漆黒の令嬢は光の皇子に囚われて

月乃ひかり

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初恋編

21話 恋敵

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 二人が大広間に戻ると麗しいドレスを纏った令嬢らが紳士にエスコートされ、ワルツが始まっていた。

 皇帝陛下夫妻の御前では、フィオナ王女がカイル皇子のリードで、見つめ合いながら優雅にお披露目のダンスを踊っている。
 目を瞠るほど麗しい二人の姿にリゼルは釘付けになった。

 今、カイル皇子の甘やかな瞳に映っているのは、フィオナ王女。
 なんて、可愛らしい姫なの・・・
 手を握り、腰を抱き、今宵、その場所におさまるのは、私だと思っていた・・・
 夜会が始まるまでは、当然のように、皇子からダンスに誘われると信じていたのだ。

 愛おしそうな笑みをフィオナ王女に落とすカイル皇子を見ると、胸の奥が締め付けられるように、きゅうっと痛んで足がすくむ。

 ルーファス王子が、怖気付いたように立ち止まったリゼルの手をぎゅっと握りしめた。

「さぁ、戦線復帰だよ」

 まるでリゼルの心を見透かすように言うと、優雅な仕草でか細い腰にぎゅっと手を回し、リゼルをエスコートしてダンスホールの輪の中に入り流暢なステップを踏み始めた。

 ルーファス王子は、ダンスフロアの人垣を器用にかき分けながらリゼルをリードして、カイル皇子らのすぐ近くまで移動する。

 どんどん二人の姿が近づくにつれ、リゼルの心臓が飛び跳ねる。

 ああ、カイル皇子がすぐ隣にいる…
 二人の会話が聞こえそうなほど、近くで踊っている。

 すぐ近くにカイル皇子がいると思うと、それだけで緊張してしまう。

 …なんてお美しい可憐な王女さまでしょう…
 カイル皇子様と本当にお似合いの二人ですわね。金細工みたいな王女さま…

 ダンスフロアの周りでは、そんな貴婦人たちの囁き声があちこちから聞こえている。

「リゼル姫、どうか他の男には目をくれずに、僕を見て…」

 カイル皇子の存在を近くに感じ、硬くこわばってぎこちない踊りのリゼルの耳朶に唇をすり寄せて、ルーファス王子が囁きかけた。

 会場中の注目を集めながら、二人が楽しそうに踊っているのを見るのも辛く目を背けると、リゼルはルーファス王子に身を寄せて王子の瞳をじっと見上げた。

「ふ、そうこなくては」

 ルーファスはリゼルの背中を支える手に力を入れると、すぅっと滑らかな肌の上を這うように背骨のくぼみを腰まで撫でおろした。

「んっ…あ…」

 思わずぞくっとした感覚が走り、聞こえるか聞こえないかの喘ぎ声が漏れる。

「ふふ、リゼルちゃんは、感じやすいね」

「か、からかわないで・・・!」

 恥らう顔も愛らしい。
 ルーファスは、すぐ隣で踊っているカイル皇子をちらりと見ると、カイル皇子は表面上は、にこやかにフィオナ王女を踊っているが、ルーファスが背を向けると、睨みつけるようなただならぬ殺気を背中に感じた。

 …やっぱりね。これは面白そうだ…この二人には何かある。
 滞在中、色々楽しめそうだな…
 ルーファスは上機嫌でリゼルをその腕の中でくるくると回した。

 続けて2曲をルーファス王子と踊った後、そのままルーファスが3曲目に突入しようとしたのを、兄のランスロットが舌打ちしながら強引に割り込んできて、リゼルを奪い返した。
 王子は、気にとめる風でもなく「また、あとでね」と言って、自国の大使らの元に行く。

