きみにふれたい

広茂実理

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虚しさの11月

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「さくらさん……本当に、ごめんなさい」
「私も、追い詰めていたんでしょ? ごめんね」
「さくらさんは何も知らないから、仕方ないよ。そもそも、俺が言わないのが悪いんだから」
 だいぶ落ち着いたらしく、彼からはあの目は消えていた。
 桜の木の下。少し冷えるけれど、大丈夫だと言う彼と並んで座る。
「ずっと、ああいうことを考えていたの?」
「……うん」
「そっか……誰にでも、あるよね。逃げたいことって」
「まあ、そうだね。その気もないのに、自分で傷付けるやつはイラつくけど」
「何それ」
「ほら、手首とかさ」
「ああ……」
「ああいうのって、心配してもらいたいだけでしょ? 悲劇のヒロイン的な」
 優しくして。心配して。注目して。私を見て――ってやつね。
「興味本位でやるなよって話だよ」
「まあ、いろんな人がいるよね」
「本気で、やりたくないのに、やってしまって悩んでる人の気持ちなんて、わからないくせに……」
「ああ……あれ、ほぼ無意識なんだよね。傷を負うことで痛みを和らげる物質が分泌されて、落ち着くことができるらしいよ。人間が、本能的に生きようとする手段の一つなんだって。そのせいか、衝動が抑えられなくてさ……夏なんて最悪。視界に手首が見えた瞬間、所構わず衝動に駆られて――――え?」
「さくら、さん?」
「え、今……」
 私は、何を? 何を、言った?
 驚く彼。いや、私が驚いている。私が聞きたい。
 口をついて出たのは、紛れもなく知っていることだった。それは、私の過去の一部。私は――
 おそるおそる、目だけを動かして見る。一瞬、あるはずのない傷が見えた――気がした。
「何か、思い出したの?」
「た、ぶん……」
 あれ? 私、病気だった、よね? 自殺じゃ、ないよね? 確かに、病気だったことは覚えている。ただ、何の病気かまではわからない。
「私……自殺したの、かな」
 だったら、どうして? どうして、ここに囚われているのだろう。それほどまでに嫌なことがあったのなら、記憶がないこともわかる気がする。そうだったのなら、どうであれ私に彼を止める権利など、ない――
「それは違うよ」
「え?」
「違うから、怖がらないで。震えてる……」
「あ……」
 何にと言われると、説明できない。けれど、私は新たに知った過去に震えていた。私が自分を傷付けていたことは、事実だ。どうしてそうなったかは、わからない。それでもただ、違うと言ってもらったそれだけで、少し心が軽くなった。けれど――
「どうして、君がそんなことを言えるの?」
 私の過去を知っているようなことを言っていたけれど、まさか死因を知っているというのだろうか。
「……ここで逃げるなんて、できないよね」
 そう、誰に言うでもなく呟いて。
「俺……さくらさんの最期を知ってるんだ――そばに、いたから」
 そう、告げた。
「…………え?」
 そばに、いた? 十年前に?
「さくらさんは、病気で死んだのでも、自殺でもない……事故に、遭ったんだ」
 言葉が出ない。今まで、そうだと疑いもなく十年過ごしてきた――しかし、事実はそうではないのだと否定された。それはなかなかの衝撃を伴っていて、頭がついてこない。
「事故?」
「この学校の前にある、道路で」
 ついと指差す方を、つられて見やる。この木の正面。正門を通ると、歩道がある。その横は車道だ。
 十年前、そばにいたという彼は、当時小学生くらいのはず。どうして、私がそんな彼といたのか。そして私は、そんな小学生の前で事故に遭ったというのか。
「え、と……衝撃的な現場を目撃させてしまった、みたいで……」
 あははと、乾いた笑いを浮かべる。信じられないあまりに、バカなことを口走っていた。
 また、質の悪い冗談でも言っているのかと彼の顔を見たけれど、そんな雰囲気は微塵も感じられない。
「あ……ほん、とうに?」
「さくらさんは、俺を助けてくれたんだよ」
「君を、助けた……?」
 経緯はまったくわからないけれど、それでも幾分か救われた気になった。
 ただただ、轢かれて終わった命ではなかったらしい。まあ、ドライバーや残された側の気持ちを思えば、そんなことを言っていられないのかもしれないけれど。
「そう、なんだ……そっか……」
 事故の衝撃で、記憶がないのかもしれないと思った。忘れたいこともあったかもしれないけれど。
「だから、俺のせいで……」
「君は、ずっとそんなことを思って生きてきたの?」
 思わず漏れたのは、苦笑だった。
「君のせいじゃないよ。ねえ、その時に怪我はなかったの?」
「あ、うん。無傷だったよ」
「だったら、良かった。君が無事で、こんなに大きくなって……なら、尚更生きていてほしいと思ってしまうな。私のエゴだけど」
「さくらさん……」
 この学校の向こうに、小学校がある。きっと彼は、そこへ通っていての帰り道、偶然同じ時間に歩いていたのだろう。そんな瞬間に、出会っていたなんて――なんと不思議な縁なのだろうか。
 まさか、そんな子と付き合うことになろうとは。
「君はいつから、その時の事故の人物が私だって、気付いていたの?」
「……最初から、知ってたんだ」
「最初から?」
「中学生の時、この桜の木にいるさくらさんを見て、すぐにわかったよ。あの時の人だって。さくらさんのことを忘れたことなんて、なかったから」
「そう……」
 そりゃあ忘れられないよね、目の前で命を落とされたら。しかも、自分を庇ったなら尚更だ。
「黙ってて、ごめん。病気だって言ってたし、覚えてないって言ってたから、言うべきか迷ってたら、ずるずると……」
「ううん。教えてくれて、ありがとう」
 もしかしたら、彼だって思い出したくないことだったのかもしれない。
「でも、そんなことで私が君から離れるって思うなんて、大げさだな」
「う、ん……」
 あれ? 何だか歯切れが悪いな。もしかしたら、まだ何かあるのだろうか。彼がこちら側に来たがっていることもあるし……。
「他にも、あるの?」
「……」
 目は口ほどに物を言う。本当にそうだ。
「ねえ、いつか教えてくれる?」
 今はまだ、言えないというのなら。
「うん……ありがとう、さくらさん。必ず、近いうちに話すから」
「わかった。待っているね」
 しかし、私の奥深くで眠っている欠片たちは、着実にその目を覚まそうとしていたのだった。
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