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番外編
~あの夜を忘れない~ランスロット&フィオナ(16)
しおりを挟む公爵家では、ちょうどアイラが二階に行こうとすると、フィオナ王女付きのもう一人の侍女が階段から降りてきた。その手には、美しい封筒が握られている。
「そのお手紙は?」
アイラが声をかけると、その侍女は、にこりと笑った。
「ふふ、王女様からお城の若さまへのお手紙です。今、ヨゼフに城に届けてくれるように頼もうと思って」
ヨゼフとは、公爵家で使い走りをしている少年である。
「そうなの、ちょうどいいわ。私も奥様から若様宛に頼まれたお言付けがあるの。一緒にお手紙を渡しておくわ」
「まぁ、ありがとう。では一緒にお願い」
「ええ、大丈夫よ」
アイラは手紙を受け取ると、来た場所を逆戻りした。誰もいない応接室に入ると、先ほどのフィオナ王女の手紙を見る。美しい透かしの入った花柄の便箋に、蝋で封がしてある。
表には「ランスロット様へ」裏には「フィオナより」と美しい文字で書かれていた。
いけない、と心ではわかっていても、衝動的にびりっと封蝋を破り中の便箋を取り出した。
急いで広げて、文面に目を走らせる。
流麗な文字で、簡潔にしたためられていた。
『ランスロット様へ
今朝は、温室で取り乱してしまってごめんなさい。
どうしても、今夜、会ってお話ししたいことがあります。
少しの時間で構いません。どうかお時間をください。
お帰りになるのを待っています。
フィオナより』
アイラはその手紙を見て、顔色を曇らせた。
・・・ランスロット様に会って何を話すのだろう。
今日、街でこっそりと会いに来たあのローゼンの男のことだろうか。
あの男のことを伝えるのであれば、王女は三日後に国に帰らないかもしれない。そうなっては困る・・・。
どのみち、この手紙はすでに封を破ってしまった。もう届けることはできない。
アイラは、くしゃりと手紙を丸めるとパチパチと音を立てて爆ぜる暖炉の火の中に投げこんだ。
メラメラと燃えてなくなる手紙に罪悪感も沸いたが、すべてランスロット様のためだ。彼女はランスロット様を不幸にするだけの厄介な王女だ。
王女にとっても、国に帰ったほうが幸せになれるだろう。
手紙がすべて燃え尽きたのを見届けると、アイラは何事もなかったかのように、応接室を出て行った。
* * *
ランスロットが、城に泊まり込んで三日目。
それは、ちょうどリスコーム宰相がフィオナに伝えた迎えに来るという日だった。
フィオナの心はすでに固まっていた。
ランスロット様には手紙を出したけれど、結局、あの夜は帰ってこなかった。
温室で別れたきり、なんの音沙汰もない。お別れの前にひとめ会いたかったけれど、これで良かったのかもしれない。
お会いしたら、きっと決心が鈍ってしまっていただろう。
まずはローゼンに戻って、この先、どうしたら良いのかを一人でじっくりと考えたい。
そのためにも、今日は一人で買い物に出かけなくては…
そして侍女を撒いて、リスコームの迎えと合流するのよ。
私に、うまくできるかしら…
朝食の席で、フィオナは意を決して公爵夫人に話を切り出した。
「ルイザ様、今日、街に買い物に行きたいのです。どうしても赤ちゃんのもので、見たいものがあって。お許しをいただけますか?」
「まぁ、どうしましょう。今日は私は、夫の代理で領地の管理人と会う約束をしていたの。明日ではダメかしら?」
「あの、いつもルイザ様にご面倒をおかけするのも申し訳ありませんわ。従者と侍女をつけていただければ、街まで行けますし、私も一人でじっくりと選びたいのですが、いいでしょうか?」
「それもそうね。私がいたのでは、自分で好きなものを選べないわね。ふふ。いいわ、そうしたら従者とアイラを一緒に行かせるから、ゆっくりと楽しんできて?無理はダメよ」
「はい。ありがとうございます」
公爵夫人の変わらぬ優しさに心が痛んだが、私が公爵家にいれば、社交界からも色々噂をされてご迷惑をかけてしまう。きっとこれでよいのだ・・・
フィオナは、公爵夫人に力なく微笑んだ。
街に出ると、先日のマタニティドレスのお店や赤ちゃん用の雑貨を置いている店に入った。私のすぐそばに、ぴったりと侍女のアイラさんも付いてきている。
怪しまれないために、赤ちゃん用の小物を少し購入しなければ・・・
ふと見ると、お店には少しお腹の大きくなった若い貴婦人が、夫だろうか、紳士と一緒に楽しそうに話しながら赤ちゃんのものを色々と選んでいる。
夫の方は、妻があれこれ言いながら迷っているのを慈しむような目で見つめている。彼女がとても愛されてるのが、はたから見ていてもよく分かる。
フィオナは二人に釘付けになった。そして、自分とランスロットを二人に重ねる。あんなふうに、心から赤ちゃんの誕生を祝えたら。
責任感からではなく、ランスロット様にあんな風に愛しげに見つめられたら、天にも昇る気持ちになるに違いない・・・
なぜかじわりと涙が溢れてきた。
きっと、妊娠のせいで感傷的になっているのだわ。すでに公爵家の自分の部屋にある机の引き出しの中には、公爵婦人とランスロット様宛に手紙を残してきている。
これまでのお礼と、さよならと・・・
もう、引き返せない。私は、一人でも生きて行ける。
この先、赤ちゃんが生まれて公爵家に渡すことになっても、後悔しない。
フィオナは幸せそうな貴婦人と紳士から目を反らすと、二人に決別するように、お店を後にした。
今度は、少し先の毛糸のお店に行くことにしたところで、アイラさんに声をかける。
「アイラさん、私、先ほどのお店に手袋を忘れてきてしまったわ。取りに戻るので、先にそこの毛糸のお店に行っていてもらえるかしら?」
アイラさんに言うと、じっと私の目を見つめてきた。まるで見透かされているようで心臓がドキドキと高鳴る。
「はい。わかりました。では先に行って待っていますね」
アイラさんは、珍しく笑顔で言うと毛糸のお店に向かって歩き出した。肝心の彼女に疑われなかったのに、ほっと胸をなでおろした。
すでに迎えがあの路地で待っているに違いない。早く行かなくては・・・
フィオナは、アイラが毛糸のお店の中に入るのを見届けると、さっと踵を返して路地裏に向かった。 すると灰色のボンネットを目深にかぶった女性がひとり佇んでいた。フィオナを見るとさっと近づいてきて耳元で話した。
「王女様、通路のあちら側に目立たない馬車を待たせています。どうぞ付いてきてください」
フィオナは、こくりと頷くと、その女性の後に従った。
アイラは、一旦、毛糸のお店の中に入り、少したってからお店の扉をそっと開けて通りをみると、フィオナ王女が先ほどのお店には戻らず、その先の路地裏にさっと入るのが見えた。
やはり、あの男が言ったようにローゼンに帰るのだ。
きっとこれで、ランスロット様も諦めるだろう。フィオナ王女は、ランスロット様をお捨てになったのだから。
アイラの顔に、ふふっと笑みがこぼれた。
さて、私はこれからゆっくりと時間をかけてお店の商品を見よう。王女がローゼンの者とともに王都を離れられる十分な時間を確保してあげなくては。
そして先ほどのお店に戻って、店主にフィオナ様がお店に戻らなかったかを聞く。
疑われないように、この辺のお店にもいくつか声をかけ、王女を探すふりをする。
たっぷりと時間をとったところで、馬車に戻って従者にフィオナ様が居ないと告げ、またさらに従者と一緒にこの辺を探そう。
それから公爵家に帰って奥様に涙ながらに告げるのだ。
その頃には王女はすでに王都を離れて、ローゼンのどこかに行っているはず。
そこから捜索してももう、遅いだろう・・・
頃合いを見計らって、フィオナ様が誘拐ではなく自分から出て行ったと分かるように、フィオナ様が昨夜、こっそりと書いていた奥様とランスロット様宛の手紙を見せるのだ。
お二人とも、なんて薄情な王女だと呆れるに違いない。
そう、それで十分。
彼女が公爵家からいなくなれば、問題の種は無くなるのだから。
アイラは、色とりどりの毛糸が並ぶ店内を、ひとり嬉しそうに眺め始めた。
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