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記憶と引退3
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「香織さん」
「今、看護師さんに記憶が戻られたと聞いたんですが、ごめんなさいお仕事のお話中でしたか?」
「少しね」
「それでしたら、退院も近いようなので退院されてからで結構です。特に用があるわけではないので」
「また連絡します」
そう言って帰っていく香織さんに、声をかける颯矢さん。その光景に胸がツキンと痛む。
そうだ。颯矢さんが記憶を取り戻して優しい笑顔を見せてくれていたって、それは仕事だ。
颯矢さんが本当に優しい笑顔を見せるのは香織さんにだ。現にさっきの颯矢さんの声は柔らかかった。俺が聞いたことのない声だった
そう思った瞬間それまでの嬉しさは一瞬でなくなり泣きそうになった。
「柊真、どうした?」
俺の様子に気づき、颯矢さんが声をかけてくれる。でも、それに答えることができなくて唇を噛み締めて首を横に振る。声を出したら泣き声になってしまいそうで口を開くことはできなかった。
そんな俺をフォローしてくれたのは社長だった。
「クランクアップしたから、疲れが一気にきたんじゃないかな。壱岐くんの心配もしただろうし」
そして、それに乗ってくれたのは氏原さんだった。
「最近はまた集中していたので、そうでしょうね」
「ドラマの撮影は終わっても、テレビでの宣伝は残っているだろう。気を抜くな。それに俺のことはもう心配しなくていいから」
フォローしてくれる氏原さんと厳しいことを言う颯矢さん。対照的だな、と思う。
でも、颯矢さんが厳しいことを言うのは俺のためだとは知ってる。知っているけど、今は少し辛い。
香織さんに向ける優しさの十分の一でいいから、俺にも向けて欲しい。そう思うのはわがままだろうか。きっとわがままなんだろう。
「氏原くん。明日の柊真は何時から?」
「明日は12時からのお昼の番組で宣伝なので10時に迎えに行きます」
「そうか。疲れているなら帰って休んだ方がいいかもしれないね」
「帰ります」
「じゃあ柊真。今日はお疲れ様。壱岐くんの記憶も戻ったし安心しなさい」
「はい」
「俺も退院したらすぐに復帰するから安心しろ。心配かけたな」
「……」
「じゃあ、城崎さん送ります」
「お願いします」
最後は颯矢さんの顔もまともに見れずに病室を後にした。
颯矢さんの記憶が戻って、ほんの少しだけど優しい笑顔を見ることができてほんとに嬉しかった。それなのに香織さんの姿を見て、そしてまた厳しい颯矢さんに戻ってそんな気持ちは一気になくなった。
そうだよ。俺は颯矢さんにとっての仕事で、香織さんは颯矢さんのオフだ。どんなに颯矢さんが優しくたって、それは仕事だからだ。その仕事でだって優しいときよりも厳しいときの方が多いんだ。
颯矢さんが優しくなるのはきっとオフのときで、その時間は俺は触れることができない。そのオフは香織さんのものだ。俺がどれだけ欲しいと願っても手に入らない。そんなこと忘れるなんて馬鹿だな。
「城崎さん。どこか寄るところはありますか? 今日、まだ夕食食べてませんし」
「そしたら、家の近くのスーパーで降ろしてください」
「わかりました」
今日はスーパーで好きなお弁当でも買って、プリンでも買って帰ろう。お酒はまだあっただろうか? 冷食はだいぶ少なくなったから買っておかないと。
そうやってスーパーで買う物を考えることで颯矢さんのことを意識的に外に出す。でないと、ここで泣いてしまうから。
スーパーで降ろして貰い、お弁当、プリン、お酒、冷食と必要なものをカゴにどんどん入れていく。なんだか寂しい買い物だな。母さんの作ってくれた料理が懐かしい。母さんはどんなに忙しくても時間を作って俺の食事を作ってくれていた。でも、そんな母さんはもういない。
お惣菜って便利だけど体には良くないと聞く。俺もこういう少しでも時間があるときは作るようにした方がいいかもしれない。誰にも甘えられないんだから。後でネットで料理チャンネルでも見てみよう。
スーパーで買い物を済ませ家に着くと、自然とため息が出た。
