極道

雪戸紬糸

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転機

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「それで?続きはどこだ」
「私に貢献してくれますか?」
「あ?」
「ですから、私に何を約束してくれますか?」
「約束だ?あ?何言ってんだお前。俺を誰だと思ってる」
「結弦さんですよね?向井結弦さん」
「なんでしってる…」
「有名ですよ、あなた。だから私はわざとあの辺に転がってみることにしたんだ、仕事をもらえるかと思って。でもそうだ。私は昔から頭脳労働を強いられてきた。あんたもそうするとは思わなかったが、まあいいだろう」
「そっちが素か?嘘をついてるようには見えなかったが…」
「嘘?嘘なんかつくわけがないだろ。この子はぼくがずっと守ってきた。これからもだ。だから約束しろ。こいつに余計なことをいうなよ。続きは教えてやる。だが途中までだ。この子が続きを教えてくれるだろう。だからぼくは、この子の価値を高めるためにもう少し話をしてやる」
「なにをいってるんだ…」
「多重人格。しらないか?多重人格だよ」
「いや、きいたことはあるが…」
「まあいい。きけ。この子にはまあまあ人格が存在する。まあまあいる。そいつらが全員お前を好いたら、きっと教えてくれるだろう、そういうふうにもっていけ。きっと組の発展に力を貸してくれるに違いない」
「…あ、ああ。そうか。わかった。お前か?彼女の大切な人っていうのは」
「いや、ちがう。彼女には本当に大切な人がいた。彼は彼女の胸を傷つけた人物だ。でもそうだ、彼にはそうするしかなかった。これは今後、お前が彼女からききだせ。俺はコレ以上ヒントをやれない。衣食住を約束しろ。それだけでいい」
「あ、ああ。衣食住はもとからやるつもりだった」
「そうか、なら。続きを話してやろうな」
ヒントをひとつやる。その精神障碍者はキノクニさんといって、ほんとうにおまんじゅうをあげて、そういう事態に陥ってる人だ。とても良い人格の持ち主かと言うとそうじゃない。優しくはあるがずるくもある。あの人は、まあまあ魅力的だ。統合失調症でさえなければ、うまく行く人生だったろう。いまあの人は19歳だ。おまえと少ししか違わない。なんとか、あのひとの心をつかんで協力体制を組め。彼はいま、警察がいかに無能か訴えかけている。お前らは噂をながすだけでいい。優しい人が、困っている。警察はたすけてはくれないらしい。動画配信をみろ。そういう噂をながすだけでいい。そして、すぐにキノクニさんにコンタクトをとれ。キノクニさんを助けたいと申し出ろ。お前は極道だ。やくざじゃない。だからキノクニさんは応答するだろう。おまえを見込んでじゃない、藁にもすがりたい気持ちなんだ。そのうち、暴力団におそわれることになる。いまはささいな嫌がらせに過ぎないが、こいつは警察に相談しただろ。だから、襲われる。そこを助けろ。きちんと動画をまわしておけ。ボールペンかなにかでいい。ボールペンはつかえるだろ。盗聴器にもなるし、武器にもなる。足を刺してやったらいいんじゃないか?暴力には暴力。そうだろ?キノクニさん目線が良い。キノクニさんの胸ポケットにさしておけ。それでお前は初めて会ったふりをして、お前が日本人だから助けた。それだけを言え。それだけでいい。十分な宣伝になるだろう。

つらつら、と少女は答えた。
胡乱気だった目がそのうち光をとりもどし、はっとした表情をしてこちらをみた。
おずおずと、「どうでしたか?」と聞いてくるあたり本当にこいつは多重人格なのかもしれない。
「お前がかいたんだろ?」
俺はかすれた声でそう問うた。
彼女は首をふった。
私じゃない。
そういって、瞳をとじた。
その頬を伝って一筋の涙がほろりと落ちる。
「俺は、お前を傷つけない。そう約束する。それでも言えないか?」
「言わない」
彼女はそういって、折り曲げた足をぎゅっとかかえるようにして、頭を埋めた。


俺は数日、この女を甘やかしてみることにした。
ごはん、ふく、いろんなものを買い与えた。
でも、彼女は一向に心をひらかなかった。
笑顔もなにもあったものじゃない。
いつも陰気な顔つきをして部屋の隅にうずくまっている。
家についてる医者に相談すると、なにやら精神科医に電話をするから、といって出ていった。
「ああ、ふつうに優しい言葉をかけて、時が来るのをまつしかないですね、それは。一緒にでかけたり、一緒にごはんをたべたり、一緒に寝たり、一緒にデパートに行ったり。そういうことをするといいですよ」って、言ってたけど、試してみるかい?

こいつはいつも上から目線だ。
横柄で、なにか気取ってる。
でも、まあ腕はいい。腕のいい医者の知り合いは必ず腕がいいにきまってる。

それから、ちょくちょくいろんなところにつれていってやった。
こいつは歯磨きがまったくなってなかったから、一から教えてやって、それから、布団をちっとも干さないから干してやって、ごはんも一緒につくるようにして、そうして幾日かすぎた。キノクニさんとはちゃんとコンタクトをとって、メールのやりとりをずっとしている。

そのうち少しずつ様子がちがってきていることに気づいた。
いつもだったら、少し高いところにある本なんかを自分でぴょんぴょん飛び跳ねてとろうとしていた。俺がいてもだ。それで椅子を探して、椅子がないと分かると、残念そうな顔をして、また例の体育座りをして部屋の隅にうずくまっていた。それがいま、俺をみると、あの本がよみたいんですが…、と言うようになった。俺は、そんなことくらい気にする必要はない、いつでも言え。といって頭を撫でてやるようにした。そうしたら、こいつ、あとから嬉しそうに微笑んで、鼻歌なんか歌うようになった。

ふんふんふん♫ふふんふふん♫

それが、ぶんぶんぶんはちがとぶ♫の曲調にそっくりだと気づいて、吹き出しそうになった。こいつはほんとに、子供みたいな女だな、とひとりごちた。

スイカ割りをふたりでしたときは、えらくご機嫌だった。
そのうち俺の服の裾を握ってくるようになった。
どうした?ときくと、なんでもない、と答える。

その一部始終を医者に相談すると、例の精神科医が、いい兆候ですね、と言ったらしい。もう一度あの質問をしてみてください。

そういうから、俺は質問をした。

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