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第一章 おくりねこ

第十一話 猫と女性(孫)

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 突然俺に声をかけてきたのは、綺麗な女の人だった。
 軽く茶色に染めた長い髪を後ろで束ねた彼女は、薄く化粧をした優しげな顔立ちに驚きの表情を浮かべながら、慌てて俺たちに向けて頭を下げてきた。

「ごめんなさい、いきなり話しかけたりなんかして……」
「あ……い、いや、こちらこそ……へ、変な所を――みせ、見せてしまって――」

 完全に気が動転した俺は、訳分からない事になりながら、彼女よりも深々と頭を下げ、もつれる舌を必死で動かす。
 傍目から見たら、完全に不審者のリアクションだが、致し方ない。
 何せ、バイト先以外で若い女の人と会話する機会など、俺の今までの人生では片手で余るくらいしか無いのだ。
 ……ああ、そうだよ。お察しの通り、俺はDTだよ! 言わせんな恥ずかしい!
 と、俺が大いに挙動不審な様子であたふたしていると、

「ふにゃああああお!」

 突然、キャリーバッグの中の初鹿野さんが猫の声で叫び出すと、キャリーバッグのフタをガリガリと爪で引っ掻き始めた。
 急に暴れ始めた初鹿野さんに驚きながら、俺は慌てて声をかける。

「お、おい、ちょっと! あば、暴れないで! はじか――!」
「は――はい? あの……私ですか?」

 俺の声に怪訝な顔で反応したのは、何故か目の前の女性だった。
 彼女の反応にキョトンとした俺は、首を傾げながら訊ねる。

「へ――? い、いや、あの、あなたじゃなくって……」

 そう言いかけたところで、ふとある可能性に思い至り、俺は目を大きく見開いた。

「て、も、もしかして、あなた……?」
「あ――はい」

 俺の問いかけに、女性は戸惑いながら小さく頷く。

「あの、私、初鹿野って名字なので、自分の事を呼ばれたのかなって……」

 そう言うと、女性は自分の事を指さし、ふわりとした微笑を浮かべながら言葉を継いだ。

「あの、私……おじいちゃん――今日の主役……ておかしいかな? えーと、とにかく……故人の初鹿野伝蔵の孫で、初鹿野かなみっていいます」
「ま、マゴ……あ! お孫さん! ああ、な、ナルホド……!」

 俺は、彼女の言葉に対するリアクションの取り方が思いつかず、とりあえず頭をうんうんうんうんと何度も上下に振ってみる。――(あーあ……これじゃまるで鹿威ししおどしだわ、クソだせえ……)と、脳の奥の冷静な俺の部分が呆れているのを感じながら。

「……あ、す、スミマセン! あの、本日は……お日柄も良く……じゃなくて! ……ご、ご愁傷様、です……ハイ」

 うぅ……相変わらず舌がうまく回らない。自分で見る事は出来ないが、顔面が猿のケツより真っ赤なのは間違いない……。
 と、その時、

「ニャアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」

 初鹿野さんが更に大きな声で鳴きながら、ガリガリと騒がしい音を立ててキャリーバッグの内側を引っ掻く。

「あの。ひょっとして……ネコちゃん、外に出たいんじゃないでしょうか? 一回出してあげた方がいいかも……」

 と、かなみさんが俺に言った。
 彼女の言葉に、俺はこくりと頷く。

「まあ……そうでしょうねぇ。いっそ出してあげた方がいいのかな?」
「あ……で、でも、外でカゴを開けたりしたら、逃げちゃいますかね……?」
「い、いや、大丈夫だと思いますよ……絶対」

 (何せ、さっきまで放り出される事を全力で嫌がってましたから、そのジジイ)……と心の中で思いながら、俺はキャリーのフタを開けてやった。
 そして、初鹿野さんの背中の肉を摘まんで持ち上げる時に、彼の耳に顔を近づけて、俺はそっと囁く。

「……くれぐれも、人間の言葉で話さないで下さいよ。じゃないと……お孫さん、卒倒しちゃいますからね……」
「にゃあ……」

 初鹿野さんが猫語で答えて小さく頷いたのを確認した俺は、その身体をぎこちなく抱き上げてやった。
 さっきまでとは打って変わって、おとなしく俺の腕の中に納まった初鹿野さんを見て、かなみさんは顔を綻ばせる。

「あー、おとなしくなりましたね! やっぱり、狭いのが嫌だったのかな?」
「ん-、どうですかね? ただ短気なだけな――」
「ニャニャニャニャっ!」
「あ痛ったあああっ!」

