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初恋編

49話 迫る危機

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 カイルは、宮殿でリゼルと別れた後、文官や技官らと共に馬で国境にある建設中の石橋に向かっていた。

 この橋はルーファス王子の国、モルドヴィンとを繋ぐ橋で、両国から工事を進めて中央で繋げる計画だ。
 橋が開通すれば西方の国々とエルミナールの王都を川を迂回せずに結ぶことができる重要な交流の拠点となる橋であった。
 その建設が順調に進んでいたはずなのに、石橋の一部が崩落してしまったという。
 その報告を受け、急遽、文官や技官らを連れて馬でその橋に向かっているところだった。本来は、このような対応はカイルの補佐官のランスロットが行うが、彼は今、ローゼンを密かに探っている。
 それにこの橋の建設は、もともとカイルが考案したものだったため、自分で現場を確認するため急いで出発したのだった。

 冬の凍てつく空気を切って、カイルは護衛らとほとんど同じく馬の鼻先を揃えて先頭を切って馬を駆っていた。

「殿下、どうか我らの後ろに」

「構うな」

 護衛が先頭を切って走るカイルを心配して声をかけるが、カイルはなるべく早く片付けて王都に戻りたかった。なぜか王都を離れることに胸騒ぎを覚えていた。

 このまま走れば夜の帳が降りる前に橋に着くことができる。今夜と明日の朝早く状況を確認し指示を出せば、明日の夜には王都に戻れるはずだ。そう思っても一抹の不安がよぎる。
 実際、カイルが胸騒ぎを憶えているのは橋のことではなかった。
 出立間際に宮殿で会ったリゼルの姿がカイルの心の内に思い浮かぶ。

 真っ白いセーブルの毛皮のケープに、漆黒の髪と肌の白さが際立ち、その美しい佇まいに目が惹きつけられた。
 ああ、リゼルはいつ見ても愛らしい。
 彼女をこの手に抱きしめたくて堪らないー。 
 リゼルのことを想うだけで、馬を駆るカイルの全身に熱い熱情が迸った。

 だがカイルは宮殿で会ったリゼルの瞳の奥に、何かを見たような気がした。
 あれは不安だったのか、苦悩だったのか・・・
 リゼルに別れを告げた今では、彼女の考えていることすら分からないー。
 胸に渦巻くリゼルへの想いを振り切るように、さらに馬に鞭を入れると、カイルの愛馬は心得たように本領を発揮し、並み居る護衛らの駿馬から抜きん出た。
 護衛達は後を追うのが精一杯の様子で様子でカイルに続いた。


 ちょうど日も落ちて、夕闇が訪れた頃、カイル達の一行は石橋の工事現場に到着した。
 工事現場の周辺の川べりには、至る所に天幕が貼ってあり、出稼ぎの工事の請負人達の多くは天幕で寝泊まりをしていた。
 橋を見渡せる高台には、工事の司令塔となる石造りの砦とそれに連なる建物があり、カイル達はそこで責任者から状況を聞くこととなった。

「殿下、お待ちしておりました。もう日も暮れましたゆえ、今日のところはお休みいただき、明日、崩落した現場をご覧いただこうかと」

「いや、まず今夜のうちに現場を見たい。案内いたせ。怪我人は?」

「は、承知いたしました。幸い崩落した時はちょうど休憩時間だったため、重症の怪我人はおりません。皆、軽症です」

 責任者に状況を聞きながらカイルら一行は、橋の崩落現場へと向かった。

 すでにあたりは暗がりが広がっていたが、あちこちに篝火が焚かれ、橋の状況が見てわかるほどには視界は開けている。カイルは工事現場の責任者と、随行の技官らと共に崩れた箇所を点検すると、どうやら石を載せていた木の土台に亀裂が入り崩落したようだった。

「なぜ、亀裂が入ったのだ?」
「そ、それが、さっぱり・・・。前日に点検した時には、亀裂はありませんでした。長年、多くの橋の建設に関わりましたが、今回のように、なぜ急に亀裂が入ったのか見当もつきません」

