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しおりを挟む全員がビクリと反応して声のした方角をたどった。
視線のたどり着いた先には、破壊神のような顔をした男が酷薄に顔を歪めながら立っていた。
全身からすさまじい怒りのオーラをまき散らしつつゆっくりと歩いてこちらへ来る男を、4人は短い悲鳴で出迎える。続いて、再度注意を受ける前にと、骨付き肉とキッシュとタルトが一口でそれぞれの口の中へと消えた。ワインは先ほどの指弾を受けたときにこぼれてしまったのか、ワイングラスを持っていた騎士はテーブルへ音を立てないようにと静かにそれを置いた。
ヴォルフが4人の騎士達の背後へたどり着くと、全員が冷や汗をかきながらしばし沈黙した。
もぐもぐという咀嚼音以外、誰もなにも発しない。
ゾフィアもまたヴォルフをただ見つめる。
こうしていると自分も一緒に怒られている気分になって、小さく首を竦めたくなってしまう。それぐらい強い視線を、ヴォルフは他の騎士達と同様にゾフィアにも向けていた。
私が不要な争いの種になってしまった。それをきっと、この人は怒ってる。
なんだか猛烈に悲しくなって、しゅんと縮こまった。
ヴォルフ様には嫌われたくない。
それは本能の拒否反応だ。何故そう思うのか、どうして彼なのかを考えようとするが、思考の奥底へと沈みこんでしまう前に、怒り心頭のヴォルフがチッと忌々しげに舌打ちした。
「――存外モテるんだな。壁の花」
居並ぶ5人の騎士がざわっと揺れた。ゾフィアも騎士達を差しおいて自分が最初に声をかけられるとは思っていなくて反応できない。
目をぱちくりと瞬いてヴォルフを見る。
その目の奥になんの思惑があるのかと探ってみたが、社交スキルの低い自分には到底わかり得なかった。
「……えっ、いいえ、そんなことは……」
「お前ら4人がやっていたのは、4人の中から誰か1人を選べと、そういう遊びだよな」
今度の問いはアルフレートの同期の騎士達へだ。
遠目からでも、この場で起こっていたことをヴォルフは正確に把握していた。
その鋭すぎる洞察眼に騎士達はひえぇと肩をすくめる。上官が状況を把握したら相応の罰をあたえられると思ったらしく、誰も無駄口を叩くことなくただコクコクと首を縦に振る。
聞かれたものの答えを期待されていない状態に、ゾフィアはすこしだけショックを受けた。愚鈍だと言われた気がして、胸の内でこっそりと凹む。
アルフレートだけが4人とは異なる反応――けわしい表情でヴォルフへ視線を投げている。両手を広げて背後にゾフィアをかばった体制のまま、だまって上官の出方をうかがっていた。
もうヴォルフは、たぶんアルフレートの味方ではない。
嫌な予感は今や確信へと変わりつつあった。さっき上官にあの話を語ってしまったのは間違いだったと、彼はここにきて激しく後悔していた。
「おい、壁の花」
「は、はい」
「ここにいる6人の中から、踊る相手を選べ」
「「「――は?」」」
皆の視線がいっせいにヴォルフへと集まった。全員が穴が空くほどヴォルフの藍色の瞳を覗きこむ。真っ先に現実へと返り咲いたのはゾフィアだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!勝手に決めないで!」
大慌てで首を振り、そんなことはしないしする気がないと言うが、誰も聞いてくれない。
「――へぇ、上官にしては、なかなか粋な計らいですね」
「平等にチャンスがあるってのが良いよな」
「よし、乗ったわ」
「俺も乗る!」
4人の騎士はすでにやる気である。ゾフィアは助けを求めるような視線を、思わずアルフレートへと向けた。
しかしアルフレートはヴォルフに対して射るような鋭い視線を送るだけで状況を静観するつもりらしく、助け舟を寄越してはくれなかった。
たまらず大声が口をついた。
「人を景品みたいに扱わないでください!」
「この騒ぎを起こしたのは誰だ?原因は?このままこいつらがこの場でもめ続ければ、こいつらは公的な場での乱闘禁止の罪で明日から独房行きだ。部下が片っ端から処罰されるのは、さすがに俺も困る。もめごとの原因さえなくなりゃあ、そもそもここで『もめたこと』も『もみ消せる』んだよ」
それは真っ向からゾフィアを糾弾する物言いだった。失礼だし無礼だけど、しかし言い返せない。たしかに原因はゾフィアにある。
ああ、ヴォルフ様は私が誰とも踊らないのをご存じないんだわ。
――踊らない貴族令嬢など本来であれば存在してはいけないのだ。貴族令嬢が個々のダンスの誘いを拒否するのは自由だが、全く踊らないことが許されるわけではない。貴族社会という場所はそれだけ社交と対面に重点を置く。
ようは、誰かと踊れば不問に処すと言っているようなもので、ヴォルフはそれと同時に、全てを拒否するのであれば、ここに居る全員を独房に入れるぞとゾフィアを脅しにかかっているのだ。
ゾフィアは目を剥いた。
何故だかひどく傷ついた、馬鹿にされたと思った。
どうして強要されなければならないの。踊りたくないと言っているのだがら放っておいてくれても良いじゃないの。
壁の花だからってダンスが踊れないわけではない。踊りたい相手が未だ見つからないから踊らないだけで、けして下手なわけでもない。ゾフィアとて貴族だ、ダンスなら、それこそ子供の頃から徹底的に叩き込まれている。
上手いか下手かと言われたら、こうした社交の場で踊ったことがほとんどないので、お世辞にも上手いとは言えないかもしれない。それでも毎回こうして他人が踊っているのを眺めているし、家では毎日練習を欠かしたことはない。目をつぶっても踊れるだけ身体にはリズムが染みついている。
ただ社交場で踊らないだけで、どうして馬鹿にされたような扱いを受けなければならないの?
私だって、私だって…、あの御方とだったら今すぐこの場で踊ってやるのに!
激昂する気持ちを押さえられず、激しい憎悪を瞳に宿して、たまらずゾフィアはヴォルフを睨みつけていた。
……踊りたくないわけないじゃない!
踊りたい!
本当は、本当は私だって踊りたいのに!!
ダンスを見るのが好きだ、『見るのが好き』で『踊れる』なら『踊ることだって好き』で、当たり前。
――でも踊れない理由が彼女の胸の内には、ある。
ゾフィアの怒りは、静かだが深く熱い。それは今まで我慢し続けてきた彼女の心の叫びのようなものだった。
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