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第三章
諦めない姫
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(ガオルの時はできたのに…あの時のガオルと今のお父様は何が違うんだろう…)
帰ろうとする父の背中を見ながらミルディリアは考えていた。
(…………はっ!…もしかして!)
「お父様……ごめんなさい……」
ミルディリアは剣の柄を握り締め、父の後頭部に勢い良く振り下ろした。
「うっ…………!!」
見事にヒットしたようでベルンハルドは白目を向いてその場に倒れた。
「よし。これでガオルと同じ状態になったはず!」
ミルディリアに罪悪感は無かった。
風の魔法を力に変えて倒れた父の足を持ち上げる。
「ぐぬぬ……筋肉の塊っ重っ!……うっ!やっぱり!!来た!来た来た!」
虫に集られる様な感覚がすると、すぐそこにヘレンの家が見えた。
ノックもせずに扉を開けると目を見開いたヘレンがいた。
「あなた…!また来ちゃったの?!」
「お一人ですか?!」
「え?!」
「貴女以外に誰もいないですか?!」
「え、ええ」
「よし!」
ミルディリアはお父様を家に引きずり入れると頭にできたコブに触れる。
(治れー!!)
腫れはすぐに引いて元の状態に戻った
「…………これで大丈夫」(多分)
「そんな!まさか!…ベルンハルド様!?」
ヘレンは倒れている父の顔を見て口に手を当て驚いている。
「やっぱり貴女は……!ちょっと待ってて下さい!」
ミルディリアは父の頬を容赦なく往復ビンタした。
罪悪感は無かった。
「………ぅっ…」
小さなうめき声と共に大きな父の体がゆっくりと起き上がった。
「お父様!やりましたよ!シンシア様の家に潜入成功です!」
「ちょっと待って、シンシアって───」
ヘレンの小さな叫びは父の怒声に掻き消された。
「ミルディリア!お前は父を何だと思ってるんだ!」
「お父様うるさい!それどころじゃないんですよ!」
ミルディリアは父から離れシンシアに体を向ける。
罪悪感は皆無だった。
「単刀直入に言います!あなたはシンシア様ですよね?それと護り手はいつも何時位に来ますか?ガオルを逃がしてしまって大丈夫でした?お怪我は?とにかくここから逃げ出しますよ?準備はいいですかーっ?!」
高らかに掲げた拳を父に止められた。
「ミルディリア、いいからとにかく落ち着いてくれ」
「のんびり話してる暇は無いんです!お茶会はここを出てから!」
「私の名前はヘレンよ」
遮るように言うヘレンは険しい表情をしている。
「あのですね、のんびりしてるとお父様がここで戦わなきゃならなくて、私もシンシア様も危険なんです!折角生きてるって分かったのにまた死んじゃったらカイル様に何て言ったらいいんですか!」
「カイル………」
ヘレンの瞳が僅かに揺らいだ。しかしそれも一瞬の事。
「私には何の事だか分からないわ」
「だぁぁぁぁっ!!しらばっくれる理由は何だか知らないですけど、さっきお父様の名前言いましたよね?!そして私の事知らなかったし!シンシア様じゃなくても兎に角逃げ出しますよ!その前に何故ここに閉じ込められてるんですかっ!誰がやっ──もがっ!」
父の掌で口を覆われてしまった。
「ミルディリア、頼むから少し黙ってくれ」
「んーん!」(なにすんのよ!)
父はヘレンに視線を向ける。優しさと懐かしさに溢れる視線を。
「変わらないな。シンシア……」
「そんなはずな……ですから私はシンシアではないと何度言ったら分かっていただけるんですか」
(この手を離せー!)
ミルディリアはゆっくりと足を前に振り上げた。そこに二人の視線が注がれる。
「「???」」
ミルディリアの踵が鈍い音とともにベルンハルドの脛に入った。
「ひぅっーーーーーっ!!!」
「っぷはぁっ!」
踞るベルンハルドを押し退けてミルディリアはヘレンに詰め寄る。
「カイル様はシンシア様を殺した罪で今にも殺されそうなんです!助けてください!」
「そんな!」
ヘレンの目が見開かれる。
「一緒に来てカイル様の無実を晴らして下さい!私なら貴女をここから出せるんです!」
「貴女…カイルを愛してくれているのね」
「今はそんな話しをしてる場合じゃなーいっ!」
踞っていたベルンハルドがようやく顔を上げた。
「ミルディリア、お前への説教は後でたっぷりとさせてもらおう」
そしてヘレンへ向きなおる。
「シンシア、強引なやり方だが娘の話している事は半分本当だ。クラークでさえもカイルがシンシアを殺したと思っている」
「そんな!そんなの嘘よ!あの人がカイルを疑うなんて有り得ないわ!」
「やっぱりシンシア様なんですね…」
「…………ええ。そうよ」
シンシアは苦々しく頷いた。
「まさかそんな事になっているなんて……カイルは元気にしてる?あれから何年経ったのかしら……」
答えようとするベルンハルドの口を今度はミルディリアが塞いだ。
「それはご自分の目で確かめて下さい!とにかくここから早く出ましょう!護り手がいつ来るか分からない!」
「ノーマンなら今日はもう来ないわ」
「……………………………………え?」
思いがけない名前に思考が一瞬停止した。
「……ノーマン?」
「さっき帰ったばかりだもの。一日に何度も来ないわ」
「貴女を閉じ込めている護り手は………ノーマンなんですか?」
(ノーマンが……護り手…)
頭の中にあった疑問符に全て結びつく人物。
(…そうか。そうだよね。確かにノーマンなら……)
フレドリックの側近であるノーマンは悪魔退治の日、確かにメディウムにいた。赤い目を操る為に魔法陣を使ったのなら、それに必要な高い魔力を持っている。
「お父様、もしもあの悪魔退治のモンスターをノーマンが守っていたら……」
「悪魔退治のモンスターを……守る?」
「カイル様が言っていたんです。『あいつには魔法も効かなかった』と。効かなかったんじゃなくて『掻き消された』のかもしれない」
スタンレーとカイル様が対峙した時、初めて火の魔力と水の魔力がぶつかり合うのを見た。相対する魔力はどちらにも影響を及ぼさず水蒸気となって消えた。
ベルンハルドはいつになく真剣な眼差しをしている。
「それは有り得るな。ミルディリア、お前が戦ってみた感覚はどうだったんだ」
「悪魔退治のモンスターは粘液に覆われていました。濁っているような…泥水のようだったと言えばそうかもしれない。それに風を切るような感覚がしたと言いましたよね。それも今思えば『水』を切る感覚だったかもしれない」
ノーマンの曇りない笑顔を思い出してぞくりと背筋が凍った。
───曇りないと思っていた事に。
(フレッドは知ってるの……?)
込み上げてくる恐怖を払拭するようにぶんぶんと頭を振った。
(知るわけない!フレッドも騙されているんだ!…………そうだよね?)