 技官らも綿密に計算され設計された橋の思わぬ崩落を訝しみ、人為的に破壊されたのではという見方をする者もいた。

「大まかな状況は分かった。砦に帰り、復旧策を検討しよう」
 
 橋のたもとの下側から、亀裂を見上げるような形で見上げていたカイル達だったが、一行が引き上げようとしたその時、突如、橋の上から土砂や石の塊が一行をめがけて降り注いだ。

「う、うわぁー!また崩落だ!」

 誰かが叫び、その場にいた文官や技官らはパニックとなり、ちりじりに逃げ惑う。

「皆、落ち着け!」

 カイルが土砂が降ってきた橋の上を見上げると、誰もいない筈の橋の上に黒い人影が見えた。

 これは事故ではない。誰かが故意に起こしたものだ!
 そう直感した時、カイルの上にも土砂が降り注いできた。
 と同時に護衛達が自分の名を叫びながら駆け寄ってくるのが目の端に入る。

 私を狙っている!一体誰が!?
 カイルは、その正体を突き止めようと怪しい人影があった橋の上に転移しようとしたその瞬間、頭に強い衝撃を感じた。

 その衝撃に意識が消えてなくなる間際、なぜかリゼルが自分に助けを求めているような声が聞こえた。

* * *

「カイル皇子・・・!しっかりしろ!起きるんだ」

 どれほどの時がたったのだろうか。
 聞き覚えのある声がカイルの耳元で響いた。

「つっ・・・」

 その声に起き上がろうとした時、カイルの頭にずきずきとしたひどい痛みが走った。

 くそ、土砂が降ってきた時、頭を打ったようだ。
 先ほどの橋での出来事を思い出し、カイルは痛む頭を無視して上半身を起こした。ちかちかとする目が慣れると、そこには黒いマントを羽織ったルーファル王子がいた。

「ルーファス王子!」
 カイルは思わず目を見開いた。

「なぜ、お前がここに…今は、いったい何時だ?」
「しっ。静かに」

 ルーファスが戸口の外側にいるだろう護衛に気づかれないように小声になる。

「いまはもう夜中だ。カイル皇子が不在の間、王宮は大変なことになっているぞ。フィオナ王女の暗殺未遂でリゼルちゃんが捕らえられた」

「暗殺未遂?」

 ルーファスは緊張した面持ちで頷く。

「リゼルちゃんが王女に届けた紅茶に毒が入っていた。それに宮殿でリゼルちゃんの応対に出たフィオナ王女の侍女が刺されて死んでいた。その喉にリゼルちゃんのペーパーナイフが刺さっていたそうだ」

「そんな、ありえない!」

「マリエンヌ王妃がすぐに動いて、大臣のカンタベリーとかいうやつに命令書を作らせ、衛兵がリゼルちゃんを公爵邸から強引に連れて行ったそうだ。侍女のアイラちゃんが、どうしていいかわからずに私のところに助けを求めにきた。カイル皇子、いますぐ王都に戻れ。一刻の猶予もない。明日、リゼルちゃんの審判が行われるそうだ」

 カイルは未だずきずきとする頭を振った。
 おかしい。これはどういうことだ…。
 宰相は領地の屋敷が火事になったと言って、少しの間、領地に戻ると聞いた。
 ランスロットは今、ローゼンを密かに調査中。
 そして、私は、この橋の事故・・・。

 カイルはあまりに出来すぎた一連のことを不審に思った。これは、私達を王都から、リゼルから引き離すための策略だったのではーーーー、そこに思い至った。

「くそ!すぐに王宮に戻る。ルーファス王子、恩にきる」

 カイルは寝台を飛び起きて、そばに置いてあったベルトをつけ剣を刺した。

「これは、リゼルちゃんのためだ。リゼルちゃんは、『咎人の塔』に連れて行かれたらしい…」

「なんだと!?」

 カイルは驚きを隠せなかった。咎人の塔は、罪が確定した重罪人が連れて行かれる場所。リゼルが連れて行かれるべき場所ではない。自分や宰相が不在となった間の王宮のあまりの横暴にカイルは思い切り毒づいた。

