After story/under the snow

黒羽 雪音来

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16.6-8 消える寸前の蠟燭の火のような激しい感情

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 聖剣の苗床。
 それは、天井の神をこの世の人間に降ろす儀式。

 聖剣に選ばれた人間が直接魔力を流して力を引き出し続けると、逆流してくる聖剣の力に意識を支配され、やがては聖剣を振るうだけの道具と化す。

 人間ではなく善神が振るうための武器。もとは1つの聖剣を4つに裂かれたため、人間でも振るえるようになった。ただそれだけ。力を使おうとすれば聖剣の力の方が強い。

 その作用に、冬の聖剣だけ善神直々に1つの救済措置を設けた。
 その人間は道具とならずに人柱神となる。その体は神が活動するための依り代となり、その魂は神のみが振るえる聖剣を無限に製造する機構になる。 
 大いなる危機に直面した時、清く正しい世界に直すための名誉。その偉業に携わることができる。

 この救済措置をとった理由は、遙か昔に遡る。

 善神は、大陸が1つであった遙か昔に降り立った。

 善神は人間を作った。そして愛した。彼らのために様々な祝福を与えた。

 だが、同じ時に降り立った悪神が、人間に危害を加える悍ましい存在を造りあげた。
 大気も、陸も、海も、自らのものとして独占したい。悪神はそう企て、魔族を使って大陸中を蹂躙した。

 善神はその暴挙が許せなかった。

 既に遅かった。悪神は大陸を壊し始めた。
 大陸がなければ人間は生きていけない。善神は悪神を殺して、蘇らないように4つに裂いて新たな大陸を作った。

 長い平和を見て、善神は人間に大陸を任せて天井に帰った。
 善神は、天井の神と呼ばれるようになった。

 その平和はすぐに壊された。
 大陸中に、悪神の意志を引き継いた魔神とその手下の魔物が跋扈し、世界を脅かし始めた。
 彼らを倒さなければ平和は来ない。しかし、魔神達の小癪な結界により、天井の神はこの大陸に降りることはできなくなった。

 故に、神の意志は御遣いに託した。
 聖剣使いを導き、我を呼びなさい。
 さすれば、私がこの世界を安泰に導きましょう──と。



 その人柱が北の勇者であった自分だと。国王は付け足した。

 新たに入れられた義眼のせいで、目の周り肉や骨、血管を削っているかのように熱くて痛かった。ただ入れられただけだから全く何も見えない。
 何度も杖の仕込み刃に体を刺されて、血と共に熱が逃げていく。
 代わりに、自分の中に別の何かが流れてくる。それが静寂を保っていた黒い靄と一体化し、自分の意志を覆って消そうとする。 
 痛くて熱いのに寒い。音は聞こえるのに見えない。当たり前のように血が流れていく。
 身に覚えのあることばかりなのに、今は酷く怖かった。

 止まってしまうのではと不安になるほど、心臓はゆっくりと動き、鼓動の音が静かになっていく。
 呼吸も、上手く繰り返せなくなっていく。 
 感覚でわかる。自分はもうじき死ぬのだと。
 魔眼という生命維持装置を失った自分の体は、刻一刻と死へ近づいていた。

「・・・・・・愚かな息子じゃ。せっかく儂が人として死ねる名誉を与えたというのに・・・・・・」
 国王の声は、寂しくも愛おしそうに言った。


 言い返したくても、自分が置かれている状況がそれを許さなかった。


 ここへ送られた直後に、ここがどこなのかと確認する間もなく、足下から魔法陣が浮かび、全身に重力がのしかかった。
 全身が床に密着しても、さらに下に引っ張るような圧に、全ての臓器が押し出されそうな苦しさに苛まれる。
 咥えていた瓦礫を落としてしまった。重圧という負荷で拾い直す動きすらまともにできない。

 なにかの魔法かと目だけ動かして周辺を見る。
 クリスタルに覆われたドーム状の空間。壁にはランタンが均等に並び、床には幾十もの溝が彫られていた。

 溝は円と線が描かれている。自分の身長より小さい。魔法陣か何かだろうか。
 自分の腹から流れる血が、その溝に流れて満たされていく。
 脳裏に、教会の地下で見たクリスタルが蘇る。
 この血が、溝の上にいる自分が、全く異なる何かに変わるのではと恐ろしくなった。

