人間なんて単なる養分だと見下している傲慢なサキュバスのお姫様が、ただの人間に恋するまでと恋したあと

式崎識也

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二章 サキュバスと騎士

戦闘

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「さて、やるか」

 リリアーナと別れた後。アスベルは1人で街へと入り、船着場から離れた場所で、わざと騎士団の人間に見つかった。

「ん? お前はまさか! 今指名手配中のアスベル・カーンじゃないか!」

「やばい。見つかった。逃げないと」

 下手くそな演技をしながら、船着場から距離を取るように逃げるアスベル。あまり離れ過ぎると、騒ぎが向こうまで届かない。それにいざという時、リリアーナを助けることができない。

 だからアスベルは、あまり離れすぎないようにと調整しながら走り続ける。

「……まあ、あの女のことだ。多少の問題は自分でどうにかするだろう」

 リリアーナは偶に、アスベル自身でも気づいていない心の深部を言い当てることがあった。ただ単に、優れた外見とサキュバスの力だけで人を魅了する。彼女にはそれだけではなく、人の本質を見抜くような力があった。

 それにあのピクシーは腕が立つ。余程の使い手と遭遇しない限り、どうにかなるだろう。

「さて、この辺りでいいか」

 アスベルは開けた広場で足を止める。既に10数人の騎士団員が剣を抜き、辺りを取り囲んでいる。

「無駄な抵抗は辞めろ! アスベル・カーン! お前は現在、脱獄幇助により騎士団内で指名手配されている!」

「……騎士団内で、か。まだ内部で留めてくれているのか」

 或いは、あのお節介な団長が手を回してくれているのかもしれないと、アスベルは息を吐く。……しかしどのみち、ここで暴れれば、少なくとも禁固刑は免れない。クビで済むほとんど、騎士団も甘くはない。

「どうした? アスベル・カーン! 大人しく──」

「こちらは1人で、対してそちらは10人以上。グダグダ言ってないで、力づくで捉えてみたらどうだ?」

「きさ──貴様っ! 舐めた口をきくな! サキュバス風情に誑かされ騎士団の名を穢した罪、その身体に直接教えてやる……!」

 数人が一斉にアスベルに襲いかかる。旅の道中で絡んできた盗賊とは、動きの質が違う。彼らは戦争こそ知らないが、それでもこの国で1番揉め事の多い国境の警備を任されている優秀な騎士だ。

 そんな騎士たちに囲まれたら、力自慢のオークであってもひとたまりもないだろう。

「少し、稽古をつけてやる」

「……っ!」

 アスベルの拳が、1番最初に斬りかかった男の顎にヒットする。フットワークを駆使した、ジャブのような軽い拳。たったそれだけで、男の意識が落ちる。

「ひ、怯むな! 相手は1人だ!! 集団で取り囲みさえすれば──」

「敵を前に、余計な口を開くな」

 また、別の男が倒れる。10数人もいた騎士たちが、ものの数秒でたった1人になってしまう。

「な、なんなんだ……この、化け物は……」

「どうした? 応援を呼ばなくてもいいのか?」

「……っ!」

 走り去る新人らしい男をあえて見逃し、アスベルは軽く息を吐く。彼らは決して弱くはない。多少の油断はあっただろうが、それでも長い訓練に耐えてきた騎士だ。

 ……ただそれでも、アスベルの戦闘能力はこの国でも5本の指に入る。

 戦場の最前線で誰よりも血と汗を流し続け、並み居る魔族を殺し尽くした戦場の鬼。サキュバスに騙された馬鹿な男を捕らえる任務だと、そんな風に軽く見ている騎士たちでは彼の相手は務まらない。