「明日の審判では、有罪になる確率が高い。リゼルちゃんの新しい侍女も、彼女が殺したのを目撃したと証言している。たぶん、父上やカイル皇子が不在の間に、手出しをできないように審判を行って有罪に追い込むつもりだろう」

「リゼルを今すぐ助けなければ…」

 カイルは、マントを羽織るとルーファスに向き直った。その時、ルーファス王子も頷いた。

「早く行ったほうがいい。ここに転移するので精一杯で僕の魔力はもう使い果たしてしまった。カイル皇子のような強い魔力はないからね。それに、この橋の先は、わがモルドヴィンとの共同工事。この橋の事故の件は、カイル皇子、あなたから引き継いだとして私が対応しよう」

「すまない。私は王都に戻る。この借りは必ずお返しする」

「それとこれを持って行ったほうがいい。」

 ルーファス皇子が、ポケットから取り出したのは、リゼルのイニシャルの入ったガーターリボンだった。それは、リゼルがカイル皇子に純潔を奪われたと聞いたあの日、欲望に我を忘れたルーファスがリゼルに迫り、逃げられた後に狩猟小屋に残されていたものだった。

「これは、リゼルの・・・」

 公爵家の紋章の刺繍とリゼルのイニシャルの入ったなまめかしい風情のガータリボンを見ると、カイルは目に怒りを滾らせてルーファス皇子を睨みつけた。今にも殴りかかりそうな勢いで。

「おっと、誤解のないように言っておくけど、最後まではしてないよ。途中まではいい雰囲気だったけど、逃げられたからね」

 ルーファスは、慌てて降参したように両手を肩の上に挙げつつも、してやったりと不敵な笑みを浮かべる。

「証拠品は多いほうがいいだろう。リゼルちゃんのアリバイ作りのために。例えば、その時間は君のベッドで戯れていたとかね。向こうが嘘の証拠品を出すなら、こちらもだよ。侍女の証言と皇子の証言は、皇子のほうが信憑性があるだろう?ものはいいようだよ。リゼルちゃんを助けるためだ」

 カイルは気が進まなかったが無言でリゼルのガーターリボンを受け取ると自分の胸ポケットしまった。

「うまくいくよう祈ってるよ」

 カイルはルーファスを見て頷くと、そのままふっとルーファス皇子の目の前から姿を消し、瞬時に暁の宮の自室に転移していた。

 カイルの思考は目まぐるしく動く。
 なんとしてもリゼルを助ける。
 これ以上マリエンヌ王妃のいいようにはさせぬー。
 その双眸に冷たい光が浮かんだかと思うと、密かにカイルの私兵である新鋭隊長のザイドを呼んだ。

「ザイド、一連の動きは知っているだろう。公爵令嬢のリゼルが捕えられた。大臣カンタベリーの命によって」

「は、聞き及んでおります」ザイドが片膝をついて答えた。

「彼女は、今、咎人の塔にいる。今からリゼルを助け出す。特に腕の立つもの数人を揃えるように。誰にも気取られぬように城を抜けるぞ」

「はっ」ザイドは、すぐにカイルの部屋から姿を消した。

 カイルは、急いで身軽な服に着替える。その間にも怒りがふつふつと湧き上がった。
 そして、カイルの思いは既に揺るぎなく固まっていた。

 リゼルに何かあったら許さない。
 リゼルはもう、私から二度と離さない・・・

 暗闇に佇むカイルの双眸には、窓から差し込む冷たさを含んだ銀色の月光が映し出されていた。
 カイルは密かに城を抜け城外でザイドと合流すると、王都のはずれにある咎人の塔に向かって馬を飛ばした。

 ーリゼル、どうか無事でいてくれー

 今、月明かりを背に咎人の塔を目指すカイルの中にあるのは、彼女リゼルへの想いだけだった。

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