After story/under the snow

黒羽 雪音来

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23.2-2 とある復讐者の物語

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 ──自分がどうしたいのかわからなくなった──

 わかっている。わかっていた。
 さっきだって思った。自覚した。

 自分の知る、北の魔神と名乗っていたあのヒトではない。
 先ほどまでいたのは、本当の北の魔神。

 同じ姿に、同じ目に、同じ声のせいだ。
 あのヒトが最後に言った言葉と同じように、送り出す言葉を自分に向けたせいだ。

 南の魔神は、覚えていないと言っていた。
 しかし、自分が北の勇者だと知っていなければ、あんな言葉をかけるはずがない。

 心が揺らいだ。
 頭の中がこんがらかって、フードを乱暴に下ろして、汚れた色がまだ落ちていない髪を乱暴に掻いた。
 もう叶わないと諦めていたのに、叶える権利などないと捨てたのに、心の中の下の真っ黒な部分から声が響く。

 復讐をしろ。と。
 勇者であった自分を気にかけ、優しい言葉をかけてくれた、あのヒト達の存在を貶したまま忘れ去り、その上で幸せだと笑うこの大陸の人間達。そいつらに死をもって、その存在を刻まなければ気が済まない。
 そして、あのヒト達を直接殺した自分を自分の手で殺し、独りで死にながら詫びる。

 北の魔神と名乗っていた分裂体のあのヒトは、本物の北の魔神に戻ってしまった。
 北の魔神がいる以上、あのヒトの存在を刻むことが不可能となってしまった。

 魔物となってしまったあのヒトは、自分の記憶の中に僅かしか残っていない。それだって夢を見なければ、全然思い出せないほどだ。覚えていたら酷く辛くなるほどだから、記憶だって消えてしまったのだろう。何度も頭を叩きつけても殴っても、思い出せる気がしない。
 
 北の魔神の伝言が、自分の中でぐるぐると回る。
 他の大陸でやりたいことなどない。叶えたいこともない。充実した人生など願い下げだ。

 ただ、わからないままの日々は嫌だ。
 自分は北の勇者ではない。復讐者だ。
 復讐をしたい。そうわかってしまってからの日々を過ごした。そして断念した。
 そんな時に、わからない日々は過ごすな、と言われてしまった。

 復讐を果たす。それが自分のやりたいことだと、思い出してしまった。
 何もせずに、何も果たさずに、ただただ死を求める。今更になって、それが嫌だと思ってしまった。
 
 違うとわかっていても、あのヒトと同じ姿と声をした北の魔神に言われてしまったのだ。
 復讐を果たせと強要されたわけではない。だが、自分の命は、自分が奪ってしまったあのヒト達に使いたい。罪滅ぼしではなく、自分が許せないから自分を罰したい。それが自分のしたいことだ。
 自分の幸せを願われるほど、自分が幸せになるのを許せない自分がいた。
 あのヒト達の存在が穢れたままでいることが、許せない自分がいた。

 けれど、どうしたらいいのかわからない。
 頭の中が、さらにこんがらがっていった。


「そんなに悩むもんかぁ?」
 声をかけられて、手を止めた。
 視線を動かせば、南の魔神がいた。いつの間にか、自分の横に座っていた。

「言っただろぉ? お前の記憶を戻すあてがあるって……石碑の1件で北の勇者に被せられた罪は嘘だと証明され、王妃の悪事により、狭い王政がこの大陸の人間の他力本願の無責任さを生み出し続ける原因だと周知され、北の奴が人間とは関わらずに旧儀式を行うことを宣言したことで、共通の敵を失って人間共の一致団結の絆は空中分解。こうなったのは、生き残った北の勇者のせいだと見当違いの罵りあいを始めて、余計に他の大陸の人間からの信頼を失って痛い目を見る羽目となった。北の聖女は別だが、同行者共には天罰が下り、奪われた北の勇者の功績は取り戻せた……もう一押しでこの大陸の人間全員に完全な社会的死を与えられる。その一押しがお前の記憶ってワケだぁ」

 確かに天罰。言い得て妙とはこのことだ。
 戦いのときに発していた言葉を思えば、自分が直接復讐相手を殺さないように調整していた。それは汚れ役を魔神が担っていた。もしくは、関係の無い存在にやらせたということだ。