「ノーマンがここに貴女を捕らえているのは間違いないんですね?」
シンシアは明らかに困惑している。
「知らないでここに来たの?一体何故?」
「それを教えてもらいに来たんです。そしてシンシア様を助ける為に!」
「私を……?」
「カイル様の無実を晴らす為にも教えて下さい!何故こんな事になっているのか」
「………分かったわ。役に立つかは分からないけど、私が知っている事を話しましょう」
ミルディリアは深く頷き、ごくりと唾を飲んだ。
「始まりは………アデラとノーマンが愛を語らっている場面を見てしまったのよ」
「え?!アデラ様と?!だってノーマンは……」
「ええ。当時ノーマンはメディウムの兵士。精鋭術者とはいえ、アデラはクラークの側室。許されない恋だわ。……その時アデラはお腹に子を宿していた」
思わず息を飲み込んだ。
「フレドリック……」
「そう。ノーマンはその時大きくなったお腹を撫でて『私達の愛の結晶』と言っていたわ。それが本当かどうかは分からないけれど」
(フレッドはノーマンの子供……だからフレッドはノーマンから護り手の能力を継いでいるんだ)
ミルディリアは父に視線だけ向けると、同じ事を思っていたのだろう。眉間に皺を寄せたまま父は黙って頷いた。
ノーマンはフレドリックがソルムの国王になると同時に自ら希望してメディウムからソルムに移った。昔その話しを聞いた時に幼いながらも違和感を覚えた。メディウムでクラーク様の側近になれる魔力を持っているのに何故ソルムに来たのかと。
ノーマンはソルムの土地柄が好きだと言っていた。賑やかなメディウムを騒がしく感じるとも。権力欲の無い人なんだと思っていたのだが、単純に息子の側に居たかったのかもしれない。
「でもクラークはフレドリックがたとえノーマンの子供だとしてもきっと気にしないわ」
「そんなわけないですよ!」
「いや」
ベルンハルドは小さく頷く。
「クラークはそういう男だ。血の繋がりではなく自分の元へ巡って来てくれた子供として大切にするだろう」
シンシアも深く頷いた。
「だからこれは私の胸の内におさめておこうと思ったのよ。…………でも我慢できなかった…」
「そりゃそうですよ!クラーク様を裏切ってるのに!」
「違うわ」
「へ?」
「アデラは身籠った私を何度も殺そうとしたわ。狙いは恐らく私じゃなく……カイル。無事にカイルが生まれてからも何度もカイルを殺そうとした。毒を盛られたり、階段から突き落とされたり……」
「権力を得る為だけに?!」
シンシアは複雑な表情を浮かべた。
「そう単純に考えていればきっと今とは違う未来があったんでしょうね」
「……それ以外に何があるんですか」
「ええ。本当にそれだけ。単純な事だったのよ。アデラは権力が欲しかっただけ。けれど私はまだ若かった。それに気付かずに言ってしまったの。「フレドリックが誰の子であってもクラークは公平に見てくれる」と」
「説教したのか」
「諭そうとしたのよ。それで目を覚ましてくれるんじゃないかって期待して…クラークの事をちゃんと分かっていれば動じるはずがないわ。クラークはカイルに王の能力が無いと思えば側室の子であってもフレドリックを王にする。そういう人でしょう?けれどアデラはそれを脅しとして受け取ったんでしょうね。……私は気付いたらここにいたのよ」
「え?!何も分からないままここに?」
「ええ。最後に見たのはカイルが魔法の練習をしていた………この絵を描いてくれた後にね」
シンシアは壁に貼られている絵を悲しそうに撫でる。
「その時アデラ様は一緒にいたんですか?」
「いいえ。カイルと私、二人だったはずよ。気付かなかっただけで恐らく近くに居たんでしょうね。ノーマンはたまにここへ来ては食事を置いて行くだけ。彼は何を聞いても口を開く事はないわ。だから全て私の推測よ」
「アデラは権力欲しさにノーマンの気持ちを利用して……」
(ヴィエラも同じように……最っ低!!)
「シンシア様、ノーマンが護り手だと分かったのは何故ですか」
「それが分かったのはつい最近よ。薄々感じてはいたけど。ノーマンはガオルが居なくなって随分慌てた様子だったわ。『私の結界を破ったのは誰だ』と聞いてきたの。結界の意味する事は身を持って知っていたから」
「私の軽率な行動のせいで……」
「大丈夫よ。ガオルは自力で出て行った事になってるわ。彼はあれから大丈夫?」
「ええ。シファが……とても強い人が側についてくれています」
「それなら良かったわ」
シンシア様は心底安心したように微笑んだ。
「シンシア様は大丈夫でしたか?ガオルが自力で逃げたなんて…そんな簡単にノーマンが信じるとは思えない」
「信じたかどうかは分からないけれど、私は疑われないわ。他人を逃がす事が出来るならとっくに私が逃げ出しているはずだもの」
「確かに」(そりゃそうだ)
「それにノーマンは私を殺さないわ。傷をつけられたのは大昔に一度だけよ」
「傷……って?」
「逃げ出そうとした時に足を……折られたのかしら?物凄く痛かったわ」
(の、呑気!)
「もしかして足が悪いのはそのせいなんですか?」
「ええ。録な治療をしていないから……もう痛くは無いけれど今も調子が悪いの」
ベルンハルドが気遣う様な表情を浮かべる
「大丈夫なのか?体は……」
「ええ。大丈夫よ。発作も起きていないし、たまに熱っぽくて寝込む位よ」
「体が弱いっていうのは本当だったんですね」
「ええ。でもこんな日が来るならここから出たいじゃなく、体を丈夫にしてって願うべきだったかしら」
ふふふっとシンシア様が笑った。
「願うって……まさか…」
「ある日目が覚めたら一冊の古書があったのよ」
「まさか魔法陣を使ったんですか!?」
シンシア様は微笑みを崩さずに頷いた。
「知っているのね。ふふっ…愚かでしょう?逃げ出す事もできずにただ見た目が変わっただけよ。……今更出られたとしてもこんな姿では誰も私だとは分からないでしょうね」
「ご自身の代償だったんですね…ごめんなさい。私がもっと早く来ていれば…」
「優しいのね。私が逃げようとした時、貴女はまだ子供だったはず。そして逃げ出せると信じていた私も考えが浅かったわ」
「でも……何故殺されずに今日まで生き延びられたんですか?」
ベルンハルドが重い口を開いた。
「それは恐らく利用しようと思っているんだろうな。いつかカイルがメディウムの王に即位するとなった時、シンシアの命を脅しに使う事をひとつの手として」
今更ながらアデラの笑顔が薄汚く思えて怒りが込み上げる
「人の人生を何だと思ってるの!」
シンシア様は穏やかな表情を崩さなかった。
「でもお陰で生かされている内はカイルも生きてるという事。それが唯一の救いだったわ。私にも教えてもらえるかしら?何故カイルが私を殺した事になっているの?」
怒りが静まり、代わりに悲しみが込み上げる
「それは……カイル様が魔法の練習をしている時に誤ってシンシア様を焼死させたと…その…クラーク様が……」
「あら、そうなの」
(の、呑気!)
「怒らないんですか?!むかつきますよね?!クラーク様は息子を疑って、貴女の遺体を見分けられなかったんですよ!しかもアデラを王妃に────」
「…ミルディリア!」
父が咎めるように言うも、ミルディリアは止められなかった。
「そんな事あっていいはずがない!」
「ふふっ!元気なお嬢さんね」
(の!呑気すぎる!)
