きみにふれたい

広茂実理

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憧れの2月

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 雪が降っている。薄っすらとそれは積もり、草木へ乗る。人の通る場所は解けて色濃く染み渡り、また降ってを繰り返す。この様子だと、それほど積もることもなく、すぐに解けてしまうだろう。他の地域のように、積もってしまって困るということもなさそうだ。
「雪ー!」
「雪だー!」
 子どもたちが、無邪気にはしゃぎながら門の向こうを通り過ぎた。
「寒い……無理、帰りたい……」
 振り返ると、リュウが立っていた。コートにマフラー、手袋、耳当てにカイロと、防寒具の重装備。それでも尚、寒さに震えていた。
「僕をこんな寒空の下に呼び出すなんて、いい度胸してるよね、お前」
「リュウは、やっぱり優しいね」
「はあ? 突然、何。僕の話、ちゃんと聞いてた?」
「うん。寒くても文句言いつつも、リュウは来てくれた。だから、優しいね」
 そう返すと何やらもごもごしていたが、リュウはやがて「フンッ」とそっぽを向いてしまった。
「お前が、レオのことで話があるなんて言うからだ。レオに関することじゃなかったら、わざわざお前の頼みを聞いたりしない」
「そうだね。ありがとう」
 朝に見かけた時、私はリュウに今日の放課後来てもらえるようお願いしていた。嫌そうな顔は「レオくんのことで」と言うと真剣なものに変わり、ぶっきらぼうながらも了承を口にしたのだ。彼の名を出せば、来てくれると思っていた。つまりは、確信犯だ。
 レオくんは、日直で遅くなると言っていた。このタイミングを逃すと、なかなかリュウとは二人になれない。チャンスは、そう多くない。できるだけ早く、言っておきたいことがあった。
「それで? 話って、いったい何? 僕は忙しいんだから、さっさとしてよね」
「うん、わかっているよ。……あのね、リュウ。私、やっぱりレオくんと別れる」
「……え?」
 目を丸くして言葉を失う彼を見て、何だかおかしさが込み上げた。私は、笑みさえ浮かべている。リュウは、そんな私に鋭い視線を向けてきた。
「……お前、何笑ってるの?」
「ごめん。何だか、おかしくて」
「おかしい?」
「だって、リュウは別れさせようとしていた。だから、喜ぶならまだしも、驚くなんて」
 その言葉に、更に睨みを強くするリュウ。本気で怒っていた。
「お前……自分が何言ってるか、わかってるの?」
「わかっているよ。冗談でこんなこと、口にできない」
 リュウは、しばらく私を睥睨するように見ていた。けれど、途端に盛大な溜息を吐く。がしがしと後ろ頭を掻く姿は、ともすれば彼らしくなかった。
「今の話、レオは?」
「知らない。面と向かう覚悟ができてから、言おうと思って」
「そう。で、きっかけは?」
「え?」
「きっかけは何って聞いてんの。僕が何言っても散々嫌だ嫌だって、子どもみたいに駄々こねてたくせに。突然、どういう心境の変化?」
 腰に手を当てて、少し低いところから見上げられる。まっすぐな瞳は、からかいの色など微塵も含んでいなかった。
 きっと私は、わかっていたんだ。リュウならば、そうしてくれるとわかっていたから、彼に話そうと思ったんだ。
 ズルい……彼に言えないからって、こんなこと……。
 だけど、リュウはそれを承知で受け止めてくれた。だから私は、気付かないフリで口を開く。
「出られないの。私は、ここから出ることはできないの。そのことを知ってしまった。それが、きっかけ」
「そんなこと、最初からわかってただろ」
「そうだけど、そうじゃない。……記憶が戻れば、どうしてここに囚われているのか、そのヒントが見つかると思っていた。鍵を手に入れたら、出られるかもしれないと思っていたの」
「そうじゃなかったって?」
「うん。そんなことなかった。理由はわかっても、それは鍵じゃなかった。最初からなかったの。どこにも、鍵穴のついた扉はなかった」
 見えない壁が、四方に張り巡らされている。どれもが透明で、私だけが触れられる壁。誰もが、易々と擦り抜けて行ってしまう壁――そのどこにも、扉はなかった。
 だって、壁を作ったのは私。留まることを、見守ることを願ったのは私だから。
 そこに、出入りするための扉は、必要ない。
「それで? 出られないから別れるって? ……わからないな。やっぱりそんなの、最初と何も変わってない。理由にはならない」
「そうだね。きっかけではあるけど、決定打じゃない。決意したのは、この前聞いたレオくんの話。三人が初めてこの桜の木の下に集まった、あの日のこと」
「あの日の、レオの話?」
 胡乱な瞳に見つめられる。眉間の皺に、彼が記憶を手繰っているのだと察した。
「リュウにまっすぐ、私への想いを話していた。揺るがない気持ちと言葉だったけれど、私は素直に喜べなかったの」
「嬉しくなかったっていうのか? あれだけ想われてて」
「嬉しいよ。嬉しかったけど、盲目すぎて怖くなった」
「確かに、盲目だな。レオは、お前のことしか見えてない」
「見えていないことは、怖いことだよ。出られないことがわかって、今日までにいろんなことがあって、いろいろと考えた。一途を通り越した彼の想いは、どこへ向かうのだろうって」
 空を仰ぐ。考えるまでもなく、私たちの向かう先は良くない方向だった。
 彼だけではない――それは、私も同じこと。
 このまま、あと二年も一緒に過ごす――その時に、私が何を口走っているかわかったものではない。
 自分の存在は、危うい。どんな影響を与えるか、わからない。
 出会った時と同じような気持ちで、純粋な心で、そばにいる。それはもう、できないこと。
 変わってしまった。欲してしまった。どんどんと深みにはまっていく。
 際限なく生まれる欲望に、呑まれていく。
 その時、たとえリュウが止めようとしてくれたとしても、私たちは抗うだろう。止められない想いで、手遅れの心で、彼を裏切ってしまうだろう。
 そうなる前に。今のうちに、手を引かねばならない。
 身を、引かねばならない。
 彼の未来を、思うのならば。
「お前が、いろいろ考えたのはわかった。上手くいくかは、わからないけどね」
「え?」
「これだけ、忠告しとく。レオを甘く見ない方が良いよ」
「それって、どういう……」
「さあね。言われるまでもなく、身をもって体験するんじゃない? あーあ、もう。僕ってば、好き勝手に翻弄されちゃって、カワイソー」
「リュウ?」
 あざとさを感じさせる可愛らしい声を上げながら、リュウはくるりと踵を返す。視線だけでこちらを振り返った上目遣いは、小動物を彷彿とさせた。
「自分勝手な幽霊に傷つけられたから、可哀想な僕は彼女に癒やしてもらうことにする」
「え――」
「寒い中呼び出されて、勝手に決意を語られて……本当、何? って感じなんだけど」
「え、えっと……」
「まあ、お前にしては、ちゃんと僕にも言っておこうっていう考えもあったんだろうし? それについては、仕方ないから許してあげるよ。引き続き、何かあったら報告よろしく。じゃあね」
 一通り話し終えると、リュウはこちらになど目もくれず、さっさと帰っていってしまった。
 私はただ、呆然とその背を見送ることしかできないでいた。
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