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あこ

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番外編:本編完結後

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解錠音がして、扉が開く。
朝早く帰る事になった巽は、頭を一度振ってから靴を脱いだ。
(金森……あいつ、風邪なんて引くんだな……)
──────明日、地球がなくなります。そう知らされたら、きっとこんなに気持ちになるのではないか。
そんな気持ちを持たせてくれた連絡を受けたのは昼間。
夕暮れ時と言われる時間から、夕暮れまでが自分の主な活動時間である。そう言ってのける、どう考えてもイカれている金森が休みとなると、いつもなら帰る事の叶う巽が変わるしかない。
昔──────まだ子供だった巽が金森と出会ったあの日から。金森という男は睡眠時間を殆ど取らない男であると巽は知っている。
四時間寝てしまうと体が辛い、二時間寝れれば十分。いっそ寝ない方が健康的に過ごせる。なんてとんでもない事を言う金森の平均睡眠時間は二時間程と言う。
彼のその寝ない様に助けられているのは事実だが、それと健康を気遣う気持ちは別。
巽は何度も何度も金森にそう言ってきたのに、暖簾に腕押し状態で今回のこれだ。
戻ってきたらもう少し睡眠時間を取れ、と真面目に話すべきだろうかなんて考えながら巽はリビングに入る。

ネクタイを緩め、ジャケットを脱ぎながらソファに座ろうとした巽の肩が跳ねた。
ソファの肘置きに頬をつけゆったり足を伸ばして目を閉じる、カイトがそこにいたのである。
右手はラグに触れておりその下には文庫本が落ちていて、どうやら読んでいるうちに寝てしまったようだ。
カイトが愛用している、押し花をレジンでコーティングした、まるで生花だったころそのままの姿の栞はテーブルの上にある。文庫本はすっかり閉じたまま落ちているから、これでは巽が寝ているカイトに代わり栞を挟んでおいてやる事も出来ない。
案外しっかり出来てるんだよ、そう言われたものの巽は大きな手で優しくそっと栞を持ちテーブルに置いた本の上に乗せる。
改めてすっかり気を抜いて寝ているカイトを見て、巽は唇を噛んだ。
(可愛いなァ、お前)
唇を噛む力以上の気持ちで噛み締めて、巽は起こさないよう用心深く抱き上げるとそっと階段を上った。

先にカイトをベッドに優しく下ろし布団もかけ、そうしてそっと出ていった巽が暫くしてから再び寝室に入ってもまだカイトは寝ている。
いつあの状態で寝始めてしまったのかを知る由も無いが、巽はほんの少しでもカイトを腕の中において眠れる事に幸せを感じて、口が自然と緩む。

こんな時間に身を置くと、いつだって思う。
あの頃の自分は馬鹿だったと。
それでも巽はもう戻ろうとは思わない。
腕の中のカイトが言ってくれたのだ。
傷つきなくないと言ったその口で。
──────今ある、知った気持ちをなくすなら、戻らなくても、いいよ。俺は、戻らない。巽さんにも、言わないよ、俺と出会わないようにしてなんて言わない。
カイトのあの言葉に巽は過去を後悔しても、あの頃に戻れたらとは決して言うまい、いや思うまいと思った。
傷ついたカイトが言うのだ、戻らないと。
巽は後悔している以上に、この先のカイトを幸せにするだけ。あの言葉を受けて、一層その気持ちが固まった。
「おやすみ、カイト。良い夢を」
巽は、カイトがこうして腕の中にいてくれるのなら嫌な夢は決して見ないと、そう自信を持ったまま目を閉じた。

カイトが起きたのは、午前九時少し過ぎ。
逞しい腕にぎっちりと、でも優しく抱き込まれている事に瞬いてから視線を室内に移す。
(あ、ああ、運んできて、もらったんだ)
こんな時間だ、余計に二度寝なんて出来ないカイトは慎重すぎる程慎重に巽の腕から抜け出した。
ピクリとも動かない巽の顔を、カイトはベッドから降りて覗き込む。少しだけ疲れてそうに見えて、カイトは指でそっと巽の頬をなぞってから寝室を出た。
着替える事もなく、スウェットのパンツにシャツという姿のままカイトはキッチンに立つ。
カイトの姉であるリトと巽は似ている部分がいくつかあるが、その一つは野菜不足だ。
リトはカイトと暮らしていた頃はカイトがいるから、俊哉と暮らしてからは俊哉がいるからバランスのいい食事を作るようにしてくれていたが、彼女自身は野菜より肉である。
巽は現在、カイトのために摂取する事を心がけているらしいがカイトからすれば今ひとつ。
だから彼はこうして休みの今日、キッチンで腕を振るう。
あの時買った調味料は無くなって買い足したものもあれば、まだ使っているものもある。
それだけの頻度でカイトはここに足を運んでいて
(運んだ数だけ、変わってる──────のかな)
カイトの頭でまた線が一つひゅっと引かれた。