 このクソ爺! 俺の手を思いっ切り引っ掻きやがった!
 痛みに耐えかねて、俺は思わず抱き上げた手を離す。
 俺の腕の中から逃れて、軽やかに着地したクソ猫は、すぐさまワンステップでジャンプすると、かなみさんの胸元に飛び込んだ。

「わ、キャッ!」

 突然の不意打ちに反応できなかったかなみさんは、胸の中に飛び込んできた初鹿野さんネコの衝撃に押される形で地面に尻餅をつく。

「あ! だ、大丈夫ですか……!」

 それを見た俺は、慌てて彼女を助け起こそうとするが――、

「……あは、あははははは。ちょっと、ネコちゃん、くすぐったいよ~!」

 かなみさんは、胸元の初鹿野さんの身体を抱き上げながら、爆笑していた。
 抱き上げられた初鹿野さんは、おでこを孫のかなみさんの顔にスリスリさせながら、ぐるるるとご機嫌そうに喉を鳴らす。……まるで、猫そのものであるかのように。

「あなた、とっても人なつっこいのね! 私とお友達になろっか? ……あは! ちょっと、手を舐めるのはやめて~。アナタの舌、ザラザラしてちょっと痛いんだよ~! あは、あははははは!」

 楽しげに笑いながら、負けじと初鹿野さんの身体をわしわしと撫で回すかなみさん。
 初鹿野さんは、ゴロゴロと喉を鳴らしながら地面に寝転がり、もっともっとと催促するようにお腹を見せた。

「ほら~! コチョコチョコチョコチョ~♪」
「ゴロゴロゴロゴロゴロ♪」
「…………」

 仲睦まじげに戯れる一人と一匹を前にして、唖然としながら傍観する俺……。
 かれこれ十分程もそうしていただろうか。

「おい、かなみ! お前、喪服が毛だらけじゃないか!」

 少し離れたところで、俺と同じ顔をしながら見ていた信一郎さんが、慌てた様子で声を掛けた。俺もその言葉ではっと我に返る。

「あ、おとーさん。……あれ、ホントだ」

 かなみさんの喪服は、信一郎さんの言葉通り、じゃれついていた猫こと初鹿野さんの毛が一面にくっついていた。そして、

「……あはは、アナタも!」
「――へ? …………げ、ホントだ」

 楽しげに笑う彼女に指さされて視線を下に落とすと、確かに俺の喪服にも猫の毛がびっしりと……。
 俺は慌てて喪服に付いた猫の毛を手で払いながら、かなみさんに言う。

「いや、別に俺の方はどうでもいいんすけど……ごめんなさい! そちらの喪服が、ウチのバカ猫のせいで……!」
「え? あ、大丈夫ですよ~」

 気遣う俺の言葉に、かなみさんは微笑みながらかぶりを振った。

「これくらいだったら、エチケットブラシですぐ取れますから。っていうか、気にしないで下さい。ちょっとネコちゃんが可愛くて、我を忘れてモフモフしちゃった私が悪いんで!」

 そう言って、ふんわりした笑顔を見せるかなみさん。俺は、ただただ恐縮して頭を下げるしか無い……。
 と、

「それにしても、人なつっこくて可愛いネコちゃんですね!」

 かなみさんが、初鹿野さんの身体を優しく持ち上げて、俺に渡しながら尋ねた。
 突然の彼女の質問に、俺は戸惑いながら言い淀む。

「――え? な、名前っすか……? はじかの――」
「え? 初鹿野?」

 やべっ! 思わずそのまま「初鹿野伝蔵さんです」と口走りそうになった。
 慌てて口を噤んだ俺は、この猫の姿をした初鹿野さんに、まだ猫らしい名前を付けていない事に今更気が付いた。
 ど、どうしようどうしよう……。

「あ――その……ハジカノ、じゃなくて……ハ……はじ……ハジ……」

 もともと、機転の利いたアドリブが咄嗟に出るほど器用なアタマではない。それでも、何とかいい名前を捻り出そうと脳内を必死に回転させようとする――と、

「ハジ! ハジちゃんっていうの、キミ?」

 そう叫んだかなみさんが目を輝かせ、初鹿野さんの頭をわしゃわしゃ撫で回した。
 “ハジ”……確かに猫っぽいけど、もうちょっと捻った名前の方が……。
 俺は(また、この偏屈爺猫が文句を言いそう……)と不安を覚えつつ、頭を為すがままに撫でられ続ける初鹿野さんの顔をおそるおそる窺う――。

「ごろごろごろごろ」

 ……はい、今日からこの猫の名前、ハジで確定~(呆れ)!
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