「私の身代わりになって誰かが亡くなったのね……」
寂しそうな顔をするシンシアにミルディリアは驚いた。自分が死んだ事になっているのにそれに対して怒りもせず、身代わりに殺された人の事を嘆いている。
「シンシア様は女神のような人ですね…」
(私だったら一先ずぶち切れるわー)
「ふふふっ!面白いお嬢さんね!私なんかを助けに来てくれた貴女こそ女神様よ!」
「あー!そうだ!早くここから出ましょう!」
「それは無理だ!」
止める父を睨み付けた。
「何故?!クラーク様もカイル様もシンシア様が生きていると知ったら喜びますよ!」
「シンシアは体が弱いと言ったろう?」
ベルンハルドが手で押さえているのは先程ミルディリアが殴った後頭部。確かに鍛えられた父なら大丈夫だろうと手加減せずに殴った。罪悪感も無く。しかし見るからにか弱いシンシア様にはできない。
「む……むむむ……」
衝撃により命に危険が及ぶなら尚更だ。更にミルディリアにの治癒魔法でせるのは目に見える物だけ。つまり外傷だけ。シンシア様の抱えている病気は治せない。
「やってみましょう!」
「ミルディリア!」
父が物凄い形相で睨んでいる。
「もちろん意識のあるままで。試してみないと分かんない」
ミルディリアは強引にシンシアの手を引いてドアを開けた。
「うわ……っっ」
視界がぐにゃぐにゃに歪むと外に出られた。
「やった!でき………」
後ろを振り向くと、握っていた手の先には誰もいなかった。
「てない………くそー」
渋々部屋へ引き返す。
「この……虫みたいなの何とかなんっ…ぱひゃぁーーーーっ!!」
「ミルディリア!どうした!?」
「虫が口に入ったぁぁぁ…気がする」
「あらあら大丈夫?お水を…」
「シンシア、構うな。娘は変わり者なんだ」
部屋には微笑むシンシア様と、腕組をして「やっぱりな」という顔をした父がいた。
「護り手の結界恐るべしですね………」
シンシア様はゆっくりと椅子に掛けた。
「もういいのよ。時間の無駄だわ。私だって何度も試したもの」
「シンシア様…」
「それにたとえ健康でも私は出て行かないわ」
「何故ですか?」
「誰もが『私は死んだ』と信じているのよね?」
「そうです!悲しみを抱えたままなんですよ!」
「だったら………私を殺してくれないかしら?」
「んなぁに言っちゃってるんですかっ!寝言は寝てから言えってカイル様に怒られますよ!」
「いつか利用される位なら死にたいのよ。でもここには自害する術がないわ…」
「なるほどね!だから私と初めて会った時に私を怒らせようとしたんですね!そんなの無駄!演技へったくそでしたもん!まずね、その考え良くない!私もつい最近そんな事考えたけどもっ!だけど待ってる人がいるの!その人が死んでくれって言ったら死ねばいい!あなたの帰りを待ってる人がいるんだから!」
怒りのまま一気に喋り、はあ、はあ、と息切れするミルディリアをシンシアは呆気に取られ目を真ん丸くして見ていた。
やや間があってようやく口を開いた。
「一度も噛んでないわっ!」
「呑気すぎるじゃろがいっ!」
「シンシア、口は悪いが娘の言う通りだ。どうにかここから出る方法を考えよう」
「ねえ、ミルディリア…姫?姫でいいのよね?お嬢さんの方が良いかしら?」
「この際カエルでも何でもいいですよ!何ですかっ!」
「貴女は賢い女性だわ。落ち着いて考えて。私は完全に死んだ事になっている。それがどういう意味か分かるはずよ」
「それは…………」
シンシアは頷いた。
「そう。アデラは策士───」
「閃いたー!!!」
「あらあら、なぁに?」
「……………おい。お前たち……」
ベルンハルドは二人の空気について行けなくなりつつあった。だが、シンシアの言いたい事は理解していた。アデラは一筋縄じゃいかないと。問題は娘の方だ。娘の閃きは時にとんでも無い方向に進む。
ミルディリアは父の顔を凝視した。
「お父様お元気ですか?お変わりありませんか?」
「あら、まあ!本当に変わり者ね」
シンシアは口元に手を当てて驚いている。
父は呆れた顔で、ふーっと鼻から息を吐いた。
「それで?お前は何がしたいんだ?閃きとやらを話してみなさい」
「ここでノーマンを待ち伏せして捕まえましょう!」
「どうやって?」
父は呆れた表情のまま腕組みをした。
「一度結界の中に入ればお父様は私が居なくても大丈夫!ということで、ノーマンを王妃監禁の容疑で捕まえるんです。お父様が。それから───」
「そんな簡単に行くとは思えないわ」
シンシアまで呆れた顔をしている。
「そもそもノーマンと戦う事になったら、シンシアを守りながら戦わなければならない。圧倒的に不利…というか不可能だ。もし万が一勝てたとしてもアデラに心を預けたノーマンが自白するとは思えんし、容姿の変わったシンシアの証言だけでは信じる者の方が少ないだろう」
「ぐぬぬ…」
父の言う事はごもっともだ。だけどシンシア様だと分かった今、放っておけなかった。
「そうだ!シンシア様が寝ている間に連れだそう!」
「私、眠りが浅いのよね……」
「むむむ……そうだ!お父様!今こそあの睡眠薬の出番ですよ!」
「法的に禁止したばかりだろ」
スタンレーの事件以降、サブルムで栽培された薬草は既に流出している物も含めて全ての使用が禁じられた。
「それが何だっていうんですか!ルールを守ってたら勝てる相手なんですか!?」
ベルンハルドはやれやれ、といった様子で苦笑いした。
「分からなくもないが、もう既に種しか残っていない。栽培には時間が必要だ。早くても数ヶ月はかかるだろう。そしてひとつ問題がある。スタンレー亡き今、高い水の魔力が必要だ。その人物を探すところからだな」
「そんなのお父様頑張って何とかして下さいよ!」
「頑張ってどうにかなるものじゃないだろう」
「だってのんびりしてたら拠点を変えられちゃう可能性があるでしょ?!」
「その可能性は低いわ」
「え?!何故ですか?」
「ノーマンはガオルがいなくなってから毎日来るの。時間はバラバラだけど、またガオルが来るのを待っているんじゃないかしら」
「恐らく『ガオルを逃がした犯人』を待っているんだろうな。拠点を移る心配は無くても極力急ごう。待ち伏せじゃなくノーマンを捕らえる方法を考えるしかない」
「シンシア様、待っていて下さい!必ず助け出してみせます!」
「……ありがとう」
シンシア様はにこりと微笑む
「お礼は助けだしてからです!」
「いいえ、お話しできただけでも嬉しいのよ。助けてくれようとしている事も勿論だけど。本当にありがとう。あなたは女神だわ」
「シンシア様……」
途端に胸が悲しみに支配される。外の世界では死んだとされて、ここにたった一人で何十年もいた。その悲しみは計り知れないだろう。
(せめて…)
「クラーク様とカイル様を連れて来ます!」
「え?!」
「二人だって会いたいに決まってる!」
「でも、ノーマンがいつ来るかは分からないわ」
「お父様が足止めしてくれますよね?!ね?」
父は呆れた顔をするかと思ったが、意外にも微笑んでいた
「とりあえず今日はもう来ない可能性が高いのだろう?今日中だとカイルは間に合わないが、クラークなら直ぐ来られる。クラークだけでも来させよう」
────数時間後
足止め役のお父様からソルムに着いたと連絡が届き、川辺で待ち合わせをしていたミルディリアとクラークも無事に落ち合う事ができた。
「本当に……シンシアが?」
困惑気味のクラーク様に敢えて多くは語らなかった。手放しでは喜べないだろうとは思っていたから。
「とにかくご自身の目で確かめて下さい」
「姫、ここに至るまでの経緯を教えてもらえないか?」
ミルディリアは至って冷静だった。冷静すぎる程に。
「その前にカイル様にはまだ言うなってどういう事ですか?」
クラーク様の表情が曇る。
「…………シンシアを失った時の悲しみは一言では語れん。あれをカイルにもう一度味わわせるなんてできないんだ。勝手な事だとは思うが、シンシアを無事に助け出せるまで黙っていてもらえないか?」
(本当にそれだけ?カイル様にも協力してもらえばいいのに)
ミルディリアは冷たい剣を抜いた。その剣先を迷いなくクラークに向け感覚を研ぎ澄ます。気配を感じ取れる様に意識を全方向に向けて。
「クラーク様、もしも私の話しの全てが嘘で、私がクラーク様に殺意を抱いているとしたらどうしますか?」
クラークは一切動じなかった。
「姫は私を疑っているのかね」
シンシアの話した事は全て推測。敵がアデラとノーマンだけとは限らない。そしてクラークが善人だというのも父とシンシアの先入観かもしれない。もしもクラークも敵だとしたら…
「例えば私が貴方に手を下した瞬間に、その木の影から現れた貴方の部下に私が捕らわれたら、シンシア様を救う術はなくなる」
クラーク様は微笑んだ。
「……賢いな。我が娘よ」
「娘じゃねーし」
「はははっ!姫はカイルに似てるな!」
楽しそうに笑ったかと思うと、一変して真剣な眼差しを向けた。
「私も同じ事を考えたよ。シンシアへの想いにつけこんでベルンハルドが姫を唆し、こんな何も無い、誰もいない場所で私を亡き者にするんじゃないかってね。だから、これは私から信じるしかないようだ。親友と…その娘、ミルディリア姫を信じよう」
クラーク様は短剣を取りだし、止める間もなく自身の腹に突き刺した。
「クラーク様!!」
飛び散る鮮血。クラーク様は膝をついて尚もナイフを腹に突き刺す。
「っぅぐっっっ!!!!これ、で…シンシアに…あえ……っる……だな」
「いやいやいや!ちょい待てーい!会えるわけないでしょ!」
(気を失ってないし!怪我すりゃいーってもんじゃないし!そもそも切り傷なんて治らなかった場合のリスク高過ぎ!)