買ってきたお弁当を温める間に着替える。明日は10時って言ってたから、少しゆっくりしても大丈夫だろう。お弁当を食べたらデザートにプリンを食べてお酒を少し飲もう。そうでもしないと悲しくてどうしようもない。
美味しいデザートにお酒を呑めば、少しは気も紛れるだろう。
そう考えながらお弁当を温め、ダイニングでお弁当を食べながら病院でのことを考える。
記憶が戻って、あんなに優しい笑顔を久しぶりに見れてほんとに嬉しかったんだ。また颯矢さんがマネージャーに戻ってくれるって思って浮かれた。
でも、香織さんの顔を見た瞬間、嬉しかった気持ちは一気にしぼんでしまった。現実を思い知らされたんだ。
どんなに望んだって颯矢さんは俺のものにならない。そんな現実を突きつけられた。
俺には基本、厳しい颯矢さんだけど、きっと香織さんには優しいんだろう。優しい笑顔を向けるんだろう。
なんで俺はタレントとして颯矢さんに出会ってしまったんだろう。なんでオフで颯矢さんと出会えなかったんだろう。
ああ、でもオフの颯矢さんと出会っても俺は男だ。颯矢さんの恋人になることはできない。そっか。どう出会っても叶わないんだな。
なんで颯矢さんと出会ってしまったんだろう。出会う前は普通に女性を好きになっていたのに。そしてこんなに苦しくなる恋愛なんてしたことなかったのに。
颯矢さんを好きで好きで苦しくて。それを本人に伝えてもかわされてばかりで、きちんと受け取って貰えない。だから叶うことがないのに、きちんと失恋することさえできない。
いや、颯矢さんは香織さんと付き合っているんだから、それは失恋したことと一緒か。
どうしたらこの胸を痛みを和らげることができる? どうしたら颯矢さんへの想いをなかったことにできる?
颯矢さんへの想いを昇華させたい。でも、颯矢さんが俺に対する記憶が戻ったから数日後にはまた俺のマネージャーに戻る。
そうしたらまた毎日颯矢さんの顔をを見なくてはいけない。そんな酷なことってあるだろうか。
やっぱりもう無理だ。これ以上颯矢さんへの想いを抱えてはいられないし、忘れることもできない。
休暇という代替え案をくれた社長だけど、やっぱり完全に引退することを納得して貰おう。もう、これ以上は無理だ。
「今、看護師さんに記憶が戻られたと聞いたんですが、ごめんなさいお仕事のお話中でしたか?」
「少しね」
「それでしたら、退院も近いようなので退院されてからで結構です。特に用があるわけではないので」
「また連絡します」
そう言って帰っていく香織さんに、声をかける颯矢さん。その光景に胸がツキンと痛む。
そうだ。颯矢さんが記憶を取り戻して優しい笑顔を見せてくれていたって、それは仕事だ。
颯矢さんが本当に優しい笑顔を見せるのは香織さんにだ。現にさっきの颯矢さんの声は柔らかかった。俺が聞いたことのない声だった
そう思った瞬間それまでの嬉しさは一瞬でなくなり泣きそうになった。
「柊真、どうした?」
俺の様子に気づき、颯矢さんが声をかけてくれる。でも、それに答えることができなくて唇を噛み締めて首を横に振る。声を出したら泣き声になってしまいそうで口を開くことはできなかった。
そんな俺をフォローしてくれたのは社長だった。
「クランクアップしたから、疲れが一気にきたんじゃないかな。壱岐くんの心配もしただろうし」
そして、それに乗ってくれたのは氏原さんだった。
「最近はまた集中していたので、そうでしょうね」
「ドラマの撮影は終わっても、テレビでの宣伝は残っているだろう。気を抜くな。それに俺のことはもう心配しなくていいから」
フォローしてくれる氏原さんと厳しいことを言う颯矢さん。対照的だな、と思う。
でも、颯矢さんが厳しいことを言うのは俺のためだとは知ってる。知っているけど、今は少し辛い。
香織さんに向ける優しさの十分の一でいいから、俺にも向けて欲しい。そう思うのはわがままだろうか。きっとわがままなんだろう。
「氏原くん。明日の柊真は何時から?」
「明日は12時からのお昼の番組で宣伝なので10時に迎えに行きます」
「そうか。疲れているなら帰って休んだ方がいいかもしれないね」
「帰ります」
「じゃあ柊真。今日はお疲れ様。壱岐くんの記憶も戻ったし安心しなさい」
