冷血宰相の秘密は、ただひとりの少年だけが知っている

春夜夢

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第2話 「あなたは誰よりも、あたたかい人だ」

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王城は、想像していたよりもずっと広くて、静かで、息苦しかった。

リクは、豪奢な絨毯の上に靴の裏が触れるたび、ひどく申し訳ない気分になった。

「……どこまで歩けばいいんだろ」

背中を進む男――ゼフィルスは、相変わらず無言で前を歩いていた。

話しかける隙もなければ、後ろ姿すら近寄りがたい。

けれど、リクはその背に不思議と“怖さ”を感じなかった。

むしろ、胸の奥でなにかが温かくなるような気がしていた。

(この人、本当に冷たいのかな……)

* * *

「こちらが、お前の部屋だ」

案内されたのは、使用人の部屋よりもずっと綺麗で、
窓があり、ベッドがあり、暖炉に火の入った寝室だった。

「……え? こんな……俺が使っていいの?」

「文句があるなら、もっと広い部屋に変えてやる」

「い、いや、そんな、ありがたいっス……!」

慌てて頭を下げたリクに、ゼフィルスは背を向けると、扉に手をかけながら言った。

「……わからないことがあれば呼べ。飯は三度、決まった時間に。衣は整えさせる」

「……ほんとに、なんで俺にこんな……?」

その疑問はずっと胸の中にあった。

王国宰相が、なぜ名前もない孤児を拾い、城で暮らすことを許したのか。

ゼフィルスは少しだけ振り返り、低い声で言った。

「……理由を知りたいなら、今は食え。そして、眠れ。
体を満たすこともできない者に、“答え”は抱えられん」

それきり、扉は静かに閉じられた。

* * *

その夜。

リクはあたたかい湯に入り、はじめて“綺麗な服”というものを着た。

夜具のふかふかさにも驚き、
ベッドに沈み込んだまま、ぽつりと呟いた。

「……夢だったりしてな」

けれど、腕の中のシーツの柔らかさは本物で、
胸の中にずっと渦巻いていた空腹や不安が、少しだけ静かになっていた。

(本当は――寂しかった)

その寂しさに気づかされたのは、
あの人の目が、ほんの少しだけ、悲しげだったからだ。

ゼフィルス。

冷血宰相。

人の心を持たない化け物。

――でも、どうしてだろう。
あの人が「ひとりきりだった時間」が、少しだけ、自分と重なった気がした。

「……ねえ、宰相さま。俺、ちゃんとここで……生きていいの?」

返事はない。

けれどその夜、リクの夢の中には、
不思議なほど“やわらかい声”が響いていた気がした。

(生きて、いい)

そう言われたような、気がした。

* * *

そして翌朝。

「……あの子が、新入り?」

「宰相閣下が、なぜ子どもを……?」

使用人たちの間に広がる“ざわめき”は止まらなかった。

リクはまだ城の生活に慣れず、
廊下ですれ違うたびに好奇の視線を感じた。

だが、ある日。

庭園で草を摘んでいたリクに、侍女のひとりがそっと手を差し伸べた。

「お手を、お貸ししましょうか」

「……え?」

「宰相閣下が、あのような穏やかな表情をなさるのを見たのは初めてでした。
貴方には、きっと“理由”があるのでしょう」

その声に、リクは初めて“この場所で、自分は歓迎されてもいいのかもしれない”と感じた。

ゼフィルスの“あたたかさ”は、他人に伝染する。

それを証明してくれるような出来事だった。

* * *

そしてその晩、ゼフィルスの執務室の扉が静かに開いた。

「……入れ」

リクは遠慮がちに入室し、書類に目を通すゼフィルスに問いかけた。

「なあ……あんた、ほんとは全然冷たくなんかないよな」

「どういう意味だ」

「だって、俺には“ちゃんとした部屋”くれたし、
怪我してたら手当もしてくれた。飯だって……あったかいし」

「……」

「俺さ、街じゃ“冷たくされた記憶”ばっかだったけど――
あんたといると、なんか……あったかいって思うんだ」

ゼフィルスは、ふと手を止めた。

「……あったかい、などと。そう言われたのは、初めてだな」

「じゃあ俺が、初めてでいい。
あんたは、誰よりも“人間らしい”って、俺が証明してやる」

そう言ったリクの目は、どこまでも真っ直ぐだった。

そしてその時――ゼフィルスの胸の奥で、
“忘れていた何か”が、静かに音を立てて動いた。

それは、誰にも見せたことのない、
凍ったままの“秘密の核”に触れる、はじまりの瞬間だった。
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