 自分は復讐に邁進していたつもりで奮闘していたが、実際には神様の問題に巻き込まれていただけ。そう思うと、復讐をしたいという気持ちに意味がない気がしてきた。
 自分は、なにひとつ復讐に着手していないからだ。


「……魔法使いを追い込み、大賢者の心をボキリとへし折った奴が何言ってんだぁ?」
 愛らしい猫の目が、黒獅子の獰猛な目の色を帯びた。
「最後の一手は決まっている。……お前が北の勇者として舞い戻り、自らの育ての父親を魔物に変えたられた原因はこの大陸の人間たちのせいだって証拠を突き付ける‼ 間接的であっても、お前と育ての父親を引き離させるのに、けっこうあくどい手を使った奴らがいるらしいからなぁ」 
 
 魔神自身が悪だくみを企てているような含みのある言い方に、今度は何を考えていると不審に思った。だが、発現した言葉をなぞるように思い返して、思わず自分は顔を上げた。

 奴ら。確かにそう言った。
 旅の同行者以外に、明確な復讐相手が他にもいる。
 息を吹き返したかのように、自分の中に沈んでいた復讐心が鼓動した。

 自分の中で弾き出された答えが正しいと言うかのように、魔神は歯を見せて笑った。
「復讐のアドバイスマネージャーとして依頼を受けたんだ。大賢者がいない時を狙って王都の城などに何度も足を運んで、お前ら親子の場所をリークした情報は回収してたんだぁ。そいつが誰なのかは特定までは至ってねぇが、怪しい痕跡はいくつも残っている」

 いつの間にそんなことをしていたんだと思いながら、魔神の用意周到ぶりに、言葉を失うほどの驚きしかない。
 物理的な意味ではなく、感嘆などの気持ち的な意味でだ。

「資料は、南の大陸の俺の隠れ拠点に移して保管してあっから。復讐は一区切り着いたんだし、しばらくは体力の回復しながら調べる作業にしようぜぇ」

 それとは別に、やる気に満ちている魔神には申し訳ないが、自分には首を縦に振るう権利はない。
 首を横に振って、視線を伏せた。

 自分から手を切るような言い方をした。実際、自分は行動でそれを示してしまった。
 どの面下げて、何事もなかったかのように魔神と共に復讐を続けろと言うのだ。

「ん~……この顔でいいんじゃないかぁ? 俺は依頼を果たして報酬もらうだけだから気にしな~いよぉ」
 そう言いながら、魔神は自分の右頬に肉球を当てた。

「お前。トリオと俺の追いかけっこ以外じゃ表情筋死んでるし。教会の奴らと接触の時に頑張って笑顔作ってたけど、全然口角上がってなかったぜぇ。俺はそこにお前のいろんな可能性の真面目さを感じた」

 真面目は真面目だ。いろんな可能性などない。
 
「そんなことないぜ。実直とか誠実とかぐっ……いろいろな真面目があるからなぁ。そもそもさー。資料集めたのは依頼人であるお前のためなんだぜぇ。お前が復讐しないって言ったら、ただの塵。ビリビリ破るか燃やすしかないんだけどなぁ」

 それは……。
 それは仕方のないことだと思った。

「……よし。言い方を変えよう。悪役らしくなくて嫌だけどなぁ」

 魔神はそう呟くと、こっちを見ろと言わんばかりに軽く叩いた。

「お前はそれでいいのかぁ?」

 魔神はおかしなことを聞くものだ。
 いいも何も、自分が選べるのは諦めることだけだ。

 騙されて、自ら復讐を手放した自分に、復讐を望む権利はない。
 自分の手で、最も憎むべき相手に罪を詫びさせながら殺す権利などない。
 復讐がないから、自分が生き続ける理由もない。誰にも迷惑かけずに死ぬしかない。

「誰かのおかげの拾った命も、何かをするために見捨てた命も、そんな風に捨てちまって……俺に殺されりゃまだ気持ち的にも軽かったろうがぁ、ここから無駄死するのはつらいんじゃねぇ?」