クラークは忌々しそうにミルディリアを睨む。
「な……っなにっ!……やはり…仕組まれた…か…」
「違ーう!何勘違いしちゃってんのさ!アホなんですか?アホなんですね?!待て!落ち着けミルディリア!このまま貧血まで待てばいいのか?」
(それでシンシア様の元へ着く頃に息絶えていたら……私の蘇生魔法、私の命はクラーク様の命と引き換えに?)
「あーもう考えるのめんどくさっ!」
ミルディリアは力の限りクラーク様を殴打して全速力でシンシアの元へ向かった。
────バァン!!
「クラーク!!」
シンシアは血に濡れた二人を見て目を見開く
「まさかノーマンが…?!」
「違います…!」
ミルディリアはぜぇぜぇと切れる息を何とか飲み込んだ
「着いて早々申し訳ないのですが、魔力を貸してください……っ」
「分かったわ!」
シンシアはミルディリアのブレスレットを握りしめた。
(治れ!治れ!治らなかったら私が死ぬーー!!)
ブレスレットから流れる魔力をそのまま注ぎ込むとクラーク様の体が僅かに動いた。
「かはっ……!!」
(良かったぁぁぁ!!)
「クラーク様のどあほぉぉぉぉぉ!!」
傷口だった場所を思い切り蹴飛ばしたが、回復したクラークは微動だにしなかった。
「……姫…私は……??ここは??」
(この人本当にカイル様のお父様なの?アホすぎて……精魂尽き果てた…)
「私…ちょっと寝ます………」
「あらあら、おやすみなさい」
シンシア様の呑気な声を受け取って床にそのまま突っ伏した。
────微睡みの中
『カイルが殺したとは信じていなかった』
と涙声のクラーク様が話している。続いて
『この日をどれだけ待っていたことか』
『貴方も同じように苦しんでいたのね』
同じように涙声のシンシア様。
(良かった…………めでたし、めでたし)
「じゃなぁぁぁぁい!!」
シンシアとの涙の再会を終え、川辺に戻って来た二人。ミルディリアは芝生の上にクラークを正座させていた。
「何考えてるんですかっ!死ぬかもしれなかったんですよ!」
「だけどああするしか信じてもらえないと思ったのだよ」
「本当に私が裏切ってたら死んでいたんですよ!」
「それもいいかと思ったんだ」
「いいわけあるかーっ!!」
「最近な、誰も彼も疑わしく思えて…そんな自分が嫌になるのだよ…情けないな…」
その気持ちはミルディリアにも良く分かっていた。大事な人を疑わなければいけない状況が辛くて、疑いを持って人と接する自分が嫌になる気持ち。そして正に今、父が何度も信じろと言っていた父の親友を疑っていた。
「共に戦いましょう!私はたいした戦力にはならないけど、お父様はしっかりしているので大丈夫です!それにカイル様も───」
「ありがとう姫。姫が提案した作戦をやってみないか?」
「え?ノーマンを捕らえるってやつですか?」
「ああ。シンシアを救えたとしても、その後アデラに狙われる事は止められない。だからその前にアデラの尻尾を掴むんだ」
「そうすれば、アデラ様に従わされているノーマンも諦めると…?簡単に諦めるとは思えないんですけども。それこそアデラ様を取り返す為にシンシア様を脅しのねたにしてクラーク様を攻撃すると思います」
「ノーマンがシンシアの元へ来たが最後だ。シンシアを守れる様な人物をここへ寄越そう。その前にアデラの悪事を暴くには……どうにかせねばならんのだが」
「それなら私に考えがあります」
閃いた作戦はアデラを捕まえる算段も立てていた。
閃きの経緯をクラーク様に打ち明けるとクラーク様は何故か嬉しそうだった。
お父様と合流してから、作戦の全容を打ち明けたのだが、乗り気のクラーク様と対照的にお父様は難色を示した。
「そんな簡単に上手くいくとは思えん」
「上手くいかなくともノーマンは捕らえる事ができるかもしれない。それに…私事で申し訳ないのだが、三人の反応を見てみたいんだ」
「三人ってアデラ様とカイル様とフレッドですか?アデラ様はともかくとして、二人はそんなに大した変わりはないと思うのですが」
「ふむ…そうだといいのだが………」
(もしかしたら二人の事も疑っているのかもしれない)
本当ならばぶち切れたいところだが、クラーク様は既にアデラとノーマンの二人に裏切られている。
(疑いたくもなるよね……)
「クラーク様、お父様、私はイグニスに参戦したいと考えております」
何か言い掛けた父を手で制してクラークが口を開いた。
「姫にもうひとつお願いがある。作戦決行の際はフレドリックの側にいてくれないか?」
「……………私が、ですか?」
「上手くいけばアデラもノーマンも捕らえられる。信頼している二人を一度に失うフレドリックの心情は計り知れない」
「でも…私なんかが支えられるとは到底思えないのですが……それよりも攻撃される可能性のあるイグニスに行った方が少しは役に立つんじゃないかと」
父もクラーク様の意見に同意した
「いいや。お前しかいないだろう。作戦決行にはそれが必須条件だ」
「頼めるかな?イグニスには万が一に備えてうちから兵を送っておくよ」
「ええ。まぁ……はい」
(それならイグニスは私なんか居ても居なくても同じだろうし……)
「それではちゃちゃっと新しい法律を作ろうかな。一カ月程待っていてくれ」
「そ、そんなに早くできるんですか?」
「私を誰だと思っているんだ」
胸を張るクラーク様に今更その権力の大きさを思い出し、慌てて頭を下げた。
「た、大変失礼致しました」
クラーク様は何度も頷く
「君の未来の父親だぞ。いや、もう既に父親だ」
(謝って損した)「意味分かりません」
父も同じように呆れている。
「カイルは本当にお前の子供だな」
再度作戦を確認して三人は再会を約束した。
「クラーク様、作戦開始の際に私がフレドリックの側にいるという証拠をソルムから送ります。私はどうにか抜け出して一度会いに行きますね」
(クラーク様が心配なので)
「……………すまないな。ずっとアデラを見張っていたのに姫がいなければ未だに何もできずにいただろう」
「いいんです!平和の為に共に戦いましょう」
(カイル様の為でもあるし)
クラークはカイルと同じ優しい微笑みを見せた。
「ありがとう。姫がいつか困った時には必ず力になると誓うよ」
差し出された手に少し戸惑ったが、クラークの眼を見てしっかりと握手した。
────クラークと別れ、ウェントゥスへ帰る道
父はずっと険しい顔を崩さなかった。
「アルベルティーナには私から話す。だが、他の者には言わないこと」
「え?お兄様にも言わないんですか?」
「アランはカイルと随分親しくなった様だからな。口止めしてもカイルに話すだろう」
「はあ……カイル様は知っててもいいと思うんですけど……」
「クラークの疑う気持ちは自分の目で見ないときっと晴れないんだろう。それに…………恐らくそれだけではない」
言い淀んだ推測の話しは予想もつかないが、疑う気持ちが消えないのは分かる。自分が正にそうであったように。
「……分かりました」
(早くカイル様とシンシア様を会わせてあげたいな!会ったらどんな顔をするだろう……カイル様泣いちゃうかな?その時は私がカイル様を抱き締めてあげますからね!!)