「いたぞ! 取り囲め!! 奴も不死身じゃない!! 数で押せば、必ずいつかは倒れる!」

 やって来たのは、さっきの更に倍以上の騎士たち。その騎士たちには、先ほどの男たちのような油断は感じられない。

「第二ラウンドだ、こい」

 しかしそれでも、アスベルの表情は変わらない。アスベルはまた、拳を振るう。


 ◇


「しょうがない、捕らえるか」

 リリアーナに声をかけた、静かな目をした青い髪の男。その男は明らかに、他の騎士団員たちとは雰囲気が違う。アスベルとはまた違った、刺すような圧を感じる。

「リリアーナ様から離れろ!! ……イグニス!」

 ミミィが背後から、魔法を発動する。拳銃よりも速い炎の矢。人間の身体にあたれば、致命傷は避けられない一撃。

「……っと、危ない」

 男はそれを、振り返ることなく軽く剣で弾く。……明らかに、魔族との戦いに慣れている。

「……っ。イグニス! イグニス! イグニス!!」

 ミミィは怯まず、四方八方から炎の矢を放つが、そのどれもが男まで届かない。

「ルミナ!」

 そこでリリアーナが、先ほど使った光の魔法をもう一度、発動する。ただ眩しく、視界を奪うだけの魔法。それでも今の状況で視界を奪われれば、ミミィの矢をかわすことはできない。


 しかし、男は笑う。


「一度通じなかった魔法を二度も三度も正面から使うのは、あまり褒められたことじゃないな。やるならもっと、工夫を凝らさないと」

「……っ! リリアーナ様!」

 ミミィが叫ぶ。しかし、間に合わない。男の拳がリリアーナの鳩尾に直撃する。

「……かっ」

「はい、ちょっと寝ててねー」

「お前っっっ……!!! 人間風情が、リリアーナ様に触れんじゃねぇ!!!」

 激怒したミミィが、空中に先ほどまでとは比べ物にならないくらい大きな魔法陣を描く。

「イグニス・クラズミア!!」

 周囲を巻き込むような炎の嵐。それが落ちれば、流石にこの男もただでは済まない。それどころか、周辺の建物ごとこの場は火の海に変わってしまうだろう。

「でもいいの? お姫様、僕の腕の中で眠ってるんだけど?」

「……っ!」

 男はリリアーナを盾にして、笑う。いくらミミィでも、これほど大規模な魔法を、人質を避けて男にぶつけることはできない。集まった炎は、まるで穴が空いた風船のように霧散して消える。

「分かってくれて助かるよ。……さて、君には用はないから、逃げるなら追わないよ? 僕が捕獲を命じられているのは、このお姫様だけだから」

「舐めるな! 人間っ!!」

 今度は自身に炎を纏い、ミミィが男に迫る。

「……扱いやすくて、助かるよ」

 男はその行動を予想していたかのように、無造作にリリアーナを放り投げる。

「……っ! リリアーナ様!」

 ミミィの意識が一瞬、そちらに逸れる。

「はい、おしまい」

「しまっ──!」

 男の剣が振り下ろされる。反応が遅れたミミィは、それをかわすことができない。

「……気安くあたしに触れた罪は、償って貰うわよ?」

 しかし、その剣がミミィに触れる直前。意識がないと思っていたリリアーナが、またしても同じ光の魔法を発動する。

「ルミナ!!」

「だから、芸がないと……っ!」

 斬った筈のミミィの姿がない。……残像? いや、違う。考えなしに突撃するように見えたのは、自身を分身させる魔法。頭に血を昇らせて、突撃してきた……その一連の動きはブラフ。

 男に一瞬、隙が生まれる。その一瞬を見逃すミミィではない。

「イグニス!!」

「……っ!」

 炎の矢が男の肩を撃ち抜いた。矢が当たる直前で、男が強引に身体を動かしたせいで、急所からは外れてしまった。それでも利き腕を潰した。いくら凄腕のこの男でも、先程と同じように動くことはできない。

「リリアーナ様! 今のうちに船に!」

「分かってる!」

 2人は男を置いて走る。騒ぎを聞きつけた応援が、いつ来るか分からない。船が出るまでもう時間もない。2人はがむしゃらに走り……けれど、男は言った


「痛たたたた……。やっぱり、久しぶりの現場は堪えるね」


「なっ──」

 男は無傷だった。確かに攻撃は当たった。その筈なのに、軽く隊服が焦げているだけで、傷を負っているようには見えない。

「人間って、化け物ばっかじゃない……!」

 これ以上時間を無駄にすれば、出航の時間に合わなくなる。ここで捕らえられてしまえば、処刑は免れない。リリアーナがどれだけ頑張っても、もう逃げることはできない。

 男は、笑う。

「化け物とは、酷いことを言うね。人間を化け物にしたのは、君たち魔族だ。人間という種族は、相手が強ければ強いほど成長する。……できれば僕も、こんな風になりたくはなかったよ」