 内側から、黒い靄がゆっくりと膨らんでは、風船から空気を抜くように萎むを繰り返す。
 
 教会の地下のように、すぐに広がる心配はないが時間の問題だった。
 どうしたらこの状況を打破できるかと考える中で、細やかな疑問が浮かんだ。
 いつの間に黒い水から黒い靄へと変わり、そして消えていたかのように感じなくなったのだろうか、と。
 
 その疑問を、自分なりに考えることはなかった。
 否。それができなかった。

 目の前に国王がいた。自分を見下ろしてた。
 病で伏せっている人間とは思えなかった。むしろ、前より元気になっている様に見えた。
 最後に会った時まで移動の時は杖が手放せなかったのに、今は持ってもいなかったからだ。

 国王は魔法陣の中にいるのに、標本の虫のように床に倒れる様子はない。
 その国王がすぐに数名の魔法使いを呼んだ。

 その魔法使い達に蹴られて、自分は仰向けにされた。
 謎の拘束魔法によって身を守ることも、抵抗もできなかった。
 目の周りを杖の仕込み刃で刻まれ、血管を引き千切るかのような激痛と共に魔眼を無理矢理抜き取られながら、前の目を彷彿させる義眼を無理矢理押し込まれた。

 自分は再び視覚を失った。

 だが、それだけでは終わらなかった。
 場所を問わずに切り刻まれ続けた。場所を問わずに殴られ蹴られ続けた。
 
 短い時間であったのかもしれない。けど、何度声なき悲鳴を上げたかわからなくなるほど、長く感じた。

 何度も気を失った。
 そのたびに、容器と思われる堅いものを口の奥まで突っ込まれて、謎の液体を飲まされて、無理矢理意識を戻された。
 人類を見捨て魔族になった裏切り者への罰だ。そう敵意と罵りを感じた。
 
 勝手に昔の記憶が蘇る。
 暴力を振られても、刃のように鋭い言葉で刺されても、酷い扱いを受けてもなお、拒絶することも、否定することもできず、終わるまでひたすら声を殺して耐え続ける。そんな当たり前の日々。

 処刑の時もそうだった。死刑の流れが終わるまで悲鳴を上げて死ぬのを待った。あの時は最後に両眼を失った。

 先に視界を失っただけで、どれほど怖いのかを今知った。
 生命維持装置を失った体が、死へ向かいだしたのもこの時だ。
 心臓の鼓動音が聞こえるたびに、安堵と恐怖に苛まれ続けた。


 その中で、国王が昔話を始めたのだ。 
 前に南の魔神が語ってくれたこの大陸の成り立ち。その北の大陸版。
 北の大陸の人間でありながら、自分は初めて知った。書斎にあったと思うが、手に取らなかった気がする。
 
 魔神から聞いた西の大陸の伝承とはかなり違い、全然説得力がなかった。内容が酷すぎる。
 聞いているだけで、耳が腐りそうなご都合主義の詰め合わせ。そんな印象だった。

 それとは別に、調べ続けていた単語も呆気なく知れた。
 その神様という存在に体を奪われる。言葉は理解できるがそんなことが可能なのか。そう他人事のように不思議に思った。
 この恐怖から逃れたいという無意識からなのか。そんなどうでもいいことのように受け止めていた。

 語り終えた頃には、斬られる痛みと殴られる衝撃は嵐のように静まっていた。
 処刑された時よりも全身が寒く、伽藍洞な体に何かを入れたいと、この場と置かれた状況に似合わない、小さな謎の欲心があった。


「儂ら王族の使命は、この大陸のために、全ての大陸を平和に導く。それ故に、王族で勇者であるお前に天井の神を降ろさなければならない。素晴らしき大義とはいえ、不義の子とはいえ、魔神を倒した英雄に、生きて神の器になれはあまりに酷すぎる・・・・・・だから、怪しまれずに人間として体よく死ねる手段も用意したというのに・・・・・・魔神に唆されなければこんな不幸にならなかったのに・・・・・・儂の恩情を、気遣いを、無駄にしおってからに・・・・・・」

