王は愛を囁く

鈴本ちか

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宴の夜

宴の夜①

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「碧琉様、起きてくださいませ」

 身体を揺らされ目が覚めた。見覚えのない、天井。天蓋から薄い絹が降りている。端の花模様が繊細で美しい。
 身体を起こすと横に控えていた計と目が合う。

「……すみません、私、寝ちゃって」
「とんでもございません。長旅でお疲れでしょうに」

 計は恭しく頭を下げると「しかしお時間ですのでご準備を」と囁く。
 ああ、そうだ、宴だ。寝台の端に腰掛けた碧琉の目に煌びやかな衣装が入った。
 見たことがない衣装だ。巻は出発前、一つ一つ選んだ衣装を碧琉に見せた。だから碧琉が樹から持ってきたものではないこれらは、黄側の用意した衣装だろう。
 衣装掛けの三着の衣装の前で碧琉は腕組みする。
 生地自体の色はそれぞれ黄色、赤、緑。その上を金糸銀糸で刺繍が施されている。
 衣装掛けを用意されているという事は、これを着なければならないの、かな。
 樹の使者という位置づけであれば、樹の正装の方が良いのではないだろうか。樹よりも気温の高い黄で樹の正装を着用するのはちょっと暑いけれど。

「あの、これから選ぶんですか?」
「お気に召しませんでしたか? では選びなおしますので」
「あ、いや、その、気に入らないという訳ではありません。でも、これでいいのでしょうか? 私は樹の人間ですから樹の正装で、」
「お好きなご衣装でよろしいのですが、お持ちの樹の正装は少々暑いのではないかと。こちらは樹と気温が違いますゆえ」
「ええ、でも、」
「歓迎の宴と申しましてもこちら黄の宴は堅苦しいものではないですし、これらは碧琉様の為に黄王様が作らせたものです。もしお嫌でなければお召しになっては頂けませんか? 黄王様はきっとお喜びになりますから」

 計に微笑まれて碧琉は黙り込んだ。碧琉自身は着る物にこだわりはない。

『服装は人の為のもの』

 正装というものは至る所を紐で締め幼い碧琉には苦しく、正装をする時間が碧琉は嫌いだった。行事の度には机の下や食堂の隅に隠れていた碧琉に巻が幾度もそう言い聞かせた。
 王族として正装する事は王の為、国の為だと。
 煌がわざわざ碧琉の為に用意したというのならばそれを着た方が良い、巻ならそう言うだろうか。

「どうなさいますか?」
「じゃあ、ええと、こちらから選びます。どれがいいのかな、どうしよう」
「そうでございますね、」
「あの、巻はどうなったのでしょうか? もう帰ってしまったの? 凄く、凄く困るのに、」

 こんな事すら判断できない自分に苛立ちと不安を隠しきれず、碧琉は眉根を寄せ計に言い募る。
 母が亡くなる前から巻はずっと傍にいた。いるのが当たり前で巻がいない生活なんて考えたこともなかった。計が一瞬言い淀み、その様子がもう巻はいないと伝えているようで碧琉は唇の隙間から落胆のため息を落とした。

「申し訳ございません」
「計、さんが謝ることじゃないです」
「……精一杯御傍で努めさせていただきます、どうかお許し下さいませ。私のことは計とお呼びください」

 計が膝を付き上肢を伏せた。

「あ、いや、そんな事。私こそ、何にもわからなくて、樹の王宮から出たことなくて、どうしたらいいか分からなくて、ごめんなさい、計に言ったってしょうがない事なのに」

 しゅんとした碧琉に顔を上げて微笑む。

「本当に、我が王の我儘でご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「ううん、黄王には黄王の考えがあるのでしょうし、もういい、いいです。じゃあ、計に決めてもらおうかな。私着物を決めるのはとても苦手なので」

 無理矢理微笑んだ碧琉は窓辺の椅子に座った。
 堅苦しくない宴とはどのようなものだろうか。宴など、どこも一緒だろうに。美しく盛られた冷えた食べ物、沢山の酒、人人人。晒し物のようになるのだろうか。
 処遇について黄がどう出るか分からないから退屈しのぎの書物と着物を長持一棹分持ってきた。
 そう言えば書状に身一つで来いというような文言が書かれていたが、あれは本気だったのか。
 顔を横に向け真剣に選んでいる計を見る。
 高価そうな衣装だなと思う。碧琉が来るから作ったというのは流石に無理がある。短時間で美しい刺繍を施したこの煌びやかな衣装を、しかも背格好も分からない人間に合わせ用意したなんて碧琉にも分かる嘘だ。
 神経をめいいっぱい尖らせて、自分の立場を、その位置を慎重にはからなければならない。
 別れ際、『碧琉はどこに行っても可愛がられるさ、気楽に行けよ』と言った碧佳に『そんな訳にいくか。しっかり周りを見て振る舞うんだぞ、気を抜くな』と碧慈が噛みついた。
 碧琉も今は碧慈の意見に傾いている。
 気を抜けない。抜いてはいけない。

「こちらはいかがでしょうか?」

 一つを指した計に碧琉は無言で頷いた。



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