帰ろうとする父の背中を見ながらミルディリアは考えていた。
(…………はっ!…もしかして!)
「お父様……ごめんなさい……」
ミルディリアは剣の柄を握り締め、父の後頭部に勢い良く振り下ろした。
「うっ…………!!」
見事にヒットしたようでベルンハルドは白目を向いてその場に倒れた。
「よし。これでガオルと同じ状態になったはず!」
ミルディリアに罪悪感は無かった。
風の魔法を力に変えて倒れた父の足を持ち上げる。
「ぐぬぬ……筋肉の塊っ重っ!……うっ!やっぱり!!来た!来た来た!」
虫に集られる様な感覚がすると、すぐそこにヘレンの家が見えた。
ノックもせずに扉を開けると目を見開いたヘレンがいた。
「あなた…!また来ちゃったの?!」
「お一人ですか?!」
「え?!」
「貴女以外に誰もいないですか?!」
「え、ええ」
「よし!」
ミルディリアはお父様を家に引きずり入れると頭にできたコブに触れる。
(治れー!!)
腫れはすぐに引いて元の状態に戻った
「…………これで大丈夫」(多分)
「そんな!まさか!…ベルンハルド様!?」
ヘレンは倒れている父の顔を見て口に手を当て驚いている。
「やっぱり貴女は……!ちょっと待ってて下さい!」
ミルディリアは父の頬を容赦なく往復ビンタした。
罪悪感は無かった。
「………ぅっ…」
小さなうめき声と共に大きな父の体がゆっくりと起き上がった。
「お父様!やりましたよ!シンシア様の家に潜入成功です!」
「ちょっと待って、シンシアって───」
ヘレンの小さな叫びは父の怒声に掻き消された。
「ミルディリア!お前は父を何だと思ってるんだ!」
「お父様うるさい!それどころじゃないんですよ!」
ミルディリアは父から離れシンシアに体を向ける。
罪悪感は皆無だった。
「単刀直入に言います!あなたはシンシア様ですよね?それと護り手はいつも何時位に来ますか?ガオルを逃がしてしまって大丈夫でした?お怪我は?とにかくここから逃げ出しますよ?準備はいいですかーっ?!」
高らかに掲げた拳を父に止められた。
「ミルディリア、いいからとにかく落ち着いてくれ」
「のんびり話してる暇は無いんです!お茶会はここを出てから!」
「私の名前はヘレンよ」
遮るように言うヘレンは険しい表情をしている。
「あのですね、のんびりしてるとお父様がここで戦わなきゃならなくて、私もシンシア様も危険なんです!折角生きてるって分かったのにまた死んじゃったらカイル様に何て言ったらいいんですか!」
「カイル………」
ヘレンの瞳が僅かに揺らいだ。しかしそれも一瞬の事。
「私には何の事だか分からないわ」
「だぁぁぁぁっ!!しらばっくれる理由は何だか知らないですけど、さっきお父様の名前言いましたよね?!そして私の事知らなかったし!シンシア様じゃなくても兎に角逃げ出しますよ!その前に何故ここに閉じ込められてるんですかっ!誰がやっ──もがっ!」
父の掌で口を覆われてしまった。
「ミルディリア、頼むから少し黙ってくれ」
「んーん!」(なにすんのよ!)
父はヘレンに視線を向ける。優しさと懐かしさに溢れる視線を。
「変わらないな。シンシア……」
「そんなはずな……ですから私はシンシアではないと何度言ったら分かっていただけるんですか」
(この手を離せー!)
ミルディリアはゆっくりと足を前に振り上げた。そこに二人の視線が注がれる。
「「???」」
ミルディリアの踵が鈍い音とともにベルンハルドの脛に入った。
「ひぅっーーーーーっ!!!」
「っぷはぁっ!」
踞るベルンハルドを押し退けてミルディリアはヘレンに詰め寄る。
「カイル様はシンシア様を殺した罪で今にも殺されそうなんです!助けてください!」
「そんな!」
ヘレンの目が見開かれる。
「一緒に来てカイル様の無実を晴らして下さい!私なら貴女をここから出せるんです!」
「貴女…カイルを愛してくれているのね」
「今はそんな話しをしてる場合じゃなーいっ!」
踞っていたベルンハルドがようやく顔を上げた。
「ミルディリア、お前への説教は後でたっぷりとさせてもらおう」
そしてヘレンへ向きなおる。
「シンシア、強引なやり方だが娘の話している事は半分本当だ。クラークでさえもカイルがシンシアを殺したと思っている」
「そんな!そんなの嘘よ!あの人がカイルを疑うなんて有り得ないわ!」
「やっぱりシンシア様なんですね…」
「…………ええ。そうよ」
シンシアは苦々しく頷いた。
「まさかそんな事になっているなんて……カイルは元気にしてる?あれから何年経ったのかしら……」
答えようとするベルンハルドの口を今度はミルディリアが塞いだ。
「それはご自分の目で確かめて下さい!とにかくここから早く出ましょう!護り手がいつ来るか分からない!」
「ノーマンなら今日はもう来ないわ」
「……………………………………え?」
思いがけない名前に思考が一瞬停止した。
「……ノーマン?」
「さっき帰ったばかりだもの。一日に何度も来ないわ」
「貴女を閉じ込めている護り手は………ノーマンなんですか?」
(ノーマンが……護り手…)
頭の中にあった疑問符に全て結びつく人物。
(…そうか。そうだよね。確かにノーマンなら……)
フレドリックの側近であるノーマンは悪魔退治の日、確かにメディウムにいた。赤い目を操る為に魔法陣を使ったのなら、それに必要な高い魔力を持っている。
「お父様、もしもあの悪魔退治のモンスターをノーマンが守っていたら……」
「悪魔退治のモンスターを……守る?」
「カイル様が言っていたんです。『あいつには魔法も効かなかった』と。効かなかったんじゃなくて『掻き消された』のかもしれない」
スタンレーとカイル様が対峙した時、初めて火の魔力と水の魔力がぶつかり合うのを見た。相対する魔力はどちらにも影響を及ぼさず水蒸気となって消えた。
ベルンハルドはいつになく真剣な眼差しをしている。
「それは有り得るな。ミルディリア、お前が戦ってみた感覚はどうだったんだ」
「悪魔退治のモンスターは粘液に覆われていました。濁っているような…泥水のようだったと言えばそうかもしれない。それに風を切るような感覚がしたと言いましたよね。それも今思えば『水』を切る感覚だったかもしれない」
ノーマンの曇りない笑顔を思い出してぞくりと背筋が凍った。
───曇りないと思っていた事に。
(フレッドは知ってるの……?)
込み上げてくる恐怖を払拭するようにぶんぶんと頭を振った。
(知るわけない!フレッドも騙されているんだ!…………そうだよね?)