 処刑は国王の恩情だった。
 自分が、自分として死ねる最後の機会だった。
 国王として、父として、自分を気遣って。

 言葉を反復していくたびに、苛立ちが募っていく。

 ────何が恩情だ。
 ────何が人として死ねる機会だ。
 ────どこが気遣いだというのだ。

 恩情だというなら、始めから話して欲しかった。
 人と死ねる機会なら、処刑でなくても良かった。
 気遣いというなら、知らない罪を被せる必要はなかった。 

 言葉という枠に収められて独立していた苛立ちが、溶けてひとつに集まっていく。
 
「そこの者。この罪人はいつになったら死ぬのだ?」
「申し訳ございません。魔法陣の起動にまだお時間かかるようでして・・・・・・」

 不幸だったのかもしれない。だが、そうしたのは魔神ではない。
 自分がこの世に生まれる原因を、自分が勇者になった原因を、自分が裏切り者として処刑される原因を作って、不幸に落としたのは全て国王だ。

「うーむ・・・・・・そこの者。何か刃物を持って参れ。儂自ら処罰しよう」
「い、いけません!! それだけは行ってはなりません!!」

 国王と魔法使いが会話しているが、もうどうでもいい。
 くるくる変わる言葉など、耳に入れたくなかった。


 重要なのは、追い込んだ自覚がない恩着せがましい国王の態度。
 頭の中で勢いよく弾き出された答えだった。


 そうとわかると、血とは全く異なる熱が心の中に灯った。

 ────ふざけるな・・・・・・。

 自分の心の奥底で、真っ黒な何かが燃え出す。
 死にかけていたとは思えないほど、声を上げて否定したくなった。
 ピエロも言っていた。これが恨みや怒りなのだと気付いた。

 あるいは、今だけピエロに乗っ取られているのかもしれない。
 自分は、こんなにも荒々しい感情をぶつけたことがない。

 ────ふざけるなっ!!

 肺を圧迫する痛みがあっても、魂から叫んだ。
 好き勝手言われても、自分さえ理解していれば良かった。
 だが、こんな一方的な考えで殺された。こんな狂った奴の狂った言動で死に追いやられた。そう思うと、怒りが抑えられなかった。

 罪なき優しいヒトを殺したと咎められたら、自分は素直を罪を認めた。
 ただただ自分を否定されるなら、自分はそんな人間だと無言でいた。

 恩情、機会、気遣い。そんな見当違いによって、自分は汚名を着せられて処刑された。
   
 ────誰がそんなことを願った!! 
 ────そんなこと1度も望んでいない!!

 自分とは思えないほど強く激しく、こみ上げる恨みのままに否定する。
 何もなかった、ではない。
 価値も。自由も。時間も。経験も。幸福も・・・・・・得られて当然のそれらを、全て取り上げられていたのだ。

 ────こんなことのせいで!!
 ────自分は全て失ったというのか!!

 今だって心のままに叫びたい。それすら、自分は奪われているのだ。
 自分の全てを奪ってもなお、自分のためだと嘯き不幸だと勝手に哀れむ国王に、それらの感情の炎が燃えていく。

 ────お前らの操り人形じゃない!!

