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あこ

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番外編:本編完結後

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カイトはハッとして目を開けた。
夢を見ていたのは確かだが、今は決して夜ではないし昼寝をしていたわけでもない。
寧ろ今まで自分は何かをしていたはずなのに、と。
ぼんやりしている意識の中、カイトは目をゆるゆると動かしあたりを見る。
大きなベッドの上、壁紙の色、そして視界に入ったシーツの色。
どれもがカイトが寝ているここが、巽のマンションのベッドだと教えてくれる。
が、カイトはこのベットに横になった記憶は一切ない。
むしろ、突然ブッツリと記憶がなくなっている。
現状把握したいと起き上がろうにも何故だか倦怠感で難しい。
カイトがはあ、と溜息にしては軽くただの呼吸にしては重い息を吐くのと、寝室の扉が開くのは同時だった。



巽は家の事情や自身のな高校時代があったものの、心臓が止まりそうになった、なんて経験は殆どない。
例えのように言った事はあっても、本当に止まりそうだと思った事は健全な高校時代を送っている人間と対して変わりはない、つまりはないと言ってもいいと巽は思っている。
なのに、今日、巽はそれを経験した。
──────巽さんの家で、ご飯作って待ってる。
そのメッセージを受け取った時、巽はエレベーターの中だった。あと少しで目的の階、自分の住む部屋のあるそこにつく、という時だ。

このところ、カイトはリトにプレゼントされたというエプロンを身につけ料理をしている。
顔に似合わず──なにせリトは、男前、イケメン、なんて言葉が大変似合う女性である──ファンシーな猫のグッズを集めるのが好きなリトが選んだだけに、シンプルな紺色のエプロンにはちょっぴり可愛くてちょっと不細工な猫の刺繍、そしてエプロンのポケットには可愛い赤いリボンがワンポイントでついていた。
それが買ったリトより似合うのがカイトの顔と雰囲気で、だからこそリトはプレゼントするのだろう。
カイトはカイトで「姉さんがくれたから」と若干恥ずかしさを滲ませつつも、どうせこれを身につけているのを見るのはリトや俊哉や巽だけだと身につける。
巽はそんな可愛いものを身につけるカイトを見ると「これが萌えるってあれか?」とにやけてしまう。
今日もそんなカイトが、もしかしたら「おかえりなさい」なんて笑顔で玄関まで出迎えてくれるかもしれない、なんて脂下がったどうしようもない顔のまま、躊躇いもなく鍵を開け玄関に入った。
カイトがいると知っているから「ただいま」と言うも、なんの返事もない。
(あン?っかしいな)
カイトはこのマンションにいる時、殆どリビングにいる。
折角部屋を一つ、しかも日当たり良好で眺めもいい部屋をカイトにと用意してあるのに、基本的にカイトは何でもかんでもリビングで済ましてしまう。なんとか最低限の家具をカイトに選ばせて──かなり強引に選ばせたのだが──は出来る部屋にしたのに、だ。
その理由は聞くつもりはないし、聞いても教えてくれそうにないから巽は知らないままでいるけれど、折角の部屋を使わない事を不満には思っていない。
カイトがここに、「来たいから」でも「暇だったから」でもなんでもいい、自主的に来てくれるならどこを自分の部屋にしたって、どこで寛いでくれたって、何をしてくれていたって巽は文句の一つもないのだ。
だからこそ、巽は無意識で眉間に皺を寄せる。
(しかし、がねえ)
カイトは料理を作る時は勿論の事、一人で過ごしている時にも適当なインターネットラジオで、適当な国の──本当に適当にチャンネルを選んでいるらしく、この間はフランス語が流れていた──を聴いているから、例えば、若干とはいえやはり動作音がする換気扇の音に負けないようにしているならその程度の音量のラジオ音が漏れ聞こえておかしくないのに、それさえない。
寝ている事は除外だ。メールを送信してすぐに寝たなんて、考えにくい。

不安な気持ちが先に立ち足早にリビングに入った巽は、息を飲んだ。

「ぁ──────たつみ、さん?」

スラックスと、シャツ、ネクタイを緩めた巽の姿をカイトは漸く捕えた。
ベッドの上にいる理由はなんだろうか。巽の顔が心底安心しているのはなんでだろうか。
カイトはいくつか聞きたい事があったが、体も口も、だるくてうまく動かない。
巽は乱れた髪をそのままに、泣きそうな顔でベッドに近寄ると床に膝をついてカイトの頬を撫でた。
「倒れてたんだよ、お前」
「──────え?」
「貧血だってよォ、何してんだよ。だっから、カイト、肉を食えって言ってるんだよ、馬鹿野郎」
「ひんけ、つ」
「よかった。本当に」
絞り出すような声で言われ、カイトはなんとも言えずに目を閉じた。