 そんなことはない。
 そんなはずないのだ。

 そう思いながらも、脳裏に1人の女性の姿が浮かんだ。
 否、そんなことはない。その姿を消すように、自分はゆるゆると首を横に振った。

 1度……否、自分は2度死ぬはずだった。
 そんな、生に「生きる価値無し」と嫌われているかのように、確実な死に2度も直面していたのが自分だ。

「そんな必死に否定しないといけねぇほど、本当は復讐を果たしたいんじゃないかぁ? 生きるに値しなくても、死に場所を北の大陸に定めている時点で、復讐に諦めがついてねぇし……めっちゃ内心で喋るぐらい動揺するなら、復讐したほうが良くね?」

 図星だった。思わず顔を逸らした。当たっていた魔神の肉球が離れた。

 自分の心を読むのをやめて欲しい。
 出鼻挫かれた感じで、全然覚悟が固まらなくなる。

「そりゃ無理だぁ! もうコミュニケーションツール……あれだ、最も意思疎通しやすい方法として確立されちまったからなぁ‼ 俺からしたら今更だしなっ‼」

 魔神はゲラゲラと笑った。

「まぁ。育った環境もあっから……そのズレた感覚や考え方を他の人に合わせろとか~、そのマイナス思考止めろとか~、身を削るしかない決死の自己犠牲止めろとか~、自分の存在は全く価値がねぇって低い自己評価止めろとか~、何言っても意味がないからって初めから諦めるの止めろとか~、1人で抱え込むなそれやった奴からとんでもない目に俺は遭ったから止めろとか~、俺はアルバーストのドラゴンよりお前の方が強いって言っただけなのに、それを変換して怪物だなんてとんちんかんな悪い方に捉えるの止めろとか~、この世の悪いことは全て自分のせいって思いこむの止めろとか~……。人間ですらない俺がそれを指摘する権利ねぇから、言わねぇけどぉ──」

 思いっきり口にしている。
 自分の聞き間違いと全然思えないほど、魔神ははっきりと口にした。
 1部だけ、怒気をはらんだ早口で告げていた。その部分は自分ではない誰かに言っている気がした。

 それ以外は自分への悪口なのか。真実を言っているのか。それとも、臓器の1件や北の魔神に語ったのと同じ魔神の嘘なのか。全くわからない。

「──その度に聞けばいいだけだろぉ? 俺魔神だから人間じゃねぇし、お前の知ってる人間に該当しねぇもん」
 魔神は、鼻で笑った。

「わからねぇことをわからねぇままにすっから、俺は言葉が足りなくてもなーにも言わなかっただけ。質問ありゃ答えたぜぇ。…………納得できねぇって思ってるだろうが、言葉を交わせる奴でも自主的に言いたくねぇってことはあんだよぉ。人間相手では質問すら聞いてくれなかったから、魔神もそうだって思って尋ねずに放置したお前に非があるってこったぁ」

 決めつけた自分が悪い。何も聞かなかった自分が悪い。それはわかった。
 だがそれとは別に、魔神の良い方に納得できない自分がいた。

 さらにそれを指摘され、言葉で自分だけに非があると言われても、釈然としない気持ちがあった。
 魔神の言葉は正しいのだろう。けれど、何か言い返したい。
 
 その時だった。
 魔神は瞳孔を丸くさせて、髭を震わせ、口を小刻みに動かしながら「カッカッカッカッカ」と鳴いた。
 それを見て、聞いているだけで、自分が鳥か虫になってしまった気がした。今から魔神という猫に狩られる寸前の、狩られる側の恐怖があった。
 自分が魔神の気に障ることをした。自然とそれだけはわかった。

「そんなワケで、お前の間違いをあと4つ指摘してやろう‼」

 そんなにあるのか。あるはずがない。
 納得しかけた自分を否定した。
 
「並列思考を戦いに用いていた理由は合っているが、転移は全然違ぇからな」
 
 自分に背中を向けて、白い毛に覆われた腕の辺りがもぞもぞと動いていた。
 
「同じ材料で、魔神はマフィンを作れるんだぜぇ?」

 くるりとこちらを振り返ると、苔のような色をした深い緑色をした液体が入った瓶を渡してきた。
 猫の姿の魔神が持つと大きく見えたが、自分が持つと手の中に納まるほどの大きさだった。