 偶然だろう。
 国王の素手が自分の喉に触れた。
 そして、力を込めて絞め始めた。
 魔法使いらしき人物が止めていたことを、国王自ら行っていた。

 息ができない。
 手に押し潰された、喉の皮と肉が内側に迫る。気管が潰されていく感覚がはっきりと伝わってくる
  
「安心せい。薬を使えばすぐに良くなる」 

 言動が一致していない。
 自分も人間ではないが、自分の首を絞める国王が別の生き物のように思えた。

 染みついた自分の弱さと恐怖、息ができない苦しさに押し潰されるように、荒々しい感情の炎が消えていく。

 死へ近づいていく体は、重い石になったように動かなかった。
 心の中では、ひたすら許しを乞う自分がいた。

 見る影もない、弱々しい火の粉に変わってしまった。
 あんな激しい炎。2度と灯せないだろうな、と名残惜しさと共に。

 自分には何もなかったのだと思い知らされながら、その火の粉と共に意識が消えた。



 代わりに、別のものが灯った。
 小さな欲心が、本能的要求へと変わった。
 
 喉が、酷く乾く。
 お腹が、酷く空いた。

 あまりにも懐かしい感覚。
 勇者になった始めの頃に困った感覚。乾いた喉でうまく言葉が言えずに咳き込むと腹を蹴られ、腹の虫が勝手に鳴いただけで腹を蹴られた。
 鳴らないように背中を丸めて、手で腹を押して抑えていたら、酒瓶で頭を殴られた。「腹空いているならこれでも食えよ」と嗤いながら、無理矢理割れた瓶の破片を口に入れられた。
 治るまでの数日間。その血で喉は潤い、胃は多少満たされたが、血の味と臭いしかわからなくなった。口の中に大量の針を入れられたように痛く熱かった。

 いつの間にか消えていた、愚かな欲だった。
 その欲が、今まで抱いていた気持ちを塗り替えていく。
 眷族になってまで、死にかけている今になって、このどうしようもない飢えと渇きを満たしたいと思ってしまった。
 否。それしか考えられなくなっていた。

 言動がちぐはぐの父親の血を半分継いでいるのだ。
 自分もそんな風に狂う要素が、あったのかもしれない。

 血は争えないな。
 そんな悲しみも、食欲の前ではあっさりと塗りつぶされた。

 口の中に、慣れ親しんだ血の味がした。
 とても濃く、生温かかった。
 その味の水が口の中からではなく、口の外から流れ込んでくる。

 飲み込めば、少しは喉が潤うだろうか。
 飲み込めば、少しは胃が満たされるだろうか。

 飲み込めば、この伽藍洞を埋め尽くしてくれる。

 否。歯で咥えているそれごと噛み千切り、喉を通して胃に落とした方がいい。

 何か音が聞こえたが、狂っている自分の耳にはぼやけた音しか届かなかった。
 
 歯に力を入れて噛み千切ろうとしたとき、僅かに隙間ができていた歯の奥に棒のような堅い物が差し込まれた。
 それを使って無理矢理口を大きく開けられた。口の中にあった血の味の水が零れ、噛んでいたものから歯が離れた時、後ろに突き飛ばされた。

 何か、水のような柔らかくも心地よい冷たさがある液体に包まれた感触があった。
 こんな場所に水はなかった。 
 否。自分の血があった。
 水と血の区別すらつかなくなるほど、自分は狂ってしまったのだろう。
 しかし、この水の感触に覚えがあった。
 どこだったかと。遠ざかっていく意識の中で考える。
 眠るように意識が微睡み、夢に落ちるかのような身の軽さを感じたときに思い出した。

 7年間。魔神が自分を治療するのに使った水槽の中に満たされていた水の中だ、と。
 今まで見ていたのは夢だったのだろう。
 まだ自分の傷は治っていない。まだ魔神や彼らを認識する前の、水槽の中で漂う自分が見ている夢だ。

 書斎で読んだ本にあった、『夢おち』というものだろうか。
 そう思ったら、僅かな希望が見えたようで、嬉しくなった。
 
 目を覚ましたら、まだ魔神の力を持っていない自分がいるはずだ。
 依頼は間違いだと、ちゃんと言おう。
 独りになって、復讐をやり直そう。
 
 両腕両脚両耳両眼が無くたって、死ぬ寸前の虫の息であろうとも、復讐だけはやり遂げたい。
 具体的な計画はない。だから、この夢から醒めるまでに考えておかないといけない。

 何もないままから始めるのだ。この夢のように何もないまま終わらないようにするには考えて考えて考えて、あのヒト達がいたことを示せるようにしないといけない。最後の復讐相手を殺すまで死なないように行動しないといけない。

 そう思いながらも、自分の意識は水の中に沈むように落ちていった。
 あの飢えと空腹は、嘘のように感じなくなっていた。

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