「…リゼ、お前、大丈夫か?」

 ランスロットが踊りながら妹を心配そうに見つめる。
 リゼルは、兄のいたわるような眼差しを見て、また涙が溢れそうになるのを堪え目をそらした。

 カイル皇子は、フィオナ王女と婚約披露のダンスを一曲踊った後は、エルミナール帝国の大臣や主要な貴族へ、フィオナ王女を婚約者として紹介して回っていた。

 私を全く気に留めることもなく・・・
 声さえもかけて下さらなかった。
 カイル皇子にとっては、それだけのちっぽけな存在だったのだ。

「これには、色々、事情があるんだよ」

 ランスロットは、カイル皇子とフィオナ王女を目に追いながら眉をひそめて言った。
 本当は、この夜会でカイルはお前に求婚するはずだったんだと伝えたかった。

「・・・お兄様、事情は、わかっています。この帝国の皇太子が、自国の貴族の娘など、妃にするわけがないのに…お父様もそう言っていたのに。私、カイル様の戯言をうのみにして、淡い夢を見てたみたい…」

 踊りながら、兄の肩に添えた手が震えているのが自分でもわかった。

「でも、もういいの。今はお二人を祝福するつもり」そう言って、兄に無理やり笑顔を作った。

「リゼ、お前は…何もわかっちゃいないんだ。カイルは…」

 ランスロットは、本当はお前を助けるためにフィオナ王女と婚約せざるを得なかったことを伝えたかったが、その言葉を飲み込んだ。お前がルーファス王子と踊っている間も、カイルがルーファス王子を殺しかねない目で見ていたというのに。

 その時、音楽が止みダンスが終わった。
 リゼルはこれ以上、この話をするとまた涙が溢れそうになり、そのまま、ふいっと兄のそばを離れた。

「おい、リゼル…!」

「お願い、放っておいて」

 カイル王子の腹心の部下である兄も、どんなにフィオナ王女が皇太子妃にふさわしいか、私を説得するつもりなのだろう。

 そんなことは、自分が一番よくわかっている。
 あの可愛らしい姫を見れば、誰だって、カイル王子が一目で恋に落ちたとわかる・・・!

 リゼルは行くあてもなく、時々、ぼうっとして人にぶつかりながら、ふらふらとフロアを歩いていた。

 なんだか今夜はとても疲れた・・・
 もう、先に帰ってもいいだろうか・・・

 リゼルは、いとまを告げるため母を探そうとした。

「はい、リゼル姫。喉が渇いたでしょう?」

 ルーファス王子が飲み物を手にさっと現れて、疲れ切ったリゼルに優しい笑顔を向ける。
 その手には飲みやすそうなオレンジ色のカクテルがあった。
 今まで、夜会でお酒を飲んだことはないが、今夜は思い切って飲んでみるのもいいかもしれない。

「・・・ありがとう」
「じゃあ、テラスで飲もう」

 広間の外のテラスには、座って軽食が楽しめるように、テーブルや椅子が置いてあり、紳士や淑女で賑わっていた。
 空いている席を見つけ、ルーファスがリゼルのために椅子を引く。

「このお酒はね、アイ・オープナーといって、ラム酒をベースにしたカクテルなんだ。このカクテルの意味を知っている?」

「いいえ、お酒はあんまり詳しくないの」

「今日の僕たちにふさわしいお酒だよ。運命の出会い、という意味があるんだ」そういってカチンとグラスを鳴らした。

「乾杯。甘めでおいしいから飲んでみて」

 リゼルは、殆どお酒を飲んだことがなかったが、その時、目の端にカイル皇子とフィオナ王女がテラスで貴族らに囲まれているのが見えた。

 急いで目をそらし、カクテルをぐぐっと一気飲みしてしまう。

「っ・・・けほっ」
「ふふ、いけない子だね。一気に飲んだらすぐに酔いが回ってしまうよ」

 口の中が、かぁ~っとする。
 でも甘酸っぱくて、おいしい…!

