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初恋編
41話 母と娘の隠し事
しおりを挟むローゼン王国では、1ヶ月とすこし後に控えている大国エルミナールと第一王女フィオナの輿入れの準備が着々と進められていた。
王女の婚礼のための豪奢なドレスは毎日でも違うものを着れる程に用意が整い、1着ごとにお揃いのティアラやペンダント、ブローチなどの装身具が取り揃えられ、すでにフィオナの衣装室では収まりきらずに、婚礼専用の大きな衣装部屋が用意された。
衣装だけではなく、王宮には各国から宝飾品や美術品などの高価な祝いの品が続々と届けられていた。
今まで小国であるがゆえに、とりたてて見向きもされていなかったローゼン王国が、その王女が大帝国エルミナールに嫁ぐとなると、近隣の国々の大使らがこぞって、祝いの品を持って連日のようにマリエンヌ王妃に謁見を求めていた。
あわよくば、ローゼン王国に取り入ってエルミナール帝国から漁夫の利を得ようとする国々が、マリエンヌに気前のいい贈り物を届けていた。
王妃は、各国のこの変わりように気を良くし、毎日のようにもてなしの晩餐で忙しくしていた。そして、自分がまるで大国の王妃になったような、そんな錯覚にとらわれていたのだった。
婚儀を前に高揚した王妃の様子とは裏腹に、輿入れが近づくにつれてフィオナ王女の心は、落ち葉が一枚一枚、その葉を落とすように日を追うごとに沈み込んで行った。
「王女様、今朝も食欲がないのですか?」
朝起きて寝台に運ばれた朝食を下げて欲しいと告げたフィオナに、女官のメアリが心配そうに訊いた。
「メアリ、食べ物の匂いを嗅ぐとなんだか、気持ちが悪くて…。それに微熱があるみたい。もう少し寝ていたいの」
「まぁ、疲れが出たのでしょうか。ここ二月(ふたつき)ほど、ずっと婚礼のお支度でお忙しかったですからね。でも、もう準備はほとんど終わっていますから、あとは出発までゆっくり過ごせますよ」
メアリは、王女の額に自分の手をあてがうと、少しほっとした顔になった。
「さほどお熱はないようです。ですが、念のため冷やしておきましょう」
メアリは手早くラヴェンダー水に浸した布をきゅっと絞り、フィオナの額にそっとのせた。
ひやりとした感覚とラヴェンダーの香りに胸のむかつきが少し収まる感じがした。
ーきっと私が、具合が悪いのは、疲れからだけではない。
フィオナは思い当たる節があった。
そう、あの黒い騎士様からの連絡が一向に来なくて、毎晩、彼を想いながら寝付けない日が続いているからだわ。
ーきっと迎えくるからー
黒騎士様は、そう約束してくださった。それに、私のことを#王女__フィオナ_#だと知っていた。
それだったら、もうすぐカイル皇子と婚姻間近だと知っているはず。
だったらその前に、なぜ早く迎えに来てくれないの?
フィオナは、胸元にこっそり下げている金の鎖を取り出した。
その先には、あの黒騎士がくれた男物の精巧な細工の金の指輪が通してあった。
指輪の裏側には小さく何かが彫ってある。紋章?単なる模様かしら・・・?
ーこの指輪は、彼との約束の印。
フィオナはぎゅっと握り締めると、唇にそっと押し当て目を閉じた。
はやく、迎えに来て…
そのまま黒騎士のハスキーな囁き声を思い出しながら、深い眠りに落ちていった。
フィオナは、午前中ゆっくり休んだせいか、昼を過ぎるとだいぶ気分が良くなり、ベッドから起き上がって部屋ですっきりとした紅茶を飲んでいた。
「フィオナ、具合が悪いのですって?」
母のマリエンヌ王妃が珍しくフィオナの部屋にやってきた。少しやつれたようなフィオナとは違って、フィオナと同じ金色の巻き毛はまだ若々しく輝いている。
マリエンヌはフィオナの輿入れが待ちきれなかった。
ーすべてが、順調に進んでいる。私とリスコーム宰相の計画通りに。
まさか、ここまでうまくいくとは、誰が思ったであろうか。
マリエンヌの顔は、思わず含み笑いが漏れ、純真な娘のように頬が紅潮する。
所詮、エルミナールも大国とはいえ、その中枢に蟻の巣の入り口のような小さな穴さえ開けることができれば、どんどん巣がはびこり脆くなるものだと分かった。大国というものは、守りは硬いが内なる綻(ほころ)びには気づかないものだ。
これから時間をかけて、じわじわとエルミナールを巣食っていき、あちこちに崩壊という卵を植え付けるのだ。
フィオナが世継ぎの皇子を産めば、最終的には今の皇帝やカイル皇子を排除し、私が女王となることも叶うかもしれない。
大国、エルミナールの女王に。
そうなれば、小国の王妃と侮られることもない。
マリエンヌ王妃は壮大な未来予想図を思い描き、一人ほくそ笑む。
「お母様、ご心配おかけしてすみません。婚礼の準備が続いたもので、すこし疲れが出たようです。でも、もう大丈夫ですわ」
「そう、あまり無理をしてはダメよ。あなたの美しさが損なわれては、カイル皇子の関心を削いでしまうかもしれませんからね」
「…あ、あの、お母様、わたし…」
「どうしたの?」
フィオナは、すでに違う男のものとなったことを母に言い出せずにいた。