よりを戻してから、と付け加えて、カイトはさまざまな巽の顔を見てきた。
様々な笑顔も、子供のように拗ねた顔も、澄ましている顔も、少し睨みつけるような顔だって。全て付き合ってきた時見ていた気がしたのに、もう一度やり直そうと手を取ってからの巽の顔はそのどれもが未だ嘗て見た事がないようなと言わなければならない程に、人が変わったかのような表情を作る。
──────この人は、こんなに嬉しそうに笑うんだ。
そうやってひとつひとつ、改めて沢山の事を見て知って、それらはカイトの中に溜まっていった。
ひとつひとつが嬉しくて、幸せな気持ちにさせてくれたりもしたけれど、今の顔をカイトはなんとも言えない気持ちで見てしまった。
貧血で良かったと安堵する顔と、今にも泣きそうでどれだけ心配したのか嫌という程解る顔。
それだけ自分を想ってくれているのだと思えればそれはそれで、なのかもしれないが、カイトは諸手を挙げてそうは思えない。
少し前なら自分があれこれ傷ついた気持ちの一つでもこれで理解しただろう、なんて思ったかもしれないのに、そんな気持ちには一欠片だってならなかった。

「巽さん、ごめんね」

いつもなら偉そうに何か言うだろう巽の口は、一度ギュッと閉じてから
「いや、いいんだ。何もなくて本当に良かった。本当に大丈夫か?」
「ごめんね、巽さん」
「だから、いいんだって」
大きな手が目を閉じたカイトの瞼をくすぐって、頭を何度か撫でる。
まるで触れたら壊れるようなものに触る優しさに、カイトは負けて目を開けた。
「巽さん、ちょっとしんどい。顔、もう少しこっち」
「こっち?」
ちょいちょい、と手招きされて巽はカイトに顔を寄せる。
カイトはなんとか顔をあげて、不思議顔の巽にキスをひとつ。
一瞬だけ触れた唇はひんやりとしていて、カイトはぴくりと体を震わせた。
自分の体温か、それとも緊張して気を張っていた巽の体温か。
暖かい温度を愛情のように例える人もいるだろうが
(この意味の冷たさなら、これも、愛情)
ぱふん、と頭を戻したカイトは手を伸ばして巽のシャツを掴む。
「巽さん、心配、かけてごめんね。でも、おれ、ちょっと、嬉しかった。こんな顔させるくらい、おれ、好かれてるなって」
でも、とカイトは続けて
「好きな人の、そう言う顔は、見たくないから、俺、気をつける。二度と、させないからね」
シャツをくいくいと引っ張った。
巽はカイトの言葉を頭で何度も反芻していて、反応は鈍い。
「元気に起きれるまで、俺のこと、抱きしめてて、ほしい」
「──────おう」
巽はカイトの隣に潜り込み、安心した気持ちがそうさせるのか、いつもより強くカイトを抱きしめる。
好きな人、その言葉もらえるなら泣きそうな顔なんていくらだって見せてやる、と口から溢れそうになって、それを閉じ込めるためにカイトの髪の毛にキス。
ちゅ、と何度も音を立ててしていると、腕の中のカイトが身じろいだ。

「カイトが元気になったら、なんか食いにいくか」
「うん」
「肉食いに行こうな。リトも俊哉も誘ってさ」
「うん」

自分の腕の中でおとなしいカイトをギュムキュムと思うがままに抱きしめて、足を絡ませ髪を指で遊び頭にキスをする。
好き勝手する巽は、くすぐったくなってきたのか笑うカイトのその声をうっとり聴いて
「愛してる。お前がいなきゃ、俺はしょうもないただの目つきの悪い男になっちまう。貧血で倒れたお前見た俺は、正直言って格好いい行動一つも出来なかったんだ。俺に申し訳ねえって思うならちったぁ肉を食ってくれよ」
言うと、カイトは笑って適当に、「うんうん、わかった巽さん」と言ってから、こう付け加えた。
「大丈夫だよ、巽さん。きっと多分、巽さんはしょうもないただの目つきの悪い男になんて、ならないから」
小さな声で笑う声が止まらないカイトに顔を見られたくないと巽はもっときつく抱きしめて、カイトの顔を自身の胸に押しつけるようにする。
「やべーな、泣きそう」
「泣いてもいいよ。俺、見えてないから」
「泣くかよ。なんて、見せたくねぇよ」

カイトは髪の毛を弄る巽の指も、足を絡ませて離さない巽の足も、未だに好き勝手キスするのも、全部好きにさせたまま体の力を抜いて巽に体を預けた。
もう起き上がって支度をして、リトに電話をして、待ち合わせをして、そうやって出来るけれど
(もうちょっと、このままで、元気のない人でいよう。だって、今──────俺、今)

すごく、幸せだから。
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