甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

文字の大きさ
6 / 263
第一部一章 生還

昔語りと現状

しおりを挟む
 布団の上で身体を起こした信繁と、その傍らに座った信玄と信廉は、半刻程の間、とりとめの無い話に花を咲かせていた。
 と、

「そういえば……」

 と、信繁が切り出す。

「目が醒める前、三人で山の中をさ迷った時の夢を見ました」
「――ああ、あの時の!」

 と、信廉は目を輝かせた。

「私も、ハッキリと覚えております。確か……私が三つか四つか……その頃の事でしたな」
「うむ、そうだ」

 信繁は小さく頷き、信廉は、申し訳なさそうに頭を掻いた。

「……確か、元々あの山に登ったのは、私が駄々を捏ねたせいでしたな……。あの時は、お二人に申し訳無うござりました。平に、平にご容赦下さりませ!」

 そう言うと、彼はふたりの兄に向かって、剃り上げた頭を深々と下げた。
 信廉らしい、大袈裟でどことなく滑稽な謝罪に、信繁は顔を綻ばせるが、信玄は首を傾げた。

「……はて? そんな事、あったか?」
「――って、太郎兄! 覚えてないのですか? あの山の大きな木の洞で、一晩を過ごした事を?」
「……覚えておらぬな」

 信玄の答えに、信廉は信じられないと言いたげに、目を見開いた。

「夜が明けて、ようやく山を下りて、躑躅ヶ崎に戻った後に、鬼のような剣幕の母上と板垣にコッテリと絞られた――それもお忘れですか!」
「……うむ」

 口角泡を飛ばす信廉に詰め寄られる信玄だったが、彼は、本当に覚えていない様だった。信玄は、困った様な苦笑いを浮かべながら言った。

「童の頃は、事ある毎に駿河 (板垣駿河守信方)に叱られておったからな……。正直、どんな事で怒られたのか、いちいち理由を覚えておらぬ。……思い出せないで、すまぬな」
「いや、そこで真面目に謝られても……」

 信玄の生真面目な謝罪の言葉に、逆に狼狽える信廉。根が真面目な信玄と、おちゃらけた信廉のやり取りは、幼い頃から変わらぬ光景で、黙ってそれを見る信繁の頬は、知らぬ間に緩んでいた。

 ◆ ◆ ◆ ◆

 それから、またひとしきり昔話に花を咲かせた後、信繁は布団の上で威儀を正した。

「……ところで。兄上……いえ、。お伺いしたいのですが」
「む――。何じゃ、

 “兄上”ではなく“お屋形様”と呼ばれた意味を敏感に感じ取り、信玄も表情を引き締める。
 信繁は、真っ直ぐに主君の目を見据えて言った。

「――某が眠っている間に、他国の情勢はどう変わったでしょうか? 六郎次郎や妻に訊いても、『元気になってからにしましょう』とはぐらかされるばかりですので、お屋形様の口から、現在の情勢と武田家の今後について、お伺いいたしとうございます」
「――次郎兄! ご精が出ますね……と言いたいところですが、ここは義姉上や六郎次郎と同じ言葉を言わせてもらいますぞ」

 信廉が、呆れたような顔をして口を挟んだ。

「次郎兄は、未だ目を醒ましてから時が過ぎておりませぬ。もう暫くは、俗世の事は気にせずに、ごゆるりとなさいませ。どうせ、快復してからは、以前の様にご多忙を極めるのですから――」
「いや」

 信繁は信廉の言葉に微笑みを浮かべながらも、キッパリと首を横に振った。

「今の儂は、昔話の浦島子のようなものじゃ。この頭の中は、二年前で止まっておるのだ。刻々変わる情勢に疎いままなのは、正直気持ちが悪くてのう」

 そう言うと、信繁は首の後ろを撫でた。

「それに、武田家親族衆筆頭としては、そうそう寝てもおられぬ。一刻も早く、躑躅ヶ崎館に詰めて、すぐにでもお屋形様のお役に立ちたい。その為には、最新の情勢を把握し、武田家の執るべき方策を、今の内に考えておかねばならぬ」
「……まったく、次郎兄らしいというか、何と言うか……」

 信繁の言葉に、苦笑いを浮かべる信廉の顔を上目遣いに見ながら、口の端に薄笑みを湛えて信繁は言う。

「それに――お主の事じゃ。何時までも、儂の代わりに親族衆を束ねるのは大変であろう、逍遙?」
「……ははは。まあ、仰る通りですな」

 兄の言葉に、信廉は破顔して、その剃り上げた頭を掻いた。

「お言葉の通り。たとえ、ほんの代理とはいえ、親族衆筆頭は、将器に溢れた次郎兄……には遠く及ばぬ非才の私には、些か荷がかちすぎるお役目でござる。私は本来、“逍遙軒”の号の通り、政や戦には関わる事なく、絵でも描きながらのんびりと生きていきたいのです。――本音としては、典厩様にはさっさと復帰して頂いて、私を気鬱な立場から解放して頂きたい所でありますよ」
「ははは……変わらぬな」
「逍遙……お前な……」

 信廉の言葉に声を上げて笑う信繁とは変わって、渋面を浮かべる信玄だったが、大きな溜息を吐くと、武田家当主の顔になり、その鷹のような鋭い目で信繁をじっと見つめた。

「まあ、逍遙も良くやってくれておるとは思うが、典厩が早く戻ってきてくれるのならば、儂としても助かる。――良かろう。教えようぞ、我が武田家の現状と、我らの四囲の情勢を」
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

電子の帝国

Flight_kj
歴史・時代
少しだけ電子技術が早く技術が進歩した帝国はどのように戦うか 明治期の工業化が少し早く進展したおかげで、日本の電子技術や精密機械工業は順調に進歩した。世界規模の戦争に巻き込まれた日本は、そんな技術をもとにしてどんな戦いを繰り広げるのか? わずかに早くレーダーやコンピューターなどの電子機器が登場することにより、戦場の様相は大きく変わってゆく。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...