「もっと、欲しい…」
「え、ほんとに?大丈夫?」
「ええ、これだけじゃぁ、全然足りない。もっと味わいたいの」
 いわゆるやけ酒というものだわ。

 ルーファス王子は、くすっと笑った。

「君のそのセリフ、ぞくっとするね。違うシチュエーションで言わせてみたいな」

 ルーファスは、パチンと指を鳴らして給仕を呼ぶと、同じものを頼んでくれた。
 リゼルは、喉越しもよく、とても飲みやすいカクテルに2杯目もごくごくと飲み干すと、今度は何か違うお酒を飲んでみたいとせがむ。

「リゼルちゃん、さすがにもう止めたほうがいいよ」

「やぁ、飲みたいの…」空のグラスの縁をペロリと舐める。

「なんかもう、だいぶ酔ってるんじゃない?」

「酔ってなんかいません。全然らいじょーぶ」

 その時リゼルは、通りかかった給仕を呼び止めて、シャンパンをその皿からとると、それを一口飲み、また二口目を口につけようとしたその時、さっとシャンパンのグラスを誰かに奪われた。

「リゼル…。まだ酒は飲むな」

 冷ややかな瞳で、カイル皇子がリゼルから奪ったシャンパンを握って立っていた。その隣には、可愛らしいフィオナ王女が少し困ったような顔をして、カイル皇子の腕にほっそりした腕を絡ませている。

 リゼルが口をつけたシャンパンをカイル皇子が一気に飲みほして、タン!とテーブルの上に置くと、ルーファス王子に冷たい目を向ける。

「私の妹のような令嬢をこんなに酔わせて、一体どうなさるおつもりですか?モルドヴィンのルーファス王子」その声は、低くどすが効いてて、喧嘩を売っているようにも聞こえる。

「…これは、カイルス王子、フィオナ王女様。この度のご婚約、まずはお祝いを述べさせていただきます。お可愛らしい姫だ」そういってフィオナ王女の手に口づけをして礼をとる。
 先ほどのカイルの問いは、無視したままだ。

 リゼルはカイル皇子と目があうと、一瞬、二人の目と目が絡み合い何かが揺らめいた気がした。
 心臓が飛び出すのではないかと思うほど早鐘を打つ。

「ふふ、リゼル嬢は、知り合いのいない私に、優しくお付き合いいただいていたのですよ」
 目を眇めながら言うと、リゼルの腰を自分の方に引き寄せた。

「…あの、フィオナ様、お初にお目にかかります。エルミナール帝国…ダークフォール公爵の娘、リゼル・ダークフォールです。こ、この度は……」

 私からもお祝いを言わなくては…。

 そう思うものの喉の奥に何か大きな塊がこみ上げてきて、ごくりと唾を飲み込む。
 喉がつかえてお祝いの言葉が出てこない…。
 二人を祝福するのが辛い。傷ついた私の心を見透かされたくない…

 カイル皇子の隣に当たり前のように立って、幸せそうに可愛らしく微笑むこの少女には、特に。
 リゼルは、どす黒い嫉妬が自分の中に渦巻くのを感じた。

「・・・リゼル様?」

 フィオナ王女が、言葉に詰まったリゼルを見て、不思議そうに小首をかしげた。

「私たちは、もう一曲、ダンスを楽しむ予定です。どうやら、私も運命の人を見つけてしまったようだ。あなた方のように」

 見かねたルーファス王子が助け舟を出す。

「ちょうどまたワルツが始まるようですね。では、リゼル姫、行きましょう。御前を失礼します。カイルス皇子、フィオナ王女」

 ルーファス王子は、金色の挑戦的な目でカイル皇子を見ると、リゼルを抱き寄せ、その手にキスをして、ダンスホールにエスコートした。

「あの、さっきはありがとう…」

 リゼルは、ルーファスのリードで優雅なワルツに身を任せていた。
 さっきは、仲睦まじい二人を見てお祝いを言うことができなかった。

 カイル皇子やフィオナ王女の前で動揺している自分を見せて、自分がどんなに傷ついているかを知られたくない。連れ出してくれたルーファス王子には感謝しなければ。
 リゼルは、すっかりルーファス王子に気を許して体を預けていた。