「ノーマンがここに貴女を捕らえているのは間違いないんですね?」
シンシアは明らかに困惑している。
「知らないでここに来たの?一体何故?」
「それを教えてもらいに来たんです。そしてシンシア様を助ける為に!」
「私を……?」
「カイル様の無実を晴らす為にも教えて下さい!何故こんな事になっているのか」
「………分かったわ。役に立つかは分からないけど、私が知っている事を話しましょう」
ミルディリアは深く頷き、ごくりと唾を飲んだ。
「始まりは………アデラとノーマンが愛を語らっている場面を見てしまったのよ」
「え?!アデラ様と?!だってノーマンは……」
「ええ。当時ノーマンはメディウムの兵士。精鋭術者とはいえ、アデラはクラークの側室。許されない恋だわ。……その時アデラはお腹に子を宿していた」
思わず息を飲み込んだ。
「フレドリック……」
「そう。ノーマンはその時大きくなったお腹を撫でて『私達の愛の結晶』と言っていたわ。それが本当かどうかは分からないけれど」
(フレッドはノーマンの子供……だからフレッドはノーマンから護り手の能力を継いでいるんだ)
ミルディリアは父に視線だけ向けると、同じ事を思っていたのだろう。眉間に皺を寄せたまま父は黙って頷いた。
ノーマンはフレドリックがソルムの国王になると同時に自ら希望してメディウムからソルムに移った。昔その話しを聞いた時に幼いながらも違和感を覚えた。メディウムでクラーク様の側近になれる魔力を持っているのに何故ソルムに来たのかと。
ノーマンはソルムの土地柄が好きだと言っていた。賑やかなメディウムを騒がしく感じるとも。権力欲の無い人なんだと思っていたのだが、単純に息子の側に居たかったのかもしれない。
「でもクラークはフレドリックがたとえノーマンの子供だとしてもきっと気にしないわ」
「そんなわけないですよ!」
「いや」
ベルンハルドは小さく頷く。
「クラークはそういう男だ。血の繋がりではなく自分の元へ巡って来てくれた子供として大切にするだろう」
シンシアも深く頷いた。
「だからこれは私の胸の内におさめておこうと思ったのよ。…………でも我慢できなかった…」
「そりゃそうですよ!クラーク様を裏切ってるのに!」
「違うわ」
「へ?」
「アデラは身籠った私を何度も殺そうとしたわ。狙いは恐らく私じゃなく……カイル。無事にカイルが生まれてからも何度もカイルを殺そうとした。毒を盛られたり、階段から突き落とされたり……」
「権力を得る為だけに?!」
シンシアは複雑な表情を浮かべた。
「そう単純に考えていればきっと今とは違う未来があったんでしょうね」
「……それ以外に何があるんですか」
「ええ。本当にそれだけ。単純な事だったのよ。アデラは権力が欲しかっただけ。けれど私はまだ若かった。それに気付かずに言ってしまったの。「フレドリックが誰の子であってもクラークは公平に見てくれる」と」
「説教したのか」
「諭そうとしたのよ。それで目を覚ましてくれるんじゃないかって期待して…クラークの事をちゃんと分かっていれば動じるはずがないわ。クラークはカイルに王の能力が無いと思えば側室の子であってもフレドリックを王にする。そういう人でしょう?けれどアデラはそれを脅しとして受け取ったんでしょうね。……私は気付いたらここにいたのよ」
「え?!何も分からないままここに?」
「ええ。最後に見たのはカイルが魔法の練習をしていた………この絵を描いてくれた後にね」
シンシアは壁に貼られている絵を悲しそうに撫でる。
「その時アデラ様は一緒にいたんですか?」
「いいえ。カイルと私、二人だったはずよ。気付かなかっただけで恐らく近くに居たんでしょうね。ノーマンはたまにここへ来ては食事を置いて行くだけ。彼は何を聞いても口を開く事はないわ。だから全て私の推測よ」
「アデラは権力欲しさにノーマンの気持ちを利用して……」
(ヴィエラも同じように……最っ低!!)
「シンシア様、ノーマンが護り手だと分かったのは何故ですか」
「それが分かったのはつい最近よ。薄々感じてはいたけど。ノーマンはガオルが居なくなって随分慌てた様子だったわ。『私の結界を破ったのは誰だ』と聞いてきたの。結界の意味する事は身を持って知っていたから」
「私の軽率な行動のせいで……」
「大丈夫よ。ガオルは自力で出て行った事になってるわ。彼はあれから大丈夫?」
「ええ。シファが……とても強い人が側についてくれています」
「それなら良かったわ」
シンシア様は心底安心したように微笑んだ。
「シンシア様は大丈夫でしたか?ガオルが自力で逃げたなんて…そんな簡単にノーマンが信じるとは思えない」
「信じたかどうかは分からないけれど、私は疑われないわ。他人を逃がす事が出来るならとっくに私が逃げ出しているはずだもの」
「確かに」(そりゃそうだ)
「それにノーマンは私を殺さないわ。傷をつけられたのは大昔に一度だけよ」
「傷……って?」
「逃げ出そうとした時に足を……折られたのかしら?物凄く痛かったわ」
(の、呑気!)
「もしかして足が悪いのはそのせいなんですか?」
「ええ。録な治療をしていないから……もう痛くは無いけれど今も調子が悪いの」
ベルンハルドが気遣う様な表情を浮かべる
「大丈夫なのか?体は……」
「ええ。大丈夫よ。発作も起きていないし、たまに熱っぽくて寝込む位よ」
「体が弱いっていうのは本当だったんですね」
「ええ。でもこんな日が来るならここから出たいじゃなく、体を丈夫にしてって願うべきだったかしら」
ふふふっとシンシア様が笑った。
「願うって……まさか…」
「ある日目が覚めたら一冊の古書があったのよ」
「まさか魔法陣を使ったんですか!?」
シンシア様は微笑みを崩さずに頷いた。
「知っているのね。ふふっ…愚かでしょう?逃げ出す事もできずにただ見た目が変わっただけよ。……今更出られたとしてもこんな姿では誰も私だとは分からないでしょうね」
「ご自身の代償だったんですね…ごめんなさい。私がもっと早く来ていれば…」
「優しいのね。私が逃げようとした時、貴女はまだ子供だったはず。そして逃げ出せると信じていた私も考えが浅かったわ」
「でも……何故殺されずに今日まで生き延びられたんですか?」
ベルンハルドが重い口を開いた。
「それは恐らく利用しようと思っているんだろうな。いつかカイルがメディウムの王に即位するとなった時、シンシアの命を脅しに使う事をひとつの手として」
今更ながらアデラの笑顔が薄汚く思えて怒りが込み上げる
「人の人生を何だと思ってるの!」
シンシア様は穏やかな表情を崩さなかった。
「でもお陰で生かされている内はカイルも生きてるという事。それが唯一の救いだったわ。私にも教えてもらえるかしら?何故カイルが私を殺した事になっているの?」
怒りが静まり、代わりに悲しみが込み上げる
「それは……カイル様が魔法の練習をしている時に誤ってシンシア様を焼死させたと…その…クラーク様が……」
「あら、そうなの」
(の、呑気!)
「怒らないんですか?!むかつきますよね?!クラーク様は息子を疑って、貴女の遺体を見分けられなかったんですよ!しかもアデラを王妃に────」
「…ミルディリア!」
父が咎めるように言うも、ミルディリアは止められなかった。
「そんな事あっていいはずがない!」
「ふふっ!元気なお嬢さんね」
(の!呑気すぎる!)
