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二章 サキュバスと騎士
自由な
しおりを挟む「大人しくしていたようだな」
リリアーナが宿の主人と会話をしてから、しばらくした後。両手に抱えきれないほど沢山の食べ物を持ったアスベルが、部屋に戻ってくる。
「あんた、そんなに沢山どうしたのよ?」
「……いろいろあってな。まあ、このくらいなら食べ切れるだろう?」
「そうだけど……ま、いいわ」
リリアーナはテーブルに置かれた料理の中から、分厚い肉が挟まったサンドイッチを手に取り、頬張る。
「……! 美味しい! 美味しいじゃない! これ!」
「そうか。よかったな」
と、アスベルは棒に刺さった肉に大量の唐辛子をかけ、大きな口でかぶりつく。
「あんた、そんな唐辛子かけて味わかるの?」
「人の好みに口出しするな」
「それはそうだけど……ま、いいわ。それより、ここの宿の主人があんたにお礼を言いに来てたわよ? あんたも意外と、隅に置けないわね? なに? 昔の女だったりするの?」
「そんな訳あるか」
「じゃあなによ? ただ、重い荷物を持つのを手伝ってもらったーとか、そんな風には見えなかったけど?」
「…………」
アスベルはまた唐辛子で真っ赤になった肉にかぶりつき、少しの間考えるように目を瞑る。
「なに? そんなに言いにくいことなの?」
「いや、違う。この宿……というよりこの街は、本来、見捨てられる予定だったのだ。近くの山で異常発生した知性を持たない魔獣。国は、王城の警備を減らしてまでこの街を守る価値はないと判断し、増員を送らなかった」
「それで?」
「それで、それが不当だと思った俺がその命令を無視してこの街に出向き、1人で魔獣を殺し尽くした。それだけのことだ」
「なにそれ……」
リリアーナはまじまじと、アスベルの顔を覗き込む。この男は簡単に言っているが、それはとても大変なことなのではないだろうか?
「街を滅ぼすような魔獣を1人で殺し尽くすって、あんた何気にやばいわよね?」
「たかだか数千の魔獣を殺しただけだ。騒ぐようなことじゃない」
「……あんたってあれよね? クソ真面目に見えて、頭のネジが何本か外れてるわよね?」
「当時、上官にも同じようなことを言われたな。少しは後のことを考えろ、と」
「そりゃそうでしょ。あんたの上官って、大変そうよね。優秀だけど絶対に自分を曲げない男とか、扱いにくくて仕方ないじゃない。あたしは御免ね」
「だから俺は、騎士団内でも浮いている。……インポのアスベルというのも、そんな俺へ不満の表れなのかもしれないな」
リリアーナはサンドイッチを食べながら、騎士団内でのアスベルを想像してみる。ルールに厳しい癖に、自分は簡単にそのルールを破る。力づくで結果だけは出すが、疎まれることも多い。そして極め付けは、この真っ黒に澱んだ瞳。
「ははっ、あんたやっぱりモテないわ」
「だから別に、それで構わないと言っているだろう」
「でも、あの雑貨屋……じゃなくて武器屋のお婆ちゃん。あの人、あんたのこと心配してるんじゃないの?」
「騎士団で働くということは、いつ死んでもおかしくないということだ。それはあの人も十分に理解している」
「だったらいつまでも、そんな辛気臭い顔してもしょうがないじゃない」
「かもな。……ただ俺は、いつ死ぬか分からないからこそ、自分の道を曲げるような真似はしたくないんだ」
「…………」
そこでリリアーナは気がつく。それはつまり、いつ死んでも構わないというだけのことなのかもしれない、と。この男が一切迷いなく行動するのは、そもそも初めから何も思い残すことがないから。
いくら正しくて、多くの人間を救ったとして、それで生きていると言えるのだろうか?
