2 / 11
第2話 「あなたは誰よりも、あたたかい人だ」
しおりを挟む
王城は、想像していたよりもずっと広くて、静かで、息苦しかった。
リクは、豪奢な絨毯の上に靴の裏が触れるたび、ひどく申し訳ない気分になった。
「……どこまで歩けばいいんだろ」
背中を進む男――ゼフィルスは、相変わらず無言で前を歩いていた。
話しかける隙もなければ、後ろ姿すら近寄りがたい。
けれど、リクはその背に不思議と“怖さ”を感じなかった。
むしろ、胸の奥でなにかが温かくなるような気がしていた。
(この人、本当に冷たいのかな……)
* * *
「こちらが、お前の部屋だ」
案内されたのは、使用人の部屋よりもずっと綺麗で、
窓があり、ベッドがあり、暖炉に火の入った寝室だった。
「……え? こんな……俺が使っていいの?」
「文句があるなら、もっと広い部屋に変えてやる」
「い、いや、そんな、ありがたいっス……!」
慌てて頭を下げたリクに、ゼフィルスは背を向けると、扉に手をかけながら言った。
「……わからないことがあれば呼べ。飯は三度、決まった時間に。衣は整えさせる」
「……ほんとに、なんで俺にこんな……?」
その疑問はずっと胸の中にあった。
王国宰相が、なぜ名前もない孤児を拾い、城で暮らすことを許したのか。
ゼフィルスは少しだけ振り返り、低い声で言った。
「……理由を知りたいなら、今は食え。そして、眠れ。
体を満たすこともできない者に、“答え”は抱えられん」
それきり、扉は静かに閉じられた。
* * *
その夜。
リクはあたたかい湯に入り、はじめて“綺麗な服”というものを着た。
夜具のふかふかさにも驚き、
ベッドに沈み込んだまま、ぽつりと呟いた。
「……夢だったりしてな」
けれど、腕の中のシーツの柔らかさは本物で、
胸の中にずっと渦巻いていた空腹や不安が、少しだけ静かになっていた。
(本当は――寂しかった)
その寂しさに気づかされたのは、
あの人の目が、ほんの少しだけ、悲しげだったからだ。
ゼフィルス。
冷血宰相。
人の心を持たない化け物。
――でも、どうしてだろう。
あの人が「ひとりきりだった時間」が、少しだけ、自分と重なった気がした。
「……ねえ、宰相さま。俺、ちゃんとここで……生きていいの?」
返事はない。
けれどその夜、リクの夢の中には、
不思議なほど“やわらかい声”が響いていた気がした。
(生きて、いい)
そう言われたような、気がした。
* * *
そして翌朝。
「……あの子が、新入り?」
「宰相閣下が、なぜ子どもを……?」
使用人たちの間に広がる“ざわめき”は止まらなかった。
リクはまだ城の生活に慣れず、
廊下ですれ違うたびに好奇の視線を感じた。
だが、ある日。
庭園で草を摘んでいたリクに、侍女のひとりがそっと手を差し伸べた。
「お手を、お貸ししましょうか」
「……え?」
「宰相閣下が、あのような穏やかな表情をなさるのを見たのは初めてでした。
貴方には、きっと“理由”があるのでしょう」
その声に、リクは初めて“この場所で、自分は歓迎されてもいいのかもしれない”と感じた。
ゼフィルスの“あたたかさ”は、他人に伝染する。
それを証明してくれるような出来事だった。
* * *
そしてその晩、ゼフィルスの執務室の扉が静かに開いた。
「……入れ」
リクは遠慮がちに入室し、書類に目を通すゼフィルスに問いかけた。
「なあ……あんた、ほんとは全然冷たくなんかないよな」
「どういう意味だ」
「だって、俺には“ちゃんとした部屋”くれたし、
怪我してたら手当もしてくれた。飯だって……あったかいし」
「……」
「俺さ、街じゃ“冷たくされた記憶”ばっかだったけど――
あんたといると、なんか……あったかいって思うんだ」
ゼフィルスは、ふと手を止めた。
「……あったかい、などと。そう言われたのは、初めてだな」
「じゃあ俺が、初めてでいい。