三つの鍋を火にかけながら、カイトは保存容器二つを冷蔵庫に入れる。
片方はマリネ、片方は根菜をふんだんに使ったサラダだ。
片付けを終えて時計を見れば、時計の針は横一直線に並んでいる。十二時半。
姉のおかげで手際よく料理を作れるようになった自分に感心しながら、カイトの視線は自然と階段に向かう。
起こすべきか、寝かせて置くべきか。
不思議な事に、カイトはどちらにすべきか悩んでいる。
(起きてきて、くれたらいいのに)
疲れているのだから寝かせてあげたい。でも
(せっかくきたんだし、会いたい、な)
ソファで寝てしまったのは、会いたかったからだ。
文庫本は開いた箇所からそんなに読み進めていない。時間を何度も確認しながら、気もそぞろ、進むはずなんてなかった。


さみしい。会いたいな。
巽さんに、会いたい。


突如湧き上がった感情に突き動かされて、カイトはここにきたのだ。
大学から帰宅してさて夕食はどうしよう。そんな事を考えていたのに、突然会いたくなった。
巽に対して、好きとか嫌いとか許せないとか許せそうとか、カイト自身にとって手に余る感情を持つのに、巽に会うたびに積み重なるの姿にカイトはついにこの間、心の中でしっかりと言えた。
──────好き、巽さんが、好き。
そうしたらなぜだろう。以前よりももっと巽を思うようになった。
浮気をされる時よりももっと、が増えた。
巽が見せてくれているのかも知れないけれど、カイトは確かに巽を真正面から見つめるようになったのだ。

「──────て、ほしい、な」

無意識に漏れた声に重なるように、鍋の蓋がカタンと音を立てる。
吹きこぼれそうになった鍋にハッとし、カイトはすべての火を落とした。
じっ、と三つの鍋を見つめていたがカイトは大きく息を一つ吐くと、静かに、けれども足早に階段を上る。
逸る心を表したような足取りで寝室に入ると、未だ眠る巽の隣にカイトはさっと潜り込んだ。
投げ出されたままの巽の腕にカイトがそっと身を寄せると、起きているのかと思う自然な動きで巽がカイトを抱きしめる。
カイトはされるがままにおとなしく腕の中におさまり、眠る巽の顔を見た。

今までよりもずっとずっと、様々な感情を込めてくる瞳は瞼に隠されている。
──────悲しい、不安、愛しい、怖い、好きだ。
カイトは巽の目から色々な感情を受け取った。
「ねえ、巽さん。真摯な姿勢で真面目に言い寄られてたら、あんな酷い事されてた俺だって、いつかはやっぱり、絆されちゃうかもしれないね」
囁くほど小さな声で、諦めたような音でカイトはこぼす。
まるで愚痴のような音色だ。
「だって、あんた、まるで生まれ変わっちゃったみたいに、愛してくれるんだから、絆されちゃうよ」
カイトはなんとか体を動かし、そっと巽の唇に指を滑らせた。

(でも、愛しちゃう、までまだ言えないや、ごめんね、巽さん)

自己中心的な自分勝手な事を平気で言った、カイトが指を置いたこの唇は、それがまるで嘘だったかのように愛を囁く。
カイトはあの日、神社の境内でまた新しい巽に出会ってから、あの日あの場所で巽に、そして自分に進もうと言ったあの時から、ついに認める決心をした。
この後悔しきって必死になって自分を愛する巽に惹かれている事を、認める事にしたのだ。
これが認めると言う事なんだろうな、と実感してしまう程にカイトはこの“認める”という感情が、生まれて初めて出会った未知のものに感じた。

「巽さん、起きて。お昼を食べよう」
起こす気がないような優しい声でカイトは声をかける。
体を優しく揺すって覚醒を促せば、ゆるゆると巽の目が開いた。
腕の中で優しい顔をしているカイトに目を丸くした巽を見て、カイトはまた「お昼を食べよう」と言う。
「あぁ──────昼?くっそ、そんなに寝ちまったのかよ」
おはようよりも先に出てきた言葉に、カイトの首が傾ぐ。
「お前がせっかくここにいるのに、こんなに長く寝るつもりなんてなかったんだよ。勿体ねぇ」
「ダメだよ、疲れているんだから」
「カイトがここにいてくれりゃ、疲れなんてなくなるんだよ」
本気で言う巽に、困った顔で笑うカイト。
巽はカイトの背に回した腕に力を込めると少しだけ引き寄せて、カイトの額にキスをする。
唇にだってして好き勝手にするくせに、巽は時々こうしてをした。
カイトの気持ちを考えて、笑ってしまうような遠慮を。

「巽さん、キスならこっちにして。今日は、こっちがいい」
カイトは自分の唇を人差し指で示してから、ふんわりと笑う。
「こっち、ね?キス、したいよ。巽さん」
固まったように動かない巽を見かねて、カイトからキスをした。

「巽さん、改めておはよう。お昼を食べよう」
「あ、ああ」
「夢じゃないよ、現実。嘘だと思ったら、今度は巽さんからキスをしてよ。いつもみたいに、俺様な態度で俺の口にキスをしてよ」

漸く表情筋が動いた巽は恐ろしいほど優しく笑って、カイトの唇を食むようにキスをする。

「寝たくねぇのに、幸せで、もう一度寝ちまいてぇなァ。くそったれ」

苦しいほどの力で抱きしめられたカイトは、昼食のその時に「今日はたくさんキスがしたい」そんな事を言ったらどんな顔をしてくれるだろうか、と悪戯を思いついた子供のような顔を巽の胸に押し付けた。
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