「人間用に調合した飲むタイプの回復薬。ちょー苦い」
 魔神は目を細めて、笑っているかのような穏やかな顔で告げた。

 先ほどの戦いで体中傷だらけであったのを思い出した。
 薬を渡してきたということは、使えということだと判断した。
 蓋を開けて、一気に飲み干した。苦いが飲めないことはなかった。

 何かを言い出そうに、南の魔神は尻尾を左右に振った。
「…………人間共が行っていた工程は、俺にとっては欠伸が出ちまうほど簡単な作業だぁ。出入り口に分身体を配置していたのは、お前を見張るため。お前は風船のように、ふわふわとすぐにどっかに行っちまうからなぁ……わかんなーいって顔しても駄目だぜぇ。精神的ストレスで眠れないのを良いことに、剣や眷族の力の練習してるの知ってんだからなぁ。1番の前科は、たまたま見かけただけの復讐相手に単身で接触したことだなぁ」 

 気づかれていた。
 精神的なんとかはわからないが、自分は眠りが浅い方だった。
 少し寝ればすぐに目が覚めた。ベッドの中で起きていても時間がもったいないと思い、こっそりと書斎から抜けだして、他の部屋で自主訓練を積んでいた。
 あの時、ベッドの近くで寝ていた彼らの中には、猫の姿の分身体はいなかった。どこかに出かけているのかと思って気にしなかったが、近くで見ていたのかもしれない。

「さくさく行くぞぉ。次に、前のお前の眷族としての能力だぁ」

 魔神はそう言いながら、両手を出してきた。
 瓶を渡すと、再びくるりと背中を向けて、手元をごそごそと動かした。

 初めから、自分が仕舞った方が速いのではと思った。
 自分の方を見ていないからか、魔神はそのことに対して何も言わなかった。

「わかっていると思うが、あれは黒い神の力なぁ。今の上司はワケあって使えねぇけど、本来は一定の空間を支配する能力があった。それは悪魔が持っていて、悪魔より器的に弱い南の魔神である俺は下位変換としての干渉を所持している。━━くらえぇ!! 口直しのメープルフィナンシェ!!」 

 話を聞きながら、拠点の書斎で行われた勉強みたいになってきたなと思っていたら、焼き菓子を口に突っ込まれた。

 何が口直しか全くわからないが、頼むからいきなり口に入れるのをやめてほしい。
 そう所願していると、目の前のコナユキ猫が、手袋のような葉っぱの形をした焼き菓子を持って構えていた。
 しかも、素振りまで始め出した。
 
 第2便を突っ込まれる前に、もぐもぐと食べて、片手で口を塞いだ。
 それでも素振りをやめる気配がなかったので、もう片方の手を差し出した。魔神はその手に焼き菓子を置いた。

「次に、魔神と人間を一緒くたに考えるなってことだぁ。魔族はもちろんのこと、魔神に人間の道徳心を求めちゃいけねぇ。トリオや俺の拠点にいた魔族達はお前の事を色々と気遣っていたが、あれはかなりのイレギュラーだぁ。基本的に、魔族と人間は言葉が通じねぇ。人間の言葉を知り、人間の文化などに興味がある魔族でも、直接人間に関わる奴はほとんどいねぇ……強いて言うなら、確実に人間の言葉を扱え、勇者と戦う義務がある魔神だけしか関わらねぇな。その理由は、人間の考え方が違ぇの1点。考え方の相違は争いの火種になるってわかっているからこそ、距離を取っている」

 受け取ってしまったので、もらった焼き菓子を食べた。

 魔神は自分の肩に乗っかってきた。
 髪を触られる感触から、自分の髪の状態を確認して整えているのだろうか。
 この魔神は、状況にも左右されない我が道行く性格なのだと、改めて思った。

「俺、お前に迷惑料を請求しただろ? で、満額で用意して払ったんだから、俺はお前のやらかしを気にしない。だから、お前も俺に迷惑かけたなどいろいろ気にすんなぁ。むしろ、ここで契約打ち切られる方が迷惑だから止めろ」

 気にするなと言われても、わかりましたと言っていいのかと悩んだ。
 
「……気にすんなって言った俺に、「迷惑かけた罰として、お前は復讐するな」って言わせたいの?」

 自分は違うと手を振った。
 魔神が自分の髪を弄っているから、首が触れなかった。
 
「俺が復讐しろと命じて、それに背いたって思ってるのか?」

 自分は違うと手を振った。

「…………『聖剣の苗床』の影響とはいえ、俺のやること言うことにいちいち苛立って内心で悪態付いていたことが後ろめたくなっちゃった?」

 図星で、何も反応できなかった。
 黒い神の1件以外も、それがあった。
 南の大陸で、頭と心の整頓としていろいろと考えていたら、それを思い出してしまった。
『聖剣の苗床』の影響より、復讐に必死で周りが見えていなかった自分が1番いけなかった。

「いやいやいやいや。ありゃ『聖剣の苗床』の影響力だから。お前が魔族や魔神に怒れるような感情持ち合わせてないのは、見りゃわかるし。──それに悪役は憎まれる方が価値が上がるからなぁ‼」

 美味しいおやつを目の前にした猫のように、魔神は目を輝かせた。
 大陸を維持するための悪役なのに、悪役やりたくて大陸に危害を加える側を名乗っているように思えてきた。

「それほど、俺はメンタル強いってワケだぁ‼ ……まぁ。どの魔神も頭のネジがぶっ飛んでるから、お前の悪態なんてそよ風程度にしか思わねぇよ。──あ。そのリボンはさっきのドーナツの袋のリボンだから安心しろぉ」

 勝手に自分の髪をひとつに束ねると、魔神は自分の横に降り立った。
 ふわふわの白い毛に覆われた右手を、自分の方に出した。

「悪役としては、なあなあで流して終わらせたいが、さすがに復讐のアドバイスマネージャーとしてそれは大変よろしくない……っということだ。契約続行。これからもよろしくねって証の握手をしようぜぇ」
 
 手を取れば続行。その場から立ち去れば破棄。そんなところだろう。

「復讐の動機は様々だ。だが、自分を納得させるためにやり返すってのが根源にある。逆恨みなら俺はお前に声をかけなかった……お前の復讐したいって気持ちが本物だからこそ声をかけたのを考慮して考えてくれ」

 無言で立ち上がって去ろうとしたが、そう言われたらしっかりと伝えようと思ってしまった。
 自分は腰を掛けていた木材から降りて、少しだけ悩んでから、雪の上に文字を書いた。


『何かあれば、自分は請負人である魔神すらも信用できなくなるから止めた方がいい』


 自分は、誰かにとっての使い捨ての駒になりたくないのだ。
 そう思いながらも、自分は体よく利用された。望んだ復讐を放棄せざる終えなかった。
 
 団欒の外にいることに寂しく思いながら安堵した。
 あの時の気持ちが、今ならよくわかる。

 自分は、自分以外の全てが怖い。自分が酷い目に逢いたくないから、利用されるのではないかと不安で、信用できなくなる。
 大勢の中にいるのが怖い。それを外から見ることで自分は関係ないのだと安心してしまったのだ。
 素肌を人に触れられると、恐怖で体が強張り、呼吸ができなくなるのと同じだ。
   
 孤独に生きた方がいい。独りで死んだ方がいい。それが自分だ。

 この手を取っても、自分は同じことを繰り返す可能性があった。
 無駄な希望など持たずに諦めたままにして、これ以上誰かと関わる前にこの命を終わらせる。それが最良の判断だ。
 
 
 魔神が頭突きをしてきた。
 額に当たって、自分は後ろに倒れた。

「へいへーい‼ そこの若人‼」

 雪の上に着地した魔神は、肉球を上に向けて、手首をくいくいと動かした。
 後ろの片足を左右に動かして、自分が書いた文字を消していく。

「ようやく意見言ったと思ったらこれかよ‼ 俺の言葉を思い出せぇ‼ 迷惑料もらったんだから、お前のやらかしは気にしねぇって言っただろ? もう1回やらかしたらまた迷惑料もらえれば俺はそれで充分‼ それに復讐のアドバイスマネージャーだが、俺は南の魔神だぜ。やらかしても余裕でカバーしてやるよ」

 実際、自分がやらかしたできごとを、魔神がなかったことにしてしまった。
 
「信用できない。これに不満がある。そう思ったらその都度聞けっての! できねぇことにはできねぇって言っちまうけど、ちゃんと答えてやっから!」

 そう言われても、もう自分は復讐を諦めた時点で────。

「堂々巡りじゃねぇかぁ‼ この全自動自虐変換自己否定思考がぁ‼」

 魔神は全身の毛を逆立てて、声を荒げた。  

「自己肯定感も上げてやっから‼ ほい握手‼」

 無理やり自分の手を捕まれた。
 その光景に、自分は茫然とした。

 こっちが決めるような流れだったはず。だが、真逆の光景に頭が追い付かない。

「まだ最後の間違いが残ってるのに、こんな雪山で何時間悩むつもりだぁ‼」
 
 それは一理あるが、それでも考える時間が欲しい。

「いやいやいやいや‼ お前復讐したいって思ってるだろ⁉ だから俺に殺されたくないって反撃してたんだろぉ⁉ 諦めたって連呼しているわりには諦めきれてねぇ節あっからなぁ‼」

 あれは魔神の手を汚したくなかった。呆気なく死ぬなら責任もって自分で始末をつけた方がいいと思った。あと、嘘つきの魔神に1撃でもいいから、痛い目をみせたかった。
 そう思いながらも、詫びる時間が欲しかったと思ってしまったのを思い出した。

「自覚してんじゃねぇか‼ そもそも、俺の仕事は、お前が復讐果たせるように計画を立ててサポートすること‼ そんな弱弱しい考え持ってる奴の尻を叩いて‼ 前向かせて‼ 提案出して‼ 復讐に全力で挑めるようにする‼ お前に挫折させるのは俺の仕事ではなーいっ‼」

 結局。誰かの勢いに自分は押し負ける。
 ただ、復讐を果たしたいという自覚を認知させるために、迫真の演技と本気の戦いという茶番を用意するのは、サポートが手厚すぎる気がした。
 
 魔神は目を丸くして固まった。そして、目を泳がせた。
「……違うよぉ……。あれは本気で殺そうとしただけだよぉ……」

 自分を殺すことは、挫折させることだ。それが仕事ではないと言ったのは魔神の方である。

「…………俺が言うのもおかしな話だけど……お前。内心での会話に順応してなーい?」

 話を逸らすということは、図星なのだろう。
 何事にも興味がなく完璧に行う黒い神を知ったからか。南の魔神の気遣いや動揺する様子に人間臭さの安心感があった。
 否。安心感は正しいが、人間臭さではない。
 言葉でどういえばいいのかが難しいが、良い方向で不器用なのだろう。
 北の魔神が言いたかったのは、このことだったのだろう。そう思った。
 確認しないと、こんな恐ろしいほど恥ずかしいことになることを身をもって知った。

 同じ声質で、同じ神の称号を持っていても、原初の神と魔神では全然違う神なのだと実感した。南の大陸で誰からも親しまれるのがわかる気がした。 

「……おいコラぁ……」
 祟ってやると言わんばかりの、ねっとりと纏わりつくような声を出した。
「俺はなぁ……誰もが恐怖する象徴の悪役なんだぁよ。「きゃー。こわーい」って悲鳴か「おのれ。南の魔神」って敵意しか受け付けてないんだぁよ……」
 
 そう言いながら両手の肉球で、自分の右頬を交互に叩き出した。
 全然痛くないが、何度も叩くのは止めて欲しい。

 訂正しろと要求するように何度も叩く魔神を、自分は両手で抑えてた。

「はい‼ 契約続行成立~♪」
 魔神に言われて、自分は魔神の手を掴んでいることを気づいた。
 この魔神狡い。そう自分は非難の声を心の中で上げた。

「いやいや~。証として俺も握ったりお前も握ったからなぁ……まぁ。お前は復讐したいって自覚持ってんだから、あながち間違いじゃねぇだろ?」

 それを言われてしまったら、自分は何も言い返せなくなった。
 ただ、なかったことにして欲しい。その言葉が出なかった。言いたくないとすら思ってしまった。

 復讐を諦めることができなかった。
 この未練をなかったことになど、今更できなかった。
 今度こそは、自分の手で行いたい。そう強く思ってしまうほどの、暗い決意が確かに存在していた。