 男が2人に近づく。力の差は歴然。正面からは無論のこと、不意打ちも絡め手も通用しない。勝ち目は万に一つもない。

「……リリアーナ様。ここは私に任せて、1人でお逃げください」

 その状況をいち早く察知したミミィは、囁くように言う。

「……なに言ってるのよ、ミミィ。貴女を捨て駒にしろって言うの?」

「残すべきものを残せと、言っているのです。……大丈夫です。私はこの通り飛べますから、この男を倒してすぐに追いつきます。だから、リリアーナ様は早く船に!」

 ミミィは決死の覚悟で、男に魔法を放つ。

「残念。そういうお涙頂戴が通用するのは、物語の中だけだ」

「……っ!」

 ミミィの魔法は簡単に弾かれる。そしてミミィは、まるで蝿でも払うかのように軽く叩かれ、地面に落ちる。

「ミミィ!」

「リ、リリアーナ……様は、逃げ……て」

「だから駄目だって。逃がさないよ。悪いけど僕も、仕事だから」

「……っ!」

 男の拳が、再度、リリアーナの腹部にあたる。いくらリリアーナでも、この状況では逃げられない。彼女の奥の手も、警戒を決して緩めないこの男の前では、発動すらさせてもらえないだろう。

「…………アスベル」

 絶体絶命の状況。そんな状況で口をつくのは、どうしてか彼の名前。

 もう逃げられない。今もなお、大多数の騎士団の人間を引き受けてくれているアスベルが、ここに来ることはない。ミミィは回復の魔法を発動しているようだが、万全からは程遠い。

 そしてリリアーナ自身もまた、殴られた痛みと慣れない魔法の連発で、身体が上手く動かない。

「……結局、逃げられないのね」

 辛いのは、嫌いだ。

 痛いのは、嫌だ。

 窮屈なのも、誰かに縛られるもの、嫌で嫌でしょうがない。だから、自由に生きられる場所が欲しかった。誰かが望む理想じゃなくて、たとえ汚れても自分が望む理想で生きてみたかった。

 我儘だと、皆は笑うだろう。自分勝手だと、蔑む者もいるだろう。男に媚びるしか能のない女だと、そんな風に笑われたこともある。

 それでも彼女は、戦い続けた。楽しくて、明るくて、自由に羽ばたける世界を目指して。

「……嫌。こんなところで……終わりたくない」

 でも、自由の代償がこの結末なら、リリアーナをそれを拒絶することはできない。どんなに呆気なくてつまらないものでも、それが自らの行いに対する責任だから。

「……そっか。ここがあたしの、終着点か」

 彼女はサキュバス。祈る神は持たない。人を……ありとあらゆる生き物を騙して、ここまで生きてきた。こんなところで都合よく、誰かに縋るのは好きじゃない。……いや、それこそあの男に言わせれば、正しくないというやつだ。

「あたしは、あたしの道を生きてきた。だから……後悔はない。いいわ、連れて行きなさい。その代わり、そこのピクシーと今も暴れてる男は許してあげて。……2人とも、あたしが操ってただけなの」

「残念ながら、そうはいかない。僕までサキュバスに落とされたとあっては、笑い話にもならない。……全員、もれなく拘束させてもらうよ」

「駄目! あたしには、何をしてもいい! だから──」

 リリアーナは声を震わせて、叫ぶ。けれどそれを遮るように、男は言った。……、いつもの無表情で、言った。


「──随分と、しょげた顔をしているな」


 まるでリリアーナを守るように、1人の男が姿を現す。

「……っ! どうして、どうしてあんたが、ここに……!」

 リリアーナの目から涙が溢れる。男──アスベルはそんな彼女を励ますように、らしくもなく優しい手つきで彼女の頭に手を置いた。

「……何の用かな?」

 と、青髪の男が問う。アスベルは、答える。

「俺はこの旅が終わるまで、そこの女……リリィの監視と警護を務める騎士だ。……だから、彼女を守りに来た」

 ほんの少しだけ怒りを滲ませた声でそう言って、アスベルはこの旅で初めて──剣を、抜いた。

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