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第1章 パンドラの箱に囚われた少女

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なんとなくで学校を終え、左に海を構えて歩いた道を今度は右に見て歩く。夕日が海に反射して青からオレンジ色へと色移りをしていく。
その時ふと彼女のことを思い出した。どうして私がそこまで彼女のことに固執しているのかはわからない。
けれど、何かが私を突き動かした。

再び海を左に見て走る。学校に戻ってきたときには陽も沈む寸前だった。空気に残る蒸し暑さを忘れるくらいに走った。
彼女が学校にいるなんて確証はない。でもあの彼女が一点を見つめていたとき、あの時に見た表情は誰かに助けを求めていた気がした。だから無駄かもしれない正義感で体が動いたというわけだ。

相変わらずのお人好しな自分に嫌気が差しつつも校舎に向かう。息を切らしつつも足をすすめ、教室へ行くと不自然に明かりが灯っていた。
「花火ちゃん今日もしてくれるよね?」
「…いくらですか?」
「ケチっこいな全く、こんくらいで十分でしょ?ほら早く」
生徒がほとんどいない校舎に彼女がいるかと思えば、どうやら担任もいるらしい。にしても「ちゃん」呼びとはどういうことだ。

考えたくもなかった想像に虫唾が走る。
担任に謎の違和感を感じた気がして、私はドアのガラス窓から覗いてみると、彼女に一万円札をピラピラとさせながら差し出す。途端、二人がドアに近づいてくる。私は慌ててとなりの教室に身を隠す。整ってない息をなんとか殺して、その場をやり過ごそうと必死になった。
その間にも色々な考えが頭をよぎる。
ここで全て見なかったことにして帰った方がいいのではないか。でもそんなことできっこないのはとうにわかっていた。
正義感なんかじゃなくて、みんなに頼られているからじゃなくて。
久しぶりに自分自身で判断したと思う。教室を出た二人は手前にある屋上へ向かう階段を上っていった。
私の存在には2人とも気づかなかったのか一直線に屋上へ向かう階段を昇り始める。
忍足であとをついて行くと屋上のドアの前、踊り場のとこに2人はいた。
「ほらほら、早く脱いでよー。先生久しぶりだからワクワクしちゃうなー?」
彼女は無言だった。まるで蝉の抜け殻みたいに生気がなく、目も虚ろだった。
「先生何してんの?」とつい体が動き声を出してしまった。
ビクッと少し驚いた素振りをして担任は振り返る。担任は一呼吸置くと「あれ透夏さん、どうしてここに?忘れ物?」と冷静に言葉を発した。
一方で後ろにいる彼女はというと、唐突に現れた私に呆気を取られつつも抜け殻に魂が戻りつつあった。
「花火さん、なんで嫌なのにこんなこと受け入れてるの?ダメじゃんこんなの」
私は必死に訴えかけたが彼女からの返答はない。
我に返ったように一瞬目を大きく開いた彼女だったが、諦めのような、でもどこか悔しさが滲んでいるような表情を見せた。
「透夏さんには関係ない話ですよね?」
決死の訴えも届きかねている中、それを邪魔してきた担任につい「犯罪者が口を挟むんじゃねーよ!」と声を荒げてしまう。

言ってしまったと思ったのも束の間、担任は私の腕を掴んできた。
「先生にそんな口の利き方よくないですよね?そもそも見られたならー…仕方ないよね。透夏さんも脱ぎなさい。先生が1から教えてあげるからね?」
並べられた言葉はすぐには意味を飲み込めず硬直した。いや言葉の意味はわかっていた。だが、脳から体への伝達は間に合っていなかった。
体が動かしたくても動かせない。こういった話はこれから社会人になる私に親がよく聞かせてくれた。だが当然実際の感覚なんて当然知らなかった。
視界が霞む。重たい空気がのしかかってきて狼狽えた。周りには3人以外に人の気配はなさそうだ。声も出せないから助けも呼ぶ声もできない。目の前の事実から背くように目を瞑る。

「...に、逃げて... あなたまでこんなことはダメ...」
後ろから震える声が聞こえた。その声でハッとする。なぜ私は今ここにいるのかの意味をもう一度頭に強く刻む。今度は脳もなんとか伝達してくれた。
「きもいんだよ!!」
やっとのことで出た声で必死に抵抗した。担任も息を荒げながら腕を掴もうとしてくる。担任はとにかく静かにさせることを第一考えていたようだが、それに構わず私は叫びながら担任の腹や腕を殴った。
途中「うっ」という声が聞こえた気がしたが、担任の力が弱まっていく感覚はなかった。
それでもひたすら揉み合った。
視界もグラグラするほど揉み合い、気づいたら視界から担任が



消えたーーーーー



バタンと鈍い音が響く。一瞬何が起こったか理解ができなかった。とりあえず「逃げよう」の一心で彼女の手を掴み階段を下る。
「あ…」と花火さんがぽつりと呟いた。
揉み合った時の汗が冷汗に変わり、背中を気持ち悪くつたるのを感じた。
嫌な予感がした。
それでも、今になっては情けなくも、その時はやむを得ずの気持ちで現実逃避に走り、視線を逸らした。
踊り場は赤く染まった夕日が差し込んでいたなどの勘違いではなく、確かに赤く染まっていた。
やけにうるさい虫の鳴き声が、風の音だけが耳に入る。

やっと理解が追いついてくると現実が背中にぴったりとくっついて離れまいとしていた。
それでもきっと大丈夫だからと、そう自分に言い聞かせて走り続けたーーー
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