あんたは、誰よりも“人間らしい”って、俺が証明してやる」
そう言ったリクの目は、どこまでも真っ直ぐだった。
そしてその時――ゼフィルスの胸の奥で、
“忘れていた何か”が、静かに音を立てて動いた。
それは、誰にも見せたことのない、
凍ったままの“秘密の核”に触れる、はじまりの瞬間だった。
リクは、豪奢な絨毯の上に靴の裏が触れるたび、ひどく申し訳ない気分になった。
「……どこまで歩けばいいんだろ」
背中を進む男――ゼフィルスは、相変わらず無言で前を歩いていた。
話しかける隙もなければ、後ろ姿すら近寄りがたい。
けれど、リクはその背に不思議と“怖さ”を感じなかった。
むしろ、胸の奥でなにかが温かくなるような気がしていた。
(この人、本当に冷たいのかな……)
* * *
「こちらが、お前の部屋だ」
案内されたのは、使用人の部屋よりもずっと綺麗で、
窓があり、ベッドがあり、暖炉に火の入った寝室だった。
「……え? こんな……俺が使っていいの?」
「文句があるなら、もっと広い部屋に変えてやる」
「い、いや、そんな、ありがたいっス……!」
慌てて頭を下げたリクに、ゼフィルスは背を向けると、扉に手をかけながら言った。
「……わからないことがあれば呼べ。飯は三度、決まった時間に。衣は整えさせる」
「……ほんとに、なんで俺にこんな……?」
その疑問はずっと胸の中にあった。
王国宰相が、なぜ名前もない孤児を拾い、城で暮らすことを許したのか。
ゼフィルスは少しだけ振り返り、低い声で言った。
「……理由を知りたいなら、今は食え。そして、眠れ。
体を満たすこともできない者に、“答え”は抱えられん」
それきり、扉は静かに閉じられた。
* * *
その夜。
リクはあたたかい湯に入り、はじめて“綺麗な服”というものを着た。
夜具のふかふかさにも驚き、
ベッドに沈み込んだまま、ぽつりと呟いた。
「……夢だったりしてな」
けれど、腕の中のシーツの柔らかさは本物で、
胸の中にずっと渦巻いていた空腹や不安が、少しだけ静かになっていた。
(本当は――寂しかった)
その寂しさに気づかされたのは、
あの人の目が、ほんの少しだけ、悲しげだったからだ。
ゼフィルス。
冷血宰相。
人の心を持たない化け物。
――でも、どうしてだろう。
あの人が「ひとりきりだった時間」が、少しだけ、自分と重なった気がした。
「……ねえ、宰相さま。俺、ちゃんとここで……生きていいの?」
返事はない。
けれどその夜、リクの夢の中には、
不思議なほど“やわらかい声”が響いていた気がした。
(生きて、いい)
そう言われたような、気がした。
* * *
そして翌朝。
「……あの子が、新入り?」
「宰相閣下が、なぜ子どもを……?」
使用人たちの間に広がる“ざわめき”は止まらなかった。
リクはまだ城の生活に慣れず、
廊下ですれ違うたびに好奇の視線を感じた。
だが、ある日。
庭園で草を摘んでいたリクに、侍女のひとりがそっと手を差し伸べた。
「お手を、お貸ししましょうか」
「……え?」
「宰相閣下が、あのような穏やかな表情をなさるのを見たのは初めてでした。
貴方には、きっと“理由”があるのでしょう」
その声に、リクは初めて“この場所で、自分は歓迎されてもいいのかもしれない”と感じた。
ゼフィルスの“あたたかさ”は、他人に伝染する。
それを証明してくれるような出来事だった。
* * *
そしてその晩、ゼフィルスの執務室の扉が静かに開いた。
「……入れ」
リクは遠慮がちに入室し、書類に目を通すゼフィルスに問いかけた。
「なあ……あんた、ほんとは全然冷たくなんかないよな」
「どういう意味だ」
「だって、俺には“ちゃんとした部屋”くれたし、
怪我してたら手当もしてくれた。飯だって……あったかいし」
「……」
「俺さ、街じゃ“冷たくされた記憶”ばっかだったけど――
あんたといると、なんか……あったかいって思うんだ」
