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監禁前夜
二話・忘れられないモノ②
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昼食時のカフェテリアには人がごった返していた。
どこを見ても人の林、留まることの知らない濁流の中をするする渡っていく。どうにか注文カウンターへと辿りつき昼食の注文自体は出来たけれど、この分だと席が空いているかどうかの方が怪しい。昼食代わりのケーキセットが出来るまでには確保しておかなければ……、そう思い周囲を隅々まで見渡してみる。
ぐるりと一望したカフェの店内、和気あいあいと談笑する姿が多く見受けられる。友人同士の中身もないような穏やかな会話、研究者同士の実が詰まりに詰まった熱い話、外国語学科の生徒はカフェ専属の英語担当者と英会話を楽しんでいる。平和、平凡、そう表記するのが正しい世界がそこにはあった。
そんな世界の片隅で、アイネの瞳は奪われた。
大きくあいた窓の向こう、カフェテラスになっている席に座る一つのシルエット。机の上には何らかの資料が広げられ、いくつもの白地プリントが陽光をまばゆく反射している。その傍らには、隅に追いやられるようにしてサンドイッチセットが居心地悪く存在していた。対面の席は彼のものだろう鞄が占領し、二人掛けの席を彼はゆったり一人で独占している。陽の光に、艶やかな濡れ羽色が煌めいていた。
ドクンと、強く心臓が脈を打った。
「…………メ、ア……?」
居る筈がない。だって、彼は今海外に居るはずだ。
彼が引っ越して以来、一切連絡を取っていなかったから現在なんてまったく知らないが。
中学時代、家の事情で彼が引っ越した。その数ヵ月後に『父のこと』があり、アイネは意図的に彼への干渉や交流を行わないようにしていた。知られたくなかった、彼との思い出まで汚らわしい白に染めたくなかった。
だから、今彼がどこにいて、何に興味があって、どんな容姿をしているかは何も分からない。だというのに、不思議とカフェテラスに座る人物を見ていると幼いころの彼の姿が頭に浮かび上がった。確かに、すくすくと育ったのなら今はあんな風に成長していてもおかしくはないだろう。
女の子のように愛らしかった顔はその名残をいまだ醸し出しつつもしっかりと男らしい顔つきへ変化していき、小さくもわんぱくだった子どもの手は大きく落ち着きのある骨ばった指へと変化する。当時は自分の方がわずかに高かったはずの背丈はすっかり抜かされた。
そんな想像がいとも容易く出来て、確証もないのに足は知らぬ間にテラスへと向かっていた。これで人違いだったら恥ずかしい話だ。
カランカラン、ドアを開くと澄んだ音色が耳を癒す。春の陽気を携えた青空はアイネの赤茶色の髪を優しく見下ろしている。柔らかな風が吹くテラスでは、向かいにある桜並木からふわりと花々の香りが漂ってくる。それがまた、あの楽しかった日々を彷彿とさせてきゅうっとアイネの胸を締め付けた。
「……あの、相席、いいですか?」
彼の席までおずおずと歩み寄り、怪しくないだろう言葉をどうにか選び取った。どこも席が埋まっていて空席が見当たらないのは本当だ。これならば断わられたとしても「そっか」で済む。互いに損害と呼べるようなものは生まれないだろう。
「相席?」
手元のプリントに目を通していた彼の顔がすっと上がる。初めて間近で見た彼の相貌に、またアイネは言葉を失った。やはり、似ている。
少しクセのある整えられた黒いショートヘアも、薄く水色がかった灰色の瞳も、瞳を覆う大きくぱっちりとしたアイラインも。すべてよく知る彼に似ていて、自ずと心臓は足早に脈を打った。
「……アイネ?」
「っ、」
彼によく似たその人は、彼によく似た声音で名を呼ぶ。
それは、成人らしく低くはなっているものの、
とても懐かしい優しい音色で。
不思議と胸の奥がぎゅっとなって、目頭はツンと痛んだ。
「……わぁ! もしかしてアイネ?! 相馬 逢音!?」
「お、まえ……よく分かったな……」
不覚だ。泣きそうになるなんて。彼によく似た、もとい張本人たる芽木 藍那はそんなアイネの心境など気付かずにきゃっきゃと無邪気に喜び跳ねるように席を立った。そして、勢いを殺すことなくそのまま力いっぱい抱きしめられる。
白昼堂々、人の多いカフェテラスで。
アイネの予想通り、成長したメアはアイネよりも背が高かった。運動部にでも所属していたのか体つきもしっかりとしていて、服越しでも筋肉をはっきりと感じ取れる。そのくせ、幼い頃から備わっていた愛嬌はそのまま健在なのだからズルいと言うべきか何というか。見る人が見れば彼への形容詞はきっと「小悪魔」だろう。
「そりゃ分かるよ、……見てたもん」
「……え?」
低音で囁くように、こっそりと流し込まれた言葉に声が震えた。
どこを見ても人の林、留まることの知らない濁流の中をするする渡っていく。どうにか注文カウンターへと辿りつき昼食の注文自体は出来たけれど、この分だと席が空いているかどうかの方が怪しい。昼食代わりのケーキセットが出来るまでには確保しておかなければ……、そう思い周囲を隅々まで見渡してみる。
ぐるりと一望したカフェの店内、和気あいあいと談笑する姿が多く見受けられる。友人同士の中身もないような穏やかな会話、研究者同士の実が詰まりに詰まった熱い話、外国語学科の生徒はカフェ専属の英語担当者と英会話を楽しんでいる。平和、平凡、そう表記するのが正しい世界がそこにはあった。
そんな世界の片隅で、アイネの瞳は奪われた。
大きくあいた窓の向こう、カフェテラスになっている席に座る一つのシルエット。机の上には何らかの資料が広げられ、いくつもの白地プリントが陽光をまばゆく反射している。その傍らには、隅に追いやられるようにしてサンドイッチセットが居心地悪く存在していた。対面の席は彼のものだろう鞄が占領し、二人掛けの席を彼はゆったり一人で独占している。陽の光に、艶やかな濡れ羽色が煌めいていた。
ドクンと、強く心臓が脈を打った。
「…………メ、ア……?」
居る筈がない。だって、彼は今海外に居るはずだ。
彼が引っ越して以来、一切連絡を取っていなかったから現在なんてまったく知らないが。
中学時代、家の事情で彼が引っ越した。その数ヵ月後に『父のこと』があり、アイネは意図的に彼への干渉や交流を行わないようにしていた。知られたくなかった、彼との思い出まで汚らわしい白に染めたくなかった。
だから、今彼がどこにいて、何に興味があって、どんな容姿をしているかは何も分からない。だというのに、不思議とカフェテラスに座る人物を見ていると幼いころの彼の姿が頭に浮かび上がった。確かに、すくすくと育ったのなら今はあんな風に成長していてもおかしくはないだろう。
女の子のように愛らしかった顔はその名残をいまだ醸し出しつつもしっかりと男らしい顔つきへ変化していき、小さくもわんぱくだった子どもの手は大きく落ち着きのある骨ばった指へと変化する。当時は自分の方がわずかに高かったはずの背丈はすっかり抜かされた。
そんな想像がいとも容易く出来て、確証もないのに足は知らぬ間にテラスへと向かっていた。これで人違いだったら恥ずかしい話だ。
カランカラン、ドアを開くと澄んだ音色が耳を癒す。春の陽気を携えた青空はアイネの赤茶色の髪を優しく見下ろしている。柔らかな風が吹くテラスでは、向かいにある桜並木からふわりと花々の香りが漂ってくる。それがまた、あの楽しかった日々を彷彿とさせてきゅうっとアイネの胸を締め付けた。
「……あの、相席、いいですか?」
彼の席までおずおずと歩み寄り、怪しくないだろう言葉をどうにか選び取った。どこも席が埋まっていて空席が見当たらないのは本当だ。これならば断わられたとしても「そっか」で済む。互いに損害と呼べるようなものは生まれないだろう。
「相席?」
手元のプリントに目を通していた彼の顔がすっと上がる。初めて間近で見た彼の相貌に、またアイネは言葉を失った。やはり、似ている。
少しクセのある整えられた黒いショートヘアも、薄く水色がかった灰色の瞳も、瞳を覆う大きくぱっちりとしたアイラインも。すべてよく知る彼に似ていて、自ずと心臓は足早に脈を打った。
「……アイネ?」
「っ、」
彼によく似たその人は、彼によく似た声音で名を呼ぶ。
それは、成人らしく低くはなっているものの、
とても懐かしい優しい音色で。
不思議と胸の奥がぎゅっとなって、目頭はツンと痛んだ。
「……わぁ! もしかしてアイネ?! 相馬 逢音!?」
「お、まえ……よく分かったな……」
不覚だ。泣きそうになるなんて。彼によく似た、もとい張本人たる芽木 藍那はそんなアイネの心境など気付かずにきゃっきゃと無邪気に喜び跳ねるように席を立った。そして、勢いを殺すことなくそのまま力いっぱい抱きしめられる。
白昼堂々、人の多いカフェテラスで。
アイネの予想通り、成長したメアはアイネよりも背が高かった。運動部にでも所属していたのか体つきもしっかりとしていて、服越しでも筋肉をはっきりと感じ取れる。そのくせ、幼い頃から備わっていた愛嬌はそのまま健在なのだからズルいと言うべきか何というか。見る人が見れば彼への形容詞はきっと「小悪魔」だろう。
「そりゃ分かるよ、……見てたもん」
「……え?」
低音で囁くように、こっそりと流し込まれた言葉に声が震えた。
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