きみにふれたい

広茂実理

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儚さの12月

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「さくらさん、どうしたの? 最近はここにいるね」
 今日も今日とて、私は正門のそばにいた。門の向こうには、猫がいる。しゃがみ、背を向けたままの私の視線を辿り、彼は気付いたように声を上げた。
「あ、猫だ」
「あの日の仔猫に、そっくりだね」
「あの日?」
「……覚えている? 公園に行ってさ、お茶飲む? って聞いたら、泣きながら首を横に振ったよね」
「――さくら、さん?」
 猫がどこかへ行ってしまった。私は立ち上がる。
「日本語、すごく上手になったんだね」
 言いながら、静かに振り返る。
 予想通り――驚いた顔が、青ざめていた。そして、くるりと踵を返す。
「待って、行かないで!」
 私の言葉に、強制力なんてないのだけれど……それでも躊躇した彼は一、二歩足を進めたところで、動力源を失ったロボットのように、力なくその場に立ち止まった。
「私はあの日のこと、後悔している」
 その言葉に、肩がびくりと跳ねる。私は構わず続けた。
「君を助けたことじゃないよ……君を一人、置いていってしまったことを、後悔しているの」
 回り込んで、彼の前に立つ。その顔は、理解できないといったような、信じられないというものだった。
「ごめんね。死んじゃって」
「っ――! 貴方という人は、どうして……!」
 彼は、ただただ涙を流した。私はしばらくの間、ただ黙って見ていた。

「ごめんなさい、逃げようとして」
 少しして落ち着いてから、私たちはいつもの桜の木の下に座り込んだ。私たちの目の前には正門。いろいろな想いが蘇る。
「全部、思い出したの?」
「うーん……事故のことはほとんど、かな。細かいところは、忘れたままになっている部分もある。だけど、知りたかったことは思い出した」
「俺、ごめんなさ――」
「謝らないで」
「でも……」
「いいから」
 彼が何に対して謝ろうとしているかなんて、すぐにわかった。それが彼の逃げた理由で、ずっと避けていたことだったからだ。
「君の発していた信号を見逃したのは、私だよ」
「……」
「そんなに嫌だったなんて、思いもしなかった。私にだけは言ってくれていたのに、もっと気にかけてあげるべきだった。ずっと、家族にも言えないままだったんだね」
「俺……こっちで暮らすようになって、俺だけじゃない。家の中で、誰もがバタバタしてて大変そうなのを見てた。だから、心配とかさせちゃいけないって思って……それで、そのまま言えなくなっちゃって……」
 そうして追い詰められた彼は、自らその命を終わらせようとしたのだった。
「私、あの日はたまたまいつもより帰りが遅くなったの……もしそうじゃなかったらって思うと、想像もしたくない」
「だけど! 俺があんなことしなければ、さくらさんは……俺のせいで……」
 彼は自分が私を殺したのだと、ずっと思ってきたのだろう。だから、こちら側に来ようとしたのだ。
 私への思いは本物で。一緒にいたくて。同時にその背負ったものから、目を背けるために。
 そしてただただ過ぎゆくだけの、意味を見出せない人形のような人生から、逃げるために――
「君は、もう十分に罰を受けたよ」
 一緒にいたいと思った人を、自分のせいで殺したと思いながら生きていくというのは、どんなに辛いことだろうか。
「もう、自分を許してあげて」
「でも……! 俺は、貴方と一緒にいたかったのに。それを自分で奪ってしまったなんて……」
「……いいよ。君が自分をいじめるなら、そうやって悲劇に浸っていたいなら、好きなだけそうしていればいい。私は、最初から君を許しているけれどね」
「さくらさん……」
 視線を落とす彼から、私も瞳を滑らせる。
 彼には、酷なことをしていると思う。
 知ってほしくないと願っていた。それなのに、私は知ってしまった。思い出した。
 そして、それを突然に突きつけられたなら……彼の心境は、想像に難くない。
「さくらさんは、いつもそうだね」
「え?」
「さくらさんだけだよ……日本語が上手く話せなかった俺に、誰もが早く喋れるようになれって言った。でもさくらさんだけは、英語が話せなくてごめんって言ってくれた。それに、死んでごめんって言うなんて……」
 彼の頬をまた一つ、滴が滑った。
「貴方は最期の時まで、俺のことを……」
「うん……」
「貴方は笑顔で……優しくて、残酷な人だった」
「そうだね」
 私は、ただただ夢中だった。灯を自分で消そうとする小さな体を、何も考えずに突き飛ばしていた。
 どこをぶつけたのかも何もわからないままに、むしろ痛みなんて全然感じないのに、体はもう動かせなくて。
 そうして、正門の前で転がる私へと駆け寄ってきてくれたあの子が無事なのを確認して、ほっとして。
 そして言ったのだ。

 ――生きて……と。

 彼はその言葉を守って、でも悩み続けた。
「ねえ、君は中学生の時に私を見たって言ったけど、その前から私のこと知っていたんでしょ? どうして、そう言ったの?」
「そう、だね……気持ちを自覚したのが、その時だったからかな」
「自覚?」
「うん。好きになった瞬間」
「……一目惚れしたって言っていた、あれ?」
「そうだよ。事故の後、俺は死ぬことも怖くなって、ただただ生きることにしがみついて。でもやっぱり辛くて、逃げたくて、嘘を吐くことを覚えて。そうして、貴方の最期の望みを叶える自信もなくなっていたんだ。そんな頃に、ずっと近付けなかったこの場所に、やっと来られるようになって――そうしたら、貴方がいた。この桜の木の上に貴方がいて、そして泣いていたから。どうして泣いているんだろう、何故ここにいるんだろうって気になった。その涙を拭ってあげたいって思ったんだ。もう一度、貴方のそばにいたいって思ったら、その気持ちが今日までの俺の『生きたい』っていう力になった」
「私が、泣いて……?」
「うん。すごく、綺麗だった」
「何を言っているのよ、急に」
「だって、そう思ったから」
「じゃあ、何。その……泣いている私に一目惚れしたって、そう言うの?」
「そうだよ」
「……悪趣味」
「ええ? いやあ、その……改めて好きになったっていうか……」
 泣いていた理由は、覚えていない。そんな時もあったと思う。
 誰にも見られていないと思っていたのに……。
「ねえ、私がどうしてずっとこの桜の木にいたか、わかる?」
「え……わからない」
「ここって、目の前に道路がよく見えるでしょ。だから」
 木の上からなら、より良く見渡せる。
「私ね、たぶん、君のことが好きだったんだよ。弟がいたら、こんな感じかなって……そんな君を見守っていたかったんだ」
 その理由を忘れてしまったというのに。それなのに、私はずっとここから見える景色を見続けていた。
 ここで、ずっと見守って。そして、待っていたんだ。
 だから、ここから出られなかったんじゃない。私が私の遺志で、出なかったんだ。

 彼を、見守り続けるために――

「ありがとう、レオくん。生きていてくれて」
「さくらさん……ありがとう。ずっと見守っていてくれて」
 ねえ、君はまだ、その心の整理ができないと思う。正反対の想いがせめぎあって、苦しいと思う。それでもどうか、自分にだけは嘘を吐かないで。
「いっぱい悩もう。それで、一緒に考えて決めよう。私たちの道を」
 だから、もう逃げないで。
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