「私の身代わりになって誰かが亡くなったのね……」
寂しそうな顔をするシンシアにミルディリアは驚いた。自分が死んだ事になっているのにそれに対して怒りもせず、身代わりに殺された人の事を嘆いている。
「シンシア様は女神のような人ですね…」
(私だったら一先ずぶち切れるわー)
「ふふふっ!面白いお嬢さんね!私なんかを助けに来てくれた貴女こそ女神様よ!」
「あー!そうだ!早くここから出ましょう!」
「それは無理だ!」
止める父を睨み付けた。
「何故?!クラーク様もカイル様もシンシア様が生きていると知ったら喜びますよ!」
「シンシアは体が弱いと言ったろう?」
ベルンハルドが手で押さえているのは先程ミルディリアが殴った後頭部。確かに鍛えられた父なら大丈夫だろうと手加減せずに殴った。罪悪感も無く。しかし見るからにか弱いシンシア様にはできない。
「む……むむむ……」
衝撃により命に危険が及ぶなら尚更だ。更にミルディリアにの治癒魔法でせるのは目に見える物だけ。つまり外傷だけ。シンシア様の抱えている病気は治せない。
「やってみましょう!」
「ミルディリア!」
父が物凄い形相で睨んでいる。
「もちろん意識のあるままで。試してみないと分かんない」
ミルディリアは強引にシンシアの手を引いてドアを開けた。
「うわ……っっ」
視界がぐにゃぐにゃに歪むと外に出られた。
「やった!でき………」
後ろを振り向くと、握っていた手の先には誰もいなかった。
「てない………くそー」
渋々部屋へ引き返す。
「この……虫みたいなの何とかなんっ…ぱひゃぁーーーーっ!!」
「ミルディリア!どうした!?」
「虫が口に入ったぁぁぁ…気がする」
「あらあら大丈夫?お水を…」
「シンシア、構うな。娘は変わり者なんだ」
部屋には微笑むシンシア様と、腕組をして「やっぱりな」という顔をした父がいた。
「護り手の結界恐るべしですね………」
シンシア様はゆっくりと椅子に掛けた。
「もういいのよ。時間の無駄だわ。私だって何度も試したもの」
「シンシア様…」
「それにたとえ健康でも私は出て行かないわ」
「何故ですか?」
「誰もが『私は死んだ』と信じているのよね?」
「そうです!悲しみを抱えたままなんですよ!」
「だったら………私を殺してくれないかしら?」
「んなぁに言っちゃってるんですかっ!寝言は寝てから言えってカイル様に怒られますよ!」
「いつか利用される位なら死にたいのよ。でもここには自害する術がないわ…」
「なるほどね!だから私と初めて会った時に私を怒らせようとしたんですね!そんなの無駄!演技へったくそでしたもん!まずね、その考え良くない!私もつい最近そんな事考えたけどもっ!だけど待ってる人がいるの!その人が死んでくれって言ったら死ねばいい!あなたの帰りを待ってる人がいるんだから!」
怒りのまま一気に喋り、はあ、はあ、と息切れするミルディリアをシンシアは呆気に取られ目を真ん丸くして見ていた。
やや間があってようやく口を開いた。
「一度も噛んでないわっ!」
「呑気すぎるじゃろがいっ!」
「シンシア、口は悪いが娘の言う通りだ。どうにかここから出る方法を考えよう」
「ねえ、ミルディリア…姫?姫でいいのよね?お嬢さんの方が良いかしら?」
「この際カエルでも何でもいいですよ!何ですかっ!」
「貴女は賢い女性だわ。落ち着いて考えて。私は完全に死んだ事になっている。それがどういう意味か分かるはずよ」
「それは…………」
シンシアは頷いた。
「そう。アデラは策士───」
「閃いたー!!!」
「あらあら、なぁに?」
「……………おい。お前たち……」
ベルンハルドは二人の空気について行けなくなりつつあった。だが、シンシアの言いたい事は理解していた。アデラは一筋縄じゃいかないと。問題は娘の方だ。娘の閃きは時にとんでも無い方向に進む。
ミルディリアは父の顔を凝視した。
「お父様お元気ですか?お変わりありませんか?」
「あら、まあ!本当に変わり者ね」
シンシアは口元に手を当てて驚いている。
父は呆れた顔で、ふーっと鼻から息を吐いた。
「それで?お前は何がしたいんだ?閃きとやらを話してみなさい」
「ここでノーマンを待ち伏せして捕まえましょう!」
「どうやって?」
父は呆れた表情のまま腕組みをした。
「一度結界の中に入ればお父様は私が居なくても大丈夫!ということで、ノーマンを王妃監禁の容疑で捕まえるんです。お父様が。それから───」
「そんな簡単に行くとは思えないわ」
シンシアまで呆れた顔をしている。
「そもそもノーマンと戦う事になったら、シンシアを守りながら戦わなければならない。圧倒的に不利…というか不可能だ。もし万が一勝てたとしてもアデラに心を預けたノーマンが自白するとは思えんし、容姿の変わったシンシアの証言だけでは信じる者の方が少ないだろう」
「ぐぬぬ…」
父の言う事はごもっともだ。だけどシンシア様だと分かった今、放っておけなかった。
「そうだ!シンシア様が寝ている間に連れだそう!」
「私、眠りが浅いのよね……」
「むむむ……そうだ!お父様!今こそあの睡眠薬の出番ですよ!」
「法的に禁止したばかりだろ」
スタンレーの事件以降、サブルムで栽培された薬草は既に流出している物も含めて全ての使用が禁じられた。
「それが何だっていうんですか!ルールを守ってたら勝てる相手なんですか!?」
ベルンハルドはやれやれ、といった様子で苦笑いした。
「分からなくもないが、もう既に種しか残っていない。栽培には時間が必要だ。早くても数ヶ月はかかるだろう。そしてひとつ問題がある。スタンレー亡き今、高い水の魔力が必要だ。その人物を探すところからだな」
「そんなのお父様頑張って何とかして下さいよ!」
「頑張ってどうにかなるものじゃないだろう」
「だってのんびりしてたら拠点を変えられちゃう可能性があるでしょ?!」
「その可能性は低いわ」
「え?!何故ですか?」
「ノーマンはガオルがいなくなってから毎日来るの。時間はバラバラだけど、またガオルが来るのを待っているんじゃないかしら」
「恐らく『ガオルを逃がした犯人』を待っているんだろうな。拠点を移る心配は無くても極力急ごう。待ち伏せじゃなくノーマンを捕らえる方法を考えるしかない」
「シンシア様、待っていて下さい!必ず助け出してみせます!」
「……ありがとう」
シンシア様はにこりと微笑む
「お礼は助けだしてからです!」
「いいえ、お話しできただけでも嬉しいのよ。助けてくれようとしている事も勿論だけど。本当にありがとう。あなたは女神だわ」
「シンシア様……」
途端に胸が悲しみに支配される。外の世界では死んだとされて、ここにたった一人で何十年もいた。その悲しみは計り知れないだろう。
(せめて…)
「クラーク様とカイル様を連れて来ます!」
「え?!」
「二人だって会いたいに決まってる!」
「でも、ノーマンがいつ来るかは分からないわ」
「お父様が足止めしてくれますよね?!ね?」
父は呆れた顔をするかと思ったが、意外にも微笑んでいた
「とりあえず今日はもう来ない可能性が高いのだろう?今日中だとカイルは間に合わないが、クラークなら直ぐ来られる。クラークだけでも来させよう」
────数時間後
足止め役のお父様からソルムに着いたと連絡が届き、川辺で待ち合わせをしていたミルディリアとクラークも無事に落ち合う事ができた。
「本当に……シンシアが?」
困惑気味のクラーク様に敢えて多くは語らなかった。手放しでは喜べないだろうとは思っていたから。
「とにかくご自身の目で確かめて下さい」
「姫、ここに至るまでの経緯を教えてもらえないか?」
ミルディリアは至って冷静だった。冷静すぎる程に。
「その前にカイル様にはまだ言うなってどういう事ですか?」
クラーク様の表情が曇る。
「…………シンシアを失った時の悲しみは一言では語れん。あれをカイルにもう一度味わわせるなんてできないんだ。勝手な事だとは思うが、シンシアを無事に助け出せるまで黙っていてもらえないか?」
(本当にそれだけ?カイル様にも協力してもらえばいいのに)
ミルディリアは冷たい剣を抜いた。その剣先を迷いなくクラークに向け感覚を研ぎ澄ます。気配を感じ取れる様に意識を全方向に向けて。
「クラーク様、もしも私の話しの全てが嘘で、私がクラーク様に殺意を抱いているとしたらどうしますか?」
クラークは一切動じなかった。
「姫は私を疑っているのかね」
シンシアの話した事は全て推測。敵がアデラとノーマンだけとは限らない。そしてクラークが善人だというのも父とシンシアの先入観かもしれない。もしもクラークも敵だとしたら…
「例えば私が貴方に手を下した瞬間に、その木の影から現れた貴方の部下に私が捕らわれたら、シンシア様を救う術はなくなる」
クラーク様は微笑んだ。
「……賢いな。我が娘よ」
「娘じゃねーし」
「はははっ!姫はカイルに似てるな!」
楽しそうに笑ったかと思うと、一変して真剣な眼差しを向けた。
「私も同じ事を考えたよ。シンシアへの想いにつけこんでベルンハルドが姫を唆し、こんな何も無い、誰もいない場所で私を亡き者にするんじゃないかってね。だから、これは私から信じるしかないようだ。親友と…その娘、ミルディリア姫を信じよう」
クラーク様は短剣を取りだし、止める間もなく自身の腹に突き刺した。
「クラーク様!!」
飛び散る鮮血。クラーク様は膝をついて尚もナイフを腹に突き刺す。
「っぅぐっっっ!!!!これ、で…シンシアに…あえ……っる……だな」
「いやいやいや!ちょい待てーい!会えるわけないでしょ!」
(気を失ってないし!怪我すりゃいーってもんじゃないし!そもそも切り傷なんて治らなかった場合のリスク高過ぎ!)