それに騎士様は、誰にも言ってはいけないとおっしゃっていた。
まだ…まだ、結婚式までは時間はある。
もう少し、あと少しだけ待って、騎士様がお迎えにきてからお母様に切り出そう。
フィオナは、一人で母に打ち明ける勇気がなかった。
私は彼に一目で恋に落ちてしまった。あの夜、純潔を捧げたことは今も後悔はしていない。
とても…素晴らしい夜だったのだから。もう一度、彼に熱く抱いて欲しい…
フィオナは、はじめて純潔を捧げた男に、自分の魂が射抜かれたようになっていた。
彼は、そっけないカイル皇子とは違って、私に女としての欲望を感じていた。
でも、そのことを母に話して、白い目で蔑まれたらと思うと怖い…
それにあの騎士様の身のこなしは、きっとどこかの名のある貴族に違いない。
貴族の子息であれば、まさか純潔を捧げた私をそのままにすることはないだろう。紳士として。
きっとすぐには迎えに来れない事情が何かあるに違いない。
フィオナは彼が何らかの事情で、自分のところに駆けつけたいのに、来ることができないのだと、そう考えた。
もしかして、今はお金のない貴族なのかもしれない。
でも、お金などいらないのにー。
騎士様がお迎えに来てくださったら、その時、お母様に一緒にお話ししてもらおう。
私は、あの騎士様と一緒になりたいのだから…
「ごめんなさい。やっぱりなんでもないわ」
フィオナは、先ほど言いかけたことをすぐに打ち消した。
今はまだ、母に全てを打ち明ける時期ではない。
マリエンヌ王妃は、フィオナの様子に少し首をかしげたが、女官のメアリに向かって労(ねぎら)いの言葉をかけた。
「お前も、時間のない中、良くやってくれています。ここまで順調に準備が進んだのも、お前のおかげね」
「そのようなこと。勿体無いお言葉でございます」
メアリは、いつものように、一歩下がって王妃に恭しく頭を下げた。
「フィオナが無事、婚礼の儀を終えたら、お前やお前の家族の者に褒美をとらせましょう」
「王妃様、ありがとうございます。誠心誠意、フィオナ様にお仕えさせていただきます」
王妃は、満足そうに頷くと、メアリとフィオナに告げた。
「本当は、婚礼の儀の五日前にエルミナールへ入国するはずだっだけれど、予定を早めます。一週間後に出発よ」
「えっ!?」
フィオナは、母の突然の予定変更に驚くと同時に不安が押し寄せた。
そんな、どんな顔をしてカイル様にお会いしたらいいの?
まだ、カイル様にはお話しできない。
フィオナは、また目の前がくらくらとして、吐き気さえしてきた。
言い出せないまま、自分の周りで、どんどん物事が進んでいってしまう。あっという間に…
「メアリ、そのつもりで支度してちょうだいね。期待しているわ」
「はい。お任せください。万事恙無く、王妃様の思う通りに」
王妃は有能なメアリに微笑むと、ドレスの裾をさばさばと翻しながらフィオナの部屋を出ると、自室に戻った。
ふふ、早めにエルミナールに行き、結婚式の前に、あの邪魔な娘を消さなければ。
あの娘が、万一、カイル皇子の寵姫となり、フィオナより先に皇子が生まれては、私の計画が頓挫してしまう。
もともと、あの#皇子__カイル_#はリゼルをいたく気に入っているのだから。
またあの小娘も、皇子を慕っている。
忌々しいことに、あの小娘には、フィオナにはない男を誘うような色気もある。
…カイル皇子も若い男だ。その色香に誘われて、正妃のフィオナに見向きもせずに、あの娘にだけ子種を植え付けられては困るのだ。
リゼルには可哀想だけれど、私の計画の障害となるものは、排除するほかない。
それに、その計画はもう進めているのだから。
私は以前、リゼルを呼び出して殺すのに失敗したけれど、いつものようにリスコーム宰相が上手い手を考えた。
さすが、私の信頼する愛人だわ。私には到底、思いつかなかったのだから。
秘密裏にリスコームの配下の者が、エルミナールに潜入して水面下で動いているとも知らずに、安堵していられるのも今のうちだけ。
リゼルの父、ダークフォールの慌てふためく顔が目に浮かぶ。
兄を殺された私のように、娘を目の前で殺される思いを味わわせてやる。
今度こそ、どんなに魔力があろうとも、助けられない、
あの娘を追い詰め、破滅させる方法でね…
ふふふ…
王妃は、ふと窓際のテーブルの上に置かれているチェス盤をみた。いつ誰と対戦したものだろう。
白の陶器で出来た可愛らしい人形をかたどったクィーンの前には、クィーンを守るように馬に乗った白い騎士が置かれている。
リゼルを守るカイル皇子のように。王妃はその配置が気に入らなかった。
黒い歩兵でナイトを取ると、白いクィーンの目の前に置いた。
ポーンは、前にしか進めない。後戻りはできないのよ。
クィーンの周りには、黒いビジョップ、黒いルークが取り囲んでいる。
白いクィーンは孤立していた。
もう、クィーンの逃げ道はない。あとは、この可愛らしいクィーンを獲るだけ…
王妃は、そのチェス盤の配置が気に入り、しばしの間、満足そうに眺めていた。
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