「はい」
「俺も退院したらすぐに復帰するから安心しろ。心配かけたな」
「……」
「じゃあ、城崎さん送ります」
「お願いします」
最後は颯矢さんの顔もまともに見れずに病室を後にした。
颯矢さんの記憶が戻って、ほんの少しだけど優しい笑顔を見ることができてほんとに嬉しかった。それなのに香織さんの姿を見て、そしてまた厳しい颯矢さんに戻ってそんな気持ちは一気になくなった。
そうだよ。俺は颯矢さんにとっての仕事で、香織さんは颯矢さんのオフだ。どんなに颯矢さんが優しくたって、それは仕事だからだ。その仕事でだって優しいときよりも厳しいときの方が多いんだ。
颯矢さんが優しくなるのはきっとオフのときで、その時間は俺は触れることができない。そのオフは香織さんのものだ。俺がどれだけ欲しいと願っても手に入らない。そんなこと忘れるなんて馬鹿だな。
「城崎さん。どこか寄るところはありますか? 今日、まだ夕食食べてませんし」
「そしたら、家の近くのスーパーで降ろしてください」
「わかりました」
今日はスーパーで好きなお弁当でも買って、プリンでも買って帰ろう。お酒はまだあっただろうか? 冷食はだいぶ少なくなったから買っておかないと。
そうやってスーパーで買う物を考えることで颯矢さんのことを意識的に外に出す。でないと、ここで泣いてしまうから。
スーパーで降ろして貰い、お弁当、プリン、お酒、冷食と必要なものをカゴにどんどん入れていく。なんだか寂しい買い物だな。母さんの作ってくれた料理が懐かしい。母さんはどんなに忙しくても時間を作って俺の食事を作ってくれていた。でも、そんな母さんはもういない。
お惣菜って便利だけど体には良くないと聞く。俺もこういう少しでも時間があるときは作るようにした方がいいかもしれない。誰にも甘えられないんだから。後でネットで料理チャンネルでも見てみよう。
スーパーで買い物を済ませ家に着くと、自然とため息が出た。
買ってきたお弁当を温める間に着替える。明日は10時って言ってたから、少しゆっくりしても大丈夫だろう。お弁当を食べたらデザートにプリンを食べてお酒を少し飲もう。そうでもしないと悲しくてどうしようもない。
美味しいデザートにお酒を呑めば、少しは気も紛れるだろう。
そう考えながらお弁当を温め、ダイニングでお弁当を食べながら病院でのことを考える。
記憶が戻って、あんなに優しい笑顔を久しぶりに見れてほんとに嬉しかったんだ。また颯矢さんがマネージャーに戻ってくれるって思って浮かれた。
でも、香織さんの顔を見た瞬間、嬉しかった気持ちは一気にしぼんでしまった。現実を思い知らされたんだ。
どんなに望んだって颯矢さんは俺のものにならない。そんな現実を突きつけられた。
俺には基本、厳しい颯矢さんだけど、きっと香織さんには優しいんだろう。優しい笑顔を向けるんだろう。
なんで俺はタレントとして颯矢さんに出会ってしまったんだろう。なんでオフで颯矢さんと出会えなかったんだろう。
ああ、でもオフの颯矢さんと出会っても俺は男だ。颯矢さんの恋人になることはできない。そっか。どう出会っても叶わないんだな。
なんで颯矢さんと出会ってしまったんだろう。出会う前は普通に女性を好きになっていたのに。そしてこんなに苦しくなる恋愛なんてしたことなかったのに。
颯矢さんを好きで好きで苦しくて。それを本人に伝えてもかわされてばかりで、きちんと受け取って貰えない。だから叶うことがないのに、きちんと失恋することさえできない。
いや、颯矢さんは香織さんと付き合っているんだから、それは失恋したことと一緒か。
どうしたらこの胸を痛みを和らげることができる? どうしたら颯矢さんへの想いをなかったことにできる?
颯矢さんへの想いを昇華させたい。でも、颯矢さんが俺に対する記憶が戻ったから数日後にはまた俺のマネージャーに戻る。
そうしたらまた毎日颯矢さんの顔をを見なくてはいけない。そんな酷なことってあるだろうか。
やっぱりもう無理だ。これ以上颯矢さんへの想いを抱えてはいられないし、忘れることもできない。
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