「ん~……そんなピュア過ぎるところに俺は不安を抱いちまう……。で、最後だが……北の魔神には石碑の内容通りと、悪魔の襲来しか伝えていねぇよ」
 
 そんなはずはない。
 そうでなければ、北の魔神が伝言という遠回しに自分に言葉を贈るはずがない。

「……ああ。さっきのかぁ。あれは本気で伝言を頼んだだけだぜぇ。お前のこと覚えてないんだから、お前が北の勇者だって言ってねぇし」
 自分は、とんでもない勘違いをしていた。そう実感して恥ずかしくなってくると、胴体部分の体温がぐんぐんと上がっていった。 

 北の魔神は、あの嘘に気づいていないことになる。
 あれは純粋に怒っていたのだ。魔力の滓の塊であっても、勝手に使われ、さらに補強するために器を調べられた。
 その勘違いに──あれを自分宛ての伝言だと思ったことに──自分は恥ずかしくなったのだ。 

「石碑の設置は、無暗に真相を探られないようにするための口実の大気名分として、口裏合わせてもらっている。石碑と北の魔神に伝えた内容で違ぇのは、北の勇者は一番厄介な魔物を倒して姿を消した、じゃねぇ。そいつを倒したあとに突然悪魔が襲来し、大陸を滅ぼそうと暴れ出した。魔物がらみで復讐の依頼を受けていた俺と依頼人であるお前も助っ人に入るも、悪魔の圧倒的な力にあの処刑場まで追い込まれた。北の魔神は消滅。お前は魔力変換機関を壊され、俺は今みてぇな感じでピエロの中に退却せざる終えなくて互いに戦闘不能。残る北の勇者は命を懸けて大陸を守り切るも熾烈の戦いの末に、悪魔と共に行方知れずになってしまった……そんな大スケールの設定になってる。他の魔神にも知られっと、いろいろヤベェ事ばっかだったから隠蔽には丁度良かったんだよなぁ。北の魔神はお前に会ったらなんか気づくかなぁって危惧してたけどぉ……髪の色もあって気づいていなかったわぁ。あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ‼」

 この腹を抱えて笑う魔神。悪魔本人であることを良いことに、北の果てで起きたことを有耶無耶にしたのだ。しかも、分裂体、白い神の眷族である大賢者、白い神、黒い神のこともなかったことにした。
 北の大陸に人間に精神的苦痛を与えながらも、南の魔神の思うがままの結果になってしまったのだ。たぶん、北の大陸の人間の人間的価値観を落とせば、何を言っても他の大陸が信じない。それも狙っていたのかもしれない。

「北の勇者の行方が不明なのは石碑と一緒だから、問題ないよぉ?」
 また可愛さで押し切ろうとしているが、問題があり過ぎる。
 先程まで北の魔神と一緒にいたのだ。自分が正体を明かせば、騙されたと思うだろう。殺しに来る勢いで自分と南の魔神に攻撃してくるのは目に見えていた。

 すると、南の魔神は瞳孔を丸くし、フレーメン現象のように口を開けた。そして、固まった。
 その表情は、お風呂に入れられて、この世に失望と恨みを持った猫のようだった。
 数秒で「はっ」と小さな声を出して我に戻ると、不敵な笑みを浮かべた。

「甘いなぁ。この姿じゃ説得力ねぇけど、俺は最強の魔神。北の奴ぐれぇ抑えるのは朝飯前だぁ‼」

 言葉の意味は分かる。心配するなと言いたいのもわかる。
 けれど、魔族や魔神に食事が必要でない。そのせいか、朝ごはんが不要な存在に言われても、非常に簡単という説得力に欠けている気がした。 

 そう思っていたら、白い毛に覆われた手が自分の頬を何度も突いてきた。
「お前ぇはなんでそんな風に思っちまうのかねぇ……。天然? ひん曲がった? そんな答え方をするように俺は教えてねぇぞぉ……」

 痛くはないが、何度も何度もしつこい。止めてくれと掴もうとするが、猫の身軽な動きに翻弄されて捕まえられない。
 戦いの消耗がまだ残っていた。義手が思うように動かせなかった。