ゼフィルスは、ふと手を止めた。
「……あったかい、などと。そう言われたのは、初めてだな」
「じゃあ俺が、初めてでいい。
あんたは、誰よりも“人間らしい”って、俺が証明してやる」
そう言ったリクの目は、どこまでも真っ直ぐだった。
そしてその時――ゼフィルスの胸の奥で、
“忘れていた何か”が、静かに音を立てて動いた。
それは、誰にも見せたことのない、
凍ったままの“秘密の核”に触れる、はじまりの瞬間だった。
153
あなたにおすすめの小説
すべてはあなたを守るため
高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです
アルファの双子王子に溺愛されて、蕩けるオメガの僕
めがねあざらし
BL
王太子アルセインの婚約者であるΩ・セイルは、
その弟であるシリオンとも関係を持っている──自称“ビッチ”だ。
「どちらも選べない」そう思っている彼は、まだ知らない。
最初から、選ばされてなどいなかったことを。
αの本能で、一人のΩを愛し、支配し、共有しながら、
彼を、甘く蕩けさせる双子の王子たち。
「愛してるよ」
「君は、僕たちのもの」
※書きたいところを書いただけの短編です(^O^)
何故か男の俺が王子の閨係に選ばれてしまった
まんまる
BL
貧乏男爵家の次男アルザスは、ある日父親から呼ばれ、王太子の閨係に選ばれたと言われる。
なぜ男の自分が?と戸惑いながらも、覚悟を決めて殿下の元へ行く。
しかし、殿下はただベッドに横たわり何もしてこない。
殿下には何か思いがあるようで。
《何故か男の僕が王子の閨係に選ばれました》の攻×受が立場的に逆転したお話です。
登場人物、設定は全く違います。
なんでも諦めてきた俺だけどヤンデレな彼が貴族の男娼になるなんて黙っていられない
迷路を跳ぶ狐
BL
自己中な無表情と言われて、恋人と別れたクレッジは冒険者としてぼんやりした毎日を送っていた。
恋愛なんて辛いこと、もうしたくなかった。大体のことはなんでも諦めてのんびりした毎日を送っていたのに、また好きな人ができてしまう。
しかし、告白しようと思っていた大事な日に、知り合いの貴族から、その人が男娼になることを聞いたクレッジは、そんなの黙って見ていられないと止めに急ぐが、好きな人はなんだか様子がおかしくて……。
婚約破棄された悪役令息は従者に溺愛される
田中
BL
BLゲームの悪役令息であるリアン・ヒスコックに転生してしまった俺は、婚約者である第二王子から断罪されるのを待っていた!
なぜなら断罪が領地で療養という軽い処置だから。
婚約破棄をされたリアンは従者のテオと共に領地の屋敷で暮らすことになるが何気ないリアンの一言で、テオがリアンにぐいぐい迫ってきてーー?!
従者×悪役令息
契約結婚だけど大好きです!
泉あけの
BL
子爵令息のイヴ・ランヌは伯爵ベルナール・オルレイアンに恋をしている。
そんな中、子爵である父からオルレイアン伯爵から求婚書が届いていると言われた。
片思いをしていたイヴは憧れのベルナール様が求婚をしてくれたと大喜び。
しかしこの結婚は両家の利害が一致した契約結婚だった。
イヴは恋心が暴走してベルナール様に迷惑がかからないようにと距離を取ることに決めた。
......
「俺と一緒に散歩に行かないか、綺麗な花が庭園に咲いているんだ」
彼はそう言って僕に手を差し伸べてくれた。
「すみません。僕はこれから用事があるので」
本当はベルナール様の手を取ってしまいたい。でも我慢しなくちゃ。この想いに蓋をしなくては。
この結婚は契約だ。僕がどんなに彼を好きでも僕達が通じ合うことはないのだから。
※小説家になろうにも掲載しております
※直接的な表現ではありませんが、「初夜」という単語がたびたび登場します
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる