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初恋編
51話 世界でたったひとつ
しおりを挟む咎人の塔を囲む高い石塀の外側には、正門と裏口、塀の周りを取り囲むように衛兵らが等間隔で警備をしていた。
カイルとザイドたちは、近くの森から塔の周りを警備する衛兵の様子を伺っていた。
ちょうど降りしきる雨の音が、これからの襲撃を前にはやる気持ちを抑えきれない馬たちの、ぶるるる、という唸り声をかき消してくれている。
「ザイド、二手に分かれて門の兵士を倒したら、私は塔の最上階にいく。高貴な身分のものは、最上階にある部屋に幽閉されるのが常だ。リゼルは多分そこに幽閉されているだろう。お前たちは、明日のリゼルの審判が終わるまで、リゼルがいなくなったことを気づかれぬよう塔を見はれ」
「御意。では皇子、幸運を」
カイルとザイド達は、正門と裏門の二手に分かれて一斉に馬で衛兵たちを襲撃し、一人残らずその身を拘束する。
突然の襲撃に衛兵たちは慌てふためいたのもあるが、それでも何度も危うい実戦をくぐり抜けた選りすぐりの親鋭隊たちと、衛兵たちの力の差は歴然としていた。
カイルは愛馬を自在に操り、やみくもに襲いかかろうとする衛兵の頭を剣の柄で殴り倒し、次々に気絶させた。
「衛兵たちは、門の中に入れて拘束するんだ!殿下、ここはもう大丈夫です。早くリゼル様を」ザイドが叫ぶ。
カイルはザイドに頷いて塔の最上階に転移すると。そこには王族や高貴な身分の貴族らが幽閉される豪華なしつらえの部屋があったが、部屋は真っ暗で、その中の家具や調度品には、白い布が埃を被ったまま人が入った形跡がなかった。
「くそっ。リゼル、どこだ⁉︎」
まさか…
カイルの脳裏に嫌な予感がよぎる。
リゼルは地下牢にいるのでは?
地下牢はすでに刑が確定し、処刑を待つ者が入れられる場所だ。
まさか、リゼルが地下牢に入れられているなど…
カイルは、思わず汚い言葉を罵りながらその考えにぞっとして冷や汗が背中を伝うのを感じた。地下牢には拷問部屋もあるのだ。特に女性は何をされるか分かったものではない。急いで塔の螺旋階段を駆け降りると地下牢に向かった。
***
「・・・ううっ、はぁ、はぁ、はぁ」
地下へと続く階段を降りると、薄暗い地下牢の奥から、男の荒い息と女性のすすり泣きのような声が響いていた。
剣を抜いて壁伝いに奥の部屋にそっと近づく。部屋の中を伺うと、鉄格子越しに男が自分の卑猥なものをいやがるリゼルに突き出して、強引にその手を掴んで握らせていた。
(・・・俺のペニスを皇子様のだと思って心を込めるんだ。うまく俺を達かせたら衛兵に頼んで宮殿に使いを出してやるぞ・・・)
呻き声を出しながら男の口から漏れた下卑た言葉に、カイルの怒りが頂点に達した。
カイルは目深にフードを被ったまま、ずかずかと男に近づくと、目を瞑って愉悦に陶酔している男を思い切り蹴りとばした。
「クソッ!なんだ、貴様は!どうやって入った?」
男がいきなり快楽から苦痛へと突き落とされ、床に転がされると、思い切り顔を顰めて、卑猥なモノをぶら下げたままふらふらと立ち上がる。
その男の胸ぐらをつかむと、怒りを滾らせながら男に聞こえるように呟いた。
「自分の国の皇子の顔ぐらい覚えておくんだな。それにお前の粗末なものと私のを一緒にするな。不愉快だ」
男の顔を思い切り肘で殴りつけると、ぐしゃりという鼻のつぶれた音がして、男が床に崩れ堕ちた。
「下衆が」
カイルは、吐き捨てるように言って男を気絶させると、リゼルの方に向き直った。
リゼルはただ呆然と牢の床にへたり込んでいた。
たった今、地下牢で自分を助けてくれた背が高く、フードを目深にかぶった男性の後ろ姿を見て、まさかという想いに胸が震えた。
その男性が振り向いてフードをとった。
薄暗い蝋燭の灯に煌めく濃い金色の髪、鋭く青い双眸に怜悧な光を湛えたカイル皇子その人だった。
不安と恐怖で押し潰されそうになっていたリゼルは、これほどまでに会いたいと願わずにはいられなかった人の姿を捉えると、瞳に涙がいっぱいに溜まり、次から次へとぽろぽろと涙がこぼれ落ちて、唇が震え、言葉が出なかった。
リゼルはふらふらと立ち上がると、縄で縛られた手を自分の胸の前で祈るようにぎゅっと握りしめた。
カイルがリゼルが捉えられている牢屋に近づく。
「リゼル、君を迎えに来た」
低く、しかし揺るぎない声が地下牢に響き渡った。
「カ、カイル様…」
カイルは鉄格子にしがみつくリゼルの手をぎゅっと握り、顔を近づけて牢越しにリゼルの頭を引き寄せると、そのまま唇を重ねあわせた。
言葉は何もいらなかった。
あるのは安堵と愛しい人への渇望。
震えるリゼルの唇を宥めるように何度も貪った。
「リゼル、私のリゼル・・・・」
カイルは夢中でリゼルを味わった。リゼルは無事だった。その温かな息遣いを感じたかった。
私は今まで何を思い迷っていたのだろう。
例え自分の魔力が無くなろうと、記憶が無くなろうとリゼルの命に比べれば、そんなことはどうでもいいことだ。私が一生側にいて、守りたいのはリゼルしかいない。唯一無二の私だけのもの。
何故リゼルを手離すことができたのかー
震えるリゼルを腕の中に感じながら、カイルはこれまでの自分を悔いた。
互いを求めるキスはだんだんと緩やかになり、カイルは唇をリゼルの涙に濡れた重たげなまつ毛の上に這わせて、その雫を丁寧に吸い取った。
リゼルの手を握りめていた指を離し、手首の縄にそっとあてると、手が痺れて痛みが走るほどきつく縛られていた縄がカイルの魔法によって、いとも簡単にするりと解けて堕ちた。
「ああ、カイル様…。お会いしたかった。これは夢ではないのね」
カイルは返事の代わりにリゼルの頭を愛おしむように何度も撫でた。
「リゼ、君に何かあったらと思うと生きた心地がしなかった。さぁ、急ぎここを出るよ」
「カ、カイル様、お願い、聞いて。何もかも誤解なの。私は、フィオナ王女様を暗殺しようなどとは…」
「分かっている。これは仕組まれた罠だ。マリエンヌ王妃に」
「王妃様が?なぜ…」
「王妃にとって君は邪魔な存在だった。だから命を狙われていたんだよ。ずっと。思えば君が攫われた時から。でも、もう安心だ。私は二度と君を手放さない。リゼル…私の最愛の人…」
カイルは鉄格子を隔てて、リゼルをぎゅっと抱きしめ、未だ震える身体をがっしりとした自分の胸に引き寄せ安心させるように背中を撫でた。
ついに宝物を手にしたような愛しさが胸にこみ上げる。
「カイル様…」リゼルはカイルの逞しい腕に抱かれて、これまで感じていた不安と恐怖、そしてカイルへの切ない想いが溢れて、その胸の中で打ち震えた。
だがカイルとリゼルがここで会えた喜びも束の間、リゼルは、明日、身に覚えの無い罪により審判にかけられてしまうのだ。
悪くすれば王族の殺害を企んだ咎人として処刑されてしまう。
それは王宮の法に則った審判であり、魔力ではどうすることもできないものだ。
「私は、明日、審判にかけられてしまいます。きっとカイル様にご迷惑が…」
「リゼル、もちろん、私が君を咎人になどさせるものか。私がこの世界でたった一つ、最後まで守りたいもの…それは自分でも、この国でも、民でもないんだよ。リゼル、君なんだ」
そう、答えは初めから目の前にあった。
愛しい私の恋人。君さえいれば他に何もいらないー
その揺るぎない想いが心の中を満たすと、カイルはリゼルの顎に手をかけてふっと微笑む。
そしてまた唇を重ね合わせた。
くちゅくちゅとリゼルの口内を優しく貪ると、地下牢に雨音とは違う、優しく甘さを湛えた水音が響き渡る。
いっとき二人は、ここか地下牢だということも忘れ、お互いの口づけに溺れるように求め合った。
「んっ、んぁ・・・はぁ」
「リゼ、君へのこの想いを抑えられそうにない…」
二人の口づけがさらに深まった時、奥の階段から咳払いが聞こえてきた。
「皇子、すべて衛兵を拘束しました。この塔はわれらの支配下にあります」
どのタイミングで声をかけようかと迷っていたザイドだが、カイルの言葉を聞いてこのまま、皇子がここでコトに至るのはまずいと思い、意を決して声をかけたのだ。
カイルは小さく舌打ちをしてゆっくりリゼルから唇を離すと、リゼルを見つめたままザイドに言った。
「ではリゼルを安全な私の宮に連れて帰る。誰が来ようこの塔を明け渡すなよ」
カイルは牢の扉の前に行き、錠に手を触れた途端、がしゃんと鍵が壊れて外れた。
そのまま牢をくぐり、リゼルに近づくと横抱きに抱き上げる。
「さぁ、私たちの暁の宮に一緒に帰ろう。そこがこれから君の居場所だ」
カイルはリゼルを抱く手に力を込めた。
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