「あっはっはっはっはっは‼」
 南の魔神はぴょんぴょんと跳ねるように躱しながら、笑い声をあげた。
「疲れたと音を上げるにはまだまだ早ぇぞ‼ これから船の手配して南の大陸に戻って、復讐計画を練り直さねぇといけねぇからなっ‼」

 魔神の言葉に、不思議な引っ掛かりがあった。
 船に乗る必然性はないはずだ。南の魔神なら砂嵐を使った転移の魔法がある。第3の目あるいは情報を得るための砂を南の大陸に送って、転移すれば済む話だ。

 僅かに止まった瞬間を見逃さずに、自分は魔神の体を両手で掴んだ。もう頬を突かれずに済む。

「うおおお‼ 俺が呆れている間にズリぃぞ‼ ……と、苦情言ってる場合じゃねぇ。今の俺は逃げるためにメインの器を見捨てたために白骨の状態よりさらに弱い状態。一切の魔法が使ぇから、ここから港への移動と乗船の手続きはお前の仕事だぁ。頑張れ」

 澄ました顔で言っているが、これは無理難題である。
 この場所から港まで、寝ずに徒歩で移動しても3日はかかる。しかも、自分は戦いに疲れてずっとは歩けない。
 
「北の奴はそれをわかってて置いていったからなぁ。手助けしねぇようにアルバーストのドラゴンも連れて行っちまったしぃ。今の俺のこの状況は魔神の復活じゃねぇから、魔力戻るまで7日間は必ずかかるんだよなぁ……俺の眷族が気づいて迎えに来てくれても、北の魔神が直々に妨害に行くか、たまたまこの大陸にいるソフィの嬢ちゃんに目を付けられるかで、辿り着けないだろうしなぁ……運良ければぁ、港で落ち合えるだろうが、望みは薄いから諦めて自力で帰るしかねぇ……頑張れ‼」
 
 この魔神。コナユキ猫の姿をいいことに、全労働をこちらに押し付けてきた。他力本願すぎる。
 そう思った時、大陸から大陸に渡る魔法が使える先輩を思い出した。

「ああ。それはお勧めしないぜぇ~」
 魔神は顔の前で白い手を振った。

「勝手な行動した罰として、ソフィの嬢ちゃんと、オマケのサフワの嬢ちゃんぶつけちまったから止めとけぇ~。生きていてごめんなさいって言いたくなるほど酷ぇ巻き込みに合うぞぉ~」
 
 生きていてごめんなさいと言いたくなるなら、自分はそっちでも良かった。
 その考え方は、今まで何度も思ってきたことだ。
 不謹慎だが最も軽い罰だ。いろいろと揉めるだろうが、自分が犯してきた罪と比べればまだ救いはある方だ。
 先輩を見つけて、後悔することに決めた。
 あの2人を巻き込んだ魔神も反省した方がいいから、少し後悔させるべきだと思った。

「あああああああああああああああ‼ やめろおおおおおおおおおおおおおおお‼」
 頭を抱えながら体をくねらせて暴れる南の魔神が逃げないように、両手でしっかりと抑えた。

 復讐を行うためには、南の大陸に帰らなければならない。
 ここから離れたら、真っ白な雪の大陸とは1度お別れだ。
 次に雪の上に足を付けるのは、怪物ではない復讐者として全ての準備を終えてからになるだろう。
 その前に、彼らに会いたい。ちゃんとお礼を言いたい。自分がここにいられるのは、彼らのおかげでもあるからだ。


 アルバーストのドラゴンに会い、南の魔神と戦って自覚した。
 自分にはあそこまで執着できるほどの強い精神がない。圧倒的な強さを振るうことはできない。
 偶然を拾い続けることで、何かを掴めるかの人間でしかない。今回はたまたま運が良かっただけだ。運の無い自分は運を頼りにはできない。
 眷族となった自分は人間ではないのだろう。だが、その存在はひ弱な人間そのものだった。
 わからないをわからないままにして自己解決しないように、もっとしっかりしなくてはいけない。

 今度こそは、復讐者として全うしてみせよう。そして、この最後の復讐相手をこの手で殺し、後悔と懺悔を抱かせながら死へと追いやり、雪の下に埋めてみせよう。

 自分は1歩踏み出した。 
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