「やっぱあたし、あんたのこと嫌いだわ」
「そうか」
「……そうかって、そういうところよ。あんた、あたしを助けたせいで、騎士団をクビになるかもしれないんでしょ? それなのに、あたしに嫌いとか言われてムカつかないの?」
「お前が何を思おうと、俺のやるべきことは変わらない」
どこまでも、色のない目。リリアーナは八つ当たりするように、サンドイッチを頬張る。
「……なんかムカつく。お腹いっぱいになったら、エッチな気分になってきた。助けてくれたお礼に、抱かせてあげようか?」
「馬鹿なこと言ってないで、食ったならさっさと寝ろ。明日も1日、歩き通しだ」
「ちぇ、つまんないの。あんたがどういう風に女の子を抱くか、ちょっと興味あったのに」
「そもそも俺はインポだ」
「それってあだ名じゃなくて、本当にそうなの?」
「そうだ。そもそも俺は……」
アスベルはそこで言葉を止め、扉の方を睨む。しばらくしてから、リリアーナの耳にもこちらに近づいてくる足音が聴こえる。
「……あんた、どんな耳してるのよ」
「いいから、黙れ」
足音はアスベルたちの部屋の前で止まり、またコンコンコンと扉をノックする音が響く。
「……誰だ?」
「この街の警備を任された騎士団の者だ。実は、王都で凶悪犯が逃げ出したという知らせがあり、見回りを行なっている。悪いが少し──」
男が言葉を言い終わる前に、アスベルは迷うことなく扉を開け、男の鳩尾を殴る。
「なっ……!」
男は乾いた息をこぼし、倒れる。
「ちょっ、あんた! 何やってるのよ!」
「居場所がバレた、移動する」
「いやでも、いきなり殴ることないじゃない……」
「加減はした。こいつには悪いが、必要なことだ。……俺が跡をつけられていたなんてことはないが、この男もどこかで足取りを掴んでいたのかもしれない。油断はできない」
そのまま荷物を持って部屋を出て行こうとするアスベル。しかしそこでまた、別の乱入者がやってくる。
「お待ちください、アスベル様」
そこで現れたのは、この宿の主人を名乗った女性。
「お前は……」
「この宿の主人であるアリーシャです。アスベル様は覚えておられないかもしれませんが、貴方に助けて頂いた者の1人です」
「いや、覚えている。しかし今は、話をしている時間は──」
「地下の部屋をお使いください。あそこなら、誰かに見つかる心配はありません。この辺りの山道は、夜になるとまた魔獣が出るとの噂です。ですから夜まではここに身を隠し、出発は明朝にされるのがよろしいかと」
「…………いいのか?」
「はい。どうか、ご恩返しをさせて欲しいのです」
女性は笑う。それはどう見ても恋する乙女の顔で、しかしアスベルはそのことに気がつかない。
「分かった。では、地下の部屋を借りる。だがもしもの場合は、俺に脅されただけだと騎士団の人間に伝えろ」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「聞いていたな、行くぞ?」
淡々と歩き出すアスベル。リリアーナはそんなアスベルの背中に続こうとして、けれどその前に宿屋の主人である女性に声をかける。
「貴女、いいの?」
「いいとは、何がでしょうか?」
「いや、貴女あいつのことが好きなんでしょ? あの朴念仁には、はっきり言わないと伝わらないわよ?」
心を見透かしたようなリリアーナの言葉に、女性は一瞬、驚いた顔をする……が、すぐに笑みを浮かべる。リリアーナの知らない、温かで眩い笑み。
「……っ」
その笑みにどうしてか、リリアーナの方が動揺してしまう。
「いいのです。あの方は今も、誰かの為に戦っておられるのでしょう? 私がその邪魔をする訳にはいきません」
「でも……」
「先程のアスベル様、抱えきれない程の料理を持っていらっしゃったでしょう? あれは、あの人に感謝する街の住人が、無理やりあの人に押しつけたものなのです。アスベル様は自覚がないのでしょうけど、皆あの人に感謝しているのです。……だから私も、あの人の力になれるだけで十分、幸せなのです」
「……っ」
その笑みは、決してリリアーナには向けられてこなかった笑み。多くの貢物を受け、多くの人間に愛された。それでも誰かに感謝なんてされたことなんて、一度だってありはしない。
「何をしている? 追手が来るかもしれない。早く行くぞ?」
「……分かってるわよ」
リリアーナはアスベルの背中を追う。
「ねぇ、あんたさ……」
「なんだ?」
「……ううん、何でもない」
その静かな背中に、どんな言葉をかけようと思ったのか。リリアーナは自分でも、よく分からなかった。
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