 ワルツを踊っていると、だんだん頭がクラクラと揺らめいてきた。
 どうやら酔いが回ってきたらしい。

「ルーファス、さ、ま…。なんだか、目が回ってしまって…」

 足がもつれて、ルーファスの胸にもたれかかる。

「やけ酒は、もうちょっと大人になってからだね。庭園で外の空気にあたろう」

 ぐったりとしたリゼルをダンスホールから庭園の奥の東屋に連れ出して、ベンチに腰をかけさせた。

「少し寒いでしょう?」自分の上着をリゼルに羽織らせる。
「ルーファス様は、なんで、私に優しくしてくれるの?」

 今夜が初対面なのに、カイル皇子への初恋が砕けた私に助け舟を出したりしてくれている。
 きっと一人では耐えられなかった。ルーファス王子と一緒にいられて良かった・・・

「ふふ、下心があるのさ。優しくして、安心させて、リゼルちゃんとキスできればいいな、って」

 リゼルはくらくらしながらも、冗談めかしていうルーファス王子の言葉に、つい笑った。

「ふふ、ルーファス王子って軽薄なのね。でも正直なのかしら」

 ああ、なんだか、ふわふわしていい気持ち。
 ルーファス王子の肩が心地よく、私を支えてくれる。
 私の心まで支えてくれればいいのに…

「ひどいな、軽薄だなんて。僕はいたって本気だよ。美しいリゼル姫」

 耳元でそっと囁くと、優しく肩を包み、リゼルの唇に口づけを落とした。 

 ルーファスがリゼルの唇を啄み、その甘い吐息を吸う。

 ーああ、ぽっかり空いた、私の心の隙間を誰かに埋めてほしい。
 リゼルは何かに誘われるようにそっと唇を開くと、ルーファス王子が舌を差し込んできた。

「…んっ…」

「リゼルちゃん…君の中、甘いお酒の味がするよ…」

 ルーファスが優しく絡める舌が心地よく自分を刺激し、頭がまたいっそうくらくらして、王子の胸元に手をあてる。

 優しくリゼルの唇を味わいながら、後頭部に手を当て、自分の引き締まった体に引き寄せると、さらに舌を奥深くに差し入れて絡めてきた。
 着せかけた自分の上着をはねのけると、リゼルのむき出しになった背中を首筋から腰骨まで、背筋にそって手を滑らす。

「ん…あっ…」

 ぞくぞくとしたざわめきが走り抜ける。
 この感じ、前に、どこかで感じたような…リゼルは、そんな既視感に囚われた。

 …誰かが、私に甘い快楽を与えてくれたような…?

 ルーファス王子が、ゆっくりと唾液の糸を引きながら、リゼルから唇を離す。

「ふふ、初対面では、ここまでかな」

 金色の目を揺らめかせて、にこりと微笑むと、リゼルの柔らかな頬にちゅっと口づけをする。

 ……君は、極上の味がする。
 カイルス皇子の気持ちがわかるよ……
 君を奪ったら、あの皇子がどんな顔をするか見てみたいものだ…

「そろそろ、僕も広間にいる自国の大使の元に戻らないと。明日の午後、迎えに行くから公園を馬車で一緒に散歩しよう。上着を返すのはその時でいいよ」

 リゼルのなめらかな肩をそっと撫でて、また自分の上着を羽織らせた。

「君は、ここでもう少し休んでいくといい。その様子では、もう屋敷に帰ったほうがいいよ。ちゃんと馬車まで戻れる?」

「ええ、ありがとう。心配しないで。もう少し酔いを覚ませてから、馬車に戻るわ」

「おやすみ、可愛いリゼル姫」

 まるで恋人のようにリゼルの顔を両手で挟むと、その唇に軽くキスをして、「じゃあ、明日ね」と言い残して、広間に歩いて行った。

 ルーファスは、今夜の収穫に上機嫌だった。

 ふふふ、あの皇子から大切な宝石を盗むのも、面白そうだ。
 あのテラスでの挑むような物言いといい、カイルス王子はリゼルちゃんに執着している。
 我がモルドヴィンは、過去の戦では、大国エルミナールに辛酸を味わされた。
 それ以降、エルミナールの属国のように位置付けられている。
 ローゼン王国がエルミナールと結びつくのであれば何か手を打たなくてはならない。
 エルミナールの公爵の娘なら利用価値もあがる。
 近いうちにきっと我がものにしてみせる・・・

 ルーファスは、不敵な笑みを浮かべながら広間に戻った。

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