闇に堕ちる月

春夜夢

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夜明け前の事務所は、異様な静けさに包まれていた。
 雨の音だけが遠くで響き、まるで街全体が息を潜めているようだった。

 藤堂蓮はデスクに座り、組の報告書を見つめていた。
 だが文字は霞み、頭に入らない。
 ――黒川隼人の裏切り。
 そして、颯の冷たい判断。
 すべてが現実なのに、どこか夢のように遠かった。

 「……藤堂、寝てないのか?」
 背後から、颯の声がした。
 振り返ると、濡れた髪のままの颯が立っていた。
 黒いシャツの袖をまくり、疲労の色を浮かべた顔。
 それでも、蓮に向ける視線は変わらない。

 「颯さん……俺、あいつが裏切るなんて、信じたくなかった」
 「わかってる」
 颯は短く答え、蓮の前に歩み寄る。
 「信じたい気持ちは、裏切りの中で一番危険だ」

 蓮は唇を噛み締める。
 「じゃあ、俺が間違ってたってことですか?」
 「間違いじゃない」
 颯は蓮の頬に触れ、指先で涙を拭った。
 「お前が人を信じられるのは、弱さじゃない。……強さだ」

 その声は、戦場に立つ男のものではなかった。
 優しく、痛いほど真っ直ぐで――
 蓮は一瞬、息をすることさえ忘れた。

 しかしその瞬間、ドアが開く。
 「若頭、敵組が――!」
 部下の声が飛び込み、空気が一変する。
 颯はすぐに表情を切り替え、冷徹な“若頭”の顔に戻る。

 「動け。藤堂、お前は俺と一緒に来い」
 「はい!」
 蓮は立ち上がり、胸の奥のざらついた感情を押し殺す。

 外は再び雨。
 敵組が仕掛けてきたのは、明確な挑発だった。
 颯と蓮は車に乗り込み、無言のまま向かう。

 車内に流れる低いエンジン音。
 蓮は窓の外を見つめながら、呟く。
 「……俺、怖いです」
 「怖がっていい。人間なんだから」
 颯の言葉は短いが、温かかった。

 沈黙のあと、颯は低く続ける。
 「だがな、藤堂。俺の隣にいる限り、お前は死なない」
 その言葉は誓いのように響き、蓮の胸を震わせた。

 現場に着くと、銃声と怒号が飛び交っていた。
 裏切りの情報が敵に漏れ、抗争は拡大していた。
 颯は的確に指示を出し、冷静に戦況を掌握する。
 蓮はその背中を必死に追いながらも、心の奥で恐怖と憧れが混じり合う。

 ――颯さんは、どんな闇にも飲まれない。
 だが、俺は……?

 激しい戦闘の中、颯が敵の銃弾から蓮を庇い、肩を撃たれた。
 「颯さんッ!」
 蓮が駆け寄り、震える手で血を押さえる。
 「……平気だ。かすり傷だ」
 強がる声に、蓮の胸が締めつけられる。

 「嘘つき……そんな顔で平気なわけない」
 「……お前の泣き顔見る方が痛い」
 颯は微かに笑い、蓮の頬を指でなぞった。
 雨の中、二人の呼吸が重なり合う。

 敵が退いた後、事務所へ戻る車中。
 颯は腕を押さえながらも、前を見据えていた。
 「このままじゃ終わらない。組の中に、まだ“本当の裏切り者”がいる」
 蓮は息を呑む。
 「隼人じゃない……別の誰かが?」

 颯はゆっくりと頷いた。
 「……ああ。そしてそいつは、俺たちのすぐ近くにいる」

 雨が窓を叩く音が、不気味なほど静かに響いた。
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