クラークは忌々しそうにミルディリアを睨む。
「な……っなにっ!……やはり…仕組まれた…か…」
「違ーう!何勘違いしちゃってんのさ!アホなんですか?アホなんですね?!待て!落ち着けミルディリア!このまま貧血まで待てばいいのか?」
(それでシンシア様の元へ着く頃に息絶えていたら……私の蘇生魔法、私の命はクラーク様の命と引き換えに?)
「あーもう考えるのめんどくさっ!」
ミルディリアは力の限りクラーク様を殴打して全速力でシンシアの元へ向かった。
────バァン!!
「クラーク!!」
シンシアは血に濡れた二人を見て目を見開く
「まさかノーマンが…?!」
「違います…!」
ミルディリアはぜぇぜぇと切れる息を何とか飲み込んだ
「着いて早々申し訳ないのですが、魔力を貸してください……っ」
「分かったわ!」
シンシアはミルディリアのブレスレットを握りしめた。
(治れ!治れ!治らなかったら私が死ぬーー!!)
ブレスレットから流れる魔力をそのまま注ぎ込むとクラーク様の体が僅かに動いた。
「かはっ……!!」
(良かったぁぁぁ!!)
「クラーク様のどあほぉぉぉぉぉ!!」
傷口だった場所を思い切り蹴飛ばしたが、回復したクラークは微動だにしなかった。
「……姫…私は……??ここは??」
(この人本当にカイル様のお父様なの?アホすぎて……精魂尽き果てた…)
「私…ちょっと寝ます………」
「あらあら、おやすみなさい」
シンシア様の呑気な声を受け取って床にそのまま突っ伏した。
────微睡みの中
『カイルが殺したとは信じていなかった』
と涙声のクラーク様が話している。続いて
『この日をどれだけ待っていたことか』
『貴方も同じように苦しんでいたのね』
同じように涙声のシンシア様。
(良かった…………めでたし、めでたし)
「じゃなぁぁぁぁい!!」
シンシアとの涙の再会を終え、川辺に戻って来た二人。ミルディリアは芝生の上にクラークを正座させていた。
「何考えてるんですかっ!死ぬかもしれなかったんですよ!」
「だけどああするしか信じてもらえないと思ったのだよ」
「本当に私が裏切ってたら死んでいたんですよ!」
「それもいいかと思ったんだ」
「いいわけあるかーっ!!」
「最近な、誰も彼も疑わしく思えて…そんな自分が嫌になるのだよ…情けないな…」
その気持ちはミルディリアにも良く分かっていた。大事な人を疑わなければいけない状況が辛くて、疑いを持って人と接する自分が嫌になる気持ち。そして正に今、父が何度も信じろと言っていた父の親友を疑っていた。
「共に戦いましょう!私はたいした戦力にはならないけど、お父様はしっかりしているので大丈夫です!それにカイル様も───」
「ありがとう姫。姫が提案した作戦をやってみないか?」
「え?ノーマンを捕らえるってやつですか?」
「ああ。シンシアを救えたとしても、その後アデラに狙われる事は止められない。だからその前にアデラの尻尾を掴むんだ」
「そうすれば、アデラ様に従わされているノーマンも諦めると…?簡単に諦めるとは思えないんですけども。それこそアデラ様を取り返す為にシンシア様を脅しのねたにしてクラーク様を攻撃すると思います」
「ノーマンがシンシアの元へ来たが最後だ。シンシアを守れる様な人物をここへ寄越そう。その前にアデラの悪事を暴くには……どうにかせねばならんのだが」
「それなら私に考えがあります」
閃いた作戦はアデラを捕まえる算段も立てていた。
閃きの経緯をクラーク様に打ち明けるとクラーク様は何故か嬉しそうだった。
お父様と合流してから、作戦の全容を打ち明けたのだが、乗り気のクラーク様と対照的にお父様は難色を示した。
「そんな簡単に上手くいくとは思えん」
「上手くいかなくともノーマンは捕らえる事ができるかもしれない。それに…私事で申し訳ないのだが、三人の反応を見てみたいんだ」
「三人ってアデラ様とカイル様とフレッドですか?アデラ様はともかくとして、二人はそんなに大した変わりはないと思うのですが」
「ふむ…そうだといいのだが………」
(もしかしたら二人の事も疑っているのかもしれない)
本当ならばぶち切れたいところだが、クラーク様は既にアデラとノーマンの二人に裏切られている。
(疑いたくもなるよね……)
「クラーク様、お父様、私はイグニスに参戦したいと考えております」
何か言い掛けた父を手で制してクラークが口を開いた。
「姫にもうひとつお願いがある。作戦決行の際はフレドリックの側にいてくれないか?」
「……………私が、ですか?」
「上手くいけばアデラもノーマンも捕らえられる。信頼している二人を一度に失うフレドリックの心情は計り知れない」
「でも…私なんかが支えられるとは到底思えないのですが……それよりも攻撃される可能性のあるイグニスに行った方が少しは役に立つんじゃないかと」
父もクラーク様の意見に同意した
「いいや。お前しかいないだろう。作戦決行にはそれが必須条件だ」
「頼めるかな?イグニスには万が一に備えてうちから兵を送っておくよ」
「ええ。まぁ……はい」
(それならイグニスは私なんか居ても居なくても同じだろうし……)
「それではちゃちゃっと新しい法律を作ろうかな。一カ月程待っていてくれ」
「そ、そんなに早くできるんですか?」
「私を誰だと思っているんだ」
胸を張るクラーク様に今更その権力の大きさを思い出し、慌てて頭を下げた。
「た、大変失礼致しました」
クラーク様は何度も頷く
「君の未来の父親だぞ。いや、もう既に父親だ」
(謝って損した)「意味分かりません」
父も同じように呆れている。
「カイルは本当にお前の子供だな」
再度作戦を確認して三人は再会を約束した。
「クラーク様、作戦開始の際に私がフレドリックの側にいるという証拠をソルムから送ります。私はどうにか抜け出して一度会いに行きますね」
(クラーク様が心配なので)
「……………すまないな。ずっとアデラを見張っていたのに姫がいなければ未だに何もできずにいただろう」
「いいんです!平和の為に共に戦いましょう」
(カイル様の為でもあるし)
クラークはカイルと同じ優しい微笑みを見せた。
「ありがとう。姫がいつか困った時には必ず力になると誓うよ」
差し出された手に少し戸惑ったが、クラークの眼を見てしっかりと握手した。
────クラークと別れ、ウェントゥスへ帰る道
父はずっと険しい顔を崩さなかった。
「アルベルティーナには私から話す。だが、他の者には言わないこと」
「え?お兄様にも言わないんですか?」
「アランはカイルと随分親しくなった様だからな。口止めしてもカイルに話すだろう」
「はあ……カイル様は知っててもいいと思うんですけど……」
「クラークの疑う気持ちは自分の目で見ないときっと晴れないんだろう。それに…………恐らくそれだけではない」
言い淀んだ推測の話しは予想もつかないが、疑う気持ちが消えないのは分かる。自分が正にそうであったように。
「……分かりました」
(早くカイル様とシンシア様を会わせてあげたいな!会ったらどんな顔をするだろう……カイル様泣いちゃうかな?その時は私がカイル様を抱き締めてあげますからね!!)
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