身を潜める。光の箱の中には幾人もの生ける者たちの姿が見える。だがランコが動き出す気配はない。
「ねえ、狩らないの?」
「出てくるのを待つんだ。見つからないように狩るためにな」
「どうして? どうせ見えないんでしょう?」
二つの世界は重なってはいても、別空間のはずだ。そう教えてくれたのはランコだ。
「それはシガンが明るくて、ヒガンが暗い場合だ。満月の夜は闇でありながら光が降り注ぐ。互いがつながる。だから狩ることができるんだ」
「ふうん」
わかるようなわからないような説明にサキは曖昧な返事をしたが、ランコはそんなサキの反応に不満を感じる余裕もないようだった。身を乗り出し、獲物に鋭い視線を飛ばし、口角から今にも垂れそうなほどに唾液を溢れさせている。
その様子をサキは冷めた気持ちで見つめていた。
シガンとヒガンの重なりについての説明と同様、死せる者の本能のようなものもまたサキにはよくわからない。本能だという狩りへの昂りを感じられない自分は、なりそこないの死せる者なのではないか。死せる者の力の源になるべき月明りがこの身を衰弱させることもしかり。
だからといって、まだ生ける者なのだと主張する気もない。当時の記憶がないこともあるが、それこそ本能で、自分は生ける者にある艶やかで瑞々しい気配をまとっていないことくらい自覚している。
ヒガンは、再びシガンに生を受けるまでの狭間。さらにその狭間にサキは一人で存在している気がした。
どこかとぼけたような明るい電子音に意識を呼び戻される。店のガラスドアが開かれた音だった。
若い女性が一人、小さなレジ袋を提げて店を出てくる。
ランコはぴくりと身を震わせ、腹這いに近いほどに伏せた。そんな体制でも視線だけはまっすぐ前方に向け、ウゥと低いうなり声をあげている。
女性はコンビニの角を曲がり、薄暗く細い路地に入っていく。同時に、サキの頬を疾風が掠めた。反射的に吹いた風に目を向けると、ランコの姿がなかった。あの風はランコが飛び出した際のものだったのだ。
「早い」
思わず口をついて出た。
あらゆる感覚や身体能力が増したはずの躰でも、サキにはその瞬間のランコの姿を認めることはできなかった。
今夜はいわば実地研修のはずだが、ランコの意識からサキは追い出されてしまったらしい。見失っては、ここへ来た意味がない。サキは周りに人目がないのを素早く確認すると、ランコを追って路地へと走った。
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